未練なんぞとは、無縁な人間だと思っていた。
それがこうまで――それも、最も共感し得なかった、男女関係において――苦しむことになろうとは。
そういうわけで、「思ひ出虫」という存在が、私の頭をかすめたのだったけれど、そもそもこんな虫、私の田舎には、ざらにいたのである。
そこいらを普通に歩いていたのである。それが都市に出て来て、めっきり数が少ないということについては、まあ驚きはなかったが、それよりも、都市の人間のほうがかえってこの虫を平気で用いるということに、私は驚いた。
田舎のほうが、用いる人は少なかった。不衛生だし、陰気だし、非生産的だしということで。合理的で、進歩的で、潔癖症な都会人は、もっとはなはだしく、てんから毛嫌いしていることだろうと勝手に思っていたのだけれども。
ともあれ、このたび遂に未練の苦味を知った私も、ここは都会人らしく、一丁用いるかと、脳裏によぎりはしたのだったけれど、やっぱり幼少より染みついている価値観は、そうたやすくは変わらぬのであった。
公園だとか、そこいらにチラホラある雑木林まで、わざわざ探しに行く気は毛頭なかった。
田舎のように、目の前を歩いていたら、いったんは拾うかもしれぬというくらいのことであった。
そんなある日、会社から帰って来ると、アパートの入り口のわきに植えてあるシマトネリコの幹に、立派な成虫が一匹くっついていたのである。
だいぶ久々に見た。全体的にずんぐりして、冴えない色味で、どことなくマヌケな、愛嬌のあるフォルム。
私はその場に立ち尽くして、どうしようかと迷った。子どもの頃は、片っ端から捕まえまくっていたものだが。キチン質に富んだ外骨格な甲虫で、今でも触ることに抵抗はないけれども。
しばらく、ノスタルジックな気分に浸りつつ、腕組みしてただ見つめていた。
すると、この、あまり器用なようには見えない虫が、勝手に、ぽろっと落ちたのである。一心不乱に樹液を舐めていたのだが、体勢を変えようとして、足を踏み外したというふうだった。
木の根元の土の上へ、仰向けになって、不格好にもがいていた。
よく見れば、体の色もちょっと薄いし、もう若くはなさそうだった。このもがきようも、もはや弱っているみたいだし、放っておけばちかぢか死ぬだろうと思われた。
私はまだ迷っていた。子どもの頃の私だったら、これを拾いはしない。けれども今は、目的が違う。
ぬるい夜風が吹いていた。
そこへ、同じアパートの住人が一人、帰って来た。若い女性であった。
都市の隣人は干渉しない。のみならず、挨拶もしない。それどころか、ほぼ知らない。
こっちは向こうの顔を覚えているけれど、向こうは隣人であることすら知らぬかもしれなかった。
果たして、彼女は、会釈を送った私をつんと無視して、敷地内へ入って行った。
(その際、一瞬ふり返りかけて、足取りに迷いを見せた。不審者に住居を突き止められる可能性のようなことを恐れたのかもしれぬと思うと、気の毒なことであった。)
いつまでもこのまま突っ立ってはいられない。けっきょく、私は思ひ出虫をつまみ上げ、――そうして、然るべき自然な動作として、そのまま頭に乗せた。
自宅へ入って、電気を点けた。
思ひ出虫は、頭の上で、じっとしていた。
死んだふりをしているようにも見えるが、これは習性だ。何世代にもわたって人間に使用され、生得的の本能に刻み込まれた反応だ。静かにカンネンして、運命がやって来るのを待っているのだ。
私は、軽く手洗いうがいだけ済ますと、ソファに座り、着替えも食事もそっちのけにして、思ひ出虫を使用した。
胸中にQ子のことを思った。
Q子の、表情や動作。声や匂い。ぬくもりや重み。それから二人で体験した、数々の出来事――すぐに現れるもの、じわじわと浮かび上がって来るもの、かき消すように立ちはだかって来るもの――マッタク忘れていたもの、あるいは意図的に秘められていたもの、そしてこの先も、無理に引きずり出すべきではないかもしれないもの…………。
(途中でやめてはならない。事故につながりかねないから。常識だ。わかり切ったことだ。しかしそのことをよくよく考えていたら、私はこの行為に及べたであろうか?……)
