「なあ、栞。いつかは劇場どころか日本……いや、世界のど真ん中で勝負して、地球のあちこちをドッカンドッカン爆笑の渦に巻き込んだる。Yはずっとそう誓ってキタ堺。せやけど、Yはまず隣にいるお前をちゃんと笑わせられてるんやろか……?」
「……むにゃ、夢ちゃんはやっぱりいっつもおもろいわあ。いよっ、上方演芸大賞。流石ウチが惚れ込んだ漢やわあ」
「寝言やのにごっつ喋るやん、自分。まったくYよりおもろいのは勘弁してほしいわ」
急患看護の夜勤明けでお眠の栞に、ヴェルファイアのフロアマットよりもペラペラの毛布をかぶせると、真ん丸お月さんみてえな太鼓腹に冷たいすきま風が吹きすさぶ。
イソコでいっちゃんイキった男が、東京でBIG WAVEに乗ったると上京して早10余年、スズメバチ駆除のアルバイトに勤しむ傍らで都内某所の零細芸能事務所に身を寄せつつ、メン地下アイドルの追いかけ崩れと自称お笑い通のへそ曲がりだけがポツポツと席を埋める劇場で、ピン芸人「寝具流別奴出夢男」なんてトンチキな名を名乗ってまだ見ぬ明日を夢見て奮闘し続けている。
肝心の彼のお笑いの方はというと、爆笑の渦を巻き起こすどころか潮が引くように客足を遠のかせるのが日常茶飯事で、かつての仲間内からはもはや忘れられたBIG WAVE、はたまた「あれやと、シャ乱Qやのうて、ひもQやな」などと揶揄される始末でざまあないったら、ありゃしなかった。
「そんなん言わせとけや、しょうもなっ」
自分自身で全てが完結するなら、夢男もそうイキれる。だが、この10余年の雌伏の日々でまるまる蓄えた彼の脇腹のお肉にひっしとしがみつきながら、すうすうと寝息を立てている愛しのKITTYこと栞。彼女にこれ以上、苦しい生活を強いるわけにもいかない。つい先日も舞台袖で地元の小池センパイから、電話の着信があった。今なら、整備士を探しているディーラーを紹介できるぞと。
——波が来るどころか、Yはもう潮時なんちゃうか。
そのディーラー店の口コミ評判なんかをネットで検索して、ブラック企業かどうか確かめでもするかとネットを開いて、不健康なネットサーフィンにおぼれているうちに、夢男はYouTubeでとある動画に漂着した。
その動画の投稿主グループの名はダディー・ダニエル。揃いもそろってアロハシャツにセンターパートにメッシュのインナーカラーを入れた髪。一人はスカイブルーのレンズのグラサンがトレードマークで、もう一人は昭和のプロ野球選手が身に付けていそうな金のネックレスを鬱陶しいほどジャラジャラさせてやがり、一番個性がしょっぱい残りの一人はグループの平均身長を5cmほど引き上げていそうな長身だった。どう見ても、戎橋あたりで声をかけたらいくらでも捕まりそうなニイちゃんにしか見えない。夢男は彼らの動画を完全スルーすることだって出来たし、同じシチュエーションに出くわしたら、九割九分はそうしたであろうはずだ。
しかし、この時ばかりは違った。劇場の先輩たちのチャンネルが束になっても叶わないおおよそ普通のニイちゃんにはしては可愛げのなさすぎる再生回数の数字を彼はどうしても見過ごせなかった。学園祭、彼ピ、ナイトプール、失恋傷心風自分語り、コメント欄には若さ特有の無根拠に荒ぶるアブラギッシュなフレーズが立ち並んでいる。夢男のチャンネルに極稀につく、「デイケアサービスでお客さんに見せたら、喜んでくれました!」なんてコメントとはあまりにも量質ともに雲泥の差、月とスッポン、STARに憧れるドブネズミのようだといつもよりブルーになっている夢男の心にはグサッと来た。
「再生回数199万回……サーフィントリオ漫才やってみたって、なんやそれ。そもそもサーフィン経験あるんか、自分ら?」
実際、彼らの漫才は文字に起こしたら、あまりに拙いもので、到底劇場の厳しい審判の目を突破できるような代物ではなかった。
「……せやけど、インパクトはあるやん」
稲村ケ崎のライダブルな波に身を任せながら、のっぽと金ネックレスの二人が小ボケと大ボケのラリーを各々の海水パンツに付けた防水マイクを通じて、ツッコミ役とおぼしきグラサンとそしてライブで動画を視聴しているリスナーに浴びせる。それに対してボキャ貧ツッコミのグラサンは「いや、お前らMEN’s EGG」「エグすぎて、パねえ」と引き笑いを浮かべながら、それに呼応する。ウケればリスナーが勝手にツッコミをかぶせてくれるし、滑った感があれば二人は自ら波間に身を投じて、笑いはブレイクしたグーフィーの波が攫ってくれるのだ。
