先ほどまでこうして髪の毛の形を整えていました。この画面は暗いとき顔が鮮明に映るのです。顔が映らないように画面を閉じることもしばしば。しかしそれは「社会」にいるときだけであります。
社会にいるとき僕は驚くほど卑屈になります。しかしまた僕は一人であるとき酷く自分の体に惚れ惚れするものです。
僕はナルシストでしょうか。
ナルシストなのでしょう。僕が画面を閉じるのは、他人もまた自分自身のことを愛するナルシストだということを知っているからです。人間は自分自身を一番愛してます。
卑屈な人間は筋金入りのナルシストです。彼ほど彼自身を愛している人間はいないでしょう。
しかし彼があのナルキッソスと違うのは彼が水面に映る彼を眺めているということを彼自身が知っていることです。何と神聖な水であることでしょう。
ところで、太宰治さん、この写真、貴方は肘をついているようです。しかしこの肘はどうも浮いているのではないかと僕には見えますが、どうでしょうか。
彫刻刀で鉛筆を削ります。鉛筆削りというやつは出来栄えが綺麗過ぎて僕にはどうも居心地が悪いです。
つい先日、彫刻刀で鉛筆を削ってましたところ彫刻刀が指に刺さりまして、血が出ました。いつもの僕であれば慌てて大騒ぎするところなのですが、その時は違いました。
それはリストカットの写真を見たからでしょう。あれは生々しかった。僕はずいぶん興味が沸いて自分でもそれをしたくなりました。しかし意図的にやったところで自分が慌てて消毒しに行くのは目に見えてますから、やらないでおいたのです。
しかし、それも成人したらやりましょう。ずいぶん前ですが、彫刻刀を机の上においておいたら親が随分心配したものです。僕はその心配を当時不可解なことだと思っていましたが、いまならわかります。そういうわけで、成人したら、です。
指から流れる血を随分長く眺めていたものです。人差し指の親指側の側面でした。ひりひり痛みました。しかしこの痛みがどういうことなのかを理解しようと頑張っていたのです。
しかし駄目です。今自分でもう一度指の側面を突き刺そうと彫刻刀を突き立てましたがまるで力が入らないのです。痛い。怖い。正気でできますか。
しかし腕の裏側は簡単でした少し傷をつけただけで簡単に水ぶくれになりました。こんなに薄いとは知りませんでした。しかしこの少しの傷跡とを見るだけで、気持ちが晴々するのは危ないでしょうか。
3つ薄く傷痕がつきました。綺麗じゃないです。傷痕は。一つにしましょう、その方が綺麗です。それを深く。治りかけなら簡単に血は出るでしょう。
一人になったらやってしまいそうです。 もっと見えないところに傷を付けます優しさは怖いです。
罰みたいなものでしょうか、何の罪の?
筋金入りのナルシストが感じる罪とは何でしょうね。
自分を愛するばかりに、他人がそう見えないこと、もしくは他人をそう見ることができないことを申し訳なく思う、もしくは哀れに、もしくは後ろめたく、思っている、という、ナルシストの極地といえる罪かも知れません。
ナルキッソスは自分の姿を愛したのでしょう、しかしその彼もこの筋金入りのナルシストには敵いません。
彼は他の誰から見ても確かに美しく見えたのです。そして筋金いりのナルシストの場合は、誰の保証も、何の確証持たずに彼を愛してしまう、つまり彼は彼自身を美に照らし合わせたのではなく、彼自身を美としたのです。
理屈っぽくなってしまいました。頭が働くときほど理屈っぽくはならないものです。今日はもう駄目です。しかしこの傷痕に満足。おやすみなさい。(2011.1.9.1:18)
僕にはもうこれくらいしか書けそうにない。しかしこんなくだらない。
長編なんて書ける気がしていたのが馬鹿だった。俺は人間を知らない。社会を知らない。最悪。
自棄になると太宰の本を読みたくなる。デカダンス。なんでお前帝大入れたんだ、やっぱりうまいじゃないか世渡り。案外、にやけてるんじゃないのそっちでさ。
太宰を読むといつも思うのは酒。酒が飲みたい。知らんから何とも言えないけど一番デカダンの香がする。
リスロン?芥川も金子みすずもこれだってさ。これは薬品名だけど、睡眠薬。毒性は余り高くない、確率は低いが、ゆいつ今でも売られてんじゃないの。
最近は罰とか罰。
血とか薬とか、薬ならまだ酒が健康にいいからって斜陽にね。健康に。健康に、だってさ!