めまいや、頭痛や、息苦しさ、(トンデモナイことをしてしまった!)熱っぽさ、吐き気、寒気、耳鳴り、(一生終わらないかもしれない。あるいは途中でやめることも、致し方ないかもしれない……)胸痛、腹部不快感、めまい、頭痛、息苦しさ――……。
電子音。いわく、恐れることはない。落ち着くことだ。取り返しのつかないことにはならない。焦って何か、よからぬ選択をしてしまったら? 大丈夫。こういう時、人がやらかし得るエラーは過去に出尽くした。そしてすべてが解決済みだ。安心して手続きを踏んでゆくことだ……。
どれくらい経ったのかわからなかった。気づけば終わっていた。
思ひ出虫は、私の中のQ子を学習し終えていた。
私の頭皮にしがみついている六つの足が、根を張ったのを感じた。
何とか無事、活着に成功したのであった。
今、思ひ出虫が発するのはQ子の声、そのすがたはQ子の顔。
もはや、何があっても、そばにいてくれるQ子であった。二度と離れて行きはしないQ子であった。
もっと言えば、私の望むように、変えることだってできないわけではないQ子であった。そのように教育し、そのように躾ければ。それは、自分だけのQ子を作り出すようなことだ。そして自分だけのQ子を、所有し、愛玩し、飼育するようなことだ。
しかし、ひとたびそこまで行ってしまったら、もう二度と元には戻れない。思ひ出虫にリセットはない。
もはやQ子ではなくなったものが得られたとしたって何であろう。しかもそれによって、記憶の中の彼女も変わってしまうのなら?
本物のQ子を永遠に失うのなら?
ボンヤリした頭で、斯様に自己を戒めていて私は、知識が足りない、そう思った。がんらい興味がなかった私は、思ひ出虫(の使用法)について今、急に無知であった。
無知ばかりならまだしも、誤って信じ込んでいることもあるかもしれぬので、ここは一つ、腰を据えて勉強することにする。
幸い今、頭上のQ子は、Q子となるために要した苦労で、知恵熱とでも言うのか、くたびれ果てて眠っていることだし。
電子論文をダウンロードしては、目を通した。
目下必要な、実際的な情報を求めて。しばしば脇道へ、興味を逸らされつつ。
この虫にまつわる歴史は、たいがいイヤなものであったし、こうまで用いられるようになった経緯も、なかなか腑に落ちないものであった。けっきょく人間の弱さというものや、政治の黒さというものが漂っているばかりであった。
面白いからといって、寄り道ばかりはしていられぬ。(どうして試験期間中は、ふだん読まない小説なぞあれほど読んだものだろう。その時の心情が蘇った。)気を取り直し、実用的の知識を、集められるだけ集めた。
目が軽くかすんで来るまで、情報の真偽を、適否を、正邪を、慎重に見極める。
結果的に、元々知っていたことを、大きく更新するものはなかった。
新しく仕入れたものとしては、次のようなことであろうか。
つつがなく活着した思ひ出虫は、長命である。宿主に先立つことはほぼない。
宿主が死ねば思ひ出虫も死ぬ。……コッソリ生き永らえたものはいたろうか? その場合、もしも別の人に活着したとしたら、その宿主はもはや故人となった他者の思い出を盗み見るのであろうか。
(あるいは、おのが記憶を失して、我知らず、故人の人格を引き継ぎ、故人の人生を継続し、バトンリレー的に、たいへんな不老長寿を呈しているというような場合のありやなしや。そのあたり、本当に知りたいことは載っていなかった。まだ知られていないのか、隠されているのかは、わからないけれども。)
鏡を見ることが増えた。表を歩いていても、ショウウィンドウや、路駐のスモークガラスなど、何か映るものがあるたび、おのが頭上に目が行った。そしてそのたびにまだ、ハッとして立ち止まる自分がいた。
立ち止まって、Q子の顔した思ひ出虫に、見入ってしまう自分がいた。
