虚根

虚乳(第2話)

眞山大知

小説

5,576文字

かがくのちからってすげー! 
5月合評会提出作品・『虚乳』(https://hametuha.com/novel/93872/)の続編です。虚乳を未読のかたは先に読んでいただけると嬉しいです

吉原が家に帰ってこないと家族が捜索願を出した。俺と青田はその日の晩に警官たちへ連れて行かれ、隣町の警察署で事情聴取を受けた。星川さんのおっぱいに吉原が吸いこまれたなんて言っても信じてもらえないだろうと思い、険しい顔つきを金太郎飴のように並べた警官たちへ「何も知らない」と答えた。証拠があれば話は早かったのだろうが、案の定、フードコートの監視カメラは壊れていた。
翌朝のホームルームで、吉原が消えたことを触れる教師は誰もいなかった。星川さんも学校へ来なくなった。数日間は、動揺していたクラスメイトたちも夏休みが開けると、まるで二人が最初からこの高校にいなかったように、就職組は採用面接の準備をしだし、大学進学組は県内の私立大学だったり、はたまた県庁所在地にある地方国立大でモラトリアムを送ろうと、AO入試の準備を始めていた。
俺は二人の記憶を心の奥底に沈めた。たぶん青田だってそうだろう。青田の口からも二人の名前すら一切出てこなかった。

 

 

 

 