「全員、エグくね、マジ草」
波に弄ばれる二人をよそにグラサンが動画を〆る頃には再生数はうなぎ上り肝吸い付き。ただでさえ、ファンばかりが集うYouTubeチャンネルのホーム感に、しゃべくり漫才、体当たりリアクション。チャンネルの高評価と視聴数も頷ける、夢男は舌を巻くしかなかった。
「エグいのは自分らやん。おいしい性格しとるで、ホンマ」
しかし、このジャンルの発見は窮する夢男に渡りに船、日サロ中年にサーフボードだった。お笑い界の激流に自ら身を投じ、揉まれ続けて早10余年。石を積み上げるように重ねていったトークスキルは流石に彼らより良質なものを持っているはずで、かつてのダチにイジられる度に、「ちゃうねん、これはYがストイックだからやねん。お笑いに魂を売ったYやから身体つきも芸人らしくなるっちゅうもんなんねん」とイキって返すコミカルな体型とチャームポイントの臍ヘルニアも「ホンマ、サーフィンやれるん、自分?」と、いい笑いのフックになるに違いない。
——これや。これでYはテッペンを取れる。ダイモツになるのも夢やあらへん、夢男だけに……!
夢男はおもむろにiPhoneのハナXRを取り出すなり、小池センパイに整備士の話を断るLINEを入れた。やっぱりもう少しだけお笑い芸人としての夢を追いたいと。センパイは5秒と経たずに「がんばって!!」とちいかわのスタンプで返信を寄越してくれた。
「……なんかええことでもあったん、夢ちゃん。いつもよりええ顏しとるビリケンさんみたいに。ウチ、夢ちゃんのその顔好きやわあ」
「おお、起きたか栞ィ。Yはやっぱり根っからのサーファー、波乗り夢ちゃんや。決めたんや、もう一度、Yは波に乗ったる。そう、MY LOVE IS FOREVER……お前と出逢った頃のYのように」
「ウチ、波に乗る夢ちゃんは世界でいっちゃんカッコええと思うとるからホンマに嬉しい、濡れ濡れで困るわあ。でも、夢ちゃん、ほンならお笑いの夢は……」
「心配せんでもええ、栞。Yは夢も栞もどっちも諦められへん、欲張り夢ちゃん……せやからYは、波乗り芸人・寝具流別奴出夢男として再スタートしたる。まずは昔売ってもうたサーフボードを買い直す為にスズメバチハンター鬼連荘や!」
築41年、東京ディズニーランドと同い年の四畳半アパートの低い天井を見上げながら息巻く夢男を見て、事情は半分も分かってはいないものの察しなら人一倍良い栞はクスリと笑って、箪笥の抽斗からベコべコのブリキ箱を引っ張り出した。
「それなら心配せんでもええよ、夢ちゃん。ウチ、お母ちゃんから大切な人と一緒に幸せになりたい時に使いって渡された宝物があんねん……でも何が入ってるんやろか?」
「栞、何が入ってるんか、分からんもんをあんま目線より高いとこで開けん方が……アッ!?」
職場でも「世界一そそっかしいナース」の異名を欲しいままにしている栞は、夢男の警告もそっちのけでブリキ箱を頭の上でひっくり返してしまうと、無数の紙屑が古畳の上に散らばった。その一枚を夢男は拾い上げるなり、ボソッと呟いた。
「栞ィ、これってベルマークやないか……よくもまあ仰山詰まって、これだけあれば……」
「見てみぃや、夢ちゃん、このページ。スポーツ用品もこんなに注文できるらしいで」
栞は財団のページからベルマーク新聞のバックナンバーを見つけ出し、PDFファイルを夢男のLINEに送った。夢男が若かりし頃は年配層から不良の危険な遊びとの偏見も根深くあったサーフィン、その魂とも呼ぶべきサーフボードがれっきとしたスポーツ器具として、取り扱い可能な交換商品の一覧として列記されていた。
「ドナルド・タカヤマのロングボードなんて、えらい高級なもん、揃えとるやないけ! オリンピック種目にも選ばれるもんやなあ……サーフィンはスポーツになった。お笑い業界はしょうもないアホを養う掃きだめから、人生賭けてアホになる戦場やって素人さんにも思ってもらえるようになった。そして、今度はYが世の中にサーフィン芸人っちゅう地位を確立させるんや。YouTuberのおふざけ企画に閉じ込めとくには惜しい発明やで、これは!」
