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芋煮クリック合戦

合評会2026年1月応募作品

河野沢雉

合評会2026年1月参加作品。いつもと違う作風になりました。

タグ: #合評会2026年1月

小説

4,146文字

お腹を内側から蹴られたような気がした。まだ安定期に入ったばかりで、脚だってそこまで成長してないだろう。気のせいに違いない。私はそう思って何もなかったかのように掃除機をかけ続けた。

これが終わったら、集会所に顔を出そう。夕飯の買い物はそれからでも遅くない。そう思っていたらLINEの通知が鳴った。

「今日部長に誘われちゃって、飲み会で遅くなる。夕飯は要らない」

政嗣まさつぐの吹き出しはニルヴァーナのアイコンから出ているのに、その内容が全然ロックじゃないのが可笑しかった。

返事を考えるのも面倒で、私はAIが提示した「わかった。先に休んでるね」をワンタップで送信した。そしてスマホを置こうとしたら、掃除機が床に落ちていた紙を吸い込もうとして唸った。

慌てて掃除機を止め、紙を救い出す。

柿田かきた明神御祭礼のお知らせ」

柿田町会の会長が笑ったときに目を細めるのを思い出してしまう。生理的に受け付けない顔だった。見た目が気持ち悪いだけじゃない、会長に限らず、町会役員のおじさんたちは揃って下品な感じがした。

せっかく救い出したそのチラシを、私は丸めて屑籠に捨てた。

 

 

矢上やがみ町会集会所」の表札が掲げられた引き戸をくぐると、奥の方からガハハハという下卑た笑い声が聞こえてきた。私たちが家を建てて越してきた時、最初にうちを訪問してきた世話役の藤川ふじかわに違いない。矢上町会のおじさん連中は柿田ほどではないけれども品がないのには変わりなかった。

「や、大塚おおつかさん待ってましたよ」

別の世話役が言って席をすすめてくる。

「引っ越してきたばかりなのに偉いよねえ」

藤川は言って、周囲の役員に同意を求めた。私は集会所の軋む床を踏みながら長机の周りに並べられているパイプ椅子の一つに座る。部屋の中は古い木造建築らしい饐えた空気におじさんの体臭が混じり、なんとも形容しがたい匂いがした。つい三週間前までつわりでのたうち回っていた状態なら秒でゲロ吐いていたに違いない。

「大塚さんが入ってくれて良かったよ、今どき若い人の戦力は貴重だから」

私たちが家を建てた土地の地番は「柄長えなが一丁目」だが、かつて小学校だった土地が単独で柄長を構成している。私たちの家はその一部が民間に払い下げられた区画に建っており、小学校の残りはすべて区の地域交流施設「アンガル柄長」としてリニューアルされた。つまり柄長にある一般住宅はうちだけだ。

柄長は町会としては柿田と矢上の境界にあり、もともと住宅がなかったことからどちらの町会に帰属するのかが決まっていなかった。柿田と矢上の両方から町会への誘いが来たのはそういうわけである。これから長年住むことになるし子供も産みたいから(その時はまだ妊娠していなかった)、地域とはちゃんと付き合いをした方がいいだろうしそのためには町会も慎重に選んだ方がいいんじゃないかと政嗣とも相談したが、彼は「どっちでも一緒じゃん」とまるで真剣に考えていないようだった。

私は仕方なく近所の井戸端会議などにちょいちょい顔を出したりして、それぞれの町会の評判を聞いたり探りを入れたりした。

それで判明したのは、この辺り一帯は東京の区部ながら、かつて東北に本社のあるメーカーの東京工場兼物流倉庫があった関係で、東北出身者が多く移り住んで来たらしい。工場がなくなった後も彼らはここに定住し、住民の三割くらいは東北にルーツを持つのではないかと言われている。

そのせいもあってか、毎年秋には町会の主催で芋煮会をやるのが定例になっているという。私は悩んだ末、どちらかと言えば町会活動の負担が少ないと聞いた矢上町会に入ることにした。世話役の藤川も父方が山形の出身らしく、芋煮会にも並々ならぬ情熱を注いでいると聞いたが、まあ当日野菜を切ったり参加者に芋煮をよそったりするような手伝いをすればいいんだろう、くらいに軽く考えていた。

