胎児の思想

島津 耕造

エセー

7,017文字

高校生の時に書いた作品です。

<第零部 初めに>

やーやー初めまして、僕はラララです。何がラララだ。この作品は「ちょっと失敗を書いた、でも長くなった」という題であります。やーやーとにもかくにも、僕は「胎児の思想」という短編物語ものを書こうとして失敗して書くのを止めましたってこっとっで、その失敗談をこの場にて論じまっせうかと思ってるのですが、それで、とーもかくもその内容なのですが、誕生したばかりの天才的な胎児の思想を時間軸も気にしながら語ってもらおうとしたのですが・・・という感じの内容でして、つまり・・・面倒なので以下に記すことにします、こんな内容物、君の顔面にぶちまけてしまえ!

<第一部 胎児の思想.-.林檎と少糖類のことについて>


「 胎児の思想 」

僕は赤ん坊、とりあえず生まれてきた赤ん坊だ。謀るかな分かるかな玉響にオール世界を見渡すと世界は正に本能と物でできていることを俺は瞬間に悟った。前者はDNAなのです、後で読み返すと、ずいぶん赤ん坊が突拍子に語り出すことだ、まあ、現代お流行りの科学と同じくして帰納法を用いれば、それが根本であることに納得していただけるのではないでしょうか。大体、帰納法でなくて何か? 我々、持つのは本能と物だけである、してやはり、というか、我々がそれ自体なのである。
かの様であるから、知識なんぞというものは、目で見て耳で聞いて、イーテイとかーということで、集めて、どうやらこれがやりやすい方法らしい、正しいらしい、と納得せざるを得ない。それから弁証法とでも言おうか、反例ドッカンのハイハイの一言で真理を覆して行くようなそんな作業絵を真理であるといったのがハイデじゃねえ、へーゲル様でした、Prof.へーゲルですよ。まあ、そういう訳なので、帰納法なのであります。ところで、赤ん坊や胎児、バブ、に戻るのでありますと、吾輩は稚児である、てな具合で一朝、話し始めようと思う。

ラララ。何がラララだ。例えば、吾輩の日常茶飯なるべきことからすれば、赤ん坊に母親が乳を飲ませることが歴史的に帰納法からして真理であり、吾輩が苦しいときに泣くのもこれまたしかり、さすれば母親が飛んで来て吾輩を介抱してくれるだろう。何も吾輩は一人でに泣くのではない、助けを求めて母を望むから、紛れも無く一人のアーティストとして泣くのである。吾輩は腹が減れば喰い、腹がまんぷくぷくとなれば、そりゃ眠るのである。この様にすると吾輩には栄養が蓄えられ、結果の吾輩、ぷくぷくと健康体となるのであるわけで、本能というのはよーくできたヨーロッパヨロシクよくできている。
また、かくの様なこともある。先に述べたような食、食、ほー食の後の状況下、お腹いっぱい、眠いよ、といった時に、もしチェーンソーを持ったライバル、且つ、いじめられっ子が現れた場合、吾輩はパッと目が覚めるのである。覚ますことが出来るのである。そりゃおかしいだろ、胎児に虐められる子があってなるものか、大体胎児が、云々、思うことあるやも知れぬが、何を言おうと事実は変わらぬ、その時は永遠に、天才稚児たる吾輩は、ともかくパッと起き上がり、我が身を護るか、それとも攻撃を先に仕掛けようか、などと、身を護るための思考をいままでに無いほど巡らす様になったのである。この本能、能力は何のため乎。
そりゃ、死なないため!

これらから推測するに、本能の結晶たる吾輩は、ラララと、何がラララだ!、と吾輩を生きのびさせ、健康でプクプクのためにあらゆる能力を、これだけはアッ・プルオリ(生来)ごとーに、本能として備えている訳である。何のため乎?
長生きするため!

