「お前のこの精液の匂いがプンプンするクッサい部屋には黒ひげ危機一髪しかないんやな? キュウリとかちょっと太い人参とかもないんやな? この状況に適したもんはそれ以外ないんやな?」
夜の窓辺に仁王立ちした、ライダースを着た若い女が枯れた声で言った。彼女の煙草の煙で薄暗い四畳間がぶわりと白濁した。割れそうに薄い窓を雨が殴っていた。
「ないです。ないです。黒ひげしか。すいません……でもりおなさん、こいつカッサカサだよ!」
五十代手前のキモデブハゲが叫んだ。
口にガムテを貼られ手首を縛られ床に転がされた年増の女の腰までべろんと捲り上がったどぶねずみ色の厚手のスカート、残虐に引き裂かれたベージュのストッキング、パンツを避けてようやくでてきた女の陰部に男は顔をさらに近づけた。
「じゃあローション使ったらええやんか、いちいち聞くなちっとは考えろ、だから会社に入って来た新入社員の女の尻をいかに触るかについてのキモ苦しい小説しか書けへんねん」
「りおなさんそれは、それだけは、言わない約束でしょ、お互いの小説についてのディスりあいはね、『この』二人の同盟にあたっての、切実な決め事でしょ、この女シメるために僕は色々りおなさんのために働いたじゃない」
りおなが天井に向かってぷりっとせりあがった男の尻を蹴り飛ばした。
「早くそのオバンなんとかせえ!」
男は向かいの壁までぶちあたり、しかしその痛みに快楽を覚えたのか、柔く甘いからすのような鳴き声を喉から出した。そしてそのまま這いつくばって壁紙の破れまくった押し入れからローションを取り出し、指毛がモサっと生え、肉厚極まりない手のひらの上にそれをずぶずぶかけた。
頭を抱えながらりおなはオバンの鞄から分厚い茶封筒——どれも講談社の受付窓口に届いた群像新人賞宛の原稿である——をぼんぼん床に放り投げていった。数年前から、群像新人賞に出してもなんだか届いていないような気がする。それはおのれの筆力の低さとかではないのだ。文藝に出したら最終選考まで残ったんだけど。なんで。講談社の受付のオバン、盗んでんちゃうか。という多数の噂がまことしやかにネットで流れていたのだ。りおなは群像新人賞に初挑戦するがゆえにその意気込みと情熱は通常の人のそれではなかったためその噂を見逃すことができなかった。
「こいつ悪いなあ……受付にこんなんおるとは。ほんまの悪人いうのはこういうの言うんじゃ」無理くりに黒ひげ危機一髪を突っ込まれたオバンは苦しみの嗚咽をガムテにぶつけていた。りおなは脳みそに蛆が湧くような憎しみが溜まるごとに玩具の剣を突き刺して行った。
オバンの鞄から出てきた全ての封筒の表面には「クソクソクソクソ」とびっしり細かな文字で書かれており、さらにりおなは激昂した。
「……オバン、お前のことネットで調べたぞ、おどれ自分もネットに小説あげとるやんけ、年増の淡々とした日常の小説を、しかもちょっとだけうまいんがまた腹立つわ、こんな小さい脳みそならおどれのような汚いババアがイケメンに襲われるようなアホなもん書け、あんな、少しでも静謐なテンションのもん書きよるならこの『恨み』の表現ももっとあったんちゃうんけ? 何が『クソクソクソ』や、もっと頭使え、うわ、」
りおなの目ん玉が瞬時に血走った。
「私の原稿もあるやんけ何してくれとにゃあああ」りおなは腕を畳の上にぶつけまくって精神を押さえつけようとしたが逆に粗ぶってしまい、
「何盗んでくれとんじゃ!」グギゴッ! りおなは黒ひげの剣をダブルで刺し込むにいたった。
「りおなさんん」なぜか男が泣いた。
「……もう見てられないよ……!」
「オバン、これ、どれだけ時間と金と私の命削ってできたもんか、知ってんのか? これはな、平成の最後に書くことに意味があんねや、だから来年3月の文藝じゃ意味ないねん、うわ、おどれ偉っそうに、原稿に赤線引いてくれやがって!! も、もう、印刷し直す時間も……」
「りおなさん、今日中ならウェブで応募できるから、データさえあれば、ここ僕の家だし、パソコンあるから」落ち着いて。
バタバタと、オバンが床で凶暴な軟体動物のような不思議な動きをして何かを訴えた。
