存在証明

佐藤宏

950文字

若いころに書きました。当時、週休ならぬ月休二日の職場で働いていて、しかも毎日のように残業もあって、夜中に職場に残って突如書きたい衝動が沸いてワープロにしたためたものです。当時のいろんな思いがこもっているようないないような。

ある朝殺人事件が発覚した

僕が寝覚めの珈琲を飲んでいると

刑事が二人やってきて

僕を囲み厳しく詰問する

 

驚き慌て身に覚えがないと言い張ると

刑事はやおら優しくなって

猫なで声でささやくように言った

「お前には動機がないがアリバイもない

 

「死んだ女はまだ二十歳

驕り高ぶる春のように美しく

幾千年も氷に閉ざされた北極の空のように冷たい

お前のようなやわな男こそ怪しい

 

「その体はしなやかにクラゲのようにくねり

その脚は細く長く その指は白く細く

バラのように赤く染まったシーツをめくると

一糸纏わずに神のように神々しく横たわっていた

 

「お前は昨夜どこにいた?

だれがお前の声を聴き

だれがお前の瞳を見詰め

だれがお前のその髪に触れた?」

 

皆目見当のつかない悪夢だ

冬の夜の街に降りこめる

凍え死ぬような冷たい雨のような

黒く残酷で残虐な誰かのこれは罠なのか?

 

「僕は決して人を殺してなんかいない

昨夜僕は正体不明に酔っぱらっていて

野良犬のように街から街をさまよった

女という女に片っ端から声を掛けた

 

「擦り寄ってきた寂しい女がひとり

僕の腕の中でひとしきり啜り泣いた

やがて僕の腕を噛んで猫のような月のような

その狂おしい瞳で僕を見上げた

 

「路地裏の寂れたアパートの一室に誘拐され

僕達はそこで夜の川のような水となって戯れた

冷たい黒いそれでいて濁り気のない水

よじれ逆らい泡を吹きやがて僕達は息絶えた

 

「目覚めると僕は途端に吐き気を催して

顔を洗い歯を磨き珈琲を沸かして新聞を読んだ

女な数本の髪と唾液の匂いとを残して

僕の知らない外国の街へと旅立っていった

 

僕は見も知らないアパートに取り残されて

僕の知らない夜に知らない女が殺された

ぼんやりと空を眺め煙草を吹かし

そしてコーヒーを飲んでいるとあなた達がやってきた

 

「僕の声を聞いた者はいないし瞳を見た者もいない

僕の髪に触れた者もいないし背中をなぞった者もいない

僕の悪夢を見た者はどこにもいない

僕の存在を証明する者はどこにもいない」

 

叫ぶようにしてそう言うと二人の刑事はニヤリと笑い

謎めいた微笑を漏らして立ち去って行った

僕はひとり知らない場所に置き去りにされ

啜り泣くようにして苦い珈琲を飲んだ

2022年4月30日公開

© 2022 佐藤宏

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