浅草橋銀杏岡八幡神社の殺人

合評会2022年01月応募作品

大猫

小説

4,272文字

浅草橋銀杏八幡神社のカンちゃんキンちゃんコンちゃんの稲荷三兄弟とぐうたら八幡様の物語。
ご近所の豆腐屋のおばさんの命運が蛍光灯と共に切れ、神様の世界と交錯します。 
2022年1月合評会参加作品。

姉妹編はこちら
「浅草橋銀杏岡八幡神社の奇跡」
https://hametuha.com/novel/52675/
「浅草橋銀杏岡八幡神社の相撲見物」 
https://hametuha.com/novel/59013/

皆様、明けましておめでとうございます。

ここ、浅草橋銀杏岡八幡神社は初詣の人々でごった返しております。昨年は疫病流行で閑古鳥が鳴く日々が続き、神社の財政も大ピンチだったものですから、久しぶりの賑わいに主神の八幡様も稲荷神社のカンちゃんキンちゃんコンちゃん兄弟もホクホク顔で、四柱揃って本殿に鎮座して善男善女の願いに耳を傾けております。
「あっ、お静さんだ」

コンちゃんが嬉しそうに声を張り上げます。華やかな服装の人々の中、普段着でひっそりとお参りにやって来たのは近所の豆腐屋のお静おばさん。カン・キン・コンの三兄弟はこのおばさんが大好きです。何しろ折に付けてはお店の油揚げや厚揚げをお供えに持ってきてくれますし、お正月の今日は高級日本酒の一升瓶をお供えしてくれたものだから八幡様も大喜び。どれどれ、願い事を聞いてやるかとお静の心を覗き込みます。
「どうか亭主が真人間になってくれますように。酒を止めてくれますように」

今年も去年も一昨年もお静の願いはいつも同じです。
「豆腐屋の亭主は大酒飲みの道楽者だからなあ」
「たまに帰って来たと思ったら飲み代をせびってまた出て行くんだから。いっそ帰ってこなきゃいいのに」

憤るカンちゃんキンちゃんをまあまあとなだめつつ、コップ酒をあおっていた八幡様ですが、急に浮かない顔になりました。
「そうか、気の毒になあ」

八幡様が人間に同情するなんて珍しいと、カン・キン・コンも祈るお静に心眼を凝らしました。そうして三柱が三柱ともぎょっと驚きます。
「そんな、そんな、ひどいよ、ねえ八幡様、何とかならないの?」
「分かってるくせに聞くんじゃねえ。人間の定めを俺たちが勝手に変えることはできねえんだよ」
「分かってるよう、でもひどいじゃないか」

コンちゃんがぽろぽろと涙を流し始めて、境内はにわかなお天気雨。雨宿りする場所もない小さな神社のこととて参詣の人々は慌てて駆け去り、その中にお静の小さな背中も見えました。神様の目にはお静の命運がはっきりと見えています。ろくでなしの亭主に苦労しながら一人で豆腐屋を切盛りしてきた働き者のお静は、今晩その亭主に殺されてしまうのです。
「どうしても死ななきゃならないなら、せめて僕、お静さんを送ってやっていい?」
「ああ、そうしてやれ」

赤ん坊や小さな子供が不意の死を迎える際、寂しがったり迷ったりしないようにとコンちゃんが三途の川まで送り届けてやることがあるのです。お静さんは大人だから本来はいけないのですが、八幡様も今度ばかりは許してくれました。

 

その晩、そっとコンちゃんが覗き込みますと、お静は店の奥に置いた小机で帳簿を付けております。 古くなった蛍光灯がチカチカ音を立てて切れたり付いたりで仕事がはかどりません。そこでコンちゃん、蛍光灯の笠の下にするりと入り込んでカッと目を見開き、大きな口を開けて真っ赤な舌を見せますと、急に店中がピカピカと明るくなりました。
「何だろう、蛍光灯ったら。壊れる前の最後のあがきかね」

不思議顔をするお静の足元でうーとうなる者がおります。チワワのチロです。怪しい気配を感じたらしく、キャンキャンワンワンすごい声で吠え始めました。
「これっ、チロ、どうしたの? 近所迷惑じゃないの」