九月になっても涼しくならなかった。よって当然のようにゲリラ豪雨が降ってくる。
錆びつく蛇口、狭くて臭いタイル張りのトイレ、立て付けの悪い教室の引き戸。築四十年の県立高校の校舎なんていうのは、レトロを通り越してもはや廃墟だ。
渡り廊下を進むと雨粒が降りかかり、雷が鳴り響く。廊下を進んだ先は科学棟だった。これまた立て付けの悪い扉をひき、リノリウムの床の暗い廊下を歩くと化学実験室の引き戸が見えた。いつも通り、ジャラジャラと音が響いていた。
扉を開く。実験用の黒いテーブルにはボロボロの麻雀マットがひかれ、ジャンキーのような目つきをして、三人の男が牌をにらんでいた。
「おい、お前らが三麻を覚えるなんて、少しは賢くなったな」
別のテーブルにカバンを乗っけながら悪態をつく。
「そうだろ、すごいだろ。俺が教えたんだ」
上家側のカバがこちらに目線をやって、普段でも伸び切った鼻の下を見せびらかすようにさらに伸ばしてきた。同じ中学だったカバは勉強熱心で、中学三年間を麻雀にかけ、卒アルには麻雀のDVDを持ってドヤ顔で写っていた。
「お前がなかなか来ねえから三麻するしかなくなったんだよ」
対面側の青田がサカバンバスピスが膨れっ面したような表情で、牌を麻雀マットへ叩きつける。化学部の副部長として、入部を許可した覚えはないが青田はいつも勝手に入り浸っている。
「あ、それ、ロン」
上家側のハツがつぶやいた。合宿で徹マンしたときに寝ぼけて發の牌を口に入れた男だ。本人いわく、フリスクと間違えたらしい。どこにそんなデカいフリスクがあるもんか。メーカーに謝ってこい。
カバは立ち上がると「リーチタンヤオであがるなよ。しょっべえ男だな!」と罵った。
「俺は今日、麻雀しねえからな。化学部の副部長としてしっかり研究しないと」
三人を牽制して、白衣に着替える。
「なんだよ、混ざればいいのに」
カバが残念そうに言った。隙あらばすぐ麻雀に誘ってくるから油断ならない。
机の下からオイルバスを取り出し、スイッチをオン。これで薬品を温める。高校最後の思い出だ。この部活は、天才的な部長様のおかげで全国レベルの研究力を誇り、高校生理科研究発表会――甲子園の科学系部活版のようなものだ――に出場することが決まっている。発表まであと数日。追いこみをかけたい。
試薬を棚から取り出す。青田が「なんだよ、この配牌。ひどすぎ」と文句を言ったその瞬間、突然、実験室の扉が凄まじい勢いで開いた。
「お前ら、わたしのちんぽ生え薬をはよ作らんかい!」
怒号のような大声を放ったのは部長――A組の志希しきちゃんだった。
「んだよ、バチクソ暑いんじゃ!」
実験室に入った志希ちゃんはスカートをバタバタさせ、ブレザーとワイシャツを脱ぐとTシャツ姿になった。シャツの背中には、ケツで割り箸を割るウサギのイラスト。どこからそういうTシャツを買ってくるんだろう? 数珠を握って空を拝んでいたジジババがつい十年前まで本当にいたこんな僻地に、あんなハイセンスなシャツがあってたまるものか。
「部長、そうは言ったって時間が無いですよ」
「時間は作るんだよ!」
部長様は丸メガネをギラギラ輝かせて言った。
化学部の研究テーマ――「アカオタテガモの雄性ホルモンの合成経路の解明」はまだ一年生だった頃に志希ちゃん部長様がぶちあげたテーマだ。真面目そうなテーマ名だが、要はちんぽ生え薬の開発だった。
鳥には基本的にペニスが存在しないが、カモはペニスを持っていて、驚くべきことに毎年生え変わる。そして、アカオタテガモのペニスは身長の半分ほどの超巨大サイズになることが知られている。部長はそこに目をつけた。自分にも巨大ペニスを生やしたい――二年前の冬、実験室の黒板を背に、堂々と演説した部長の姿に心をなぜか打たれた俺達はそれから奴隷のごとく働き、三年生にあがってすぐの頃に、自分たちの手でホルモンを合成することができた。
ただ、完成したのはあまりにもわずかな量だった。絶望していた俺たちの肩をたたき、部長様は「だったら誘導体にすればいいんじゃね?」と言い出した。つまり、ホルモンの構造に余計な分子をつけたりして効果を増幅させるという作戦だ。ライ麦のカビが出した毒の誘導体からLSDが生まれた。俺達はそれのちんぽ生え薬バージョンをしている。
「誘導体、あとどれぐらい作れそう?」
部長が聞き出す。
「一種類も作れない――俺だけじゃ」
俺は麻雀マットに目線をやりながらいった。
「おい、そこの三バカ! 働け!」
部長は怒鳴ると麻雀マットをいきなりまくりあげた。跳ね上げられた麻雀牌は、セクシーな放物線を描きながら実験室を飛んだ。
「あああ! 緑一色をテンパってたのに!」とハツが悔しそうに言う。
「やですよ部長! もう実験したくない!」と青田が部員でもないのに嫌がる。
「そもそも青田はうちの部員じゃねえだろ!」とカバは正論を言った。
「うるせえ、またケツを揉むぞ!」
部長は光の速さで三人のケツを鷲掴みにした。三人とも無抵抗に、ひん、とか細い声をあげた。
「やる気のねえ奴らだな。こうなったら、いままで作った薬を全部たいらげる!」
部長様は窓際の試験管立てに近づき、並んでいた試験管をすべてかっさらった。十本以上はあるはずの試験管には、それぞれホルモンの誘導体が入っている。
「これでわたしはバキバキちんちんになれる。どうも、バキバキ志希ちゃんだぞ!」
「部長!」
俺は諌めたが聞き入れてもらえず、志希ちゃんは試験管の薬品を全部飲み干してしまった。
「うっ!!」
志希ちゃんは野太い声を放つと身体をわななかせ、背中を向けた。手でこそこそまさぐった志希ちゃんが「おー、勃ってないけど十七センチあるんじゃん?」とつぶやきこちらに振り返ったその瞬間、スカートが一気にめくれあがった――勢いよく勃起したそれの先端は、黒板のうえのスピーカーに触れていた。
「あれが……」とハツが言うと、なぜか土下座して祈り始めた。釣られて、青田とカバ、そして、俺までも床にひれ伏して拝んでしまった。
うかつに巨根を直視してはいけない。圧倒的なオーラでメスにされそうだった。
顔をおそるおそるあげると、「うっわ、まじかよ。すっげえ」と、部長はうっとりした表情で巨根を見つめていたが、突然むずむずと身体を痙攣させはじめた。
「やべえ、射精しそうなんだけど」
刹那、ペニスから一気に白い液体が噴射された。精子は化学実験室をあっという間に一色に染め上げた――精子の大洪水だ。みるみるうちに腰の高さまで精子に浸かってしまう。ノアの大洪水のほうがまだマシだ。
椅子が流される。実験機器も、麻雀マットも洪水に巻きこまれた。窓が割れる。俺達は、精子の波に押し出され科学棟を飛び出し、そのまま白濁の大洪水に流されつづけた。意識が薄れゆくなか、思う。こんな量の精子、部長の身体から出るわけがない。質量保存の法則を完全に無視している。
洪水は校庭へ流れていった。目の前の桜の樹に手を伸ばして捕まる。助かった。少し冷静になった頭で仮説を立てた。あのちんぽについた金玉が虚無から精子を生み出しているのだと――まさに虚根じゃないか。

 

 

 

 

