匣沼 第一部 

脳彫別バジャアキ

小説

3,188文字

俺の息子にしゃぶりつく母さんの口はまるで沼。
また汚くなっちゃった。
早く父さんに体を舐めてもらって浄化しなきゃ。

歪んだ家族愛によって、狂ってしまった男の物語。

おでん

 

波打つ脈拍が、それはかれこれ一ヶ月、佐々木を苦しめている。

朝から始まる頭痛のように、日常的に襲いかかる。

ふと気づくと既にどっぷり浸かっているのだ。

楽しいはずの時も、つまらない仕事中も、いつの間にか、もうそこにいる。

全ての神経が一つに集中して時が止まる。

そして何も手につかなくなる。

そんな時は、ただ、じっと、発作が治まるのを待つしかない。

佐々木はいつしか、その症状を発作と呼ぶようになっていた。

 

ドロリと溶けるようなガムが、時が経つとゴムみたいに固くなるように、この症状も長くは続かないのではないかと、夢見がちになる。

止まらないピアノの旋律がノートから溢れ出す。

チョコレート色の小さな音符が白い紙から旅に出る。

 

頭が痛くなるのが早いか、ガムが固くなるのが早いか、両者は競い合い、無意味な戦いを繰り返す。

ペンを持つ手が震える。

汚したくない。

なのに垂れるインク。

 

裏腹に冴える脳。

でも何も書けない。

側から見ていると落ち着きのない動作も、何かに関連する重要な動作なのかも。

もう何時間も考えているようで、何も考えていないようだ。

黒い点が無数に広がる紙に向かって項垂れる。

間違っているのか、正しいのか、正しい事をやるべきなのか、好きな事をやるのか、黒か白か、漢字か平仮名かカタカナか、はたまた、絵の具のように変幻自在な存在を求めるのか、求めているのは自分か、もうすぐ死ぬかもしれないのに何の為に書くのか、佐々木はもう、わけがわからなくなっていた。

 

無くなりそうで無くならない味。

固くなりそうでならない。

ドロドロでもないけれど硬くもない。中途半端で凹凸な、まるで今の佐々木状態。

佐々木シンドローム、佐々木デイドリーム、佐々木シュークリーム。

意味不明な言葉を書き殴る。

まさに書き殴る。

黒い点の集合体。

佐々木は死に物狂いで書き殴る。

もはや何が書いてあるかもわからない黒い紙。

いつのまにか溢れたインクが部屋を漆黒の闇に包み込み、想い描いた美しい旋律は固くなったガムと共に消えた。

もう、すぐそこまで来ている、清らかな朝。

換気した方がいいよ。

聞いた方がいいよ。

少しは人の話。

見てみたら、外の世界。

煙草は体に毒だよ。

酒はヒャクヤクノチョーとは言うけれど。

とにかく一回、出てみたら。

たまには歩いた方が良い。

試してみたら、何か新しいこと。

春なんだから。

余計なお世話だ、ほっといてくれ、干渉されるのが一番ストレスだ。

横文字。

あ、チョコレートやガムも横文字だったな。

佐々木は立ち止まった。

出てみるか。

たまには。

どんな風に出るんだ。

靴を履いて。

財布。

鍵。

うーん、色々考えるのが面倒だ、やっぱいーや。

 

溢れた灰皿。

黄ばんだ前歯。

散らかった頭。

中も外もボサノバ!

また横文字!

 

そういえば、ボサノバってどんな感じだっけ。

たまには見なよ、外の世界。

 

何も考えなくていいからさ。

出てみたら。

まずは一歩。

そしたら自然と後ろ足が追いかけてくる。

右左とか前後とか、無意識に進む。

小銭を掻き集めたポケットの中には、鼻をかんだであろう丸まったティッシュも入ってる。

小銭出す時、いちいちガムの包まった銀紙も出てくるし。

 

意味も無く、掻きまくるボサノバの髪。

合わないね、佐々木にボサノバ。

全く合わない。

どこにもないボサノバの要素。

なのに頭がボサノバ。

 

今日は何曜日だ。

休日なのか。

とにかく日差しが眩しくて。

しかめ面。

久しぶりに出たくせに。

結局、酒屋で終わるのか。

酒屋だと、酒と煙草が一気に買える。

スーパーでも買えるが、物が溢れすぎていて目的を見失うのがオチ。

やはりここは酒屋だ。

酒屋に限る。

結局、酒屋か。

相変わらず、酒屋か。

 

