私の夫は便所が長い。
同居して三十年、便所が長いのは最初から知っていたし、なんなら夫の実家の男性陣は揃って便所が長かったことも知っている。しかし特に問題にはならなかった。自営業の夫は家におり、私はサラリーマンなので日中は家にいない。在宅勤務というものが出現するまで、家庭内はごく平和だった。
私は過敏性腸症候群である。この病を自覚して以来数十年、外出時のリードタイムは常に通常の五割増しに設定している。通勤時はほぼ百パーセント途中下車で駅のトイレに行っていた。苦節数十年、在宅勤務が導入されて、ようやく長年の苦痛から解放されたと喜んでいたが、そうは問屋が卸さなかった。内憂外患、前門の虎・コーモンの狼、もっとも安全なはずの我が家に便所占拠妖怪が巣くっていたとは。
あと十分で朝の会議が始まる、腹は激流川下りで一秒の猶予もない、なのに便所には妖怪が籠っている。こっちは腹痛こらえて唸っているのに、奴はスマホをいじっているらしくCMなんか聞こえて来る。
「スマホ見てんだったら変わってよ!」
「ちょうど出かかってんだよ。便所くらいゆっくり入らせろ」
「便所はお前ひとりのもんじゃねえ! 早く出ろ、ゴルァ」
近い将来、夫殺しで逮捕されたならば、動機は察してもらいたい。
日常生活はもちろん、レジャーや旅行、受験、会議、葬式などなど、人生におけるもろもろの局面を、たびたびこの下痢腹に引っ掻き回されてきた。どういうからくりなのか、下痢は十中八、九、トイレなど影も形も見えない時に限って起るのである。
トイレ、トイレはどこ? すでに終点にまで押し寄せた大波は、出口を封じられてエネルギーの行き場をなくし、狂ったように咆哮する。腹が痛い、全身から脂汗が出る。しかしそれよりも、それよりも、持たない、持たない、肛門括約筋がもう限界だ、私に触るな、私に話しかけてくれるな、それよりトイレを探してくれ、もう、もう、どうでもいい、トイレがこの世のすべてだ、世界中の財宝と引き換えてもいい、寿命が五十年縮まってもいい、今すぐトイレに行かせてくれっ! ああっ、力が、力が……
さて、我らの一人息子は幸いにも二親に似ることなく、快腸快便の様子でトイレ滞在時間はごく短い。何よりのことだ。この子が生まれる直前、その母の身に起こった騒ぎを語ろうと思う。
息子は上海第四人民医院で生まれた。妊娠後期、私は夫の実家のある上海で過ごしたのだけど、まったくもって天国のような日々だった。なぜって、あれほど私を責め苛んだ憎っくき突発性の下痢が、妊娠期間中はぴたりと鳴りをひそめていたのだ。おかげで大きなお腹を抱えながらも上海ライフを満喫できた。今、振り返ってみても、人生であれほど心安らかな日々はなかった。妊娠最後のあの日までは。
数ある上海の大病院の中で、なぜ第四人民医院を選んだのかと言うと、そこの医者が義姉の知り合いだったからだ。入院や手術、役所の手続き、警察沙汰や裁判、中国ではこういう時、徹底的に知り合いコネクションを活用する。あらゆる場所で「友人関係」は重視され優先的に処理される。実際、知り合いの医者は内科医にもかかわらず何くれとなく面倒を見てくれた。産婦人科に渡りをつけて一番人気の先生に診察してもらったり、入院時は個室を用意してくれたりと、頼られた方も日頃の友誼に報いるため公私混同で尽くしてくれる。「公」を信用せず「私」の団結で生き抜いてきた中国人の知恵なのだろう。
まあそんなことはどうでもいい。本題に入る。
お産では剃毛、浣腸に会陰切開を加えて三点セットと言われている。産後の大出血に備えて局部を清潔に保つために陰毛を剃り、いきんだ時に余計なモノまで出ないよう、また、帝王切開が急に必要になった時のため麻酔がすぐにかけられるように浣腸、そして、狭い産道を通って出てくる赤ちゃんを助けてやるための会陰切開。早い話が、あそこの下側をハサミでさくっと切って広げてやるのである。切らなかったとしても出産ピーク時にかなりの確率で裂けてしまうらしい。会陰どころか肛門まで裂けたという人を幾人も知っている。ところで私は会陰切開はせずに済んだ。息子は帝王切開で生まれたので、会陰は切らずに腹を切ったのだ。
臨月時検査結果が思わしくなく、急遽帝王切開をすることになり、医者の指示で病棟の端の小部屋に連れて行かれた。「剖腹産(帝王切開)」の一言で緊張の極限にあった私は、この小部屋で何をするかの説明をよく聞いていなかった。
そこには若い看護師が待ち構えていて、部屋の中央に鎮座する診療台に、パンツを脱いで上がるようにと命じた。産婦人科で診察を受け続けると、人前でお尻をさらけだすことなどなんとも思わなくなるもので、この時も素直に診療台に上がった。すると看護師、いきなりギラリ光る剃刀を右手に、シェービングクリームの小瓶を左手に、私の股間に顔を埋めんばかりに迫ってきた。剃刀を使う看護師の顔つきは真剣そのもの。あっ、鼻息が内腿にかかる。ひえっ。
ジョリ、ジョリ、ジョリ……ものの五分で、見事につるつるになった。触った感触がひんやりたまらない。どんな具合なのか見てみたかったが、臨月の巨大な腹が邪魔で見えない。と、休む間もなく、看護師はどこから持ってきたか、ゴムのチューブを私の尻に突っ込んで、
「浣腸するから我慢できなくなったら言って」
言うなり、ポンプをずっこんずっこん、浣腸液を注入し始めたではないか。
え、何? 浣腸するの? 聞いてないよ。ちょっと待って。そんなに一遍に入れないで、げげっ、こっ、この感じは、あれだ、あれだ、うわっ、腹が痛い! 痛い、痛い、なんてこった、あっ、これは本当にヤバい。
ストップ、ストーップ!