これ鬱だってさ。昨日ラジオで講演してた。関係ないさ。人生楽しめりゃそれで。
最近愉しいのは罰。
ねえしかし、こいつが平然と社会を闊歩なさってるんですから驚き。危ないねえ。危ないよそこの貴方。この人線路に貴方を落としますよ。いや人ってわかんないものだねえ。あの人がまさかね・・・
優しさが退廃を止めてる?優しさはダムだ。貯めるだけためて、決壊したら大洪水。どうすんの。
とにかく酒、酒。タバコも?金もなくして、なんかおかしいぞこいつ。ね、温室、がいいそうなこと。
おい、進め!進め!
[愛への信仰]
前書き
僕がにこの世で信じているのはただ愛のみです。
本文
Tさん
貴方は虐められていた人が回りの人間によって不当な扱いを受けたとき、その場の全員に向かって「何で黙ってるの?」と怒りましたね。とても勇気がいる行為です。貴方はこのとき一番綺麗でした。
僕は以前、貴方を街で見かけて逃げました。貴方と顔を合わせただけで馬鹿なことをやってしまいそうで恐かったのです。逃げた後で、逃げたことを、逆に貴方が変な風に思うのではないか、と不安になりました。でも貴方は学校であったとき「この前私見て走って逃げたでしょ?」と笑いながら言ってくれました。しかも他の誰にも聞こえない声で。貴方は僕の心を知っていたのでしょうか?
貴方は僕から太宰治の人間失格を借りました。返すとき「面白かったよ」といって返してくれました。本当に面白かったのでしょうか?貴方はその暗さを既に知っていたのでしょうか?それとも読んだのでしょうか?それならば何故借りたの?
貴方はきっと知っていたでしょう?貴方のことを好きだったことを。
M君
放課後、先に帰った僕が忘れ物をしたのに気がついて、わざわざ、三階から一階の昇降口まで走って届けてくれました。僕は不思議で「なんで?」と聞きました。すると君は「わかんない」と笑って答えてました。
文化祭の前日、僕が明日の準備をするためにそこを通りかかると、君は誰もいない渡り廊下にある段にすわって御握りを食べていました。あの時は今ほど寒くなくて、逆にそこから吹き込む風が涼しくて心地よかった頃だと思います。君が座っていたので、僕はその横に座りました。君は黙ってました。僕も黙ってました。君は食べ終えて「さ、準備しに行こう」と言いました。僕は「そうだね」と言って、ただそれだけ、ただそれだけの事が、僕には忘れられません。
愛は微笑です。
これ以外に人生に輝きを持たせる希望を与えるものはありません。
しかし、僕はそれに生かされているわけでも在りません。
僕の信ずる愛は微笑です。
ある愛の優しさは僕に苦しみと生に縛り付ける鎖を与えますが、この微笑はどうしてか僕を生に縛りつけようとするわけではないのです。
こんなにも小さなことのために僕は未だに希望をもてるのです。誰しもこの微笑を持っていると、誰もそれを全部は忘れてはいない、それを信じることが僕の信仰です。
後書き
人生を探れば他にもいくつか思い出せます。
でもそれは「いくつか」です。
(2011.1.9.23:35)
「happy birthday to me.」
前書き
もしかしたら、題名から連想されたかたの想像とは違うかもしれません。
楽しみなことはランニング、ギター、カッティング。
ね、皆さん、どう思います?今僕「明日楽しみだな」って言ったんですよ。自分でもびっくり。鬼束ちひろさんの曲聞いてました。「fly to me」って聞こえた。今は目眩が流れてる。「大丈夫って言って」。
こんなこといったのはいつ以来? ノルウェイの森も今読んでます。ながら、ながら。
多分、明日が4時間でしかもこの学校でセンターがあるので、学校にいられないので、帰らなければいけなくて、それがうれしいんだと思います。僕は日が高い位置にあるときに帰りたいんです。それは早い時間とかそういうことじゃなくて、太陽が好きなんです。
人間と放課後。人間は怖い。放課後は自由が怖い。明日はそれがどっちも無いんです。
あ、明日切る。時間があれば切れると思う。どうやったら早く血が出るんでしょう。うまいやりかた知っている人いたら教えてください。
血が見たいんです。怪我は全然怖くないけど、いやわかりません、自分切るのは怖いです。痛いです。それは甘いからでしょうか。たぶんそうなるのが普通だと思いますが、それでもできない人は少し臆病なのでしょうか。
血を見ないから、夢を見るんです。血があれば僕は戻って来れると思う。傷があればいつでも思い出せると思う。だから切るんです。それも夢かもしれない。でもやっぱりその夢も血で終わるでしょう。
そしてそれは一番楽しそうな日にやるべきなんです。
後書き
万人が見たら誰かが必ず不快になる文章を今まで書き続けてきた自信があります。僕は他人の気持ちは解らなくても、僕が理解できない心を持っている人がいるのは知っているんです。
不快な気持ちを持った人がいたら教えてくれると、ありがたいです?たぶんそういう気持ちがあることを、僕が想像できない心を自分に証明したいから?
