林檎

小説

969文字

試作です。ご指摘があればお待ちしております。所謂プロデューサー効果を狙っているものです。

 

 或る晩秋の日のことである。寒さはいよいよ厳しさを増し、外に出る気分にもなれず、家で父を横目に新聞等を読みながら時がすぎるのを待っていた。

 「そこにあるだろう。」

「あるって、一体何が。」

「林檎だよ。」

部屋の真ん中には木製の大きな机があり、確かにその上には皿があるのだが、その上には私が先程用意した蜜柑が数個乗っているばかりなのだ。父は一体何を言っているのだろう、遂におかしくなったか、まあ、年だからしょうがないか、等と思ったが口にするのも憚られるので代わりに、

「そう。」

と言った。

 父は疲れているのだろう。もう70になるのだからしょうがない。遂に目の前の蜜柑と林檎の区別さえつかなくなったか、と寂しささえ感じた。

「それ、取ってくれよ。」

疲れているのだ、そう自らに言い聞かせた。そうでもしなければ…

「父さん、これは蜜柑だよ。」

父はぽかんとしていた。

「何言ってやがる。大丈夫か、疲れてんじゃねえのか。」

蜜柑ですよ、と言い返そうかとも思ったが、このままの方が、父は幸せなのではないか。せめて仏さんになるまでは自分がボケているだなんて知らないほうがいいのではないか。

 目の前の木の皿に積まれてある蜜柑を、皿ごと渡した。

 「やっぱりAの作る林檎は上手いなあ。」

Aは父の古くからの友人で、父の故郷で農家をやっている。しばしばできた農産物を送ってくれる。父はいつも食卓に並んだ野菜やら果物やらを見てAの話をしていた。

 そして、その言葉を聞いて、不意に、涙がこぼれそうになった。

「そりゃよかった、本当に…」

 日はもう暮れかけている。辺りはひっそりとして、ただ烏の2,3が鳴く声ばかりが聞こえるばかりである。

 「そういえば、母さんはどうした、まだ帰ってこねえのか。」

 母さんは2年前に事故で亡くなっている。いつもこの時間に近くのスーパーに買い物に行っていた。父が退職してからというもの、これからは生活も厳しくなるからねえ、なんて言っていたのを思い出す。けれども、真実を伝えることはできなかった。尤も、言ったところで信じる筈もないだろうが。私はただ、

「直ぐに帰ってくるよ。」

と言い聞かせる他なかった。

「そうか。」

風が一層強く吹き付け、葉が落ちる。鳴いていた烏ももう居なくなったようだ。

 「ただいま」

ドアを叩く音と共に、聞こえてきた。そうそう、確か母はこんな声だった…

2022年10月14日公開

© 2022

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