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3:運命のファムファタル

雨が降ってる。(第3話)

灰庭

秘密のアイテム・ローションとお茶目な井野育子。

タグ: #SF #エロ #グロテスク #実験的 #純文学

小説

6,897文字

 本屋の軒下で真弓が僕を待っていてくれた。真弓は駆けて来て僕の手を握った。
「よかった、悠人……よかった」
 と言って泣いてくれた。
「うん。真弓も…………」
 胸がジーンとなった。涙が出そうになったけど耐えた。真弓は僕の腕を掴んで本屋の中へと導いた。
 
「おう、すまんかったな」
 皆のいる居間に通されると、僕にラリアットを喰らわせた太った男性は僕の顔を見てぶすっと謝った。この店の店主らしい。
「よく見たら、こっちの男は見たことあったんでな。市長の息子さんだろう? 今、兄貴の方は自警団のリーダーやってるだろう」
 そう言って高橋を指差した。
 高橋は僕に微笑んで、「助けてくれてありがとうな」と言った。僕は「そんなこと……」と口ごもった。高橋の右足のふくらはぎには赤く染まった包帯が巻かれている。痛々しかった。
「あの暴漢達はどっかに行った。ここにはさすがに乗り込んで来なかったよ」と真弓。
 店主のおじさんが鍵を閉めカーテンを閉めて覗いていたら、僕を追っていた奴が帰ってきて仲間を立たし、どこかに行ったのだそうだ。だけどその途中、一度本屋を見て立ち止まったらしい。その顔はもちろんヘルメットで見えなかったが多分強烈な目をしていたんじゃないか、と店主は言った。
「俺、昔柔道部主将だったから、入って来られてもよかったけどな」店主はぶすっと言った。
 
 はっ、柔道部? 
 勝てませんよ、なにせ相手はフルフェイスにバットですから。
 
 心の中で唾棄する。僕はラリアットを根に持っているのだった。
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけして」
 でもとりあえず僕は深々と頭を下げた。真弓も頭を下げた。高橋も、奥に座っていた谷君も下げた。
「ああ……」店主は無表情でそれだけ言った。
 高橋が市長の息子で兄が自警団のリーダーをしていなければ、僕らを叩きだしていたかもしれない。
「でも、高橋。無茶が過ぎるよ」と僕。
「谷君が暴行されてるのを見過ごす訳にはいかなかった」と高橋。
「本当にありがとうね、高橋君っ!」谷君が泣きそうな顔で高橋にお礼を言った。
「もうわかったから、いいよ」と苦笑いの高橋。
「でも、私なんて、何にもできなくて……。逃げ出しちゃって……。さっきの今だったのに……。次は、助けるんだって、思ってたのに……」と真弓。
「木下さんは十分勇敢だよ。俺を助けようとしてくれたじゃない。そんなの普通できないよ」と高橋。
「高橋君…………」真弓は高橋の顔を見て泣きそうになっている。
「私、もう逃げない。悪は許さない」力強く言った。
「うん、俺もそう。一緒にがんばろう」高橋は真弓に微笑みかけた。真弓もその微笑みに笑顔で答えた。
 そんな彼らを尻目に僕は谷君に聞いてみた。
「でも、なんで谷君は彼らに暴行を?」
「え? あ、いや、その…………」
 谷君は明らかに口ごもった。目が泳いでいる。どうしたんだろう?
「あ、そういえばそうだよ。どうして、谷君?」真弓も聞いた。
「あの、その、えーと、」
 谷君は眼鏡をくいっと持ち上げた。目が宙を泳いでいる。そして言葉を紡いだ。
「彼ら、『人間の腕』を持っていたでしょ? それを見て悲鳴を上げたら、面白半分に追いかけてきて」
「多分、強姦の後で昂揚していたんだろうね……クソっ」と高橋。
「多分、人殺しもだよ…………」と真弓。
 店主は無表情
「うん……。でも、本当に助けてくれてありがとう、みんな……」
 谷君は頭を下げた。
「だからもういいって」と苦笑いの高橋。
 真弓も苦笑い。
 谷君もそんな二人を見て苦笑い。
 店主は無表情。
 僕はといえば、谷君の左ポケットに釘付けになっていた。何か、化粧水のボトルのような物が頭を覗かせている。でも化粧品? そんなバカな。それではたと思い当たった。暴徒が欲しがるような物…………。
 
 ……もしかして、あのボトルは、ローションなんじゃないだろうか?
 
