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1.狂った街と不思議な体温

雨が降ってる。(第1話)

合評会2026年7月応募作品

灰庭

今日も雨だ。街はダッチワイフで溢れている。

タグ: #SF #エロ #グロテスク #実験的 #純文学 #合評会2026年7月

小説

6,836文字

 
 雨だれの音がする。
 心地よい音色だ。
 いくら聞いても飽きが来ない。
 安らぐ。
 この音色で覚醒したとなれば、目覚めは最高だ。
 霞かかった意識の中、上半身を起こした。
 『ぎしぃっ』とベットがかしぐ。
 ああ、この感触も堪らない。
 未だ夢うつつのまなこで外を見てみる。
 二階の窓から覗いた街は、灰色の雲を携えていた。
 
 うん、今日も雨だ。
 
 
プロローグ
 
 十分はそのまま夢心地でいただろうか。伸びをして立ち上がり、まずは同室の友人達に朝の挨拶をする。
「おはよう」
「……………………」
 床に仰向けで倒れている(寝ているのかも?)友人達はいつものように何も返してはくれない。そもそも僕の声が届いているのかも怪しいところだ。その姿はさながら死体で、ぴくりとも動かない。
 一人の女の子の顔を覗き込む。名は酒井紀子さんという。ミス西校準グランプリにもなった事のある美人で、ソフト部に所属するショートカットの快活な子だ。
 その隣に目を向ける。酒井さんと同じように四人の女の子が仰向けになってじっと天井を見つめている。中学生の子、小学生の子、もう一人高校生の子、それからおそらく二十歳前後とおぼしき女性。この中で友人と呼べるのは酒井さんだけで、もう一人の女子高生とは顔見知りだけど友人と呼べる間柄ではなかった。
「……………………」
 一人ずつじっと瞳を覗きこんでいく。瞳孔は動かないか、まぶたは震えないか。
「………………ん」
 やっぱり今日も変化なし。いつも通りだ。
 僕は五人の胸を一しきり揉んでから服を着替えて階下に降りた。
 
 朝食に配給された食パンを囓る。二枚。ジャムやマーガリンは無い。それらを貰う代わりにもう一枚貰ったのだ。基本的に腹が膨れれば良いという人間なのでこちらの方が良かった。
 無味乾燥(文字通り)の朝食を済ませてトイレに入る。そして大をする。拭いた後、水で流す事ができないのでビニール袋でつまんでそのままひっくり返して縛る。水は茶色。きちゃない。それを持って玄関へ。レインコートを着て、ビニール手袋を着け、長靴を履き、傘を差して外へ出る。一応、鍵は閉めた。ビニール袋を庭に埋めて歩き出す。
 
 今日も、春美を探しに行くのだ。
 
 降りしきる雨の中、僕はレインコートの上に傘を差して歩いて行く。時刻は午前八時過ぎ。本来なら通勤や通学で人通りも多いはずだけれど、それも今は昔。現在ではほんの数人歩いているのを見かけるのみ。もしくはアスファルトの上に倒れている人がちらほら見受けられるだけか。この人達も酒井さんと同じようにぴくりとも動かない。女性は少なく、男性が多い。老人や子供もいる。袴やら浴衣を着た人もいる。雨が降り出したのがお祭りクライマックスの花火打ち上げの時だったからだ。僕はその人達を横目に見ながら水溜まりを跳ね上げて歩く。
「………………」
 
 突然に、奇妙な感覚に襲われた。
 僕もこの傘を捨て、レインコートを脱げば、彼らと同じようになるのかな? 
 まるで人形のようなその姿、それは一体どんな感じでどんな気持ちなんだろう?
 瞬間的な衝動。
 
 僕はビニール手袋を外してそっと傘から手を出してみた。すぐには人形化するわけではないのだ。それは知っている。だから、少しなら大丈夫。
「…………………………」
 三秒経過。
「…………………………」
 六秒経過。
「……………………うっ」
 十秒。視界が黒に覆われて来た。息が荒く、体に力も入らなくなってきた。貧血の時みたいだ。
 二十秒。血の気がサーッと引いていく感覚。立っていられなくなり座り込む。視界も霞かかり、黒一色だ。僕は急いで手を引っ込め傘を手に体育座りになった。グワングワンしている。呼吸が荒い。吐き気がする。吐き気がする。吐き気がする!
「こ、かっ、ははっはっはっはっはっ!」
 息をなんとか、息を、整えつつそのままじっと回復に努める。
 ――――ようやく動けるようになったのはそれから三十分後だった。
 
