ひとまず「リサイクルキッズ(仮)」の方の表紙をiPad miniに移して、著者のふくだりょうこさんと、編集ののじーさんに見せる。
まずまずの好反応だ。デザインの方向性はこれでOKという返事をいただく。一発OK! ありがたい!
タイトルはもちろん仮だと伝えると、少し考えるとのこと。しかし本編の執筆が本格化しているので、すぐには返事はもらえそうもない。
タイトルだけならあとで入れ換えできる。ひとまず保留とした。
iPad miniで見せるというのは、iPad miniこそがぼくの考える電子書籍の理想形にもっとも近いからだ。
片手サイズ。
四六判に近い画面寸法。
カラー。
ここへの最適化こそが、もっとも美しい電子書籍を作る上での拠り所となる。と決めている。
電子書籍と一概に言っても、様々なプラットフォームがあり、それら全てに最適化を行うことは不可能だし、無理だ。
そこに引っ張られると、頂点が低くなる。
読む側も、なにかしらの妥協を持って自分の端末をチョイスしているわけで、多少の不適合は承知の上であるということは、いち消費者として理解できる。これがユーザー目線だ。
たとえば、Kindle PaperWhiteに合わせてしまうのならば、表紙はモノクロでいい。ということになる。
また、Kindle端末だと読み始めるときに表紙よりももっと中のページからスタートになるので、大サイズで表紙を表示するためには、意図的に表示させなければならない。通常はフルサイズでは見ないのだ。
パソコン画面で買うときにだけアイコンがカラーであればいいということになると、アイコンやサムネイルのサイズで画像が成立していることに引きずられてしまう。
しかし、BCCKSでEPUBダウンロードして、iPad miniのiBooksにサイドロードさせて開くとき、最初にバーンとフルカラー表示される。
その瞬間こそが、電子書籍の表紙の花道だ。そこでお客様を満足させることこそが、ぼくの最大のミッションであると考えている。
数秒で大扉に移行するが、それでも寄り道はしてくれる仕様になっている。
そして、そこへ最適化しておけば、どこへ持っていっても大崩れはしないということは経験上知っていた。
なんやかやと電子ガジェットを手に入れてきたのは、ホビーユースばかりではないのだ。ていうかやっと役に立ったか。だはは。
ただ、モノクロ端末への配慮は必須だ。これはユーザー目線研究会での色盲対策講座が役に立つ。
モノクロ表示に切り替えて、重要部分が見えるように十分な明度差をつけるようにしてやればいい。
これもまあ経験上だいたいハズレはないので、そんなにちょこちょこ確認する必要なない。
さて、次の作品の表紙を考えよう。
今回のノベルジャムに臨むにあたり、秘策というものがあるとすれば、それがこれだ。他はまあ、周辺の商業施設の下見とか、プリンタ持参とか含めて、その辺は当たり前の準備である。策でもなんでもない。必要なものを必要に応じて対応できるように用意しているというだけのこと。
いらすとやで、
生頼範義の世界を
再現する!(できない
何を言ってるのかわからないかもしれないが、俺にもわからない。
しかし、何かに取り憑かれたかのように、これを試したくて仕方がない自分がいた。
これはエゴだ。
しかし、提案せずにはいられなかった。
所詮出オチ感満点のネタである。やるだけやって却下されても、それは仕方がない。
あくまでも著者の意向を最優先でやろうと決めていた。
なんでそんな発想に至ったのか。それはめぐり合わせとしか言いようがない。
セルパブ作家仲間であり表紙デザインもこなす山田佳江。
同じくセルパブ仲間であり表紙デザインもこなす隙間社伊藤。
かれらと雑談をすることがよくあるのだが、その日の話題はぼくのNovelJamへの準備だった。
ぼくは素材が自分で描けない分、莫大なリソースがバックボーンにあり、そこからチョイスできる。
たとえば123RFというフォトストックであれば1億点近くのラインナップがあるわけで、素材集と考えれば無敵である。
それに結構イラスト系の素材も多く、絵画的なものも多い。内容とマッチすればだいぶいいはずだ。
そこで見つからなくてもパブリックドメインの名画は数多くある。
そんな話をしているときに、いらすとやを使ったニュースが流れてきた。
「いらすとやすげえな。なんでもあるな」
というところで、ここもリソースに組み込んでもいいのではないかと思った。
書影にいらすとやを使ったらどうか、という話をしたところ王木亡一郎氏が、新作の表紙に使うと言っていたと誰かが言った。
おっと先を越されたかと思ったが、それはネタで、発刊前の売り込みとしておふざけを披露していただけだった。
タイトルといらすとやの女学生が並んだコミカルな表紙はそれはそれで面白いが、たしかに王木氏の作風には合わない。
周辺からはなぜあの表紙を使わないのか、などと揶揄されていたが、当然それはすべてジョークある。
結局王木亡一郎氏の新刊は彼らしいクールなオシャレ書影でリリースされている。
それと同時期。
ぼくは上野の森の美術館で行われた生頼範義展に足を運んでいた。
生頼範義。
先年亡くなったイラストレーターにして画家の生頼範義大先生の個展が東京に来たのだ。
宮崎まで行かなくていい! なんと素晴らしい。公開初日に足を運び堪能してきた。
やはり素晴らしい。
以前、SF群雛をやったときも、表紙を生頼範義風にしてくれとムチャブリし、ソメイヨシノさんに完璧に仕上げてもらったっけ。
あれは素晴らしかったなあ。
ソメイさんにはオルガニゼイション新装版の表紙を依頼してある。5月頃には披露する予定。
これは「このセルパブがすごい」の編集長、藤崎ほつまさんのリクエストに応える形で始まったが、楽しみで仕方がない。
閑話休題。
同時期に身近に起こった2つの案件を脳内で融合させるのは難しいことではなかった。
「人はいらすとやの素材で生頼範義風の書影を作ることができるのか」
チャレンジするにあたり、これほど愉快なモチーフがあるだろうか。
そして眼前に迫るNovelJam。
ぼくは世界にケンカを売ることに決めた。
作家がのってくれるかは、作家次第だ。
まずは、仮組みからだ。そもそも素材が揃わないのでは話にならない。
ぼくはおもむろにいらすとやのウェブサイトを開き、
「神様」
と検索した。
つづく
"チープなものとゴージャスなものの融合。お腹が痛いのは食べすぎた朝食のせいではない #noveljam"へのコメント 0件