その存在を近くに――頭上のかすかな重みと圧迫に――感じているだけで済まして、しみじみと満足しながら仕事をし、これまで通りの日中を送る。そうしていよいよ、家に帰り、静かにしていると、おもむろにQ子はささやく。Q子の独特の声、独特の言葉選び、独特の発音が、脳内に直接響く。
しかし返す返すも、改竄はできないのだ。するべきではなく、しないほかないのだ。
それなので、Q子は――じっさいには、やっぱり私の元を去って行った女は――ただ謝り続けるのだった。
わたしの好きな人を
あなたにできなくてごめんね
明るい言葉、楽しい言葉、嬉しくなるような言葉を、私はまだ聞かない。彼女が喃語――学習したての思ひ出虫特有の、習得した言語を機械的に練習する際の騒音――のほか喋り得なかった時期のことは別として。
静かにして欲しい時は、言葉で以て、その旨を伝える。独り言を言えばいい。するとQ子は黙る。
けれども、ただパターンを学習させられただけのロボットではない彼女であった。
命令通り、口と、心までさえ閉ざしていても、咳も出ればしゃっくりも出るのが人の魂であった。
静かにしてくれと頼んで、寝支度をし、横になって目を閉じていると、何かの拍子に、Q子の心が流れて来るのであった。
こんなに冷たい気持ちには
わたしなりたくないわ
そうしてぬるい涙が、足を伝って来て、こめかみを濡らす。
そう言わないでおくれ。私は、謝られるたびに、悲しいばかりだ。
(そのたびに、思ひ出虫は肥えてゆく。)
会社に休職届を出した。課長は反射的に眉をひそめて顔を上げたが、そのまま私の頭上に目をやると――課長の世代ならどう感じたかはわからぬけれど――このご時世、デリケートな問題であるから、わかったわかった、皆まで言うな。あとは俺に任せて、ゆっくり休め。
私は深々と頭を下げて、社を出た。
ゆるゆると町を歩けば、あちこちに、思ひ出虫を頭にくっつけた人がいるものである。前には気づかなかった。と言うよりか、視野に入っていても、気にも留めていなかった。
それが、自分もそのクチになってみると、あらためて、世間には同類が、同志が、こんなにいたのかと思われた。
ただ、自分もそのクチになってみると、ひとくくりにはできないものもあった。
みんながみんな、同じというわけではないのだった。思ひ出虫に、誰を学習させているかは、人によるけれど、そこには美醜というか、貴賤とでもいうべきものがあるのであった。
今、ざっと目に入る限りでも、母親、恩師、妻、子ども――総じて、死別した人ばかりなのだった。
思ひ出虫が学習した対象は、同志(=同病)相手には、隠しようがない。ひたいに名札を貼りつけているごとく、ぱっと見ればわかる。
そんな中、私のように、存命の、元恋人をくっつけているような輩は、嫌われるのである。人の尊厳を傷つけていると、非難もされれば、時にはリンチに遭うことさえあるのである。
せめて堂々と顔を上げて歩くばかりだ。あァ、あの人は会話にならないんだなと思わせるばかりだ。
じっさい、冷ややかなまなざしを受けないわけではなかった。しかし多くは、あえて見ないようにしている。なぜなら、誰にだって、少しは願望のあることだから。それだからこそ余計に、迫害するのでもあろうけれども。
ふと、日当たりのいいカフェテラスで、独り牛乳を飲んでいるのは、亡妻を学習させた思ひ出虫を頭に活着させた老人であった。
それが、私の見るところ、もう亡くなっていそうなのである。
すなわち、もはや頭上の思ひ出虫が、宿主を動かしている状態らしいのである。
こうまで進行した宿主も、脈はあるし(むしろペースメーカーを入れたように規則正しい)、ちゃんと食べもするし(未精製の穀類や青魚を好み、よく咀嚼するようになる)、受け答えもするし(それは矍鑠としたものだ)、社会生活にも支障はない。
けれども、彼ら彼女らは、思ひ出虫を引っこ抜けば、たちまちぼろぼろと崩れるのであった。
宿主がまだ生きているか、もう亡くなっているか、見分け方といえば、目の動きがおかしい、食べているものを味わっていない、というような特徴が挙げられるけれど、最も顕著なのが、日向ぼっこを好むということだ。
思ひ出虫に乗っ取られた人は、異常なほど、太陽の光を浴びるようになるということだ。