 今、この街では何か欲しい物がある場合、物々交換が主だ。もはやお金は役に立たない。生活品や食料は大抵自警団が管理しているけど、その他の物はマーケットで売られたり個人で物々交換したりして手に入れる。主要なスーパーマーケットは自警団が管理して、その中で各人にしかるべき物をしかるべき量配給する。でも、元々家庭で持っていたりした物までは管理外だ。その為、みんな空き家に侵入して欲しい物を持って行ったりした。それを持ち寄って物々交換するのだ。
 今、この街で貴重品になっている物は、「煙草」「酒」「下着」「レインコート」「長靴」その他色々あるけれど、一部の間で特に貴重なのが「ローション」だ。ローションとは、あの大人の玩具のローションだ。
 街で拾った人形をダッチワイフにしている人達は、挿入する際に苦労する。何せ、心臓も動いていない(おそらく)人形はいくら刺激しても精液を分泌しないのだ。自分の唾を溜めて塗りこんで挿入したり、納豆やプリン等を使って挿入する人もいるらしいが、やはり心地はあまりよくないようだ。そこで、皆が欲しがる物が大人の玩具「ローション」なのである。ローションがあればこの街ではなんでも手に入る。煙草なら十箱。酒なら酔い潰れる程。気に入った人形がいればそのローションを元手に交換して貰う事もできる。今、この街で天下無敵のアイテム、それが「ローション」なのだった。
 
「そろそろ行こうか。みんな、一度自警団本部の市立病院に行こう。怪我してるんだから」
 高橋が立ち上がった。僕は立ち上がり足を怪我している高橋に肩を貸した。
「ありがとう」と高橋。
「私が代わるよ。悠人も怪我してるでしょ」真弓が僕に言った。
 僕は「大丈夫だよ」と言おうとしたけど、真弓が素早くスッと間に入って肩を貸し、代わりに高橋を支えてしまった。
「ありがとう木下さん」はにかむ高橋。
「ううん」真弓もはにかんだ。
「兄ちゃんによろしく頼むな」店主がぶすっと言った。
「はい。ありがとうございました」と高橋は言った。
 
 僕達は雨具を身につけ、市立病院へと向かった。
 その途中も僕の視線は谷君の左ポケットの膨らみに釘付けだった。ローションか、聞いてみようか?
 何度かそう思い声を掛けようとしたが、結局やめた。もし本当にローションだった場合、僕らが身を挺して(まさに)守った谷君が、ローションを持っていたから狙われていたんだとわかった場合、僕らのこの妙な清々しい高揚感は霧散するだろう。
 はっきり言って僕らは今、気分が良い。少なくとも肩を組んでいる二人は良い事をしたと思っているだろう。朗らかな笑顔。その空気が一瞬で壊れる。そして僕がその事を発覚させた場合、二人は思うのだ。「余計な事をしやがって」、と。
 要するに、例によって空気を読んだ場合、ここは聞くべき所じゃないのだ。例え二人に気づかれず、そっと谷君に聞いたとしても、気の小さい谷君は動揺する。そして二人に気づかれるかもしれない。
やっぱりあらゆる意味で空気を読んで、聞くべきじゃないのだ。
 聞きたい、でも聞いてはいけない。僕は胸がムカムカしてきた。
 
 病室の一室で手当をしてもらっていると、高橋のお兄さんの竜太さんがやってきた。
「健二、大丈夫か」
 竜太さんは高橋の足の怪我を心配していた。なにせ今は大がかりな治療なんてできない。軽く応急処置くらいしかできないのだ。
「大丈夫だよ、兄貴、心配すんな」
 竜太さんはホッとしたようだった。高橋の刺し傷は思ったより深くなく、大事には至っていないみたいで、僕らもホッとしていたところだった。
「ちくしょう、警邏を増員させるか」
 竜太さんはそれでも憤懣やるかたない様子で、鋭く床を睨んだ。
「あの、すみません」真弓が竜太さんに話しかけた。
「ん? 君は健二の友達?」
「はい、木下といいます」
「木下さんはとても勇気があるんだよ、俺がやられた時、助けに来てくれたんだ」と、高橋が竜太さんに言う。
「へぇー、それはすごいな。ありがとう木下さん」
「いえ。……それで、あのう、その暴漢達なんですが、あの、人の腕を持っていたんです。たぶん私達が見た女の人のものだと思うんですけど、あ、私と悠人がその暴漢達が女の人を襲ってるのを見たんですけど、その女の人たちを見つけてあげなきゃと思うんですが……」
「腕……本当か、悠人」竜太さんは僕に話を振ってきた。
 
 僕と竜太さんは旧知の仲だから。昔、少年野球で同じチームだったのだ。高橋とは竜太さんとの事があったから高校で仲良くなれたのだ。
「あ、ほんとだよ。うん、真弓の言う通り、今考えるとあの女性の腕だと思う」
「そうか……。ならすぐに探させてみるよ」
「うん」と僕。
「ありがとうございます」と真弓。
 
