「兄貴。あの小娘、本当に来るんですかね?」
海坊主が、中年ヤクザ・若松に尋ねた。
「来る。間違いなく」
取立て屋三人組は、ねぐらである闇金の事務所を離れ、今は組本部にいる。
彼達以外にも、武装した「腕に覚え有り」の組員達が三十人以上詰めていた。
厳戒態勢。
若松は広域暴力団・神政組の幹部。と同時に、今は爆弾。
若松がいる所に、間違い無くワタシが現れるから。
この本部ビルは三階立て。神政組・組長もここにいる。
なぜ危険な場に組長までいるのか?
それは組長の長男が若松だから。
そしてヤクザの常で、大変な親バカだから。
いずれ若松は、神政組の七代目組長となる。
そして現組長は、そんな若松を可愛がっている。
息子だからというだけではなく、ヤクザとしても飛びぬけて優秀だから。
幹部達は二階にいた。
一階と三階に腕ききのヤクザを配置している。
どこからワタシに侵入されても対処できるように。
組長であり父親である若松賢之助が、内線で若松を呼んだ。
若松は実の父親でも、一礼して入室した。
扉の両脇には二人の護衛がいる。
舎弟の前で、馴れ合いは見せられない。
部屋で二人きりになると、砕けた口調になった。
「何も親父まで一緒にいることはねえ。今からでも遅くない。ここから離れてくれ」
「たわけが! 化け物だ何だとやかましいが、たかが小娘が一匹。尻まくって逃げ出すワシだと思うか?」
若松は溜め息をついた。
賢之助は古過ぎる。
ヤクザの世界が激変して久しい。
「任侠」どころか「インテリヤクザ」さえ死語となった。
小さな組なら、一流大学を出て五千万円も持参すれば、いきなり幹部待遇の時代。
金。ヤクザ世界も、それが全ての物差し。
義理と人情は紙幣に敗れ去った。
平気でドラッグ・ビジネスに手を出す。
平気で堅気を殺す。
自らの手を汚すことなく、フロント構成員の尻を蹴飛ばすだけ。
のし上がるために必要なのは、交わした杯の数にあらず。集金力とマネーロンダリングの能力。
若松にとって不幸中の幸いは、賢之助に自覚症状があること――自分ではこの時代に、シノギをやっていけないと自覚していること。
ゆえに実質的なシノギは、絶対的な信頼を寄せる幹部に任せている。賢之助自身は名誉職に退いた。
そして若松には実績を積ませるため、彼を裏金戦争の真っ只中に放り込んだ。
それも賢之助の息子への愛だった。
現代ヤクザに、家長制度など通用しない。
ならば、相応の実力をつけさせるしかない。
若松に現代ヤクザの素質を見出した賢之助は、彼を徹底的に鍛えることにした。
自分の目が黒いうちに、自分の座を譲るために。
だが若松は、今日ばかりは賢之助の親バカを放っておけない。
「あの小娘、化け物になりやがったんだ!」――—若松が心の中で叫ぶ。
堅気の人間の幸福を平気で破壊する男に、化け物呼ばわり。癪に障る。
ま、いっか。
ワタシを上機嫌にさせたところで、連中の結末に変わりはない。
「ワシはお前がおる限り、ここにおるからな。ドスとチャカ仕込んだ若いのがこれだけいるんだ。何の心配もねえ。いざとなりゃあ、そんな小娘の一人や二人、ワシが始末してやる」
威勢だけはいい賢之助。
若松唯一の誤算。
それが賢之助だった。
まさか残るとは思わなかった。
若松が立て篭もり場所に、組本部を選んだのには理由がある。
守るに易く、攻めるに難し。
周囲に遮蔽物が無いため、鉄砲玉の隠れる場所が無い。
窓は防弾、壁にも鉄板が入っている。
内外に二十台以上の監視カメラ。
内部は、幹部専用の部屋に容易に辿り着けないよう、迷路構造仕立て。
要塞。
銀行の地下金庫での映像が報道された瞬間から、若松はこの本部に立て篭もった。
その時賢之助もいたが、まさかここまで付き合うとは若松も思わなかった。
若松の焦燥を敏感に感じ取った賢之助は、説明を強く求めた。
賢之助に嘘は通じない。
ドスとハジキの世界を生き抜いてきたのだ。
人を見る目・見抜く目はトリプルA。
若松からの説明を受けた賢之助が選んだのは、ここに残ることだった。
一蓮托生。
美しい親子愛。吐き気がしてくる。
静かに幸福の時間を過ごしていたワタシ達親子を地獄に叩き落しておいて、自分達だけは臭いホームドラマの親子愛ごっこ。
他人様の子供を平気でシャブ漬けにした手で、我が子を抱き締める連中。
排除すべき害虫。
その駆除に、では取り掛かろう。
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