そのとき、ドアが強い力で叩かれた。一人ではなく数人が、ノックというより、もはや壊さんばかりの勢いで叩いている。
あいつらが来たか。
目の前でのたうち回る女をどうしてよいものか、扉の外まで迫ってきた騒乱にどう対応すべきか。私は、なにがなにやらわからなくなり、しばし立ち尽くしていた。
しかし、外の連中は容赦しない。
「開けたまえ!」
大きな声で怒鳴ったのはおそらくあいつだ。このややこしい戦いの首謀者格の一人だ。
私はドアに歩み寄り、答えた。
「開けられん」
「何故だ!」
「今は少し、とりこんでおるのだ」
「そんな言い訳が通じるとおもっているのか、ばかものめ!」
「そこに女をかくまっているのはわかっているんですよ」
別の声が言った。あの学生だ。このややこしい騒ぎをさらにややこしくする輩。誰でも知っている本をいつもファッションのように持ち歩くあの学生。私が最もくだらないと思う種類の若者だ。
「あなた、その女を送り込んで、店を偵察させていたでしょう」
何を考えているのか知らんが、言っていることの大半は妄想である。闘争好きなのか、暇なのか、知らない時代への根拠なき憧れ。まったくややこしいときに、ややこしい人間が店に迷い込んだものだ。この女にしてもそうだが。
「嫌がらせに看板まで壊させて! やることが卑怯ですわ!」
人をいらつかせる金切り声は老いた女のものだった。閉鎖された階下のアパートに五十年近く同じ男と暮らしていたあの女。
「その女はスパイだろう? 見た瞬間わかったぞ。だから俺は目を合わせんようにしたんだ」
同棲相手の男もいる。まったく、老人同士の同棲など、みっともないと思わないのか。私は、いわれのない嫌疑にかっとなった。
「知らん! 勝手に上がってきたのだ。私の知らない女だ」
「妊婦にスパイ役をさせるとは、悪趣味にもほどがあるぞ。そんなことで俺様がごまかせると思ったのか」
私の倍はある体をして、ショートホープを一日に三箱は吸う首謀格の男が言った。あのでかい体躯で扉に体当たりされてはかなわん。
「本当に知らんのだ。看板を壊したことを詫びに来ただけだ」
そう言いながら見下ろすと、女は痛みが和らいだのか、泣き叫びつかれたのか、呆然と天井を見上げたまま、動かない。
「いいや、スパイだ!」
「妊婦によくそんなこと頼めましたわね! それとも、ああ、まさか、あなたの子?」
同棲狂いがのたまった。どうひねり出したら、そのように不吉な想像ができるのか、私には想像もつかない。
「そんなわけないだろう! 我々はいったい幾つになったと思っておる、バカめ!」
「わかりませんわよ、わかりませんわよ、可能性はありますわ」
「あほ!」
「俺の女になんという口の利き方だ!」
同棲狂いの片割れがドアを蹴ったようだ。振動が床まで伝わる。
「色きちがいめ」
言いながら、私はなにもかもが面倒になってきた。ほとんど自棄になってきている。
「開けろ、とにかくここを開けろ。話し合いをいつまで拒否するつもりだ!」
話し合い? おまえらのようなイカレタ輩と話し合いなどできるものか。乱闘だ。乱闘騒ぎになるに決まっている。多勢に無勢。私の味方は少ない。
「絶対に開けん!」
「強情者!」
「独裁者!」
「卑怯者!」
いっせいに外のやつらが暴言を怒鳴る。ドアががんがんと殴られている。
顔面をあらゆる液体でぬらして横たわる女は、眉間にしわを寄せていた。痛みに波があるのか。よくわからないが、やはり産気づいているのであろうか。
「とにかく! いまはそれどころではない!」
あらん限りの力を振り絞って、声を張り上げた。すると、それに反応したように女が天井に向かって叫ぶ。
「ヒッヒッヒー! いったああああああ!」
WTV ゲスト | 2010-03-11 20:48
おめでとう、そして万歳!
青井橘 ゲスト | 2010-04-12 02:42
この壊れた物語、いやドキュメンタリーを、最後まで読んでくださってありがとうございます。そいでコメントも。作品を壊したい衝動にかられるとは恐ろしく業の深い自意識過剰。そいで過剰はいつも美醜であることから、今度はバリバリ読者と手をつなぐ創作をしたいと思わせてくれた作品でした。