山西の静楽県娑婆郷の保正(村長)は許永と言う分限者だった。その一人息子は十七歳で名を許世友と言った。親孝行で働き者で、学問や詩文に優れ容姿も美しく、近隣の評判は非常に高かった。
ところがある春先に世友が急死してしまった。父母は悲嘆に暮れたが、とりわけ母親が半狂乱になって悲しみ、ぜひとも息子を結婚させると言いだした。
「独り身のまま死んでしまっては、亡者となって救われぬまま永久に彷徨うことになるのです。なんとしても連れ合いを見つけて、あの子をきちんと冥府へ送り出してやらなくては」
いったい冥婚とは、死者同士で行われるのが通常だが、死者と生者でも成り立つとされる。隣村の保正の娘が子供の頃からのいいなずけだったが、冥婚の話を聞いた途端、姿をくらましてしまった。村の娘で志がある者を募ってみても、死人の妻になりたい者などいない。病気で死にそうな娘がいないか探したが、そう都合良く見つかりもしない。
焦るばかりで虚しく時が過ぎたある日、少し先の貧乏村で死んだ娘がいると聞いて夫妻は飛んで行った。趙憐憐という十四歳の娘で親は亡く、親類の家に厄介になっていたと言う。死体を貰い受けたいと親類の者に金を渡すと一も二もなく承知したので、今埋めたばかりの墓を掘り起こし、死体に花嫁衣裳を着せ、花駕籠に乗せて娑婆郷に連れ帰った。
家に帰って花嫁を降ろしてみると、何やら体が温かい。よく見ると呼吸もしている。介抱してやると顔に血の気が差してきた。もともと死んでいなかったのか、道中駕籠に揺られた衝撃で生き返ったのかは分からないが、今さら家に帰すわけにはゆかない。娘に人心地がつくのを待って母は因果を言い含めた。
「憐憐や、元の家の者たちは、そなたは死んだと思っている。無理に帰っても実の親でもなし、厄介者扱いされ売り飛ばされるのが関の山です。それよりは我が家の嫁になって、息子を弔いながら暮らしてはどうか。うちは金持ちではないけれど、衣食に事欠くことはない」
憐憐はもっともだと思い承知した。早速その場で祝言を挙げることになった。
すでに家中紅布で覆われており、広間には祭壇がしつらえられ、婚礼の銅鑼やチャルメラが賑やかに鳴り響いた。花嫁は導かれるままに天地に拝礼し父母に拝礼したが、赤い顔覆いを被っているので何も見えない。ただもくもくと焚きしめた香に混じって魚が腐ったような臭いがした。
そうして新婚の間に連れて行かれ、寝台に座らされた。本来ならば花婿が短い竿で顔の布を取るのだが、父の許永が代理を務めた。目を上げるとすぐそばに花婿の姿があった。籐椅子の背に寄りかかっていたのは朽ち果てつつある死体であり、顔はどす黒く膨れ上がっていた。部屋中異臭に満ちて人々は皆、嘔吐をこらえながら儀式を進めていく。ふと、死者の身体がこちらに傾いた。崩れかけた下あごがぐらりと揺れて、にっこり笑ったように見えた。憐憐は悲鳴を上げ、逃げ出そうと駆け出したが、目の前に母が立ちふさがって通さなかった。寝台まで引き戻された憐憐はそのまま気を失ってしまった。
深夜、寝台に寝かされた憐憐の枕元に許世友が現れた。
「浅ましい姿を見せて申し訳ない。死ねば誰しもああなるので許してください。私のような者に嫁ぐのはさぞお嫌と思いますが、どうか老いた父母を哀れと思って、この家に残ってくれませんか」
世友は若く大層美しい顔立ちをしており、挙措は優雅で貴公子のようだった。よく見れば確かに死骸と同じ顔の人だと分かって、憐憐は急に自分の振舞いが恥ずかしくなった。
「嫁ぐと決めたのにはしたない真似をいたしました。貧乏な家に育ったので礼儀を知りません。こんな貧乏人の娘でもよろしいのですか?」
世友は笑って言った。
「このような身に成り果てた今、富貴など何の役に立ちましょう。あなたの真心だけが頼りです。私は幽鬼の身ですのであなたと契ることはできません。けれどもあなたこそ我が妻です。これで安らかに冥土に行くことができます。ありがとう、ありがとう」
一番鶏の声で目覚めると枕元に紙が置いてあった。憐憐は字が読めないので姑に見せると、詩編が書いてあると言う。
洞房紅帳九泉下
両魂連綿相思命
落花流水欲山盟
此時感恩謝真情
新婚部屋に紅帳掲げて死者の祝言
二人の魂は連綿と相愛の定め
落花流水の情は永遠の契りを欲し
今、恩愛に感じて真情に謝す
姑は詩を読んで泣き崩れた。
「これは間違いなくあの子の筆跡。黄泉の国から便りをくれたのですよ」
夢で見た美しい姿と優しい言葉を思い返し、憐憐は許世友を我が生涯の夫と決めた。