不幸だったことに、この田舎は盆地にある。よって当然のように精子は盆地に溜まる。部長の精子は盆地を全面精子の湖にした。
洪水が収まった頃を見計らって、精子の湖を平泳ぎでわたり、校舎へたどり着いた。屋上にあがって盆地を眺めると、町があった場所は、白く、青臭い湖に姿を変えていた。
轟音が鳴り響いていた。振り向くと、科学棟からナイアガラの滝のごとく、莫大な量の精子が轟音を立てて噴射されていた。
「ねえ、これ、ガチですっげえんだけど!」
部長が、轟音よりも大きな声で叫び、イチモツを窓から出してぶらんぶらんさせていた。
「俺達、どうすればいいんだ!」
隣にいた青田がパニックを起こして叫ぶ。俺にもわからない。
「お前らがなんとかしろ、お前らの部活だろ!」
周りにぞろぞろ集まっていた教師たちが、なぜか青田を叩く。
「先生、俺、部員じゃねえんだけど!」
青田が至極真っ当な正論を言った。
万事休す。いったい、どうすれば――。
「あらあら、困ってるようね」
突然、頭上から声がかかる。
この声は――。目線を上に向ける。空中に浮いていたのは、ブレザー姿の女子高生。はだけた胸は漆黒のように黒く、その胸の奥には、大宇宙が広がっていた。
「星川さん!」
「だから人類ってお馬鹿さんなのよ。たやすく禁忌に触れちゃいけないでしょ?」
星川さんは空中を歩きだす。
「え、なんで星川さんが……?」
ハツが絶句した。
「おい、星川。なんだそれは! ブラジャーの色は白だろ!」
「靴下の色は白だろ!」
教師どもが急に校則を思い出して注意した。突っこむのはそこじゃないだろう。もし校則で髪の色の指定がなくなった一年前だったら、髪の色も注意していただろう。
星川さんが歩いた先は科学棟、部長のイチモツの目の前だった。星川さんは胸を差し出し、部長の噴水のように湧き出る精子を受け止めた。
「そうか、無限に精子を吐き出す虚根には、無限に吸いこむ虚乳か!」
思わず叫んでしまった。
星川さんは不敵な笑みをしてさらに歩み寄り、イチモツを胸に差しこんだ。――虚乳と虚根が合体した。
みるみるうちに星川さんの身体が光りだしたと思ったら、おっぱいから黒いなにかが飛び出した。その黒いなにかは、宇宙だった。銀河系が見える。太陽系が見える。地球が見える。だが、虚乳のなかの大宇宙とは、明らかに違う――あれは新しい宇宙だ。虚乳と虚根が、新しい宇宙を生み出したんだ。そう確信した。
新しい宇宙は、むくむくと大きくなると亀裂が入った。光が放たれた。一気に、目の前の光景が猛烈なスピードで崩壊し始めた――世界がぶっ壊れた。学校も、精子の湖も、空も、ありとあらゆるすべてが、バラバラになり、急激に凝縮し、一つになる。
わけがわからなかった。崩壊。融合。超次元。多次元宇宙。森羅万象はひとつに融合し、混沌へ還った。時間が逆転。空間は捻転。因果律が崩壊。あらゆる事象が同時に出現し、目の前に広がると、その中央に星川さんが立っていた――虚乳を出しながら。
「さあ、帰っておいで」
星川さんがそう言うと、混沌は、俺達は、そして森羅万象は、新しい宇宙に絡め取られ、ふたたび虚乳のなかに戻っていった。

 

 

 

 

イオンのフードコートに着く。平日なのにここのイオンはどこもかしこも混んでいて、家族連れやはしゃぐカップルをかき分けると、吉原が壁際の椅子にスマホをいじって座っていた。壁には真っ黒なギターケースが立てかけてある。中身は生意気にもギブソンのレスポールだったはずだ。吉原の向かい側には、文芸部で同じクラスの青田が、分厚い眼鏡をクイクイさせながら、鈍器のように分厚い電撃文庫を読んでいた。
「よう、吉原。それに、青田。どうしたの?」
声をかける。隣の席からプラスチックのひょろひょろした椅子を持ってきて、吉原と青田の間に座る。
「知らない。俺も急に呼び出された」
右の青田は妙に余裕のある顔だった。テストの最終科目が現代文だったからかもしれない。この高校始まって以来の現代文の天才の青田は、春に発表された群像新人文学賞で最終候補に残り、「天才少年現る!」なんて地元の新聞の文化面に取り上げられた。
「来てくれてマジありがとう」
そう言って吉原が手をさした先には、三人分のマックシェイクがあった。
「さあ飲んで、飲んで。これからガチで面白いことをする――俺、告白するんだ」
急にがっかりした。なんだよ。俺のラッキースケベを返せ。吉原に忠告する。
「また? どうせ玉砕するのがオチだろ。ビンタされてまた歯が欠けるぞ」
テーブルからバニラのシェイクをとって吸う。口の中が一瞬で甘ったるくなった。
「ちなみに誰?」
青田が電撃文庫を閉じながら聞くと、吉原は夢見るお姫様のような面をした。
「お前のところの部長様」
すると、フードコートの奥から足音が聞こえた。三人で振り向く。柱の陰から出てきたのは、金髪のロングヘアの女子だった。うちの学校の制服を着ていたが、顔は知らない。
「誰だあれ? うちの学校にあんな子いたっけ」
「さあ?」
吉原と青田が言いあった。だが、俺はその女子を見たことがある気がした。
女子はシャツをはだけると、ちらっと胸を見せてきた。真っ黒な乳。その乳のなかには、宇宙のすべてが存在していた。
「あっ……、星川さん」
俺はあっけにとられてつぶやいた。
「ようこそ、新世界に」
星川さんは、茶目っ気たっぷりの笑顔を見せた。星川さんの背後から「吉原ーー!」と、部長様の叫ぶ声が聞こえた。

2024年7月30日公開

作品集『虚乳』最終話 (全2話)

© 2024 眞山大知

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