お静が叱ってもチロは吠え続けます。元来お稲荷さんは犬が苦手です。犬もお稲荷さんが苦手で両者は天地開闢以来不倶戴天の仇敵。うっかり犬のいる家に入り込んでしまったとコンちゃんは弱り果てております。そこへお店のガラス戸がガタッと開き、亭主の猛が帰って来ました。
「うるせえなあ、表まで聞こえるぞ、このバカ犬め!」

だみ声で怒鳴られたチロは慌ててお静の足元に隠れます。
「怒鳴ることないじゃないの。どこほっつき歩いてたのよ」

それには返事をせず、宿六亭主は店から住居に続く上り框にどっかり腰を下ろして盛大なげっぷ。また酔っぱらって帰ったかとお静は呆れ、それ以上相手にしなかったのですが、
「ようよう、正月だってのに色気のねえ家だな、お屠蘇くらい飲ませろよ」
「もう飲んでるでしょう。十分じゃないか」
「正月なんだから飲ませろよ、おい、たしか久保田のいい酒があったっけな」
「あれなら八幡様にお供えしちゃったよ」
「何だと、こら、人の物に手ぇ付けやがって」
「どうせ家にいたためしなんかないじゃないか、どぶに捨てないだけマシだと思いな」
「亭主に向かってなんだその口は」
「ふん、今さら亭主面か。今まで亭主らしいことしたことがあったかい」

売り言葉に買い言葉、猛はこめかみに青筋を立て真っ赤になってぶるぶる震えております。お静は知らん顔で帳簿を付け続け、頭上の蛍光灯はピカピカ光って真昼間のような明るさです。

ちくしょうっ! と怒鳴る声と共にお静は嫌と言うほど背中を蹴られました。ガラガラガシャン、と机ごと倒れたお静は豆腐の水槽の角に頭をぶつけてしまいます。豆腐の角なら良かったのですが、水槽の角ではひとたまりもなく、声も立てずに倒れ伏します。
「キャンキャンキャン!」

その時、チロが渾身の力で猛の足首に噛みつきました。
「痛ててて、こらっ、何だ、ちくしょう」

あまりの痛さにたたらを踏んだ猛、とっさに何かに掴まろうとして手を伸ばし、溺れる者は藁をも掴むとばかり、手に触れた細い紐にすがりつきましたが、それは蛍光灯の紐でした。何を隠そうそれは蛍光灯に化けたコンちゃんのしっぽだったのです。しっぽは狐の急所です。まともに掴まれたコンちゃん、たまらず正体を現してズドーンと落っこちました。何しろコンちゃんはただの狐ではなく神様ですから、そのパワーときたらタンクローリーが頭上から落下してきたようなもので、下にいた猛とチロはぺっちゃんこになってしまいました。
「しまった!」

真っ暗になった豆腐屋の店内を白い魂が三つ、ふわふわと漂い流れております。コンちゃんは慌ててそれを捕まえました。死者の魂をきちんと冥途に送らず取り逃がしたりすると、神様と言えどもひどい罰が待っているのです。それよりも何よりも死ぬ運命ではなかった猛とチロを死なせてしまったことは大失態です。とにかく八幡様に相談しようと三つの魂を懐に抱えてコンちゃんは神社に帰りました。

さあ本殿ではむっつり顔の八幡様の左右をカンちゃんとキンちゃんが心配そうに取り巻いています。
「何やってんだ、コン、おめえ、それでも稲荷か」
「ごめんなさい、ごめんなさい」

べそをかきながら魂をそっと下してやりますと、八幡様の眼光に照らされた三つの魂、しぼんだ風船が膨らむようにがやがやと喋り始めます。
「こらっ、このバカ犬、てめえのせいで俺まで死んじまったじゃねえかよ」
「わんわん、お前なんか死んじまったほうが世の中のためだ!」
「あんた、チロ、そんなこと言わないでこうなったら三人仲良く冥途に行きましょうよ」
「やなこった。おめえだけ冥途に行きやがれ。俺はまだ死にたかねえんだ」
「お前がお静さんを殺したくせに、お前が死んじまえ、キャンキャン!」