だから日向にいる同志――それもよく日焼けした、ちょいとし過ぎているような同志――を注意深く見れば、けっこう見つかるのである。
とは言え、それで即座に通報するわけでもなければ、まして思ひ出虫を引っこ抜くというような乱暴なことは、誰もしない。
今のところはまだ、そうなっていても、「存命中」とみなされているので。
むろん、懐疑的・批判的な意見は多い。けれども頑なに守られているのは、どこかのお偉方が、明日は我が身と感じている由であろうか。
わたしの好きな人を
あなたにできなくてごめんね
あまり悲しんでばかりいても、何のためにこんなことをしているのかわからないし、ただぶくぶくと肥えさせてばかりいるのも、思ひ出虫にも悪い。
じっさい、私と同じようなケースの、イジケタ宿主でも、もっと図太く、割り切っている人に活着している個体は、もっと引き締まっていて色つやもいいのである。
(――……いわんや、記憶を歪曲し、学習させた人物を自分好みに教育し直して、独善の魔境に耽り倒している宿主のものにおいてをや。けれどもそれは、踏み込まぬが無難の境地。『断虫会』なる自助グループがあり、ちょっと調べてみれば、名ばかりの、ただの気休めであった。世間にはかなり重篤な事例が、ごろごろあるようである。)
中央官庁の統計では、死ぬまで活着させているような人は、かなり少数派だということになっている。みんなどこかで思い切る。年齢による有意な差は認められず、平均して二、三ヶ月というのだから短さに驚く。
最後は、自ら思ひ出虫を引っこ抜き、肥大し過ぎて野生に返れなくなった愛虫を、静かにお看取りするのが現状、推奨される終わりのかたちだ。
その際は、やはり少なからぬ心理的苦痛を伴うようだ。想像に難くない。みるみる衰弱し、遂に動かなくなるまで寄り添うというのは。
二度目の別れというのは。
しかしそれに耐えるのが、この虫に手を出した者の責任というものであろう。
(じっさいには、代行サービスが数社あることで、推して知るべしだけれども。)
引っこ抜かれた思ひ出虫は、悟り澄ましてカンネンしているというが、もしも涙を流しながらこちらへ手を差し出し、空腹や恐怖や不安を訴えて来たら、私は見殺しにし切ることができるであろうか?……
いつかはやらねばならぬことだ。仕事も、いつまでも休めるわけではないのだから。
――いつかは。
今でも、頭を洗うたび、髪を乾かすたび、日常的に短時間なら外す。そのたびに、いつかは、と思わないではいられない。
しかし、まだ今ではないのだ。やがて来る別れの日まで、せめて清々しく過ごそうと、私は心に決めた。
そう決めてからは、前よりも純粋に、Q子のことが愛おしく思われ、毎日が大切に感ぜられた。
ウジウジしていたらもったいないばかりだ。そういうわけで、かつて二人で行った、楽しい思い出のある場所をめぐった。
何だかよそよそしくなっていたり、一度目の輝きを失っていたりした。そうかと思えば、どっと蘇って来るものに溺れそうになったり、泥土のひび割れから芽吹き直すものに囲まれたりした。
そして今、ある湖を眺めて立っている。
すると、水のおもてを渡って来た涼しい風に吹かれつつ、耳より内側でささやかれるQ子の言葉を聞いていた私に、遂に我が思ひ出虫から、Q子の匂いがしたのである。
匂いにまで達し得る人は稀だと書いてあった。
(――それは、思ひ出虫の毒が深部に達した証拠であり、症状の一環として、記憶が書き換えられ、そう思い込まされている幻臭だとか何とか、戯れ言も見受けられた気もするが。何せ情報社会では、デマもそれっぽくなってゆくものである。こういうものを書き込む人は、何が楽しいのか。それらしい嘘をこしらえるという、あるいはそれも立派に人生の目的か。だって、世界を丸々、書き換えられるわけであるから。)
――それとも、そんな戯れ言はなかったかもしれぬ。そういう文章を読んだというのが、そもそも思ひ出虫の毒による錯覚なのかもしれぬ。
そうだったら、Q子の匂いのほうは守られたわけになるであろうか?
