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食べてもいい部位について

第42回文学フリマ東京原稿募集応募作品

我那覇キヨ

事実に基づく物語

タグ: #第42回文学フリマ東京原稿募集

エセー

3,543文字

 

 想像してみて欲しい。
 あなたは小さなこどもと共に無人島にいる。飲み水はどうにかなったものの、食料が尽きてこのままでは体力のないこどもが先に死ぬ。すでに数日食料採取には失敗し、今すぐにでも、こどもに何かを食べさせないと命の保証がない。
 この時、こどもに自分の肉を食べさせるならどの部位か?

 真剣に考えてほしい。これは倫理ではなく、純粋にロジスティクスの問題だ。食べさせたあともサバイバルの状況は続く。腕は使う。脚も使う。腹を割いたら内臓まで届いてしまう。胸は肋骨が邪魔だ。頬はどうか? 悪くないが、頬を削ぎ落とした顔でこどもに「さ、食べな」と言って、トラウマを残さないかは分の悪い賭けになる。
 その後の活動を考えながら決めると、答えはある程度絞られてくる。
 おそらく、臀部。尻だ。
 尻は皮下脂肪が厚く、大きな血管や神経から比較的遠く、多少えぐっても歩行に支障をきたしにくい。進化の歴史が人間の尻に詰め込んだクッション材は、いざとなれば食料にもなる。なんと合理的な部位だろう。
 食わせるなら尻から。
 今回わたしは、その話をしてみたいと思う。

 わたしは言ってみれば経験者だ。
 と言っても、こどもに自分の尻を食わせたことはない。だが、わたしの尻、ジーンズの後部ポケットの底の辺りには拳半分くらいの凹みが残っている。かつてわたしはここに大きな穴を開けたまま生活していた。
 勿体つけてもしょうがないので答えを言ってしまう。膿皮症の手術痕だ。

 膿皮症、とインターネットで検索すると犬の写真が出てくる。雑に画像検索すると「随分毛深いヤツの症状だワン……」みたいなことになるが、この病気は人間もかかる。
 わたしはかかった。
 吾輩はヒトである。
 このエッセイの終わりで、わたしが犬であったことが明らかになるような、そんな気の利いた叙述トリックオチがあるわけでもない。

 膿皮症の症状の初期は、デカくて治りにくいニキビ、のような形で始まる。医者でさえ粉瘤と混同しやすく、皮膚科にかかると粉瘤の処置をされることも多い。わたしも最初は皮膚科へ行き、粉瘤として処置された。
 粉瘤の手術は皮膚に小さな穴を開け、周囲を圧迫して膿を押し出す。膿の溜まる袋が残っていればそれを取り出す。わたしは泣かなかったが泣くほど痛い。皮膚の表面には麻酔が効きにくいのだ。
 そして治療法が誤っているため治らない。わたしは二度ほど粉瘤として処置をされ、その度に悪化した。泣いた。
 次に肛門科を受診し、そこで改めて臀部膿皮症との診断を受けた。肛門と遠い位置であっても肛門科の守備範囲とのことだ。人体の縄張りとは複雑である。ちなみにこれが肛門付近にできていたら痔瘻となり、排便の際にすさまじい痛みがあるらしい。わたしの病変は肛門から離れた場所にあった。人生で初めて、自分の肛門の立地に感謝した。

 手術は東京山手メディカルセンターの肛門科、名医の手によって執り行われた。
 工程はシンプルだ。腰椎麻酔をして、膿の広がっている部分を大きくくり抜く。以上。縫合はしない。尻に穴が空いたままガーゼで蓋をして、「あとは自分で治してね」という方針だ。人体の自己修復能力への信頼が高い治療法である。
 だが粉瘤の処置では再発したことからもわかるが、このくり抜き治療が確立する前は不治の、そして進行する病だった。生まれた時代が悪ければ、わたしはケツを腐らせて、世を恨んで死んでいたのだ。
 入院は一週間ほど。入院翌日に尻をくり抜き、その翌日からはカロナールで痛みを抑えながらの入院生活が始まる。