(2011.1.13.22:17)
「バースデイケーキ」
前書き
一日遅れです。1月15日にありました。
本文
レアチーズケーキを。お願い。
大して好きじゃないんだけど。
・・・
「美味しい?」
「おいしい」
ごめんなさい、嘘です。
味なんてわからないんです。美味しくなんて思ってないんです。ごめんなさい。
写真。なんで写真なんて。こんなに歪んでるのに。もう撮らないで。
それでも笑い顔を向けつづけている。
笑えない、けど笑って。
親がいて、兄弟がいて、祖父母がいて、金があって、誕生日にお祝いしてもらって、幸せで当然だと思うでしょう?
誰かが考えた幸せの条件てこれで十分でしょう?
ごめんなさい 味なんてわかんないんです。
おばあちゃんは、わざわざ、高い肉をかって、トンカツを作ってくれて。
ごめんなさい、味なんてわかんないんです。
ほんとうにごめんなさい。
そんなに期待かけないでください。本当にわかんないんです。
きっと、もし違う家庭に、環境にあっても、同じことを考えてる。
だったら、せめて、もっと、無情な人に囲まれたかった。傲慢でしょうか。贅沢でしょうか。ああ、そうに違いない!
上げたい。あげます。本当に勿体ないんです。
こんな人間には勿体ないんです。
気づいた。
写真を撮ったとき、腕まくりしてなかったか。
してたかもしれない。
それなら、それで、いい。
もういいから。
それなら、それで、いい。
もういいんだ。
疲れた
「心に入れ墨を」
彫り終わった後、「掘り」じゃない、意味があるんだ、出てくる血を嘗める。舐める。
何回も彫るから、同じところを何回も彫るから、血が沢山。
独特の、毒々の、生々しい味。毎日食べる馬鹿みたいに味の濃い料理よりもずっと舌に残る。
痛みと、
舌に残る毒々しさを飲み下し
心に入れ墨を彫る。
白と黒の曖昧な、キャンバスに彫る。絵柄は決まってない。
決めない。
キャンバスは切り裂かれて。
全部、引き裂きたいだけ。
(2011.1.16.0:23)
「どれが人間なんだろう」
玄関がガチャガチャ。
「お兄ちゃん!」
かわいらしい声ではありませぬ。もう5年生なのですから。
あら、今度は窓をたたきだした。
僕もそういうことがありました。鍵を忘れて、またトイレに行きたかったり。
お、今度はインターホン。ピンポンピンポンですわ。いや正確にはピーンポン?
ガチャガチャ、ピーンポンの繰り返し。
トイレにいきたいのかな?まあまあ。
僕がこの家の二階の一室にいることは自明ですね。電気ついてるし、エアコンついてるし。
後で聞かれたらこう答えましょう。「イヤホンつけてた」。もうしらっとしてね。現にこう、片耳はつけてますし、嘘じゃないですねえ。
嘘はつかないところがこの男の最も卑怯なところであります。
もう玄関ガチャガチャの振動が激し過ぎるのですけど。壊す気?
最近は何も考えたくないのでこうやって書いているのです。得に掘り下げることはしません。
しかしまあ、最初のガチャガチャの時は「神聖かまってちゃん」ってどんなバンドだか調べてまして、今こうして別室に移動して、ガチャガチャの中、罪の告白をしているところをみると、どうやらこやつこれで罪滅ぼしをしているつもりのようです。随分怖がっているのです。
ついでですから、他の報告もしますと、傷は6個。もう増やしませぬ。目立ちますから。着替えるときも人の目を気にします。学校でも。夏は無理ですね、どうすんだお前?
