Adan #6

Adan(第6話)

eyck

小説

1,794文字

画家のデスティニーさん〈6〉

北斗と豚を連れて家に帰ってきたときには、もう日は沈んで夜になっていた。

 

僕は北谷町にある二十四階建てのマンションに住んでいる。百平米超の2SLDK、最上階の部屋さ。僕がこの部屋で一人暮らしを始めたのは大学生になってから。ママは今、ブレントウッド(アメリカ合衆国カリフォルニア州の)に住んでいる。パパは僕が四歳のときに心臓の病気で死んだ。ちなみに婿養子だった僕のパパ、荻堂米男おぎどうよねおは東京出身だ。それから僕には五つ上の姉がいる。姉は結婚していて、子供も一人いる。姉夫婦も僕と同じマンション、同階に住んでいる。

 

「二十万やるからこの絵をもらってくれって言われても俺は断る」と北斗は言った。

 

僕は豚の絵を二十万円で買った。人工内耳手術の費用が二十万でおさまるらしいのだ。現金で支払った。お金を渡すときデスティニーさんと少し手が触れ合ったんだけど、彼女の手はとても冷たかった。僕は豚の絵を寝室の壁に掛けながら、その冷たかった彼女の手を両手で温かく包み込めばよかったと後悔した。その後悔の大きさは子供の頃レジャープールで溺れて監視員さんに助けられたとき、いずれにせよ助かるのなら深いプールで溺れたほうが格好がついた、と悔いたそれよりずっと大きなものだった。

 

「そんな絵を寝室に飾ったら毎晩悪夢を見るぞ」と僕の背後で北斗が言った。僕は豚の絵を壁に掛け終えたところだった。

 

「悪夢なんて見るわけないじゃないか」と僕は振り返って言った。「天使たちと徹夜でスクエア・ダンスを踊る夢を見れるだろうよ。テッポウユリでロシアンルーレットをするようなところで踊る夢を。ひょっとしたら居間にいる踊り子も参加してくれるかも」

 

「踊り子の絵もこの絵もそうだが」北斗は豚の絵を指差しながら言った。「タイトルが稚拙すぎる。絵に自信がないからタイトルに変な力が入ってしまうんだろう――っていうかこれ、豚なのか? 真珠の価値を把握しているというその頭がどこにあるのかもよく分からねえ。分かりたくもないが」

 

「真珠の価値を把握している頭がどこにあるのか分からないように描いてるのさ、あえて」

 

僕がそう言ったあとも北斗はデスティニーさんの絵に向かって悪たれ口を叩き続けていた。北斗のそれはまるで、我慢するのが一番体に悪い、という大抵すぐかかる自己催眠をかけてダイエットを諦めることに成功した女がクアドロプル・バイパス・バーガー(世界一高カロリーのハンバーガーさ。一個9982キロカロリー!)を貪っているかのようだった。

 

芸術のことを何も知らない北斗にこれ以上デスティニーさんの絵を悪く言われるのは流石の僕でも堪えかねた。なので僕は北斗を黙らせるために、彼に向かってドミノ・ピザのメニューを投げつけた。すると案の定、北斗は骨を咥えた犬のように黙った。

 

それから僕と北斗は居間のソファに座ってピューター製のビア・マグ(中身はコカ・コーラとスタウトを混ぜて作ったディーゼルというカクテルさ。トロイの木馬ともいうが)を右手に、電子葉巻エレクトロニックシガーを左手に持ってデスティニーさんとお兄さんの話をしながらピザの到着を待っていたわけだが、次に示すのはそのとき北斗の口から発射されたものである。まったく口が減らない奴だ!

 

「あの女はどう見ても俺たちより二回り年上だ」「あの二人は兄妹ではなく夫婦だ」「あの男は健常者だ」「おそらく手話は出鱈目、たどたどしい喋りは演技だ」「あの障害者手帳は偽造だ」「亜男に絵を売るのならもっと高い金を請求しやがれ」

 

非常に不愉快だった。彼は何様のつもりで僕の恋路の検問を実施しているのだろうか。しかも酒気帯びで取り締まりを行うとは何事か。僕の用意した酒のアルコールでこれ以上調子に乗られたらたまったもんじゃない。北斗はプレーボーイだ。が、それだけだ。北斗は恋愛についても人生についても一面的な見方しかできないのだ。

 

というわけで僕はそんな北斗にピザを食べさせてやる前に次のような金言を与えてやった。デリバリーピザの前菜としては豪華すぎるけれど。

 

「北斗、君が美しいと感じる愛だけが愛じゃないんだぞ」

 

つづく

 

 

#毎日連載 #連作短編 #ユーモア小説 #フィクション #軍用地主

2019年9月28日公開 (初出 https://note.mu/adan

作品集『Adan』第6話 (全83話)

© 2019 eyck

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