「それで今年の芋煮なんだけどね」

藤川が私の方を凝視して言う。

「実はまだ場所が確保できてないんだよね」

他のおじさんたちもなぜか私に注目している。これは一体なんだろう。

「いつもの公園が工事で使えなくなっちゃってね」

他の役員が言う。

「他も当たってみたんだけどどこも『芋煮会はちょっと』みたいな感じでね」

「ひどいよなあ、スポーツとか区の行事とかはやってるのにねえ」

「食べ物を出すってのがどうもまずいらしい」

「それでね」藤川が話を引き取る。「どうもアンガル柄長だったら使えそうなんだよ」

小学校の跡地を利用した地域交流施設だ。うちの隣の。

「良かったじゃないですか。じゃあ使いましょう」

私が言うと、藤川は渋い顔をした。

「ただ、そこの申し込みがね」と言って他の役員の顔を見渡す。「なんて言うの? ウェーブ申請だけとか、そういうことらしくってね」

私は直感した。他のおじさんたちも一様に少し俯いている。これだから年寄りってのは。

「若い大塚さんならちょちょいって、できるんじゃないかってみんなと話してたんだ」

「はあ」

私はその場でスマホを取り出し、区の施設紹介ページを検索した。アンガル柄長は確かに、区のオンラインシステムを使って予約するようになっている。

「芋煮会っていつでしたっけ」

私が訊くと、どうしてか藤川は急に得意になって答えた。

「十一月の九日、日曜日だよ」

予約は三ヶ月前から開始、と書かれている。今夜二十四時からじゃないか。

十月の予約状況を確認すると、ほぼいっぱいだ。特に週末はすべての日程が埋まっている。なかなかの高倍率競争らしい。

「これ、今夜から予約開始ですね。先着順なのでクリック合戦になるかと」

おじさんたちはポカンと私の顔を見ている。どうやらクリック合戦を戦国武将のいくさかなんかだと思っているようだ。

「競争率が高いので、取れる保証はないですが、やってみます」

藤川をはじめ、役員たちの顔がぱっと明るくなった。

「さすがだねえ、それじゃ頼んだよ」

安請け合いしちゃったかな、と思いながら、私は無意識に自分の下腹部を撫でていた。

 

 

夕飯は要らないというので、買い物はせず家にある物で済ませることにした。午前零時までに寝落ちしては大変なので、夕方から小一時間仮眠をとった。コーヒーを飲めないのが辛いところだが仕方がない。代わりに大好きなザ・クラッシュのライブビデオを観て交感神経優位に持っていく。二十三時を回っても政嗣は帰ってこない。私はノートパソコンとスマホ、機種変前のスマホを用意する。前のスマホは家のWiFiに繋ぎ、今のスマホは携帯の電波で使う。パソコンは政嗣の会社の仮想PCに繋がるようになっているので、全部で四台体制だ。区の施設予約サイトに入り、何度かリロードしてみる。

問題なさそうだ。これだけやれば、クリック合戦に勝利できるだろう。というかできなければ困る。新参者の私たちが町会で歓迎されるには、何かしらの役に立たなければならない。今回施設予約を任されたのは千載一遇のチャンスだ。政嗣は町会の仕事なんて、と馬鹿にするかもしれない。だけどお腹の子が生まれてくれば否が応でも地域との繋がりは必要になってくる。落下傘で降りてきたかのように、いきなりこの地区に引っ越してきた私たちが地域社会に溶け込むには、政嗣が想像しているよりはるかに努力が要る。

時計が二十三時五十五分を回る。私は四台の端末でページをそれぞれリロードした。緊張して指先が冷たくなってくる。冷たいのに、掌に滲んでくる汗は生ぬるい。時刻は五十八分を過ぎた。

「ただいまー」

玄関のドアを乱暴に開ける音とともに、政嗣の間の抜けた声が廊下を走ってくる。私はリビングでパソコンとスマホから目を離せず、声を無視した。

れいー?」

タイミング悪いよ、黙っててくれるかな。そう頭の中で思いながら、リロードを繰り返す。グレーアウトしていた予約申込ボタンがクリッカブルになるのと同時に、政嗣が赤い顔をリビングに覗かせた。私はひたすら画面に集中する。四台の端末でボタンを押す。施設を選択、申込クリック。あっちでクリック。こっちでもクリック。

「何やってんの、怜」

政嗣は私の後ろに回りこんでくる。邪魔でしようがない。もう一度、クリック。次の瞬間、私は信じられないものを見た。

 

〈施設は既に予約されています。他の施設を選択してください〉

 

血の気が引いた。どうして? 私はもう一度トップページから入って予約操作を繰り返した。無情なメッセージが繰り返されるだけだった。

「怜」

「うるさいわよ!」

私は立ち上がって思わず叫んだ。酔っ払った赤ら顔とだらしなくよれたワイシャツ、へらへらした喋り方が神経を逆撫でする。

「うるさいって、お前」

私はそれから何を言ったか覚えていない。溜まっていたものが堰を切ってあふれ出すように、私の口から罵詈雑言になって出てくる。政嗣は知らないだろうけど、私がどれだけ苦労して町会とか近所との関係を構築しているのか、つわりが大変だったというのに、動けるようになった途端こうして身重な状態で今日も集会所に足を運んだし、コーヒーだって飲めないのに深夜まで芋煮会の場所取りのために待機して、それなのに政嗣は私が飲めないアルコールでいい感じに酔っ払って帰ってきて、私が何のためにこうやって頑張っているのか、生まれてくる子供のためじゃないか。

ひとしきりまくしたてると、政嗣は真顔になっていた。その目は優しさを帯びず、まるで不思議なものを見るようだった。

どうしてそんな目で見るのか、私の言っていることを、私の気持ちを受け止めるのを、完全に拒否しているようにしか思えない。

「なんなのよもう」

「怜」

政嗣の声は、憐れみのそれだった。彼は私の肩に両腕を回し、言った。

「ごめんな、カウンセラーの予約がなかなか取れなくてさ。明後日やっと枠が取れたから、話を聞いてもらおうよ」

何の話だろう。カウンセラーって何だ。違う。私は流産なんかしていない。下腹部に両手を当てる。ここには確かに子供がいて、今朝だって私のお腹を蹴ったじゃないか。母子手帳だってほらここに。

私は区から配布された「妊娠された方へ」の小冊子とか産婦人科の診療明細書とかそのへんに山積みになっている書類をひっくり返した。何度も、何度も。

© 2026 河野沢雉 ( 2026年1月22日公開

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"芋煮クリック合戦"へのコメント 1

  • 投稿者 | 2026-01-23 07:07

    なかなか男にはわかりにくい、近所づきあいの苦労というのをリアルな筆致で書いていて大変いい作品と思いました。東京だと芋煮する河原すらまともにない……😭

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