「夢ちゃん……ホンマ、ええ漢やわあ。なんやな、アレや。このベルマークも夢ちゃんの輝かしい未来を祝う紙吹雪みたいや、うふふ」
「何が紙吹雪やねん、どアホ! どつきまわしたるで、喜連瓜ワレェ……まあ、それも満更やないな」
夢男は照れくさそうに鼻っ柱を人差し指で擦ってみせる。そんな夢男に向けて栞は畳に散らばったベルマークを両手で掬っては、それをシャワーのように夢男に浴びせたのだった。
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眞山大知 投稿者 | 2024-05-24 12:38
主人公の健気に頑張る姿が純粋に応援したくなりました
諏訪靖彦 投稿者 | 2024-05-25 10:47
いつもと作風が違って、これ本当に春風亭どれみさん?ってなりました。こんな話も掛けるんですね。「喜連瓜ワレェ」、どうでもいいことですが昔親父の仕事の関係で喜連瓜破に2年間住んでました。
大猫 投稿者 | 2024-05-25 15:55
「Yはずっとそう誓ってキタ堺」とか「うなぎ上り肝吸い付き」とかに心を奪われて、つい軽く読んでしまいましたが、これは夢男と栞ちゃんの苦労物語なんですね。時代が時代なら『浪速恋しぐれ』みたいな演歌になりそうなお話です。最後、結局売れなくてお笑いを諦めるのかと想像していたらまさかのサクセスストーリー。良かった良かった。読後感も良く、どれみさんの新境地ではないでしょうか。
「寝具流別奴出夢男」にルビがふってないけどなんて読むんですか? シングルベッドでゆめおとこ?
曾根崎十三 投稿者 | 2024-05-25 22:39
「キタ堺」でまず度肝を抜かれました。先制攻撃すごい。全体的になんて胡散臭い大阪弁なんだ! でもそれが良い。全編で徹底できているのが異常というか才能を感じました。大阪で働いてても書ける気がしない。
というか、改ページ機能なんてあったんですね。破滅派の使いこなしぶりえぐいて、ってなりました。
今野和人 投稿者 | 2024-05-26 10:21
タイトルにあるもののベルマークに意表をつかれました。完全にベルマークというものがこの世にあることを脳内から消していたのだと思います。
深山 投稿者 | 2024-05-26 23:47
「愛しのKITTYこと栞」「もう一度、Yは波に乗ったる。そう、MY LOVE IS FOREVER」「鼻っ柱を人差し指で擦って」等々、一昔前のメロドラマ的な(よくわかりませんが)ベタベタな描写がいちいち良かったです。胡散臭いのに憎めない。こういうの書けたら楽しそう。
YouTube見て「これや!」ってなるの完全に失敗のフラグかと思ったらハッピーエンドでしたね。
ベルマークって出てくるだけでこんなにもほっこり実家感が出るのかと発見でした。
お笑い論というより、職場でも世界一そそっかしいナースの異名を欲しいままにしている栞ちゃんと主人公のドタバタラブコメとしてもっと読みたいです。
河野沢雉 投稿者 | 2024-05-27 17:02
浪花節ですねえ。
そしてハッピーエンド。
「世界一そそっかしいナース」とか意表を突いた小道具のベルマークとか、いちいち「少し古めの物」で装飾されてるのが眞山さんの作品と共通しててハマりました。
退会したユーザー ゲスト | 2024-05-27 18:20
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Juan.B 編集者 | 2024-05-27 20:19
破滅しない作風にほっとする。ベルマーク、懐かしい。それにしても言葉の流れが美しい。
小林TKG 投稿者 | 2024-07-22 02:09
渋い話だ。ションテンが高くて、読んでて楽しいって言うのはあるけど、でも渋い話だと思いました。コテコテだけど、でも渋い話だと私は感じました。東京ディズニーランドと同い年の四畳半のアパートとか。渋い。ついついディズニーランドをデゼニーランドって読んでしまいました。