一
末の子が 空を指して 白い雨 と言つた日
姉は 花だよ と訂正し
母は 訂正を 訂正しなかつた
父は 樹の根もとで 去年の房を 拾つてゐた
掌が 土より 黒かつた
アカシヤは この家の 四人目の 背丈
いちばん しづかな 口
二
縁がわで 祖母が 誰かを 呼んでゐる
ハゝさん
ハゝさん
それから 一度だけ
知らない名を
呼ばれるたび 房から
ぽ
と
ひとつ 落ちる
蜜ごゑ と いふ
祖母の 手帖の 裏表紙
亜華詩亜
の下に
墨で 消された 四文字
孫は 読まなかつた
読めない のでは なく
三
老犬の 後脚が 立たない
薬を 溶かす 朝の 音
花睡り が 土を 覆ふ
老犬の 夢のなかでだけ
亜華詩亜は 若木で
まだ 誰も 喪つてゐない
四
父の 掌の 傷は
この樹を 植ゑた 日の もの
母は それを 薫傷 と 呼んだが
ある晩 台所で
──こんな樹 いつ 切つたらええのやろ
と 俎板に つぶやいた
包丁は 動かなかつた
花は 記憶より はやく 咲いて
誰のものでも なくなる
五
末の子が 姉に なり
姉が 母に なり
母が 祖母に なり
祖母は ある未明
白い雨に まぎれた
消された 四文字は 読まれぬ まま
樹は その後も 咲いた
誰も ゐない庭に
のこるのは
ぽ
ぽ
ぽ
族譜 と いふ語を
樹は 知らない
"房ふさ譜 ──亜華詩亜「あかしや」の家"へのコメント 0件