ありがたきかな。
ぜんぶ美しかったわ
二度と失いやしないわ
Q子の匂いや体温や肌触りに包まれて、家の中で寝ているだけで幸せだった。
完全無欠なるQ子は、もはや私の元を去る女という、固定された存在でもなくなり、だんだんと悲しいことも言わなくなった。
かと言って、あからさまな愛情を示し直すというのでもない。それだと嘘になる。私たちは、ただ、一緒にいるのであった。
お互いに、あるいは辛抱して、あるいは失望しながら。
あるいは断念して、すべてを許し合いながら。
べつに別れてもいいのだが、結果的に、一緒にいるというだけのことであった。
夫婦とは、そういうものなのではないだろうか。
むろん時には、一人の時間も欲しくなる。Q子のことを、完全に忘れていられる時間が。Q子の影響をマッタク受けていない、純粋な自己と向き合う時間が。
向こうにもそういう気分の時がある。そういうところは、お互い、手に取るようにわかる。
そうすると、私たちは散歩に出かける。表を歩いているあいだは、お互いに、相手を忘れたような顔をしていた。演技と言えば演技だが、どちらも決して指摘はしない、必要欠くべからざる猿芝居であった。
ある日、猿芝居の散歩の道すがら、ふと、前から歩いて来る一人の女性の頭にも、それなりに古株めいた思ひ出虫がくっついていたのだが、その中身がまた、彼女の、元恋人なのだった。それもまた、去られてしまった恋人、今なお存命の恋人なのだった。
そして彼女も、元恋人を、その記憶を、自分勝手に変えはしなかったようだ。大事に大事に、慎重に慎重に、相手の人格を守っていたようだ。
(タマムシのような鞘ばねの色彩。鷲掴みする六本の足の力強さ。)
それは最も繊細で、優しい選択――優柔不断で、未練がましくて、卑劣で、狡猾で、最も忌まわしい選択――早い話が、私には激しい同族嫌悪の対象であった。
むろん、向こうが私を見る目にも、不快な色が読み取れた。
我々はお互いに、嫌悪感をあらわにしたまま、いよいよすれ違わんとした。
するとその時、思いがけず、お互いの虫たちが反応したのである。
(世の中の、思ひ出虫への根深い拒否反応の中には、虫への同情というものもあるのである。一匹の虫の一生を奪う、人間のエゴへの非難が。)
この時、虫たちは一瞬、自分たちの人生、自分たちの青春、自分たちの恋愛に戻ったのであった。
結果、何が起きたかというと、私は彼女に、激しい魅力を感じた。向こうも明らかにそう感じたのを、隠そうともしなかった。私たちは打って変わって、お互いを熱いまなざしで見つめ合い、遂に立ち止まりそうであった。
次の瞬間、私たちは、ギリギリまで素知らぬふりしていた二人の武士のように、マッタク同時に跳び離れたのである。
そうしてお互い、全速力で逃げ帰ったのであった。
わたしの好きな人を
二度と失いやしないわ
熱が出た。ある程度上がり切るまで待って、薬を飲み、けっきょく一日中寝ていた。
いったん下がった熱はふたたび上がり、一晩中、悶え苦しむ。ハタから見れば、虫けらのように丸まっているばかりのことだったであろうが、私としては、とりわけ全身突き刺されているかのような痛みに、七転八倒の苦しみであった。
まあ同時に、熱のためにボンヤリしてもいたのであって、そのおかげで耐えられたようなことでもあった。
そんな中、どういうわけか、頭が異様に冴える瞬間がある。そんな折のこと、ふと思った。私が思ひ出虫に無許可で学習させて、斯様に同居しているという事実が、Q子本人に知られたらどうなるであろう。
あんがい、もう知っているのではなかろうか。誰か共通の知り合いに、とっくに目撃されていて?
