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むつきが死んだのは二月だった。交通事故だった。あれから二年経つ。
彼女のことを考えない日はない。嘘じゃない。たとえばこんなとき。ウミアザミが映ってるモニタにアオスジアゲハがとまってくれるのを頬杖をついてじっと待っているとき、あるいはドミノを百個ならべてそれを横から一個ずつ指ではじいているとき、もしくはシステム・オブ・ア・ダウンのバナナの歌を聴きながらリンゴをかじってるときなんかに僕はむつきのことを考えちゃう。
むつきと僕はいとこで同い年だった。二言でいうと彼女は能動的すぎる娘であり、そしてそこそこつらい宿命を楽しめるという才能を持っていた。わかりにくくいうと彼女はえくぼに風をあつめることに命をかけていた。むつきは大学の友人たちと立ち上げた〈機構死神〉って名称の事業で世の中のいらないシステムを排除するシステムの構築に勤しんでいたわけだけど、けれども彼女はその活動にはそれほど意欲的じゃなかったように感じる。僕が思うに、彼女が熱心にとりくんでいた活動は文芸誌出版プロジェクトだった。むつきは世界的規模の月刊文芸誌発刊の実現を夢見ていた。彼女はナショナルジオグラフィックパートナーズ社を手本にした出版システムをつくろうとしていた。
こんなこというのはなんだけど、むつきは自殺だったのではと僕は思ってる。いや、そんなこと思うのはおそらく僕だけさ。その理由は主にふたつ。ひとつめはいつも一緒にいた愛犬が病死しちゃったこと。これは大きい。その犬はむつきのすべてといってよかった。もうひとつの理由はむつきはいつだって「おもしろそうなほう」を選択する娘だった。そのようなむつきの性質からいってこっち側よりあっち側――つまりこの世よりあの世のほうに惹きつけられるのは想像するに難くない。
生前むつきがしてた活動をもうすこし話すね。むつきたちグループはアート活動やプロダクト開発にも精力的にとりくんでいた。アート活動では本名でしか投稿できない小説投稿サイトの運営や、東京の青空に「青い死の画面」のメッセージをプロジェクションしたりなどして社会に問いかけていた。プロダクト開発においては一分間に六十回「愛の言葉」がパタパタするフリップ・クロックとか、びっくり箱にびっくりする箱「びっくりさせ合いっこ箱」とか、かけたらあらゆるものがおもちゃに見える眼鏡なんかをつくったりしていた。そう、それがむつき考案のプロダクト「ティルト・シフト・グラス」だ。
これからする話はそのティルト・シフト・グラスをかけたむつきと高尾山に登った、ただそれだけの話さ。どうしてそんな話をするのかだって? それはね、未来へ進むためには過去を踏んづけなきゃならないからさ。作用・反作用の法則。
「なぜだまってるの、亜男。普通の幸せを手に入れたいのなら〈エネルギー〉〈周波数〉〈振動〉について考えちゃだめよ。普通と特殊の断面はいつだって同一なんだから」とティルト・シフト・グラスをかけたむつきが言った。あ、このとき僕はまだその眼鏡の名称を知らなかったけどね。
僕は東京にある彼女の実家にいた。僕は婚前旅行先のドバイでフィアンセにフラれて日本に帰ってきたばかりだった。どうして僕が沖縄に戻らず東京にいたのかというと、誤って東京行きの航空チケットを購入してしまったからなんだ。東京に着いた僕はむつきに会いに行った、これといった理由もなしに。むつきがティルト・シフト・グラスをかけて僕に話しかけてきたのは、彼女の家の出窓にたたずむ水飲み鳥を使途不明心といっていい心持ちでぼーっと眺めていたときさ。そうそう、その水飲み鳥はTequilaと印字されたグラスに入った液体に口をつけていたっけ。
「気が大きい素粒子について考えてるんだ」と僕はむつきに嘘をついた。「まえから言おうと思ってたんだがむつき、君はだれかにサイコロをわたされたらそれを振るまえにかならず『目』を確認するべきだよ。①の裏が①だってことはおうおうにしてあるんだから」
僕がむつきにやや皮肉めいたことを言ったのは彼女が眼鏡をかけていたからなんだ。むつきが眼鏡? ありえない。彼女が眼鏡(きわめて標準的な)をかけていることに僕は違和感しか覚えなかった。それはたとえ彼女のその鼻の穴が太陽のようにまんまるではなく三日月のように美しくてもおなじように鼻白んでしまっていたにちがいないさ。
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