煙草と酒以外に何が欲しいかって考えた。

暫し考えた。

帽子かな。

今はただ眩しくて。

日差しが眩しくて。

春の日差しが眩しくて。

桜の木の下、目黒川。

いつのまにか、なぜか、おでんが食べたい。

大根、たまご、三角蒟蒻、餅入り巾着、そして絶対的存在ちくわぶ。

金がないから大根、たまご、ちくわぶ。

君は最後に溶かして飲む。

あー、目黒川。

おでんを食べながら歩きたい。

 

今の気持ちに佐々木は素直に心を開いた。

 

たまに出たんだから、行こうかな、本を探しに。

古本屋か、新しい本屋か。

金がないから古本屋のワゴンだな、と言いつつ、結局、いつもの感じで舐め回すように、棚の端から端、上から下まで。

まずは著者、そしてタイトル。

何時間もかけて今の気分の一冊を探す。

 

今の気分はメシ。

断然、メシ。

メシの作り方について詳しく書いてある料理本ではなくて、どこで何を食べただの、どんな食感だっただのが事細かに書かれた旅行記みたいな本が欲しい。

 

そういえば食べたかな、メシらしきメシ。

水は飲んだ。

いつもの水道水。

酒。

煙草。

水。

 

とにかく探そう、とっておきの一冊を。

小説はダメ。

惑わされる。

絵画を見るのがダメみたいな感じ。

小説は読まない。

とにかく探せ。

目が点になるほど、息を止めるほどの勢いで。

候補を忘れずに、貪るように探す。

今に命をかける。

古本屋が閉まるギリギリまで粘る。

そして結局選べずに終わる。

 

春の日差しが柔らかな夕暮れ。

なんだ、やっぱ、今日も酒屋か。

酒屋で終わるパターンか。

結局、俺は酒屋どまりだ。

酒屋と家の往復。

あ、古本屋もね。

なんてこった、今日も酒屋かよ。

 

結局、いつも、小説は読まないと言いつつ、横目では小説を探している。

大好きなくせに、興味がないふりをしているだけ。

しかしなかなかどうしてだろう。

好きな本に出会うのは難しい。

思うようには手に入らない。

調べてから探すのではなく、偶然に出会いたい。

オイ!佐々木!俺を読め!って自信満々に勧めてくる本に会いたい。

一期一会。

初めまして。

こんにちは。

さようなら。

また逢う日まで。

 

あー、読みたい。

もう一軒行こうか。

ハシゴ酒ならぬ、ハシゴ本。

あー、読みたい!

活字が読みたい。

酒と煙草と天秤にかける。

今は活字さんの勝ち。

 

素直に心を傾けて、足を本屋に向けてみる。

そして一歩、また一歩。

ボサノバの頭を抱えながら、活字を求めて彷徨う足。

人が多いな、駅はムリ。

裏通り、とにかく裏通り、早く裏通り、あー、裏通り。

でも久々に歩く足、思うようには動かない。

裏通りに行くには、そこの路地を右に、その先を更に奥へ、そしてまた右に、適当に歩いてまた元の道。

オイオイ、またこうなるのね、いつもの俺復活。

 

いつまで続くのこの感じ。

ダラダラダラリ、どこまでも。

足が棒。

まるで棒。

ひとまず休もう。

とりあえず休もう。

別に急いではいないんだし、そんなに焦ることはない。

今日が終われば明日があるんだし。

明日があるの?

誰にでもあるの?

明日生きてるとは限らないのに。

そうなってくると焦ってくる。

急がねば。

でもあるのかな、今更急ぐ意味。

明日がなくて、今日まで、だとしたら、今何がしたいか。

 

やっぱおでん?

おでんに日本酒?

大根に辛子?

ちくわぶは欠かせないな絶対!

だって今日が最後なんだぜ?

んー、最後におでん。

どうなんだこれ。

一人でシミジミおでんをつまみながら幕を閉じる。

これがもうすぐ二十歳の死に様か。

 

頑張れ佐々木!

今夜死ぬとも限らないんだからさ。

今はただ書きたいことを書きなよ。

何でもいいよ。

気軽に、考えすぎずに、楽にして。

これからだって今までのように夢見がちでもいいんだよ。

誰かを傷つけるわけじゃないんだし。

でもたまには、自分と向き合ってみたら。

今の気持ちに素直にね。

おでん食べたい、みたいにさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年1月19日公開

© 2024 脳彫別バジャアキ

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