しからば、いつ訴えられるかわからぬわけだ。そうなったら、争う気はない。こちらが悪い。支払うものはいくらになるであろう? そして最終的には、我がQ子は、引っこ抜かれるのだろう。
もはや当人よりも、たしかなQ子であるのに。
もはや時の摩擦も受けず、ザンコクな劣化も、無慈悲な成長もしないQ子であるのに。
あたかも死者のごとき――あの頃のまま亡くなっていた場合の死者のごとき――完全無欠のQ子であるのに。
それを失うことは、想像するだけでも耐え難く、おのが心を守るかのように、意識はふたたび濁りゆく。
熱は41℃に達した。あちこち痛いのが、すっと引いてラクになり、どこか気持ちよくさえなって、計ってみれば41℃だった。
――……嗚呼、どう考えても私が悪い! 悪いのは世間に私ばかりだ!
だってこんなことは異常じゃないか。天に対して恥をかき、先祖代々に罪を犯した私だ、それがおめおめと、馬鹿みたいに表なんぞ出歩くのではなかった。私のようなケースの宿主は、もっと家の中に閉じこもり、独り静かに過ごしているべきであったのだ。
世の中には、人に知られぬ同類が、予想以上にいるのかもしれぬ。しかしみんな自分の分際をわきまえて、天下の往来を歩きなんぞしないのだろう。
この虫はほんらい、亡くなった相手を偲ぶのだから。そのためにこそ、改良を重ねられ、人類の麻酔薬として在り続けて来たのだから。
私のような使用法は、もっと、禁じられるべきなのだ。もっともっと、忌避されるべきなのだ。
もしかこれで、Q子が事故に遭ったり、急な病に倒れたりなどしたら、私のせいだ。亡き人を偲ぶための虫を用いた私から発せられた呪いだ。
そもそも思ひ出虫とは、浅からぬ祟りを持った、忌まわしき負の遺産なのだ。それがこうも公然と用いられている狂気の時代があったとは、未来の理性的な、善良なる人々には、にわかに信じ難いことであるに違いないのだ。
人類史の汚点だ! 歴史から切除・抹消せらるべき悪性腫瘍だ!
今でも国によっては、情報を引き出すためや、威厳を剥奪するためや、精神的拷問のためや、真実の改竄のために用いられる毒虫なのだ…………!
興奮が冷めると、一転しておだやかな心持ちになり、頭の中が溶けてゆくような快感の中、私はとろとろとまどろんだ。
そうして迎えた朝。
地獄の苦しみがすうっと引いて、玄関扉がノックされて、とうとう本物のQ子が帰って来たのであった。
「どうして――」
と私は、弱々しい痰がらみの声で尋ねた。するとQ子はほほ笑みを浮かべ、唇に人さし指を当てて、
「いいから、寝てなさい。わたし、看病しに来たのよ」
(――嗚呼、Q子は、まるであの頃と変わっていなかった。そればかりか、私の記憶の中にいた彼女よりも、遥かに美しく、かぐわしく、慈しみ深いのであった……。)
それから私たちは、昔のように、一緒に暮らし始めた。
気づけば頭の上に思ひ出虫はいなかった。あるいは風邪がうつって、死んでしまったのかもしれない。
あるいはおのが死期を察して、おのが死骸を宿主の目から隠したのかもしれない。自分が不必要になったことを、あるいは祝福してくれつつ――。
ともあれ私は幸福だった。謎の熱も治り、心も体も元気イッパイだった。かえって熱を出す前よりも丈夫になったかのようだった。
もう、丈夫過ぎて、何だかむしょうに、外へ出たかった。とにかく太陽に当たりたくて仕様がなかった。
私はしょっちゅうQ子を散歩に誘った。Q子はいつもにこやかに応じた。
私たちは手をつないで、太陽の下を歩き回った。
マッタク、何もかもが美しかった。
"思ひ出虫"へのコメント 0件