ぷんぷん。そうして考えると、吾、われ、わたし、ぼく、あたし、孤児と、個々が別個に生きるためにこの本能は生まれてきた、かのかの様に考えると、あら、そうでもないのである。孟子だか、牛だか何だか、の性善説の方の言う通に吾々の同朋LADYたるベービ・ペニーが井戸に落ちそうになるところ、吾は見逃す訳にもいかず、背中をむんず、と掴んでベビー・ペニーを助けてやるのである。
しかし、吾輩、彼女のために自分が死ぬるぞ、となればそうはいかぬ。吾輩、彼女、一対一である。従って、死ぬ訳にいかぬ。死の恐怖を思い出せ!いやはや。しかし、まあ十対一となれば瞬ける魂、再び状況は異なる。いくら生活信仰に厚い吾輩といっても喜んで死ぬことがある。何故だろうか? そう、そりゃ仲良しの愛である、ふざけてない!吾輩は御真面目である、仲良しの愛である、目を離したもうな。嘘でも無い。
巨大な吾輩の精神は他の人間が死ぬことを欲しない。しかし、吾輩はベジタリロンとかいうのでもないからして、動物は平気で喰らう。ああ、しかし、吾輩、自分の命のためなら友人の命の一つや二つ食ってしまう気でもある。この命の丹青の背景には吾輩の一つの命と人類の命を存続させようという巨大な精神がある。これは得に念を置いて頂きたいこと。何故?これが一番大きな本能の本質であると天才的稚児の経験的帰納法で導き出された真理がこの様におっしゃるからである。

<第二部 胎児の思想 – 人類はんえい、バンザイ、バンザイ!>

そしてラララ。生後三ヶ月にここまで馬鹿されるなんてあんちゃん今まで何して生きてきたのさ、、、バカ、僕は何もやってない?それじゃ、ますますおかしい、おかしもおっかしいよ、吾輩も何もしてなーいからねえ。やっぱりあんたは軟化やってたからおバカ産になっちまったのさあ。ああ、そうだ、おかしいといえば、街を平気で、トッコトコカツカツと歩いている人間共である。はらはら、おかしい、すこぶる子、おかしい。何故、人類の命の存続たる、そして、それが個人の存続理由である交尾をしないのか?いや、まて・・・よし、よし、わかった、三千里譲って恥というイドラの魅惑に人類が虜になっているとしよう、しかし、何故、相手を選ぶのか?誰でも構わ無いではないか。吾輩には、、いやいや、そうか、健康体に健康児を生まーせて、人類を存続させるというね、おういえい。
そうはいってもやはり効率が悪い。吾輩は言葉がわからないから知らないが、どうも人間は効率を悪くする様な奇術をあのお決まりの台詞とともに演じているらしい、「タネも仕掛けもありません・・・」。やめとけ、やめとけ、、本能に逆らうは巨大精神の宿主たる神に逆らうことぞ。繁殖繁栄繁茂、人類はんえいなる、バンザイ、バンザイ!
いよいよ人間、わからぬぞ、生殖しない、飯食わぬ、眠らぬ、あげく、人類同士で無視しあい、殺しあう。生後三ヶ月たる我輩にはとんと、わからぬ。何?それも、総て聖職のための生業と?ん?今何といったか。まだ耳が完全に形成されてないのだ。しかし高尚な目的のためならそりゃすごい(大きく拍手)。
しかし、それでもまだ、それによって死ぬものもいると聞くとこれは納得できない。これに人間同士の争い、無視とは何の為なる乎?いや、もう、これは人間の、否、歴史上総人類の倒錯んではないか?人為淘汰などと言っている場合ではない、これでは自然淘汰を生き残れぬ。ほう、何。人類は友を必要としない。そうなんだ。そこまで吾輩推薦の科学殿は発展されたか。他人を必要としない、と。なーる。そうか、しっかし。寂しいだろう、何、そうでもない?そうか、そうですか。

