機械が小説を書き、村上龍が「若者のカリスマ」としてではなく、老いて文学の大家として、世を去る。そんな時代に生きているにもかかわらず、人はアイモカワラズ、お天道様の気まぐれに悩まされ続けている。
尤も、天気というものが人智の及ぶものになったら、この途方もないエネルギーを巡り、あまりにもみみっちい争いを目の当たりにすることになるやもしれず、なんともはやである。
そんなオツにすました風を気取っていようが、当事者になる時はなるもので、自宅やその周りこそは水が捌けてくれたものの、丸々2日くらいは交通難民になり、つい最近に転勤がなければ、職場すらもどうなっていたことやら……それなのに、明日の会議資料の進捗やらなんやらでこれらのことは、すっかり忘却の河の向こう岸なのだから、日常の矯正力には悍ましさ、否逞しさを覚える。千葉のコシヒカリは早稲田に実ることもあり、田畑の被害も酷いは酷いが最悪こそは免れたようにもみえた。

しかし、ふるさとの同心円状にある街や集落の中には、そのまま団地が池のようになり、ボウフラが湧き出して途方にくれている人もいれば、昔パターゴルフなり、釣り堀なり、ミニSLなり、遊び場を提供してくれた養魚場も何日もの間、沼と一体化し、休業を余儀なくされ、今は市の産業ゴミの投棄場となっている。
いには野と呼ばれる地域、井に波がある野原。矛盾するものが同居する湿った原っぱ、そういう土地柄なのだろう。かわりにそこで実る稲穂は豊穣であり、冬になれば憩いを求めて、人だけでなくスワンも訪れる。

11月の初めの日々は、予報とはうらはらに天も高く、ジョギングでもしなければ、人など丸々肥ゆる。そんなお日柄。つまるところ、こんなとこまで足を伸ばし、逞しい緑にふれ、そして店々の安否が気がかりで、腹も減った。食べたくなったのだ、鰻を。
鰻は川魚である。値段こそはお高く止まっているが、元々は、泥の中で育ち、腰を屈めて汗を流す人の精になる魚である。
岸辺の鰻屋さんは、座敷も厨房も無事であったようで、ラストオーダーに滑り込むように鰻と肝吸いにありつけた。鰻は無理に夏に食べることなどない。平賀源内には悪いが、なんならキャンペーンを張って鯨飲馬食され、種ごと脅かされるくらいなら、肌寒くなった身体を温めるべく、細々食べられるべきなのかもしれない。
そんな営みの前には、江戸も明治も令和もない。月日は所詮、旅人にすぎないのだ。世間がいくらDXを喧伝しようが、日常を生きる我々を悩ませるのは、お天道様と税のあれこれなのだ。
そういえば、年末調整、終わりました?
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