「器に口を付けてご飯をかきこんで食べるのは犬食いみたいで行儀が悪いと親から何度も教わってきました。小さい子供の頃にやってしまって『もう赤ちゃんじゃないんだから、人間らしくしなさい』と、ものすごく怒られた覚えがあります。なので、気を付けています。また、そういう人を見たら行儀が悪いな、と嫌な気持ちになります」
ぱちぱちぱち。読み上げ終わった香山さんは着席した。ちらりと同じ班の私を一瞥した気がした。次の人が先生に当てられ、また同様に立ち上がって読み上げている。その内容は覚えていない。私は香山さんの発表のこの部分しか覚えていない。これは何の授業だったろうか。食育的な内容だった気がする。ただ、香山さんの説明を聞いて、私は納得したのだ。ああ、そうだったのか。ずっと彼女にうっすらと軽蔑され続けていたのはそういうことだったのだ。食事をしている私を一瞥しては、気持ち悪い虫を見つけたかのように顔をしかめていた。私は給食のご飯を食べるだけで彼女を嫌な気持ちにさせてきたのだ。申し訳ないと思う。真摯に対応するのであれば、彼女に話しかけて謝罪すべきだった。だが、私にとって香山さんは席が近くて班が同じだけの存在で、つるんでいるグループも全く違った。それは香山さんにとっても同じだ。ほぼ話したこともない程度の仲だった。挨拶すら交わしたことがなかった。その距離感でいきなり謝罪をするのもおかしな話だ。もしもいつか話す機会があれば、くらいの浅はかな思いは抱いていたが、結局、距離は離れたままで縮まることはなかった。私は香山さんとの距離を縮める努力をしなかったし、香山さんは不快な存在として私から距離を置いている節があった。そりゃあそうだ。私は彼女にとって、汚らしく食事をしている姿を視界に入れてきて、一方的に不快感を与えてくるだけの存在だ。近づく気にもなれないだろう。だからこれまで通り、私は彼女に謝罪もせず、会話をすることもなく、そのまま中学を卒業した。
食器を洗いながら、そんなことを不意に思い出した。私は両親から「絶対に一粒たりともご飯を残してはいけない。お百姓さんが泣く」と教わって育ってきた。米の一粒一粒に魂が宿っているのだと。子供の頃はそんなわけがない、と思いながら食べてきたが、それもある意味正しい。発芽玄米の存在を知った時に正しさに気付かされた。これは芽が出る存在なのだ。米一粒が米の生命を司る卵であり、種である。家では米を全て食べ終わるまでは、食卓を離れることが許されなかった。私の家は百姓でも何でもない、父は通販の物流会社の会社員、母はパン屋でパートをしているただの一般家庭だった。仕事と米は全く関係なかった。ただ、「ごちそうさま」と言った時に一粒でも残っていれば、どういうつもりだと両親から厳しく叱責された。だからこそ米を食べる時は慎重になった。当時は訳も分からず、親に言われたからそうしていた。怒られるのが怖くて従っていただけだった。それは私も香山さんも同じで、やっていることは違えども、私たちは同じだった。ほぼ話したこともなく、ただ一方的に軽蔑されていただけだが、私は時が経つにつれて香山さんに親近感を覚えた。私は怒られるのが嫌で、何が何でも一粒残らず食べつくそうと、香山さんの大嫌いなかきこみ箸をしてでも、ねぶり箸をしてでも、茶碗に貼りついた米を指で剥がして食べてでも、一粒残らず食べきっていた。そのことについては両親はまるで咎めなかった。香山さんもまた、怒られるのが嫌で、絶対にかきこみ箸をしないようにし、する人を軽蔑して生きてきた。香山さんが今どこで何をしているかは知らないが、もし親の教育が違えば、あるいは私がきちんと香山さんに謝罪していれば、そこから産まれる関係性もあったかもしれない。
私は未だに米の一粒も残さないようにしている。両親とはもう同居していないが、三つ子の魂百までというやつか、そうしないと気持ち悪いし不快なのだ。私も香山さんと同じだ。米を残している人をみると不愉快に感じる。感性は植えつけられるものだ。田んぼに稲を植えるように。私たちの稲はまだ刈り取られていない。すくすくと育って実ったままだ。いや、勝手に「私たち」と言ったが、香山さんこそもう家庭を持ってかきこみ箸を許すようになっているかもしれない、と思ってはみたものの、やはりそれはあり得ないと思う。そんな姿は想像できない。あの香山さんと地続きに存在できるようなものではない。きっと香山さんは産まれた子供たちにも「もう赤ちゃんじゃないんだから、人間らしくしなさい」と言っていることだろう。子供の頃に植えつけられた感性を持った大人が、また次の稲を植えるのだ。実際に今、私はお百姓さんが泣く姿を想像しながら、米粒が貼りついた茶碗を洗ってる。水にしっかりつけておかないとなかなか取れないのだ。私が残したのではない。旦那が残した。