Natural Born Fairies ~織田作之助について⑧~

九芽 英

エセー

3,346文字

オダサクは世界を変えるつもりなんて全く無かったし、何かを訴えたかったわけでもないでしょう。教科書に載るなんてもってのほか。むしろ不名誉です。「どや、おもろいやろ。もっともっと書いたるでぇ。」と、ただそれだけだったのだと思います。あなたも何かを読み取る必要はなく、ただ面白いと思ってくれればそれだけでオダサクは満足するはず。襟を正して読むなんて狂人の振る舞いは止めましょう。「大人の童話」ですからね。

【小説の思想②】

「小説の思想」に貫かれた作品とは、いったいどんなものか。オダサク曰く、

 「鏡花氏の世界はすべて虚構である。幽霊の出て来ない作品はないという一事をもってみても分るように、何もかも虚構だが、その驚く可き文章の力によって現実には存在しない幽霊を真実に見せている。鏡花氏の「小説の思想」はこの文章の力で虚構の世界を造りあげ、それを真実に見せるという以外にはなく、全く盲信で「小説の思想」をまるで神のように信仰し、そして自ら神の選ばれた子となり、遂には神となって天上した。」(『小説の思想』)

 

 川嶋至氏はこの部分から、「小説の思想」は「虚構をまじえた作品全体で読者に訴えかけてくる「真実」とでも言うことができるだろうか。つまり、彼は自作に別にむずかしい思想は盛りこんではいないが、作品をトータルで見通したとき、それにひとつの真実が浮かびあがってくるはずだと言いたかったのであろう。」と、説明している。「小説の思想」は私小説批判に続いて、虚構の中に浮かび上がる真実の存在といった主張も含んでいる。ひとつひとつの細かい主張は、大きくなりすぎた『可能性の文学』を見るよりは、それを構成する1ピースである『小説の思想』に目を向けたほうが詳しく分かる。

 

さて、『小説の思想』を体現した作家として泉鏡花を挙げているわけだが、何も泉鏡花を賛美することが目的なのではない。

 

 「「小説の中にある思想」は大いに滋養文があるから軽視することは勿論いけないが、「小説の思想」は空気のようにそれなくては小説が生きられないものである。」(『「小説の思想」と「小説の中の思想」』)

 

 やはり肝心なのは「小説の中にある思想」だけでは小説とは言えない、ということの方である。そのための「小説の思想」という言葉と言っても良いのかもしれない。ではなぜ、「小説の中にある思想」だけの小説がいけないものなのか。

 

 「いくら小説の中にある思想をひきだしても、それで小説を語り得ないのは、譬えてみれば、多角形の辺を無数に増して円にしようとする努力と同じである。

 小説の思想というものはいうならば、小説という第二の自然、あるいは第二の人生の独自の世界を作ろうという思想である。だからいかなる思想もこの中に包含し得る。つまり円がいかなる多角形をも包含し得るというのと同じだが、多角形は円ではない。

 ところが、最近の文学を見ると極めてややこしい形をした多角形的小説が横行している。小説の中にある思想だけで立っている小説だ。従って簡単に要約し易く、再読、三読に堪えない。そしてそういうものが、良い小説とされかけている。まずもって、なげかわしいことである。多角形、即ち小説の中にある思想が、しっかりしたものであるならばともかく、それが極めて浅薄なのが多いというのでは、ますますお話にならない。」(『文楽的文学観』)

 

 「小説の中にある思想」だけで立っている小説は、「小説の中にある思想」だけで要約できる。それは小説ではなく単なる「思想」に過ぎない。つまり、小説の中に思想を書きたいのなら、思想だけを書けば十分であり、そういうものは小説ではない。例えば、小説の中でいくら世界中の様々な問題を憂いたところで、本気で世界を変えたいのならば、政治家にでもなるべきなのだ。小説とは第二の世界を作るものであるのだから、第二の世界というものを書くことが出来れば、結果的にその中に様々な問題が含まれている、という事であろう。

 