日常用に一つ。親指の付け根に。爪でよく切ってます。僕の爪はギターをしているおかげで長いんですね。そのかわり、人差し指の爪は真っ赤です。
僕は刑務所でしか罪の告白をできない人間のようです。
いえ、すみません。あなたたちに悪いことを言ったのではないです。僕が単にそう思っているだけで。
おっと、帰って来ました。どうやら人に借りたようです。ちょうどイヤホンつけてましたので、ああざんねん。イヤホンなんて取っておけば良かった。
怒ってる顔が見たかったのに、こいつまで、器用になっちゃって。
近頃は久しく人間の顔というものを見ておりません。
題名の由来はそういう訳です。どうもよくわからないのです。
心は激しく疲労模様です。口内炎と口角炎の併発。口開ける度に痛いのです。食べるのが億劫。昔、母はいいました。「食べるのが楽しくなかったら不幸よね」と。不幸よね。
後で消すかも知れません。
さよなら。
「生の証明」
AM5:45。
「死ね、死ね!」
「嫌だ、嫌だ!死にたくない!逃げろ!」
走る。
「死ね、死ね!」
「嫌だ、嫌だ、未だ死にたくない!逃げろ!
未だ死にたくない、逃げるんだ!
速く、もっと、もっと速く!」
「こっちに来いよ」
「もうやめてくれ!」
走る、また走る。
・・・・
今日も死ねずに空を見上げる
死にたいなんて思ってない。
冬の夜空には月とオリオン座が虚しいほどよく映える。
(2011.1.22.17:32)
後書き
10キロ走ってるんです。
何故走ってるのか本当にわからない。
強いていえば止まらないため?
「本屋の女の人」
前書き
よく覚えていないんです。
本文
僕は本を買いに行った。若しくは借りに行った。予約がしてあった本だったかもしれない。とにかく、背表紙が青い本のために青い本屋に行った。冬のよく晴れた日の朝だった。
6台くらい車が止められそうな駐車場を通り抜けて本屋に入った。まあまあ大きい本屋だ。入るとすぐカウンターが見える。右側に陳列棚。僕は右に行かずに真っすぐカウンターに向かったから、おそらく買いたい本は予約してあったのだろう。
僕が向かった真ん中のカウンターの女性は多分23,4歳。
実は最初からこの人以外のところへ行くはずはなかったのだ。
「本を予約したんですけど」
といいつつ、用紙を渡す。
その女性は用紙を見て、純粋な笑みを浮かべた。
「これ調度一ヶ月後の予約ですよ」若しくは「この本屋でありませんよ」」といったと思う。
用紙を返されて、僕は大袈裟に驚いた顔をして、ああホントだと独り言のように呟いて、はにかむ。
女性も微笑を浮かべる。
その後、旨いことを言ったんだ。何を言ったのか忘れてしまったけど、とにかく女性はそれでもう一度笑ってくれた。とっても嬉しかった。
「すみませんね」笑いあって、本屋を出た。彼女が自分のことを好意を持ってくれたんじゃないかとか、俺も捨てたもんじゃないなとか考えながら。
駐車場で警備員の人に会って笑顔で挨拶をした。
真上の広くて青い空をおもいっきり見上げた。
ああ、なんて素晴らしい日。
真っ暗な部屋で目が覚めた。
どうも、おはようございます。
(2011.1.23.21:47)
「c’est la vie?」
前書き
c’est la vie. 英訳 That’s life.
肘の傷が痛む。神経に届いたか、それとも化膿したか。多分前者。動かすと痛い。
親指の腹の傷が痛む。美術の時間にカッターで。アンタ、「痛そう」「全然痛くないよ」目を反らしたな。ピリピリ痛む。腕より、案外後味が悪い、長引く。
最近はリスカもしない。もっと退廃。するほど楽天家になれない。沼にドロドロ落ちて行く。っていうかはい上がってリスカ?滑稽な人生。
セラビ、それが人生?
It’s my life きっと大丈夫?
何が人生?どれが人生?あれが人生?
これは人生?