思えばこの人に限らず、私の恋人は歴代全員米粒を茶碗に残す人間だった。だからといって、私は彼らが人間として不出来とは思わなかったが、不愉快ではあった。香山さんのように眉を顰めてしまっていたかもしれない。しかし彼らはそんなことを気にしないのだ。どの恋人にも親に怒られたことはなかったのか聞いてみたことがある。彼らは面白いほどに口を揃えて言うのだ。親に注意されても無視してきた、と。私は目から鱗だった。私は無意識にそういう選択肢を選べる人間を選んできた。羨ましかったのだろう。親に従わない、という選択肢が存在していることが。私と香山さんにはなかった選択肢だ。あの時、無視して「ごちそうさまでした」と自室に戻っていれば。あの時、無視して茶碗をシンクに突っ込んでいれば。私の人生はどうなっていたのだろう。彼らが私にするみたいに、彼らが親にやるみたいに、注意されたって無視して己を貫いていたら。香山さんの人生はどうなっていたのだろう。香山さんの彼氏はかきこみ箸をする人だろうか。でも、彼女は私と違ってそれを許さない気がする。注意してもやらないなら、親と同じように従わせるまで怒り続ける気がする。私のイメージする香山さんはそうだ。空想上の香山さん。現実の香山さんはストレスで十円禿げがあちこちにできていた。最盛期はできすぎて、髪の毛が生えている面積の方が少なかった。あの授業で発表していた香山さんもかなり禿げていた。でも、香山さんは一軍女子だった。禿げても一軍女子。ギャルとつるんでいた。というかギャルだった。喧嘩した時に「この落ち武者」と言われて号泣しているのを見たことがあった。中学を卒業する頃には香山さんはさらさらで豊富な髪の毛を取り戻していた。ひょっとすると禿げは残っていたかもしれないが、少なくとも表面上に見えるほどのものはなくなっていた。そして、苗字が変わっていた。香山さんの新しい苗字を私は覚えていない。新しい苗字になった香山さんは、かきこみ箸をする人間に軽蔑の眼差しを向けていたか分からない。香山さんの苗字が変わった時、私は彼女と同じクラスではなかった。しかし、さらさらの長い髪の毛をなびかせていた香山さんはあの頃のような目つきではなくなっていた。すれ違っても私に一瞥もしなかった。あの時私を不快な存在として見ていたことすら忘れてしまったのかもしれなかった。だから、もう香山さんは香山さんではないのだ。香山さんはもういない。私の頭の中にしか。
排水溝のゴミ受けで水を吸ってぶくぶくと太った可哀相なご飯粒を捨てる。魂を捨てている。ゴミは燃やされるので火葬していると言っても良いだろう。世の中には水葬というのもあるらしいので、このまま水にふやかし続けたら米はどこまで大きくなるのだろうかとも思う。水を吸ってぶくぶくと大きくなった米は、シンクをはみ出し、私の身長を超え、家をはみ出し、ぐにゃぐにゃにふやけたまま、日本をはみ出し、地球をはみ出してしまうかもしれない。そんなことになったら面白い。面白いだけだけど。もしくは、大きくなった米は卵になって中から、中学の時の香山さんが出てくるかもしれない。ふやけた米はわたしの脳みそなのだ。空想上の香山さん。思い出の中にしかいない香山さん。目つきの悪い禿げた香山さん。米が孵化して彼女が産まれる。そんなことを期待しながら、シンクの排水溝のゴミ受けの蓋を外し、他の食材の切れ端や良く分からないゴミカスと混じっている可哀相な米を見つめている。集めなければ、でも、このままふやかしていたい気もする。もう日付が変わってしまった。今日は燃えるゴミの日だ。
河野沢雉 投稿者 | 2025-07-22 13:32
稲を植える、感性を植え付ける、とか、発芽する、生まれる、みたいな暗喩がいいですね。最近、伝統的なテーブルマナーとマナー講師の創作マナーって何が違うんだろうと考えています。「相手に不快感を与えない」のがそもそもの目的なのだとしたら、「何を不快に思うかは人によって違う」で終了なので、きっとそうじゃないんでしょう。
曾根崎十三 投稿者 | 2025-07-27 00:13
ありがとうございます。米って植物だなぁと思ってそのへんは書きました。
マナーがあるから無益な争いが産まれているとも思います。不快感を与えないはずのマナーなのに、マナーがある故に不快感を抱くようになっている。人間はマナーに踊らされているのかもしれません……。ある意味コンプレックス産業的な。
眞山大知 投稿者 | 2025-07-22 18:13
主人公には幸せに生きて欲しい……。自分の生まれ育った厳格な家庭を見てるようで、読んでて胃がキリキリしました
曾根崎十三 投稿者 | 2025-07-27 00:15
ありがとうございます! 胃がキリキリ! そんなに感じてもらえて嬉しいです!