 …………何をやっているんだ、僕は。
 
 フラフラと歩きながら思う。あのままブラックアウトしていたら僕も今頃は道の上に転がる人形になっていたのだろうか。
転がった体。焦点の合っていない瞳で灰色の雲を突き刺すように見つめ続ける僕。
「ううっ」
 その光景を思い浮かべてぶるっとした。彼らが生きているのか死んでいるのかという問題はともかく、やはりああなってしまうのはぞっとする。衝動的な破滅願望で身を滅ぼすなんて幼稚すぎる。以後、心持ちを気をつけよう。こんな世界だし、もしかしたら僕も精神的に不安定になっているのかもしれない。
 
「おはよう悠人!」
 と、突然声をかけられた。
 振り返ると真弓が傘を差して微笑んでいた。真っ赤な傘だ。このどす暗い街の中で、まるで一輪の花が咲いているようだ。傘から雨粒がしたたり落ち、まゆみのセミロングの髪が雨でうっすらと湿っている。
「おはよう真弓」
「今日も春美探しに行くの?」
「そう。真弓も早紀ちゃん探しに?」
「うん」
「そっか。かわいい妹だもんね。見つかるといいけど」
「ねえ一緒に行こうよ。二人で探そう?」
「えー、うーん」
「いいじゃない。そっちの方がいそうなポイントとか教え合えるし、ね?」
「…………わかったよ」
「やった!」
 
 やれやれ。
 いつもは真弓の一緒に探そうという提案を断っていた。真弓はその理由を僕が恋人探しに必死になっている姿を見られるのが恥ずかしいからだと思っているみたいだけど、本当はその逆。実のところ、僕はあまり根を詰めて探しているとはいえなかった。真弓と一緒だと、それこそ足が棒になるまで歩いて探す事になるだろう。それが億劫だというのが本当の理由だった。必死に探していない姿を見られるのは、それはそれで気まずくもあるし。
「じゃあ行こうよ」
 真弓は真っ赤な傘を揺らして歩き出した。僕も真弓の後に続いて歩き出す。
 と、まだ体の感覚が完全に戻っておらずふらっとしてしまった。真弓がそれに気が付いた。
「どうしたの? 体調悪いの?」
「いや、ちょっと立ちくらみ」
「大丈夫? 配給はちゃんと貰ってるんでしょ?」
 僕は頷いた。
「……でも、そうよね。あんな少しの配給で栄養を補えって言ってもそれは無理な話だよね。ほら、肩貸そうか? 屋根のある所で少し休もう?」
 真弓は隣に来て僕の肩に手をかけた。僕はそれをそっと遮り「大丈夫だから」と微笑んだ。
「それにしても」と僕。
「え?」
「真弓は傘だけなんだね。雨に濡れる事が怖くないの?」
 真弓は恥ずかしそうに苦笑して言った。
「私、前に派手に転んだ事があってね。その時、傘も遠くに飛んでっちゃって少し雨に打たれた事があるの。でも、少し当たったくらいじゃ、なんて事なかった。気を失いそうになったら危ないけどね。悠人も傘かレインコートどっちかやめたら? 動きづらいでしょ? 少しなら濡れたって大丈夫なんだから」
 真弓の濡れた髪から滴がポトリと垂れた。
 僕はそれを見て、
「そうだね」
 と言った。
 
 いつもの道を真弓と歩いていく。
 春美を探す時のいつものルートだ。真弓も今日は僕のルートで探してみると言っている。
 春美の行きそうな場所を一通り回ってから、思い付いた所に足を向けてみるというのが僕の探し方だった。けど、本当なら心当たりが全滅したなら一軒一軒回っていくべきなのだ。そうしようと考えた事もあった。けど、それはあまり現実的では無い。狭い街だけれど全宅を回るなんて無茶だし、なにより訪ねて「あ、いいですよどうぞお持ち帰り下さい」と差し出してくれるとは思えない。これだけ探して見つからないとなると、どこかの家でダッチワイフになっているに違いない。自分のダッチワイフを渡してくれる訳がないのだ。ましてや隠されてたらわかりようがない。
 現実問題、こうして毎日ルーティーンにお決まりのルートを探すしかできないのだ。そしてそれは、真弓も同じようだった。
「考えたくないけど、これだけ探していないって事は、やっぱり、その……」と口ごもる真弓。
「うん。どっかの男が持ち帰ってるだろうね」
「うん……。ねえ、やっぱり一軒一軒回ってみた方がいいのかな」
「暴徒と化してるようなおかしな連中もいるしね。下手をすると真弓が危険だし、そんな無茶は駄目だよ」
「………………」
「後で西高の体育館にも行ってみよう。あそこは毎日新しく見つけられた人形が運ばれて来るから、もしかしたらその中に早紀ちゃんもいるかもしれない」
「…………うん」
 