 その後、三人は腰を据えてさっきの話を始めた。
 真弓が身振り手振り説明している。
 自警団のリーダーに話しておかないと、という事なのだろうけど、でも、それにしてはあまりに空気が穏やかだ。あれほど怖がっていた暴漢達とのやりあいも、真弓は高橋の活躍を体全体で表現して伝え、それを見て竜太さんも微笑んでいる。もちろん高橋も。真弓には、人と打ち解ける天性の気質があるのだった。
 そして話は僕が谷君を連れて本屋に駆け込んだ場面になり、僕がどうやら店主にラリアットを喰らわせられたようだと説明された。三人は大爆笑。竜太さんが「お前は昔から運のない奴だったもんなぁ」と肩を叩いてくる。「たしかに運悪いかもなぁ」「ほんとですよねぇ」三人は僕の顔を見て笑う。僕は次第に腹が立ってきて、あからさまにふてくされた顔をして部屋を抜け出した。
 閉めたドアの向こうから「あいつは野球でもどうのこうの」という竜太さんの声が聞こえた。けっ。
 人の欠陥を笑うなんて、なんて奴らだ。ぬけた奴だなぁとかならまだしも、運のない奴だなんて、根本的にどうしようもないじゃないか! まったく!
 
 僕はドタドタと音を立てながら廊下を歩く。春美を探しに、人形が集められてる西高体育館にでも行ってみようかな。
 と思っていると、廊下にへたり込んでいる谷君を見つけた。
「谷君」
「あっ」
 谷君は僕の顔を見て少し戸惑ったようだったが、すぐに苦笑して立ち上がった。
「ありがとう、ほんとに広木君」
「いいっていいって」
 僕の視線は彼の左ポケットに集中。疑惑のボトル。ローションか否か。
「どうしたの?」と訝しげに谷君。
「うん、それってローションじゃない?」と僕。
 あ、言っちゃっちゃ。
「え…………………………」谷君の顔の血の気が引いていくのがはっきりわかる。ビンゴ。まったく、気が小さいなぁ谷君は。
「やっぱりローションかぁ。それを暴漢達は狙ってたんだね? 今、ローションがあれば闇市でなんでも買えちゃうもんね」
「……………………………」
 谷君は無言で僕を睨み付けてきた。おおう。
「でもこれは盗品なんかじゃないよ! これは僕が元々持ってたもので…………」と谷君。
 でもほんとのところはどうだかわからない。
「だけどさ、やっぱり今のご時世ローションを持ってるっていうのはちょっと気まずい事ではあるよね。特にここ自警団本部ではさ。ローションを元手に人形の人身売買なんてのもあるみたいだし、目の敵にされてるよ、ローションは。谷君を襲った奴らみたいにローション欲しさで秩序を守らない奴も出てくるし、竜太さんなんて、もうローションを隠し持ってる奴がいたらそいつは仲間じゃないとすら言ってたよ。配給もやらないって」
「え……」
 谷君は視線をうろうろ彷徨わせ始めた。
「こ、困るよ。配給を止められちゃったら僕生きていけないよ。ねえ広木君、い、言わないでよ」
「うーん」
 僕は考えるふりをした。ていうか嘘なんだけどね。僕のささやかないたずら。だいじょぶだよ谷君。言うつもりなんて、これっぽっちもないんだ。安心してよ。実は、君をからかうのが面白いだけなんだよ。
「これ、これわけてあげるからさっ」
 谷君は左ポケットをポンポンと叩いた。
「え?」
「ちょっとこっち来て」と谷君。
 
 手を引かれて人気のない階段下の隅に連れて行かれ、そこで谷君は小瓶を取り出しそれにローションを分け始めた。トロトロの液体に満たされる小瓶。それを僕の胸に押し付けてきた。僕がそれを手に取ると彼はホッとしたように僕の肩をポンッと叩いてニコッとスマイル。ぼくら秘密の共有だねって感じで。そしてすぐに薄笑いを浮かべたまま走り去って行った。そして今、僕の手にはローションが握られている。
 ………………さて、西高体育館に行かなくっちゃ。
 
 西高は病院の目と鼻の先にある。人形収容先が西高になったのは自警団本部の側だったからというのが大きい。自警団が病院を家城にするのは適当だし。
 僕は西高の門をくぐる。そして二年間通い慣れた校舎を見上げる。灰色の空。その下に佇む校舎。見慣れているはずなのに今では気味が悪く見える。それもそのはず、今、僕らが勉学に勤しんだあの教室の多くは物言わぬ抜け殻達に占拠されているのだ。今、彼らは床の上に寝かされているわけだけれども、椅子に座らせ机を前に並べてみたらシュルレアリスムかもしれない。超現実。少なくとも芸術性は凄いと思われる。まさに生ける人形だものね。ベルメールも真っ青だぜ。
 どうでもいい事を考えながら体育館へと向かう。
 