今日は退廃的な睡眠。制服のまま。ワイシャツ。第2ボタンまであけて、袖のボタンも開けて、ベルトを外して、片足だけ立てて、片方の手はベッドから垂れて、もう一方は頭の上。
もう動く気がしねえんだ。
エアコンつけっぱなし。蛍光灯、電気もつけっぱなし。何故か部屋の明かりを調節する糸の先には風鈴。実用性あんの、誰がつけたの、いつもぶつかって音が鳴るのウザったいんだけど。
エアコンのせいで風鈴が揺れてるよ。衛星軌道に乗った?慣性の法則で規則正しく揺れる風鈴はそれでも音を立てない。ホント実用性ねえなあ。
ああそういえば髪もボサボサ、いや変換、神もボサボサ。キリストもボサボサだろう。宗教画で見た。土曜キリに行くか。いや、もう沈むか。制服はやたらと身体に絡み付く。ちくちくとねちっこい。卑らしい触り方だ。案外沈んだらキリストになって再誕か。そんなもん。所詮恰好よ。
明日しらねえ。もう走らない。もう知らない、沈め!
何のために書いてるかわからないね。
はいじゃあさよなら、おやすみおやすみ
(2011.1.26.23:42)
後書き
最近自分が洗濯機になっている夢を見るのです、工場で大量生産されてどこかの五人家族の家庭に買われて、規格外なほど多くの洗濯物を詰め込まれて毎日フル稼働、挙句の果てに壊れて大型の家電製品処理場でぐしゃっと。
「汚れてるから」
僕は毎日朝に風呂に入ります。風呂に入るといっても洗うだけですが。夜は入らないんです。せめて家では汚れてることに対して少しも疑問を持っていたくないから。
今日もそうでしたが、昨日は本を夜遅くまで読み、また一週間の疲れも積もってということか、午前11時まで寝ていました。
昼食だか朝食だかわからない、食事を取り、内容は果物とお茶漬け、メンチカツパン。家族揃ってです。勿論ほかの人は違う食事です。しかし朝食を捨てる訳にはいけませんから。父親が作った食事は冷めるとまずい、そしていつも冷めてる。そんなこといっちゃいけませんよ。
昼食をとりおわった後に母親が「デパートに行こう」と言いました。僕は本屋で買いたいものがあったので「行こう」と賛成しました。車で行くためです。
しかし母親が用意し終わってジャンパーも着て「行こう」と言ったとき、僕は未だ風呂にはいっていないことに気がつきました。どうしようか、またどう言おうか、迷いました。
「ちょっとまって」
「なんで」
何と答えるべきか何故だか少し迷いました。そしてこう言いました。
「汚れてるから」
母親が一瞬答えに詰まったようにみえました。ただそれは唐突だったせいでしょう、確かに僕はそのままの意味で言ったのです。しかしこの母親の一瞬の沈黙は僕の言葉に違った意味を持たせまたように僕は感じました。その沈黙は母親にとってはただの戸惑いだったでしょう、しかしその空間に実際と全く異なる「意味」が浮かんだことで僕、はそれがある間に全てを告白したい想いに駆られたのです。
それは衝動で、つまり自殺のようなものでした。
「汚れてるから」
その一瞬の沈黙の後、再びこう言いました。しかし一言目とは全く違う意味を持たせて。真っ直ぐに目を見つめていいました。それは時が止まったような沈黙でした。
しかし母親はいつの間にかふと目を反らし「シャワー浴びてきな、待ってるから」といいました。その瞬間、僕は自分は何と親不孝な事をしたのだろうと想いました。母親は告白を受け取りませんでした。
それは当たり前のことです。僕が親だとしてもそんなものを黙って受け取れるはずがない。目をそのまま見続けることはそれを認めることです、この人間に「罪」があると。それを知っていて、しかしそれを認めるのが怖い。それ恐怖は偏に愛情によるものでしょう。いらない愛情です。欲しくないものです。そしてそれはどうしても拒んではならないものでもあるから。
自分の罪は自分で背負うしかありません。それを誰かの愛にへばり付いて、その人に罪を「なすりつける」ようなことはしてはいけないのだろうと僕は思います。
告白は自らに向かって自らの傷を持ってします。傷は消えていきます。だから古傷を何度も掘ります、忘れるな、と。消えかかっている時それに平然としていられるのは卑しくもも誰かの愛を汚している時に違いないから。
多分僕は自分の声に汚れているんだろうな。
(2011.1.29.23:59)
あ、後一秒で明日。
あ、今日。
後書き
何を言ったらいいのか、これを書いていること、それはしょく罪なのかも知れません。いえ、違う?わかりません。でもこうもしないと生きることをやっていけない気がするんです。すみません。
「昔のこと」
「金」
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