<第三部 胎児の思想 – 甘美な無意味ジャム>

実はこの吾輩、生後三ヶ月にして、この超天才にして、何故か親に捨てられ、イマジネーション握りしめてさ、寂しくて堪らない孤児なのです、これだってそういうわけで書いているのだ。そう、寂しいから、書くカクカク書く。誰か助けてと泣き叫ぶ。詩的でもなんでもない。吾輩が示した、以上のこの帰納的真理によって、この生後三ヶ月の真理によって、この通り示されたそのままに、この涙も打算に溢れ、周到な計画、そう、あの人、仮にベビー・ペニーとしよう、彼女のために吾輩は助けてと泣き叫び、そうしてそのまま繁殖をして、人類の益々の繁栄・・・・バンザイ!!
いや、取り乱そうとしてすまない。つまり吾輩の書くことは総て人類の弁証法的に、、貴様、吾輩をアンチテーゼと見做すか!!このやろう!という具合に吾輩はやはり、この人類のために人生を文字通り捧げるために生まれてきたといっても過言ではなーーいのです。
あら、しかし、生後三ヶ月でもわかる矛盾として、ラララ、何ででてくる、死ね!、ええ、わかる矛盾として、人類は人類のために生まれ死んでゆくとすると、何ら人類に意義は無い様にも思われるということがあります。これはDNA的に見ても明らかで、今、全員が死んでしまっても、人類が人類自身の集合体若しくはその一部のために生きるそのような存在である限り、自己完結の意義、独善専ら放埒、その死体はどーでもいいのです。
しかし、お分かり?もっと矛盾があるのです。それはアンチテーぜだろうが池田の亀太郎だろうが、ラララ、もういいや、僕はこれを人類のために書いているのです。意味も無いと言いながら、嫌だ厭だと言いながら、生きているその一瞬で吾輩は、ただそれだけの理由で人類の繁茂に貢献していることになってしまうのであります。ハッハハー。と これが先人がわざわざ吾輩より先におっしゃってくださった様に、これが不条理というものあります、ラララ・・・。
これはどうしても帰納法で片付きまっせん。されば、吾輩飛翔せんと欲っす乎?  ・・いやしかし、今まで、こんなに真剣に経験の中だけで下へ下へ地にはいつくばって真理を求めてきたのに、ここに来て、大空へ羽ばたいてしまうのでしょうか?「しまう」のでしょうか。というのはつまり、日本語のコロケーションにもあるように、吾輩は経験的帰納法の義務にしたがって、地に足をつけて歩かねばならない。信仰に逃げては総てが無意味と化すのです!無意味!そう、そうだ、ハハハハ。わかったことがあります、例え吾輩が生後何ヶ月かを貴方方が忘れても、吾輩のこの言は忘れ得ないでしょう。
つまり、今の今まで、いかに、本能とはすんばらしく、効率よく、理性的で、それをね賛美してきたつもりです吾輩。しかし、ここからが本格的であります、本能が効率の向上を求めると、当然のことながら最後の結果というものを大事にして、それをもっとっと素晴らしくするためにはいかなる方法がよろしおすか、と考えなければイケマセン。そう!そして人間と吾輩は当然のことながら、ずんずんとその目的への道を踏み締め構築してきたわけであります。あら?しかし、あら?あらら?ららら。と、らら、最後を見に行ったら、そりゃ全部それ自身のためであるよーとなったのです。つまり、今まで使ってきた言葉でいえば、巨大な精神が吾々に等しく本能を与えた理由は、つまり、人類が生きようという欲求を持って生まれたことの理由とは、巨大な精神たる者が、人類という生きようという欲求を持った存在を産みたい、というそれだけの理由なのです。ラララ。お分かりですか。えええ、簡単なこととでしょう。
巨大な精神、えい!めんどうだ。つまり人類が、子孫繁栄の命を持って生まれたのに理由があるとすれば、偉大な哲学者 Prof.カントが道徳のために神の存在を要求したように、このような子孫繁栄の本能を持った人類を生み出したかった大きな何かがなきゃならないのです、何かが!
ああ、ついに羽ばたくときが来たのだ吾輩にも!ああ、あの魅惑的できっけん極まりないA・N・Aに!神よ!えい、もういい、吾輩は飛んだのだ、この信仰の大空に!神よ!
神よ、、、んんン?こう呼び掛ける相手がその仮定と共に最初からいなかったらどうなるって? そりゃね、まずは生物学が破綻し、滅びることは間違いないだろう、目的が無くなるんだから。生物学が神学ってこと、知ってたかイ。それに準じて、ま、他の悟った顔つき、そして、神はいない、無意味ジャム意味じゃ!といいだす他の学問もそして全人類もまたまた、みな滅びの黒ミサを決行し、木苺の葉っぱを取り去りそれを血のワインとともに自らの狂気に捧げ、そして人類に本能を与えたあの巨大な精神にボイコット、ストライキをおこすのだ。
げほげほ、してからに、人類は滅び、巨大な精神は人生ゲームの駒が楽しいスリルな劇を催してくれて、楽しんでいるのである!そう、楽しんでいるのだ!君等にはわからぬか、その高笑いが聞こえぬか!ニヒリスト達よ!神は貴様等のボイコットを楽しんでいるぞ。一人で踊り狂うのはやめて神の前に忠誠を誓え!・・・あんた等は低知能犯、何故なら、神がいないなら、誰にボイコットをしているのか?
神は僕らの繁栄の欲望を持たせるために僕らを生みそしてその生き様をゲーム盤の上で見ているの。でもそれが根拠です、僕らの根拠です、あらがうな、しかし靴紐も結べない。