 ここまで引用ばかりになってしまって申し訳ないが、この一連の「小説の思想」群の作品の中におけるオダサクの言葉は、世相に流されず、現在でも通用する普遍的な主張なのではないだろうか。オダサク自身も、それを信じていたが故に、作家活動の初期から最後まで揺れることなく同じ主張を続けてきたのであろう。完全に「小説の中にある思想」だけを敵に回すスタンスが、作家活動の当初から貫かれていたことは注目すべきである。さらに、「小説の中にある思想」に注意を促す理由はこれだけではない。

 

 「僕らはあんた達左翼の思想運動に失敗したあとで、高等学校へはいったでしょう。左翼の人は僕らの眼の前で転向して、ひどいのは右翼になってしまったね。しかし僕らはもう左翼にも右翼にも随いて行けず、思想とか体系とかいったものに不信―もっとも消極的な不信だが、とにかく、不信を示した。」(『世相』)

 

 「そこで、彼らが既成文学から好んで読みとったものは、文学が純粋にもっている魅力、即ち比喩を使って言えば、例えば、「小説の中にある思想」ではなくて、「小説の思想」であった。」(『二十代の文学』)

 

 小説の中に、「小説の中にある思想」が溢れていたのは、時代的なものでもあり、現在では「小説の中にある思想」をそれほど注意する必要はないかもしれない。がしかし、それでも間違いなく存在はする。現代に合わせるならメディア批判と置き換えた方が適当であろうか。「メディアの思想」と「メディアの中にある思想」とは厳密に区別して考えられねばならない。「マンガの思想」でも「映画の思想」でもなんでも言えるだろう。時代のはるか先を見据え、現在でも通用する事である。

 

オダサクが「小説の中にある思想」を排除しようとするのは、世に溢れるあらゆる「思想」に、「不信」という判断を下したからに他ならない。「思想」が死んだ姿と、決して死ぬことのない「小説の思想」の姿を、彼は発見したのである。あらゆる思想に不信感を抱いた織田作之助が、唯一信じたものが「小説の思想」であり、彼は小説の中から一切の「思想」を排除し、「小説の思想」だけで貫かれている小説を目指した。この織田作之助が下した決断だけでも「小説の思想」というものの存在を信じるに足りる得力ではないだろうか。そしてその決断から生まれた作品に触れれば、姿の見えない「小説の思想」も、もはやその存在を疑うことはできない、とまでは言わないが、小説の好みなんてものは大抵この程度の、はっきり説明できないものなのではないだろか。

 

 「デカダンスというのは高級な思想なんだ。つまり、デカダンスというのは、あらゆる未熟な思想からの自由という意味だ。何ものにも憑かれない精神のことだよ。」(『それでも私は行く』)

 

 これは『それでも私は行く』に登場する小田策之助の言葉である。織田作之助の小説の特徴を言うならば、それは完全なる無思想ということになる。織田作之助から何かメッセージを受け取る必要は無い。なぜならば、

 

 「文学に対する考え方なぞ、人生に対する考え方とおんなじで、十人十色であり、誰の作品にしろ、作者が意気ごんで待ち構えているほどには、いいかえれば、作者が満足する程度に、理解されることなぞ、まかりまちがっても有り得ないのである。」(『東京文壇に与う』)

 

 このようにテクスト論、すなわち「作者の死」を予言した考え方が、織田作之助にはあったのだ。従って、どのように読むかは読者の自由であり、好む好まないも人それぞれ。志賀直哉のように投げ捨てても良いのである。勧められる行為ではないが、文学、いや小説とは本来そうあるべきものなのではないだろうか。志賀直哉の読み方は、織田作品に対する「阿呆な将棋」ではないか。我々は小説を読むための定跡を知っているからこそ、小説を投げつけたりしないのであり、誰かが良い小説だと大声で叫ぶからこそ、良い小説だと思っているのではないか。

 

あらゆる思想から開放され、小説のアプリオリである「小説の思想」のみを信じていた織田作之助に、そんな近代になって生まれたものであろう定跡なんてものはない。いや、ないのではなく、そういったものに不信を示したのであり、蔑む対象でしかなかったのである。従ってまた、ただ「小説の思想」のみを信じていたからこそ、織田作之助は定跡に唾を吐き、文壇に牙を向けることも出来たのである。

2017年1月28日公開

© 2017 九芽 英

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