その後、世友が現れることはなかったが、清明節に近い早春の明け方や盂蘭盆の頃など、ほのかに気配を感じることがあった。憐憐は姑に願って読み書きを覚え、世友の遺した詩文や手紙を読み、夫の人となりを慕うようになった。
それから数年、憐憐はまめまめしく舅姑に仕え、夫の祭祀を絶やさず、あまり外に出ることもなく静かに暮らしていた。ところが年が明けたある日、親戚の若者を養子に取るのでその者と再婚するように命じられた。
「家を潰すわけにはゆかぬから跡継ぎが欲しいのだ。子を産ますために妾を迎えようかとも思ったが、金もかかるし、人柄の良し悪しを見定めるのも大変だし、仮に子が生まれたとしても成長するまで見届けてやれぬかもしれない。それよりは身元のしっかりした若い男をもらった方がいいと思ってな」
と舅の許永が言うと、姑が口添えをする。
「そなたは気立ても良く働き者で申し分のない嫁です。これで子を産んでくれれば血を分けた孫も同じことで、言うことなし」
「女は二夫にまみえずと申します。他の方に嫁ぐなど思いもよらぬこと。私の夫は世友様一人です」
「嬉しいことを言ってくれる。世友は私たちにとっても掌中の珠でした。そなたのことも実の娘と思っておる。とは言え、いつまでも後継ぎを儲けずにいるのはご先祖様に申し訳が立たぬ。私たち夫婦にもいつ何があるか分からない。後生だから承知しておくれ」
「もちろんあの子の祭祀はこれからも絶やさないし、子を産んでくれたらそれは世友の子として家系譜に書くことにする」
舅姑に代わる代わる泣いて頼まれて、憐憐は承知せざるを得なくなった。時に十七歳になっており、美しく淑やかな娘に成長していた。
婚礼が翌月に迫ったある日、内輪だけで酒宴を催した。世友との婚礼で着た花嫁衣装を整え直して衣桁に掛け、花を飾りご馳走を作り、なごやかに酒を酌み交わした。
その夜、胸苦しさで憐憐が目を覚ますと、誰かが身体の上に乗っている。驚いて押し除けようとしたが、いつの間にか手足を縛られていて動けない。
「憐憐や、可愛い娘や、ちょっとの間だけ我慢をしておくれ」
半ば喘いだその声は、舅の許永のものだった。裾を捲り上げ両足を開かせ強姦しようとしている。
「お父様! 何をなさいます。お酒の飲み過ぎでしょう」
「わしは全くしらふじゃ。憐憐や、お前にはわしの子を産んでもらう」
驚愕で言葉も出ない憐憐に、許永はせかせかと言い聞かせた。
「もちろん婿養子には来てもらう。家業を継いでもらわねばならぬからな。子供もどんどん産むがいい。しかし最初の子はわしの子を産んでもらう。向こうにもちゃんと言い含めてある」
「私はあなたの息子の嫁です。これは獣にも劣る振舞いです」
「子孫を残し、家を絶やさぬのが我らが第一の務め。血を分けた子を残せずして何の甲斐があろうか。良いか、孤児のお前をこれまで実の娘同様に慈しんでやった、恩義を知るなら言う通りにせよ」
進退極まって憐憐は、泣いて哀願した。
「どうぞおやめ下さいまし。これまでお父様お母様を、本当の親と思ってお仕えしてきましたのに、こんなこと、お母様に知られたら、私は生きておられません」
「安心せい。そもそもあれが考えたことなのじゃ。今さら妾など持つくらいなら憐憐にしろと。お前ならば安心して子を産ませられると言うたぞ」
それを聞いて憐憐は一声、悲鳴を上げ、そのまま気を失った。その隙に許永は娘の操を奪い、静かに立ち去った。
翌朝、憐憐が部屋からいなくなっていた。慌てた夫妻があちこち探したところ、村の墓地で首を吊っていた。
日当たりの良い一等地にある許家の墓所には、一もとの楊柳の巨木があった。春先のことで白い柳絮が一面に舞い飛ぶ中、枝垂れ枝と一緒に憐憐の身体がゆらゆら揺れていた。その足元に花婿の衣装を着た骸骨が倒れており、手には一枚の書付を握っていた。
一片孝心空奉献
如今鴛鴦正相見
真心からの親孝行も無駄なことだった。
今こそ鴛鴦の契りの夫婦が相まみえるのだ。
その後、許家には養子の若者が入り、村から嫁を迎えたが、ついに子宝に恵まれることはなかった。
kujakuya 読者 | 2023-03-22 02:01
読む前に何となく抱いていたイメージと違って、本当に哀しくて淋しくてすぐに感想書けませんでした(^_^;)
雨月物語を連想しましたが、多分「中国の書物の翻案」成分が反応したのだと思います。湿ったのではなく乾燥してパサパサした感じ……中国が舞台のお話は内容がドロドロしていても何故か乾燥した空気を感じるのです。
ラストのバッサリ終わった感じから、大きなお屋敷が人気もなく廃墟になっている映像が浮かんできました……
大猫 投稿者 | 2023-03-22 13:09
孔雀屋さん、コメントありがとうございます!