3割くらい実話なので眞山さんとは気が合いそうですね! 私も茶碗にはりついた米のことを考えて嫌な気持ちになりながら書きました!
祐里 投稿者 | 2025-07-24 18:33
ラストに向けて妄想が膨らんでいくのがすごく良いです。
好きです。
曾根崎十三 投稿者 | 2025-07-27 00:16
ありがとうございます!
最後はどう書いたらおさまりが良いかな、と思ってあれがベストになりました。好きですのお言葉もありがとうございます!
諏訪靖彦 投稿者 | 2025-07-26 11:51
私も母親からお米はお百姓さんが八十八日大変な思いをして作ったものなんだから一粒でも残してはいけませんと育ち、家ご飯では決して残さないけど外で酔っ払った時などは盛大に残すので小さいころに「お百姓さんは八十八日以外働かないで暮らしていけるんだ」と羨ましく思ったことが心の奥の底で燻っているのかもしれません。知らんけど。
曾根崎十三 投稿者 | 2025-07-27 00:23
ありがとうございます!
え! 八十八日なんですか! それ言われてたら、絶対靖彦さんと同じこと思ってる自信あります。
私も学生時代、ガチ病みしてた時(診断されたことがないので野良メンヘラですが)、吐き気がひどくて、出された米を親の目を盗んでこっそり捨ててました! スーパーの袋とかに少しずつ隠してたんで、めちゃくちゃ上手かったと思います。それでコンビニとか駅とかに捨ててました。そうやって逞しく捨ててたいた過去の反動でこんな話を作ったのかもしれません。知らんけど。
大猫 投稿者 | 2025-07-26 16:27
ご飯粒を残さない人種にもまだ上等下等の区分があったのか、と驚愕しました。
いつもの饒舌な語りから、香山さんと主人公それぞれの育ち方や境遇まで想像してしまいます。
シンクのゴミ受けのご飯粒を見て水葬、火葬を思うくだりも秀逸です。
曾根崎十三 投稿者 | 2025-07-27 00:26
わーい! ありがとうございます!
ご飯を残さない民にもいろいろいるんです。親もいろいろですから。
米について本気出して考えてみた結果こうなりました。最初はラスト起点もありかなと思ったんですけど、ただのシュールななんちゃって幻想小説になりそうな気もして、実話スタート(ちょっと盛ってる)からどんどん飛躍してみました。
浅野文月 投稿者 | 2025-07-27 01:29
心に沁みる小説でした。
読んでいて、父方のお婆さんから同じことを言われた記憶が蘇りました。
それと同時に、いつも米粒を糊がわりに使っていたお爺さんも。
人の過去の思い出を現在に現わせる力がある作品だと思います。
曾根崎十三 投稿者 | 2025-07-27 08:47
ありがとうございます! 心に沁みる! 嬉しいです!
皆さん日本で生まれ育てば一度は言われたことあるんじゃないかなと思っていました。糊にする! ありましたねぇ。でんぷんのりはそこから派生されたんだよ、とか言われて生きてました。
ちゃんと共通体験にできていて良かったです。日本で生まれ育てば、高確率で赤ちゃんも老人も猟奇殺人犯も聖人君子みたいな人も皆米食で、あなたも私も米食なんだなー、と。
米ってすごく身近なものなので、身近なお話にできていたら幸いです。
こい瀬 伊音 投稿者 | 2025-07-27 19:42
主人公が香山さんのことを
お米を残してはいけません、というおおきな圧力に潰されそうになりながら生きているある意味同志、と位置づけているところに優しさを感じました。
触れず、距離をとりあえるところも、中学生なのにこころがおとな…!
米が「水葬」されるという発想や表現も素晴らしいと思いました。シンクってものを思いやすい場所な気がします。
曾根崎十三 投稿者 | 2025-07-28 23:08
ありがとうございます!
そうなんです。主人公は良い奴なんですよ。ここが一番のフィクションです。香山さんへの思い入れの深さが小説としての核なんで。
仲良くないけど何となく存在を目で追ってる人っているよな、と思いまして、そういう存在を香山さんにしました。
お風呂とシンクは物思いにふけるベストポジションですね。やっぱり水があるからでしょうか。人間って元々水に浸かってましたし!
藤田 投稿者 | 2025-07-31 12:52
書き手の誠実さが伝わる、よい文章だなと感じました。