 入院中の一番の苦労はシャワーだった。
 服を脱ぎ、ガーゼを剥がして姿見で確認すると、尻に焼く前のハンバーグのようなものがくっついた姿が映っている。よく見るとハンバーグ部分は付着ではなく凹みであり、赤黒いデコボコした穴に、消しゴムのカスのような脂肪の白い塊がところどころくっついていた。
 スプラッタ映画のような光景にしばし声もなく立ちすくむ。
 浴室に移ったが恐怖でなかなか患部にお湯を当てられない。意を決してシャワーのお湯を当てる。
 なんと、存外痛くない。腕を伸ばして少し遠くからお湯を当てる分には、大した痛みではなかった。
 調子に乗って、傷を指で触れてみる。指の側には触れている感覚があるが、尻の側にはない。なるほど、神経がないのだ。指を傷の中心から外周へ這わせると、皮膚との境目で痛みが強くなる。神経は皮膚に走っているのだ。人体の仕組みにひとつ詳しくなった。
 しばらく傷の触感を指で撫でながら確認する。鏡で見た通り、傷はデコボコに抉り取られており、なめらかではなかった。軽く押しても痛みはない。
 気をよくしたわたしはそのままシャンプーを開始した。手術日と翌日の二日分の汚れを落とすべく、二度シャンプーして、しっかり泡立つまで洗う。
 髪と顔を洗い終えて排水溝を見ると、泡の塊のようなものが排水溝の入り口に引っかかっている。
 姿見で見た時の、脂肪の白い塊を思い出した。風呂の鏡で確認すると、患部からは白い塊はきれいに落ちて、赤黒い傷のみが映っていた。
 排水口の白い泡にシャワーをかけて流しながら、わたしはひとりごとを言った。
「キミは泡かい? それともわたしだったものかい?」
 答えは排水溝に飲み込まれて消えた。

 シャワー後もう一つの難関が待っていた。
 脱衣所の冷気が傷に突き刺さり、脂汗が出るほど痛いのだ。接触と異なる種類の神経が反応するのか、まさか冷えが大敵とは。
 以降の入浴ではあらかじめガーゼで絆創膏を作ってからシャワーを浴びることにした。
 風呂から出たら冷えないように、すぐに穴に蓋をするのだ。

 入院中、脱衣所で他の患者とご一緒することがあった。
 タクシーの運転手の男性だった。長時間座り続ける仕事の性質もあってか、病状を放置してしまい、かなり患部が広くなってしまったという。
 ズボンを脱ぐと、下半身の裏側一面の皮膚が抉られている。わたしはハンバーグ一個分だが、その方は脚の裏全体に錦鯉の刺青を入れたかのような状態だった。
 もし銭湯でこの時のわたしたちに出くわす人がいたら、どんなヤクザでも悲鳴をあげて逃げ出すに違いない。
 わたしたちは脱衣所でしばらく無言で立っていた。
 共通の言語を持つ者同士のような、妙な連帯感があった。「痛くて眠れなくてね」と言う男。
聞けば、痛み止めはカロナールのみとのこと。
 初日に医者に泣きついてトラマドールという一段強い痛み止めをもらっていたわたしとは大違いである。
 トラマドールのことを教えると男は嬉しそうに礼を言った。

 トラマドールはオピオイド系の薬で、まれに多幸感をもたらすらしい。入院中のわたしが妙に幸せな気分でうたた寝ばかりしていたのはその副作用的だったのかも知れない。

 傷の位置は椅子に座った時には接地せず、歩く時にも痛くない場所だった。
 寝る時は横向きで寝る必要があった程度だ。
 手術から一週間ほど入院し、傷痕が「焼く前のハンバーグ」から」焼く前のステーキ」のように滑らかになってきたところで退院。その後一ヶ月ほどはシャワーのみで入浴は厳禁。
 退院してからはすぐに職場に戻った。デスクワークをする分には問題ない。痛み止めの副作用で眠くなっていることを除けば、入院前と変わりなし。
 半年程度で傷痕がある程度埋まって、表面に皮膚が出来てくる。完全に皮膚が完全に閉じれば、ガーゼで蓋をする必要もなくなり、治療完了となる。

 ところで、これまでわたしは左右どちらの尻を抉ったのか、その詳細を語ってこなかった。文字から映像に起こして読むタイプの読者には大変ストレスがあったことと思う。申し訳ないことだ。
 右か? 左か?
『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画で、人の心をYES、NO方式で読む超能力を使うテレンス・ダービーという敵がいる。
 そのダービーが主人公である承太郎に敗北し、「質問だ。右の拳で殴るか? 左の拳で殴るか? あててみな」と問われるシーンがある。
 ダービーは承太郎の心を読む。
 右か? NO NO NO!
 左か? NO NO NO!
 両方か? YES YES YES!
 ……すまない。もったいをつけすぎたかも知れない……あまりオチとしても面白く無いが、答えは時間差で両方となる。
 2021年に左を抉った。
 2025年に右を抉った。
 どうやらわたしはこの病気にかかりやすい体質のようだ。だがどちらの入院生活でも概ね気楽に過ごし、退院後の生活にも支障はなかった。人は尻に大きな穴が空いていても、冗談を言って笑って過ごすことができる。

 というわけで、冒頭の問いに戻る。
 無人島でこどもに食べさせるなら尻がいい。
 実績がある。それも二度も。三度目は勘弁して欲しい。

▪️手術から二日後、ガーゼを剥がした直後の写真。
手術から二日後

▪️退院時の写真。
退院時

▪️退院後二ヶ月の写真。穴は骨の表面まで繋がっていたそうだ。。
退院後二ヶ月経過時

© 2026 我那覇キヨ ( 2026年4月12日公開

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