「乾燥」をイメージしていただけたなら作品は成功したなと喜んでおります。
舞台の山西省はバリバリ内陸部なので冬の乾燥がすごくて、墓場からミイラがいっぱい見つかるとかなんとか。。。
『雨月物語』は時代的に『聊斎志異』より後なので、影響を受けたのではないかと勝手に思っていたのですが、なんと出版年が一年しか違わないのですね。上田秋成先生にはお詫びを申し上げなくてはなりません。
曾根崎十三 投稿者 | 2023-03-23 00:23
ゾンビというよりも幽玄な幽霊の美しい話だなー、と心奪われてしまいました。この結末のための過程だと思えば、義父母の非道な振る舞いも必要悪に思えました。
変態じゃなくても死後、相手を愛するということもあるのですね。綺麗だ……。ちゃんとゾンビ描写もあり、臭い描写もありましたが、全体的に匂いが少なそうな雰囲気でした。これが乾燥感?
黍ノ由 投稿者 | 2023-03-23 07:53
質感のあるうつくしい文章にため息が漏れました。
彼女は朽ち果てた屍の他、実体としての彼を知らず、幻の姿と残された詩で満たされたまま愛しぬいたんですね。
ストーリー自体も好きで入り込んで読んだのですが、冥婚というテーマに、時や実体を越えた恋愛の可能性を感じてさらに興味深かったです。
諏訪靖彦 投稿者 | 2023-03-24 09:05
なんとも悲し物語です。
冥府で憐憐が世友と仲睦まじく暮らせることを願っています。
硬質的な文体と漢詩の美しさが、物語をより深くしてますね。
しかし舅、ひでえやつだなあ。
松尾模糊 編集者 | 2023-03-25 14:32
冒頭の長閑な村の古き良き時代の、幻想感と漢詩を用いた大猫さんらしい世界観から後半の家父長制度、血統主義のおぞましい暴力と悲しい結末がこの短いストーリーの中で見事に完成していると感嘆しました。
小林TKG 投稿者 | 2023-03-26 19:36
全く何の知識もない私なんですが、実は冥婚というのは知っておりまして(ある漫画ので読んだからっていうだけなんですけども)。だからここで出てきて、あー、って思いました。そういうのもあるのかー。あったなー。なるほどなー。って。
悲しいですね。首吊って死んでるのを発見してもまあ、そうだろうなって。そら死ぬよって思いました。これは私があまちゃんだからそう感じるのかもしれないけども。
波野發作 投稿者 | 2023-03-26 23:27
これは凄まじい出来栄え。滝平二郎風の絵でアニメ化したいですね。AI使えばもうできるんではないですかね
ヨゴロウザ 投稿者 | 2023-03-27 00:11
なんか武田泰淳の『橋を築く』を思い出しました。いつもながら見事な手際です。冥婚というのは知らなかったのですが、よく考えると霊魂不滅が前提になっていますよね。東洋には永遠不変の自我なんていう発想は無いとかなんとか、たいへん胡散臭い言説であり大嘘であると思っています。
退会したユーザー ゲスト | 2023-03-27 00:47
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諏訪真 投稿者 | 2023-03-27 18:22
憐憐が生き返った原因が超自然的なものなのかなと思ってたので、最後また死体に戻るかと思ったら普通に痛ましい最後だったので、悲しいけど美しいところに着地したなと。
Juan.B 編集者 | 2023-03-27 19:26
良いことは他の人がみんな書いてしまった。美しく、暗い。まあ、そうなるよな……。
家破山河在 村春愛情深
Fujiki 投稿者 | 2023-03-27 20:39
血のつながった跡継ぎを残したいという舅の言ってること自体は筋は通っている。要するに、あれだ、合意の問題だ。「女は二夫にまみえず」とか何とかつまらない倫理観を振りかざしていた嫁も結局うまいこと説得されて婿取りを了承したわけだから、この件に関してもちゃんと先に合意を取っておけば何とかなったはずだ、と思った。安定のクオリティで星五つ!