6.
無常感は普遍的観念であり、積極的なものと消極的なものとがある。消極的なものといえば、「方丈記」では、鴨長明は嘆く。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
「平家物語」では、次のように慨嘆される。
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
このような無常の嘆きは、例えばシェリーの詩にも見られる
The flower that smiles to-day
To-morrow dies;
All that we wish to stay
Tempts and then flies.
What is this world’s delight?
Lightning that mocks the night,Brief even as bright.
この詩は世の無常に対するシェリーの深い嘆きであろう。無常感は何も仏教的文化の専売特許なんぞではないのだ。
そして無常を積極的にとらえた者もいる。兼好法師である。
あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
かの「徒然草」の一節である。またロバート・リンドは”Rain, Rain, Go to Spain”で次のように述べる。
But with most men the knowledge that they must ultimately die does not weaken the pleasure in being at present alive. To the poet the world appears still more beautiful as he gazes at flowers that are doomed to wither, at springs that come to too speedy an end. The loveliness of May stirs him the more deeply because he knows that it is fading even as he looks at it. It is not that the thought of universal mortality gives him pleasure, but that he hugs the pleasure all the more closely because he knows it cannot be his for long.
兼好法師もリンドも無常を積極的に評価する。無常だからこそ世界はいっそう美しく素晴らしいのだ。
7.
島崎藤村の「千曲川旅情の歌」である。
小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子悲しむ
緑なす 蘩蔞は萌えず
若草も 籍くによしなし
しろがねの 衾の岡辺
日に溶けて 淡雪流る
あたゝかき 光はあれど
野に満つる 香も知らず
浅くのみ 春は霞みて
麦の色 わずかに青し
旅人の 群はいくつか
畠中の 道を急ぎぬ
暮行けば 浅間も見えず
歌哀し 佐久の草笛
千曲川 いざよう波の
岸近き 宿にのぼりつ
濁り酒 濁れる飲みて
草枕 しばし慰む
第一連の「緑なす 蘩蔞は萌えず/若草も 籍くによしなし」というところは否定の連打であり、それによって何らかの感慨を読み手の心に醸し出している。第二連もまた然り。光があっても香りはなく(この対比にも注目されたし)、麦はあってもその色はわずかであり、旅人の群れはあってもその数はわずかである。ここに描かれているのは否定であり、あるいは否定に近しい少数である。人間というものは何かを得て抱く心情よりは何かを喪って思う気持ちのほうが、より深く、より長持ちし、より人の心にも響くようである。俗にいうところの日本的美意識もまたそうである。無常感、わび、さび、など。いずれも何かを喪ってはじめて始まる人間の心情となる。
8.
否定によって得られる何らかの文芸的心情は、このWordsworthの詩にも見られる。
She Dwelt among the Untrodden Ways
She dwelt among the untrodden waysBeside the springs of Dove,A Maid whom there were none to praiseAnd very few to love:A violet by a mossy stoneHalf hidden from the eye!—Fair as a star, when only oneIs shining in the sky.She lived unknown, and few could knowWhen Lucy ceased to be;But she is in her grave, and, oh,The difference to me!
第一連では, untrodden ways, none to praise, very few to love とあり、第二連では、half hidden, only oneなどと否定的色彩の濃い筆の運びとなっている。第三連では、unknown, few could know, cease to be など、やはり否定的である。いずれも何かの喪失に対して抱いた心情を表現しているようだ。美は喪失である。あるいは、喪失は美へと変貌する。
失うことによって何らかの美を抱くというのは、おそらくは防衛機制の一種とみなすことができるだろう。失うということは人間がこの厳しい自然環境を生き延びる際に致命的な痛手を与える可能性がある。この喪失という体験によって得られた深く永続的なる心情を、例えば詩歌などの芸術によって表現することによって、人間は痛ましい経験を昇華することになり、この痛手に対する耐性を獲得することになり、こうやって人間はまた気持ちを一新して生き続けることも可能となるのだ。かくして否定的表現は昇華されんとして、しばしば詩に詠まれることになるのだ。以下にワーズワースの詩の試訳を載せる。
人に知られぬ乙女のありき
人の通わぬ道沿いのドウヴの泉の脇に住むひとりとて褒める者なく親しむ者とて苔むす石に半ば隠れたスミレさながらいまだ夜空に星ひとつその星さながらに麗しくその暮らし誰知らず亡くなってもまた乙女はいまや奥津城に我が心根や誰か知る!
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ(新古今集、藤原定家)
わび人の住むべき宿とみるなべに嘆き加はる琴の音ぞする(古今集、雑下)
ことさらこの須磨の浦に心あらむ人は、わざともわびてこそ住むべけれ(松風 謡曲)
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