 西高とは僕らが通っている西谷高等学校の略称だ。
 今、西高体育館には引き取り手のいない人形がダーっと並ばされている。皆、女性だ。その他男性や子供老人、入りきらない人形は校舎に収容されている。体育館の入り口だけ警備がいる。ちなみに、新たに運ばれてくる人形の大半は女性。しかも若い。若い女性が道に転がっていると、それを持ち帰り性玩具にされてしまうので優先的に搬送されるのだ。といっても別に性玩具にする事自体取り締まられているという訳じゃない。黙認というやつだ。やはりいい顔はされないけど。
 
「でも」
 と真弓。
「でも?」
 真弓は僕の瞳を覗き込んで言った。
「あの娘、まだ小学六年なのよ。そんな性の対象になんか」
 真弓の瞳。その瞳は肯定の言葉を待っている。
「………………」
 大丈夫なわけはない。
 僕は、そう言いたかった。けれど、真弓のまっすぐな瞳に見据えられて、そうは言えなかった。
 だから結局、
「うん。大丈夫だよ」
 と言って微笑んだ。
 真弓はほっと一つ息を吐いて「うん」と言った。
 
 言いたい。
 世の中には幼児愛好者や同性愛者、はては死体愛好者なんていう嗜好を持った人々もいる。今、そういう人達には楽園になっているんだから、と。
 でもそれは言えない。言ってはいけない。
 
 その後、よく春美と通った甘味所、商店街、駅前の広場と色々回ってみた。けれど、やはり春美は見つからなかった。当たり前田のクラッカーだ。
 そして今、祭りが行われていた公園のたこ焼き屋台で休憩している。周りを見れば二十弱の屋台。仕舞われる事無くこの三ヶ月間、佇んでいたのだ。
 
「足が、ぐちょぐちょになっちゃった」
 たこ焼き器の前に置かれていた丸椅子に座り、真弓が汚れてしまった足を気にしている。
「この土、もうぬかるんでるどころのレベルじゃないからね」と僕。
「そうだよね。もう三ヶ月も雨止んでないんだから」
「そうだね、三ヶ月もね」
「……………………」
「……………………」
 
 僕達は雨空を見上げた。
 この空はいつもと変わらず雨を降らし続ける。あの雨雲の向こうには太陽があるのだろうか。太陽ってどんな色をしてたっけ?
 黄色だっけ? 青だっけ? 赤だっけ?
 屋台の屋根に当たった雨粒がやかましく音を立てている。
 
 ざざざざざざざあざざああああぁあああああぁあぁぁぁぁぁあぁ………………。
 
 なんだかねむくなってきてしまうま。
 
「ねえ、この雨、止むのかなぁ」
「え?」
 真弓がぽつりと呟いた。
 僕がしょぼんとした目で隣の真弓を見てみると、その瞳はただぼんやり虚空を捕らえていた。
「うーんわからないよ。もう三ヶ月も降り続いてるんだから。異常気象にも程がある。それに、ただの雨じゃないし。その雨に当たった人の時間を止めちゃう夢いっぱいの雨だからね」と僕。
「ねえ他の街はどうなのかな。もしかして、この街だけなんじゃないの?」
「わからないよ。でも、電気も通ってないし、水も通ってない。確かに早く雨が止んでくれないと困った事になっちゃう。まず、食料がなくなってしまう」
「困った事?」
 ははっと真弓が笑った。
「どうしたの?」
「困ったことになる? 何よそれ、なんなのよ」
「何って、つまり――」
「何でそんなに冷静なのよ!」
「………………」
 
 ――――――――――――。
 
 真弓は俯いて肩を小刻みに震わせ始めた。泣いているのかな?
「泣いているのかな?」
「………………」
 返事は無い。嗚咽は聞こえないけど泣いているのだと思う。それとも雨の音で聞こえないだけか。
「何でそんなに冷静なのよ!」
 確かにそうかもしれない。
 
 この小さな街は今、文字通り陸の孤島になっている。この三久多町から出る為の交通路は二つ。東の橋を渡るか西の山道を行くか。今、この三ヶ月も降りしきる雨のせいで隣町へと続く川は氾濫し、橋は水の中。もちろん船なんか出せない。
 山道の方は土砂崩れで完全に道が埋もれてしまった。重機を数十機も使わないと復旧はできないだろう。
 かといって山道を歩いて超えるのは自殺行為だ。地盤が脆くなりいつ土砂崩れが起きるか分からないし、この雨もくせ者だ。幾人か山を越えて行った人もいたようだけどその後、帰って来た人はいない。
 要するにこの街から脱出する道は閉ざされ、まさに街は孤島。孤立しているのだ。食料はだんだんと底を突いてきて、近いうちになくなるだろう。死が、着実に迫って来ている。加えてこの悪魔のような雨だ。町民は皆、不安に押し潰されそうなのを必死に耐えている。
 唯一の救いは、雨が降り始めた日が年に一度の大きな祭りの日で、しかもちょうどクライマックスの花火が打ち上げられる時だったから、多くの人(街の人口の過半数以上と言っていいかもしれない)が外に出ていた為に、雨に打たれて人形化した事だ。今、街の人口は以前の三割、いや二割くらいだろう。皮肉にもそのおかげで食料がこれだけもっているといってもよかった。
「何でそんなに冷静なのよ」
 確かにそうかもしれない。これだけの危機的状況で。
 でも実の所、僕はこの世界をそんなに嫌いではない気もする。
 