あまりに騒がしいので八幡様が、
「こら、お前ら少し落ち着け」
とたしなめますと、お静とチロの魂はははーっとばかり平伏いたします。しかし亭主の猛はケッ、と毒づき、
「だいたいかかあが俺の酒を無断で持ってくからだ! これは俺の酒だったんだぞ」
と八幡様の傍らの一升瓶を蹴り倒してしまいます。寝る前に飲もうと一口分だけ取っておいた酒を床に流されて八幡様、怒るまいことか。
「こいつめ、神仏の前で不埒千万、地獄に落としてやる!」
慌ててカンちゃんがなだめにかかります。
「でも八幡様、こいつはまだ死ぬ運命じゃないんですから」
と言えばキンちゃんも、
「こんな時は魂を戻してやって本来の寿命を全うさせるしかないんでしょう?」

神の世界ではごくまっとうな常識を説かれて八幡様はぐぬぬ、と歯ぎしりするばかり。猛の魂はすっかり調子に乗って、
「そうだそうだ、こら、八幡、さっさと俺を生き返らせろよ」
「この野郎、神仏を呼び捨てにするとは何事だ!」

激怒した八幡様にお静の魂が泣いて詫びを入れます。
「相済みません。口の悪いのは死んでも直らないので見逃してやってください。私一人で冥途に参りますので、どうか亭主とチロは助けてやってください」
「おめえもお人好しだなあ、こいつに殺されたんだぜ」
「殺そうと思って殺したわけではございません。女房だから分かっております。酒さえ飲まなければ普通の人間なんです。どうかお許しください」

お静の必死の懇願に心を動かされたのか、八幡様はコンちゃんを振り向いてこう言いました。
「こいつらを元の家に連れてって魂を戻してやろう。ついでだからお静のも戻してやれ。お前ら稲荷が油揚げ食えなくなったら可哀想だからな。閻魔大王には俺からうまいこと言っておこうぜ」

それを聞いてみんな大喜び。早速三つの魂を抱えて豆腐屋に戻り、まずはお静の魂をそうっと戻してやりました。次に猛の魂を戻そうとしたら、
「コンよ、それは犬の魂だぞ、間違えるな」
と八幡様が言うので、慌ててもう一つの方の魂を猛の身体へ戻し、残ったのをチロの身体に戻しました。

二人と一匹はたちまち我に返り、立ち上がってきょろきょろ辺りを見回しています。それを見届けた八幡様と稲荷三兄弟は神社へ戻って行きます。
「ともかくまあ家に入ろうかね。遅ればせながらお正月をお祝いしようじゃないか」
そう言ってお静がチロを抱きあげて家に入ります。残された猛は腑抜けのようにその場に突っ立っていたのですが、ふとブルブルッと身震いを一つして「クーン、クーン」、と言いました。

 

数日後、お静と猛夫婦が揃ってお参りにやって来ました。紐で繋がれたチロもちょこちょこと付いてきております。大きな油揚げの包みと酒の一升瓶を本殿に供えると、夫妻は頭を垂れ手を合わせて一心に祈りを捧げております。
「ご霊験あらたかな八幡様、お稲荷様、おかげで亭主が真人間になってくれました。あれから人が変わったようにちゃきちゃきと働いてくれて、人当たりも良くなって近所の人からも驚かれております」
「人間にしてもらってありがとうございます。きっとお静さんを幸せにしてあげます。ワンワン」

チロが寂しそうな顔をしてぼーっとしているのを見て、八幡様はニヤニヤしながら声を掛けました。
「どうでえ、犬になってみるのも悪くあるめえ。これで酒とも縁が切れたろう」

するとチロは下を向いてキュンキュンと何か言います。猛がそれを聞いて一言、
「蛍光灯が切れさえしなければなあ。蛍光灯の切れ目が縁の切れ目になっちまったよ」

2022年1月23日公開

© 2022 大猫

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"浅草橋銀杏岡八幡神社の殺人"へのコメント 11

  • 投稿者 | 2022-01-25 23:44

    シリーズ三作目ですね!
    今回はちょっとダークな終わり方(?)でしたが、DVみたいなテーマを盛り込んで重い話にもできそうなところをそういう野暮に流れずさっぱり軽やかに語るのは、江戸文学の影響だったりするのでしょうか? わたくし最近黄表紙本や狂歌集読んだりしていたのですが、なかなかそういう粋な境地に至れません。

