ミナ
かれこれ二時間くらい、這いつくばって移動してるからもう腕が限界だ。マジ何なのこの狭さ。
「イリュートゥバ人って体高六十センチくらいしかないから、これが普通なんですよ」
あーしの顔の前で脚をバタつかせながらイツキが言った。あまり近づくとバイザーを蹴っ飛ばされそうなのでペースダウンした。
「まだなの? 早くこれ脱ぎたいよー」
もう四十時間くらい船外活動服のままだから、汗臭いし化粧もドロドロだ。何よりもおむつが不快でたまらない。
「もうすぐだから……あっ」
イツキが何か見つけたらしい。通路脇のパネルを外し、中から緑色のコードみたいなのを引っ張り出す。コードっつうか、木の蔦とか蔓みたいなやつ。
「あったこれこれ」
何か重要なものを見つけたというより、新しい玩具を手にした少年みたいにイツキはいそいそと蔦を手に絡める。
「イリュートゥバのボタニカルコンピュータ。これでも端末なんですよ」
何だかよく分からないけど、早いとこ終わるんなら何でもいいや。あーしはボーッと作業を眺めていた。
「ミナさんって、どうしてこのバイト選んだんですか」
「そのミナさんっての止めてって言ったじゃん。敬語もやめて」
「はい、ミナさん」
あーしは溜息を吐いた。
「よしこれでオーケー。カクラウと通信できるはず」
蔦っぽいやつの端っこを船外活動服の端子に差し込んでバイザーに映し出されたテキストを読むイツキは少年の顔から一気に技術者のそれになった。
「イツキってなんでイリュートゥバのコンピュータなんか使えんの?」
「カクラウと同盟してから地球の大学でもイリュートゥバ攻略の研究を始めたんですよ。僕は専門じゃないけど、イリュートゥバのボタニカルコンピュータは必須科目なので」
「へえ」
あーしは話の中身は結構どうでも良くて、ただ半透明な蔦の中をラメみたいな無数の光点が動いてるのがきれいだなーと思いながら作業を見ていた。
「おばあちゃんに相撲のチケット買ってあげたくてさ」
は? と言ってイツキは手を止めた。
「だからぁ、大相撲三月場所のチケット。一六〇万するっていうから、それでコハルに紹介してもらって。このバイト」
寝たきりのおばあちゃんでも、介助があればマス席での観戦は可能だそうだ。
「どうして……」
それきりイツキは口をつぐんだ。さすがに野暮な質問だと思ったのだろう。
パパもママも仕事で年中忙しくて、二人ともろくに家に帰ってこなかった。だからパパの実家である大阪からおばあちゃんを東京に呼び寄せて、あーしの面倒を見させた。あーしはおばあちゃんに育てられたようなもんだ。
「それがまさかこんなことになるなんてね」
バイトとは防衛衛星のレーザー放射口のレンズ拭きだ。国連がカクラウとの同盟を締結した瞬間、カクラウと宇宙を二分する勢力であるイリュートゥバは自動的に地球の敵となった。
でも向こうは地球のことを敵とは思ってないだろう。せいぜいカクラウ勢力圏内に落ちている石ころ、くらいの感覚に違いない。詳しいことはわからないけど、カクラウやイリュートゥバとは科学技術の差が月とスッポンで、地球なんて奴らの袖の一振りで消滅するゴミカスみたいなもんらしい。それでもまだ消滅していないのは地球を消してしまえば原住生物の文物が失われてしまうからで、要するにこの辺境惑星の珍しい生物や文明を土産物として売るために残している、みたいな感じなのだ。
レンズ掃除の作業中、あーしとイツキは防衛衛星ごと「採集」され、無骨なレーザー衛星と一緒にイリュートゥバの船倉に保管された。MITの学生でメカに詳しいイツキのお陰で船倉からは脱出できたけど、カクラウに連絡をつけるためにこうして船内を四十時間以上逃げ回っている。
MITがなんの略かはもう二回くらい聞いたけど忘れた。とにかく頭のいい大学らしいというのはわかった。
「おばあちゃんのこと、好きなんですか?」
あーしは「うん」と答えた。蔦を流れる光点の数が増えて、動きも速くなった。イツキは神妙な顔でうなずくと、蔦を端子から抜いた。
「ミナさん」
イツキはあーしと目を合わさないようにしている。もっともこいつはまともに人の目を見たことのない人種だ。チー牛。おたく。ギーク。ナード。コハルがどうしてこんな奴と知り合いなのか、どういう接点があったのか、わからない。
「ミナさんのおじいさんって、UFOに拉致されたことがあるんですか?」
あーしはこの四十時間で初めて驚いた。
なんでこいつがそれを知ってるんだ。
*
おばあちゃんがおじいちゃんの戯言を信じていたかどうかはわからない。おじいちゃんは船場で花卉問屋に勤めていた。大阪へ遊びに行ったときにはおじいちゃんがよくお店に連れて行ってくれて、売り物にならない花とかきれいな葉っぱとかをくれた。その後、主任に仕事をさぼるなと怒られるまでがセットだった。
おじいちゃんは私が中学校に上がるくらいの時に脳梗塞で亡くなった。その頃にはもう大阪へ行くこともほとんどなくなっていて、おじいちゃんとは疎遠だった。おばあちゃんも東京より大阪にいる方が多くなっていた。
おばあちゃんがその話をあーしにしてくれたのは、四十九日の時だった。おじいちゃんは、若い頃UFOにさらわれたという話をいつもしてたんだって。
「そんな話誰も信じへんやろ。職場でも親戚にも気色悪がられて、友達もおらんようなってじいちゃんは一人寂しく死んだんや。アホらし」
その頃からおばあちゃんは脚を悪くしていて、寝屋川の自宅から滅多に出かけなくなっていた。下肢の不自由な年寄りが一軒家に暮らすのは大変だろうと、パパとママは現金一括で入居費用と十年分の利用料を前払いし、介護老人福祉施設に入居させた。半強制的に入居させられたおばあちゃんはさぞ嫌がっているだろうと思ったけど、施設を訪ねてみると案外そこでの生活を楽しんでいるようだった。
"ギャルとチー牛とおばあちゃんが世界を救った"へのコメント 0件