「うっ……うううう」
 とうとう真弓は涙をこぼして泣き出してしまった。僕はそっと真弓の背中に手を当てて、
「ごめん」
 と言った。謝る必要はないんだけど、謝らないといけないのかもしれないと思ったから。
「…………ううん」
 真弓は涙を拭って微笑んだ。
「私こそ、ごめん。私、弱いね」
「大丈夫だよ。きっと、この雨もすぐに止むし、救助も来るよ」
「うん。ありがとう…………」
 真弓は立ち上がり、傘を手に取った。
「そろそろ、行こう」
 
 僕達は休憩を終えて歩き出した。真弓の跳ね上げた泥が目に入った。痛い。目が痛い。真弓が振り返った。
「どうしたの?」
「なんでもないよ」
 振り返った真弓の目は赤くて腫れぼったかった。
 真弓には笑顔が似合う。僕の心ない一言で真弓を泣かせてしまった。
 
 …………なにをやっているんだ、ぼくは。
 
 二人で歩いていく。僕のいつものルートは終えたので真弓のルートに行こうと提案した。「わかった」と真弓。赤い傘が揺れる。その下で赤い目をした真弓がとぼとぼと歩く。胸がちくちくと痛んだ。
 
「いや、やめてっ! やめてよぉ!」
 と、後方から女性の叫び声が聞こえた。驚いて振り返ると、レインコートに手袋、フルフェイスヘルメットを被った男性とおぼしき五人組が、女性二人の手を引いて付近の家の中に連れ込もうとしていた。
 皆、手にはナイフやら金属バットやらを持っている。
「やめてよぉおおおおお!」
「うっせーよ、ボケ」
 男がボスボスと腹を殴りつける。それで女性はうずくまってうめき静かになってしまった。男の仲間はその女性が人形化しないように傘を差してあげている。その女性を二人がかりで家の中に運び、残った三人はもう一人の女性を押さえ付けていた。
「ゆ、悠人、人を人を呼ばなくちゃ!」
 横を見れば真弓が震えていた。僕の手をぎゅっと握りしめてきた。
 僕も足が震えていた。
 やばい、あいつらはやばい。巻き込まれたらやばい!
「う、うん。でも、人がいないよ。それに相手は五人で武器を持って――」
 と、捕まっていた女性がこちらに向かって走って来た。
「助けてぇ!」
 僕らを見てそう叫ぶ。僕らはひとつ後ずさりしてしまう。その後ろから男達が駆けて来たのだ。
「おとなしくしろよ、うぜえな」
 男達は再び女性を捕まえて羽交い締めにした。そして女性の二の腕にナイフを刺した。やはり手の余った男が女性が人形化しないように傘を差してやっている。
「ギャアアアアアアアアア!」
「これ以上刺されたくなけりゃおとなしくしろ」
「ギャアアアアアアアアア!」女性は絶叫している。僕はこれがほんとの絶叫というんだろうなと思った。
「ちっ、もうメンドクセ。いいや」
 男は女性のレインコートを強引に脱がせてその場に押し付けた。中に着込んでいた服も切り裂く。女性の肌に雨が降り注ぐ。
「やめて、やめてよぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!」
 女性は泣いて叫ぶが男は馬乗りのまま。と、その馬乗りの男がこちらを向いた。
「ひっ!」
 真弓が引きつった声を上げた。ぎゅっと握られた手のひらの感触が強まる。
 馬乗りの男が側の二人になにやら目配せをした。そして、その二人はバットを振りかざしてこっちに走って来たっ!
「真弓っ!」
 僕は真弓の手を引いて走った。路地を曲がり、そしてすぐにまた路地を曲がった。無我夢中で走った。
 と、真弓が急にがくんと膝をついた。見れば、真っ赤なあの傘を手に持っていなかった。その肌に雨粒が降りそそいでいる!
「ばっ」
 僕は真弓をお姫様だっこのように持ち上げて目の前の自転車屋に入った。
「真弓! 真弓っ!」
 

© 2026 灰庭 ( 2026年6月5日公開

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