  • 投稿者 | 2022-01-26 12:40

    八幡神社シリーズと蛍光灯をどう絡めるのかと思ったらコンちゃんが蛍光灯に化けるとは……これは意外でした。
    わりと先の読めるベタ展開だけど読めるのはちょっと先までで、結末までは読めないという微妙な匙加減が楽しかったです。

  • 投稿者 | 2022-01-28 15:13

    かわいいコンビの最新作! ありがとうございます。
    まさかのかわいい殺人がとうとう……!
    でも神の力で上手く切り抜けられて良かったです。
    ヨゴロウザさんも仰ってますが、重い内容を嫌味にならない匙加減ので勧善懲悪でカラッと書けていて楽しめました。

  • 投稿者 | 2022-01-28 18:01

    破滅派の合評会において、いや、破滅派に置いてこのシリーズはほっとしますね。不安感が無い。ドキドキしながら、怖がりながら読まなくていい。安心感の権化。

  • 投稿者 | 2022-01-29 00:38

    大猫さん
    明けましておめでとう御座います。
    今年も早一ヵ月が過ぎ去ろうとしております。盛り沢山で心配が積もるような一月で御座いました。
    二月はと言えば、すぐに四日から北京オリンピックが待ち構えております。
    聴いた話では、いつもどこが滑ってるのが北京オリンピックだそうです。順番を終えると気楽なもんだと聴いておりました。

    作品のお話。こちらも滑って始まりましたね。角には気をつけたいものです。
    一番良かったのは、可愛らしい仕草でしょうか。呑んだくれの魂の宿ったわんこの仕草がどのように変わるのか、または肉体にこそ記憶される矯正の術があったりしそうですね。

    そういう流れを考えますと、あまり良い流れにありません。しかしながら、覚えたら実行。無事に祭典の終わることでも願ってこようかと思います。

    天下の回りものに幸あらんことをば願う。
    付け加え、それ忙しさ覚え助けん。
    ありがとうございました。

  • 投稿者 | 2022-01-29 21:45

    新年一発目に登場のシリーズ最新作、ということで何の邪心も抱かずに楽しく読ませてもらいました。一方、八幡様にはいたずら心があるようで、自らの酒の飲み方を省みた次第であります。
    今回のような難しいお題でも、四柱にとっては御茶の子という感じがして、あやかりたいと思いました。

  • 投稿者 | 2022-01-30 10:49

    私は古戯都氏ほど心がきれいではないらしく「困ったときの神頼みかよ」と邪推しながら読んでしまった。どんなお題でも面白く吸収してしまうこのシリーズは安定感がある。

  • 編集者 | 2022-01-30 23:19

    お稲荷様の三者三様キャラはシリーズに最適ですね。人潰すくらいデカいという事実に驚愕でした。豆腐屋のおばさんが死んでまで人が好過ぎるので、天国に行く人はここまで心が広くないとダメなんだと絶望しました。絵本として出版してください。

  • 投稿者 | 2022-01-31 01:05

    「豆腐の角なら良かったのですが、水槽の角ではひとたまりもなく」これを言いたいがために全体を固めたと仮定すると腑に落ちる。ぼくは去年から酒を辞めているので、もう犬にはならなくて済みそうです(もともと酒乱の気はないですが)

  • 投稿者 | 2022-01-31 02:38

    お後がよろしいようで。タイトルは最近名探偵破滅派に参加されてる影響かしら? 可愛らしいシリーズ物でどんな殺人が展開されるのかと思って読みましたがいつもどおりほっこりする内容で良かったです。八幡様のお仕置、采配がさすが神様と。

  • 編集者 | 2022-01-31 20:39

    こんなお題で、狐がそう使えるのか。悲しいのに、面白い。

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