悲鳴を上げた私に、看護師はちょっとひるんだ。その隙に診療台を飛び降りて、猛然と廊下へ飛出した。
ああ、なんたること。
密室での剃毛浣腸、と変態プレイのような仕打ちを受けた部屋は、長細い病棟の西の端。そしてトイレは東の端なのだ。ここからトイレまで七、八十メートル。この巨大な腹を抱えてそこまで行けというのか。同じ浣腸をするのなら、なんだってもっとトイレに近い部屋でやらないのだ。しかし文句を言っている時間はない。走れ!
「待ちなさい!」
背後で看護師の大声が聞こえた。
「冷えるわよ! ももひきとパンツを穿きなさい!」
見れば看護師、さっき診療台に上がる時に脱ぎ捨てた黒い毛糸のももひきと妊婦用デカパンを振り回しながら追いかけてくる。
馬鹿言うんじゃない。これからまた部屋に戻って、パンツとももひきを穿いてから、改めてトイレに行くなんて悠長なことをやってられるか。私は無視をしてひたすら走った。すると看護師も追いかけてきた。
「あんたは冷えてもいいけど赤ちゃんが冷えたらどうするの!」
ああ、中国人というのは! 妊婦は絶対に冷えてはいけないと固く信じ込んでいるのだ。しかし時と場合を考えるがいい。腹が強烈に痛い。真冬だというのに全身脂汗だ。でも死んでもこの廊下で漏らすわけには参らぬ。捕まってなるか。
廊下にいた見舞い客と思える人々は、怖れをなして左右に避けた。無理もない。鬼瓦のような形相でダッシュしてくる巨大腹の大女と、パンツを振り回しながらわめいている看護師だ。
私は凄まじい足音を立ててトイレに駆け込んだ。看護師もほぼ同時に到着した。この期に及んでまだパンツを穿かせようとするのか、と思いきや、
「紙は持ってる?」
とポケットからごわごわの衛生紙を取り出した。私はその紙を握り締めたまま、開いていた一角へ不自由な腹を抱えてしゃがみこみ、ドアがなく看護師に丸見えなのも構わず、思うさま用を足した。そう、トイレと言っても、細い深い溝の底に水が流れており、そこをまたいで用を足すだけだ。もっとも、そこは産婦人科で、出産直後で会陰切開の傷が痛む人が座って大小便ができるようにと、粗末な鉄製の便座も用意はしてあった。
それにしても、ああ、間に合ってよかった。
私は排泄しながら考えていた。今日、たまたま日本から持ってきたマタニティ用のジャンパースカートを着ていて本当によかった。ノーパンでも見えやしない。中国の妊婦たちのように、お父さんの特大ジャージ姿だったなら、さすがの私もパンツとジャージを穿かざるを得なかっただろう。そうしたら絶対に間に合わなかった。
すでに何十分も丸出しのままのお尻は、冷えて氷のようになっているが、構うことはない。この後すぐ帝王切開の手術だ。今、ちょっとの間冷えてもどうってことはないだろう。
例の看護師は律義にも、パンツとももひきを持ったまま、手洗い場でずっと待っていてくれた。そして、こんなお腹で廊下を全力疾走するなんて危ないことをするんじゃない、とひとしきり説教を垂れた。転んだら大変なことになっていた。あんたはよくても赤ちゃんはどうするんだ。母親になるんだからちょっとは考えて行動しろ。
「だったら、あの部屋で浣腸液混じりの下痢便をぶちまけてもよかったの?」
「構わないわよ。おまるもあるし。大小便なんか年がら年中見てんだから」
「……」
産婦人科をなめるな、と言わんばかりのドヤ顔。素直に謝るしかなかった。
彼女の言うことももっともだ。もしあそこで転んでいたらと思うと今もぞっとする。腹を強打して子供の命は危険にさらされただろうし、衝撃で排泄物が一気に噴出し、看護師の顔面を直撃していたことだろう。骨の髄まで下痢体質の我が身。便意を催すと後先考えず遮二無二トイレに突っ走る習性が、あやうく子供まで危険にさらすところだった。
幸いにも子供は無事に生まれた。そうして私には再びいつ来るとも知れない下痢の恐怖におびえる毎日が復活したのであった。しかも、今度は一人ではない。赤ん坊までくっついているのだ。まだ歩けない赤ん坊を連れての身の毛もよだつ体験もいろいろあるが、今日はこのあたりでお開きにしよう。
曾根崎十三 投稿者 | 2023-07-29 18:55