「あ、ちょっと探してる人がいまして」
「わかった」
 
 体育館の警備の人にことわり中に入る。戸を開けると光が差し込み闇を切り裂く。そして中の光景を照らし出す。うら若き乙女達が見事な秩序だった列になって仰向けに並べられている。僕は戸を閉める。辺りは薄暗い闇に覆われぼんやりとしか見えなくなる。今、僕は、何百、もしかしたら何千という女の子達と一緒にいる。雨粒が木々を叩く音が聞こえる。僕はそっと耳を澄ます。ぴちょん、ぴちょん。雨だれの音。ああ、心地いい。
 僕はちょっと目を凝らして女の子達を眺める。クラスメートの坂口さんがいた。坂口さんは料理研究部に所属しているおしとやかでやさしくて男子の間でも密かに人気のあるとってもいい娘だ。僕は歩いていき、坂口さんにそっと寄り添うように寝転がる。そのすべすべの頬にキスをして、そのまま体をぎゅううっと抱き締める。胸に顔をうずめる。暗闇の中、雨音が聞こえる。この静寂の中に。この神聖なる体育館の中に。
 
 ぬくもり。おんなのひとのぬくもり。むねにかおをうずめるぼく。やすらかにねむるおかあさんとぼく。とくん、とくん。ぼくのしんぞうはみゃくうってるよ。でも、おかあさんは? おかあさんはみゃくうってないのかな? ねえおかあさん、おっぱいさわってもいい? だめ? でももうさわっちゃってるよ? それにおかおもうずめちゃってるよ? とってもきもちいいんだぁ。ねえおかあさん、ぼくなんだかねむくなってきちゃった。ん、じゃあねなさいって? うん、ぼくいいこだからもうねるね。おやすみ、おかあさん。ぼくがねるまでそばにいてね? だきしめててね。はなしちゃやだよ。うんおやすみおかあさん。まむ。ぐうぐう。
 
 僕は女の子達の間を縫って一人一人顔を見ていく。春美、春美。春美はいないか。
 
 大方見て回ったけど、やっぱり春美はいなかった。がっかりして壇上に腰掛ける。と、忘れていた腰の痛みがやってきた。ちょっと、かなり痛い。あと三列か。早く終わらせよう。
 重い腰を上げて捜索を再開。一人一人顔を覗き込んでいく。春美、春美。
 …………でも、いるわけないよなぁ。どっかの男のダッチワイフになっちゃってるよなぁ。
 
 春美が見知らぬ男に抱かれている姿を想像する。見知らぬ男、金髪ロン毛の腕にタトゥーを彫ったチャラ男。その男が春美を愛撫していく。その頬、首、肩、胸、お腹、太もも、すね、つま先、そして上に戻って陰部。男は顔をうずめてベロベロ舐める。その狭く深い溝に舌を進入させ蠢かせる。ある程度唾でほぐすと今度はローションを取り出して塗りたくる。僕の春美は清らかな裸体を露わにしたまま何も言う事もできずに天井を見つめている。そして男はズボンを降ろし――――。
 
「うわぁああああああああああああっ!」
 
 僕は大声を発して坂口さんの元へ走った! そして唇を全力で押し付けてからその体をぎゅううぅと抱き締めて胸に顔をうずめた!泣いた、泣いた! 顔をうずめて泣いた! 坂口さんのおっぱいが僕の涙で濡れていく! ぬくい! ぷにぷにだ! えろい! えろいよまむ! ああ、ああ、おかあさんっ! おかあさんっ!
 
 …………十五分ほどしてから再び捜索を開始する。目がしょぼしょぼする。早く家に帰ろう。
 一人一人見ていく。僕はもう結構おざなりになっていた。腰も痛いし目もしょぼしょぼだしおなかもへった。お腹が減った。
 春美やーい。
 
 はるみはるみはるみはるみはるみはるみはるみはるはるわっ!!
 
 びくぅ、
 として声も出せずに僕はどすんと尻餅をついてしまった。突然目の前の人形が起き上がって声を発したのだ。
「………………へっ?」
 僕は間抜けな声を出してしまった。
 そして未だ現状を把握できていない僕を見下ろして彼女は言った。
「ふふ、あなたおもしろいのね、あはぁ!」
 彼女はお腹を抱えてけらけら笑い続けた。体育館に彼女の笑い声がこだまする。僕はそれをぽかんと口を半開きにしたまま見上げていた。
 
 それが、井野育子との、出会いだった――――。 

© 2026 灰庭 ( 2026年6月7日公開

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