「……外せ、もう外したれ、最後に、オバンに自分の思いを言わしたろやないか、その後に殺すわ」りおながへなと畳に崩れた。へなと。その様を見て男が、自分の変態小説を優先したがゆえに決して幸せにいかなかったこれまでの人生を全て背負った陰惨きわまりない顔でオバンの口のガムテを剥がした……
「……あなたのこれまでの全ての絶望、貧困、災い、下手ではないがさして上手くもない技巧を持ってしても、あなたは本谷有希子、川上未映子、ましては金井美恵子にはなれはしない」りおなは戦慄した。その静かな言葉はりおなの恐怖全てであった。オバンは淡々とした口調で続けた。
「特に第二部があんまり機能していない気がする。というか丸っと省いていいと思う。でも筋は悪くない。このまま……ガンバレ!!」
「オバン……死ね!」ついに号泣したりおなが最後の剣を刺した瞬間、黒ひげがオバンの膣の中へ発射され、オバンは映画『ジュラシック・パーク』のティラノサウルス・レックスが死ぬときのように悶え、野太い咆哮をあげた。
「ねえ、今言うことかわからないけど、この日が終われば僕らの関係も、終わっちゃうの? りおなさん、ねえ」
「何面倒くさいこと言うてんねん、もうウェブで応募や、あれ、USB……財布に入ってたのに……どこ!?」
「どうしよう……なんか勃起してきちゃった……」
「変なとこで勃起すな!」
「あ……りおなさん……」
「なんや」
「0時超えた……」
Blur Matsuo 編集者 | 2018-11-21 17:44
わらけました。
とても力強い文章だと思いました。テンポも良くオチも最高です。
この作品を読んでいなかったら、合評会に参加しなかったと思います。
ありがとうございました。
春風亭どれみ 投稿者 | 2018-11-21 23:49
もういろいろ針が触れちゃった文章。読むのが楽しくてあっというまに読了。大変美味しゅうございました。星5つです。でも同時に「これに高評価を出したら、人間として何か終わる気もする」と思ったのも事実です。でも星5つ。だって、破滅派だし。
藤城孝輔 投稿者 | 2018-11-22 01:30
荒々しく、展開に勢いがある。文章もかなり荒い。作中に題名となった曲への直接的な言及はない(たぶん)ものの、ブルーハーツのパンクロック的な疾走感を意識して書かれていることが分かる。下手な小細工なしに深夜0時に向かって時間がまっすぐ突っ走ってる感じがいい。
野暮な注文だが、受付のオバンが原稿を盗む動機にもっとインパクトがあるとよかったと思う。最初は応募者に対する嫉妬から盗んでいるのだと思ったが、りおなの原稿に対するオバンの冷静かつ具体的なコメントは単なる負け惜しみというわけではなさそうなので、オバンがりおなの文才に嫉妬するとは考えにくい。もっと突飛な動機があったほうが印象に残るのではないか? オバンは純文学ワナビの夢を餌にするエゲツない怪物を飼っていて、盗んだ原稿を夜な夜な食べさせなければいけないとか。
一希 零 投稿者 | 2018-11-22 02:42
笑ってしまいました。笑ってはいけないような、むしろ笑えないような話かもしれないけれど、やっぱり笑ってしまいました。テンポよく、勢いがあり、かなり独特な比喩表現があり読んでいて楽しかったです。「柔らかく甘いからすのような鳴き声」という比喩は「いや、それどんなカラス?」ってツッコミそうなほど飛躍感ある自由な表現で素敵だと思いました。ただ、とはいえ勢いにまかせすぎかな、と感じてしまったのも事実です。
大猫 投稿者 | 2018-11-23 21:33
大笑いしました。
原稿届いていないのでは妄想からここまで話を展開するとはさすが。
えげつない大阪弁もいいですし、オチもついてるし。
星五つです。
Juan.B 編集者 | 2018-11-25 04:39
受付のババアの太さは中々だ。ガンバレ。オヤジの悲哀にも眼差しを向けているのが良い。12時回っても元からシンデレラじゃない俺たちの人生は終わらないぜ。ゴーゴー。
高橋文樹 編集長 | 2018-11-25 12:24
オチもついていて展開もユーモラス。よくできている。ただ平成最後である必然性はあまりなく、次の元号一発目でとればニューエイジ感も出ていいのではないだろうか。ガンバレ!