序盤の緊張感は手に汗握りました。
最初、大猫さんが下半身丸出しで病院の廊下を爆走する妊婦になったのかと思い焦りましたが、丈が長くて安心しました。
私のコメントで書いていらっしゃった、妊婦と一緒に脱糞して愛、というのも真面目に大アリだと思いました。恥ずかしながら思い至らずでした。妊婦に脱糞は付き物! 覚えました。
眞山大知 投稿者 | 2023-07-30 06:59
親戚の看護師から「妊婦さんはよく脱糞してしまう」と聞いたことがありますが、この作品を読んで妊婦の脱糞について理解することができました。
中国は本当にコネクションがモノを言わせますからねえ……。権力が徹底的に民を痛めつけてきたので身内だけしか信じない。そんな空気もしっかり作品に織り込めていたのもよかったです
諏訪靖彦 投稿者 | 2023-07-30 09:10
エセーかな?とおもったらエセーでした。最近は出産時立ち合いが流行っていますが、こういった理由から立ち合いを拒否する妊婦もいるんですね。だって旦那さんに事前に館長をしているからと言って残っている物もあるはずで脱糞してるとこを見せたくないですもの。会陰切開すさまじいなあ。パチンとハサミで切るのかしら。背中がぞわぞわしてきました。
ヨゴロウザ 投稿者 | 2023-07-30 22:45
わたくしも子供の頃は胃腸が弱かったのですが、成人してからはあまり下痢クライシスの記憶は無いですね。その代わりでもないですが、中年の悲哀の一つは奔放に屁をこけなくなる事なのだと思い知りました。忘れもしない36歳の秋でしたが、爽やかで明るい夜、鼻歌を歌いながら食器を洗っていてついでに放屁したのですが、出たのは屁じゃなくてミ。一瞬何が起こったかわからず凍り付きました。話には聞いていましたが自分とは無縁に思っていたのですね。それ以来手応え的にたいがい大丈夫だろうという時でも細心の注意を払って屁してます。
大猫 投稿者 | 2023-07-31 10:36
肛門は固体気体液体を厳密に識別できる大変すぐれた感覚器官を備えているのですが、加齢によりその機能が衰えてしまったのですね。屁をこくのも神経を使わねばならないとは悲しいことです。
逆のパターンもあります。強烈な便意を催して必死でトイレに駆け込んで、やれやれ間に合ったと座り込んだら、でっかい屁が一発出て、後は影も形もない。まったく年は取りたくないもの。
河野沢雉 投稿者 | 2023-07-31 02:43
わあ、まさかのノンフィクションですかー。安倍晋三も美しい国なんか書いてる暇あったら自分の腹痛脱糞体験を克明に書き残せば良かったんじゃないか? とちょっと思ってしまいました。
今でも中国はああいうトイレあるんすかね? さすがに上海にはもうないかな?
大猫 投稿者 | 2023-07-31 10:16
本当ですよね。下痢や腹痛の苦しみを広く世界に啓蒙してくれた方がどれほど後世の役に立ったことか。
この作品は約30年前の上海の話なので、さすがに繁華街ではいわゆるニイハオトイレは消滅したのではないかな。しかしちょっと外れた場所、あるいはちょっと古い家にならしぶとく生き残っていると思われます。ド田舎は申すまでもなく。
小林TKG 投稿者 | 2023-07-31 15:44
ちょうど出かかってんだよ。っていうのが凄い分かる。そういうのある。ちょうど出かかってる。珍しい野生動物みたいになかなか姿を現さない。あるよねーそういう時!
波野發作 投稿者 | 2023-07-31 16:25
剃毛と浣腸は経験できましたが、会陰切開と帝王切開は今生では不可能なので、まったく敵う気がしません。しかも海外とかハードワークすぎる。完敗です。
退会したユーザー ゲスト | 2023-07-31 18:03
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Juan.B 編集者 | 2023-07-31 19:09
帝王切開組として、妊婦さんにご迷惑をおかけしました。中国のトイレの話は度々聞くが、凄い…
実際のノンフィクションとしてとても興味深く読んだ。