朝、台所の流しに置かれた一枚の白い皿には、昨夜だれかが食べた桃の匂いがまだかすかに残っていて、その匂いは窓から入ってくる風にゆっくりとほどかれながら、まるで名前を忘れた小さな鳥の羽音のように部屋の隅々へ散っていった。
私はその皿を洗おうとして蛇口に手を伸ばしたのだけれど、水が流れ出すほんの一瞬前、皿の上に残った淡い水滴のなかに空の青さが映り込んでいるのを見つけ、なぜだか遠い夏の日のことを思い出した。
思い出というものは不思議で、たいていは役に立たないものばかりなのに、忘れたころになってふいに現れ、いま目の前にある景色よりも鮮やかな顔をしてこちらを見る。
あの日も朝だった。
庭には誰もいなくて、洗濯物だけが風と会話をしており、その会話の内容を知る者はどこにもいなかったけれど、白いシャツの揺れ方だけは妙に楽しそうだった。
世界には言葉にならないことが多すぎる。
たとえば、誰かを好きだった気持ちが消えたあとに残る静けさや、長く住んだ部屋を出る朝の床の冷たさや、もう会えない人の名前を口のなかでそっと転がしたときの、あの少しだけ透明になるような感覚。
皿を洗う。
水は迷いなく流れ、桃の匂いを連れ去り、青空のかけらを砕き、そして何事もなかったように排水口へ消えていく。
けれど失われたものが本当に消えてしまうわけではなくて、たぶんそれらは私たちの見えない場所に積もり続け、雲になったり、夕暮れになったり、ときには誰かの夢のなかで静かに光ったりしているのだろう。
洗い終えた皿はただの白い皿に戻る。
それなのに私はしばらくそれを眺めてしまう。
まるでそこに、今日という一日の始まりが、小さく丸く置かれているみたいだから。
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