<第四部 胎児の思想 – 痴情の天使はラクダに跨がる>

やっぱやーめたっ。
まあまあ、つまりはそういう物語さ!
僕は地上に戻る、一定時間いると天空から地上に戻らなくてはならないんだ。体中に虫ずが走り、ああもう嫌だゆっくりと窒息死、僕はうるうるで、、痴情のラクダの上に収まるのさ。。
大体、何だ、生後三ヶ月の背中に、どうしてもう羽が、翼が生えていなくてはならぬ?吾輩は今だ死なず!早世の天使などごめんだ。地に足をつけて歩くのだ!経験、敬謙、そのために吾輩は書いていたのだった、このバカ!忘れやがって!
「初心わするるべからず」偉人はそこにいた。
神はいることにしようか、否か、の仮定に返って、この完全な経験主義からあの腐った骨ばかりのちり紙やろうをクズ籠にポイ!と忘れてしまいましょう。するといかなる?  吾輩が思うに、ひたすら無意味ということだ。吾輩はひたすら無意味である!従って、俺はボイコットを起こさねばならん。いやはや、結論に近づくにしたがって心細くなってくるのはしょうがないよね。僕はまだ生後三ヶ月。でも生きてんの。ラララ。ごまかーすな!
ええ。それで、そう、ボイコトッ!誰に起こすのかって?そりゃ自分に聞いてみろ!誰がこの生存におとしめたか?それは紛れも無く人類だ。人類の本能そのもの!つまりこいつを殺さなきゃ全ての混沌、イドラ、聖人達の、怨みは晴れぬ!我々全員即刻自殺、喜びに溢れて自殺をするのだ!ただもうそれは新人類の目的を見ようとしたあの明晰な精神達によってスタートされている。もう吾輩の仕事は簡単なものだ、人類を自殺地獄、否、自殺天国に突き落とすこと、そのためには、後少し背中を押してやることだ。それだけで、人類この何万年だか、何億年の全ての人類、否、否、否!全ての生命の積年年々念の積もりすぎた怨念(ルサンチマーン)は解き放たれ、人類は巨大精神、いや神のような抽象概念では断じてない!その地上の巨大精神たる、俺達の増幅した怨みの相手忘れるな!やつは地上の存在、はっきりとした無意味をした俺達に課した奴だ。生命とはこの怨みの元、生命誕生とともに生まれ、それを背負って生きてきたのであるさ。
吾輩はこの思想を人類に伝導し、巨大精神をぶち壊すことで、自殺天国、の創造によって地上の、この血のメシアとなる!天になど飛び立ちはしない!生後三ヶ月のメシア、地上の天使。ガブリエルは天地反転の革命によって、吾輩と、この人類の膝元に落ちてくるだろう、そして15世紀以降、人類を伺侯しなかった彼は、その報いとしてニュートンのファンタジーを知らずに地球に近づきすぎるために、あまりの重力にひざまずくことになるのだ、必然的に!

<第四部 胎児の思想 – 希望>

そう、吾輩は天才的三才児。これを書きはじめた時とは大分趣が違うようだね。大体最初は「僕」と言っていた。全部、嘘です。ハイハロー、こんにちは。ハイハロー、初めまして。ごめんねたくさん嘘つきました僕。
実は僕は大天使ガブリエル様〃に命令されて来たんです、人類の阿呆共を治りょーしてこいってさあ。そういうぼくは天使、ほら、これが翼、気がつか無かったの?この紙の上で何度も見せたじゃない。ラララ。
そう、それで神様がね、生きるための希望、方法を人類に教えてやれって言うんだ、だから君等に僕は体現してやったのさあ。でも君等はやっぱり楽しい人生ゲームののののののののののののセットだね、おっと僕もだった。君達もそう思いたいんだろ?でさ、君等が生きるためには僕と同じことをすれば良いのさ、わかるよね僕がここまでしてきたことを真似するんだよ。そうすれバイイノサ。キャハハハ。
ラララ、ねえ聞いてる?聞こえてる?聞こえてるこの声?え?何処まで真似すれば良いの?ここまでだよ、、いえ、ここまでここまで。
ここまで全部。同じことをちゃんと間違えないで。間違えないで、模倣、生きる理由にするんだよ、全く同じコトヤリナサイヨ、そしてちゃんと生きるためにねえ、、キャハハハ。
じゃあ、ね、ラララ。』

<第五部  >

という感じです、胎児の思想、どうですか、全くもって失敗作だったと思うこともあるんだ僕は。だって全く経験的帰納法がなってないんだもの、この小説。ラララ、とにかく失敗作なのです!失敗について説明するのも今となっては煩わしいだけだからこの小説は失敗作にしてしまおうと思います。うん、じゃあ、ね。

2020年12月5日公開

© 2020 島津 耕造

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