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1-5-5.《 ヤチダモ 》の物語
ある大嵐の翌朝、
大湖沼地帯の岸辺の泥だまりのほとりで、
群れからはぐれたらしい四ツ足の仔が1匹、
母を求めてか、しきりと鳴き泣きしているのを、
通りすがりの二本足の女が聴きとめた。
孕んだ大腹を抱えたまだ若い女は、
異族とはいえ迷子の幼生を見過ごせず、
さりとて、あたりを見渡しても、
春の大雨の後の大増水の、さらにとどめの大嵐で、
目の届くかぎり一面の水びたし。
迷仔がもといた沼が何処であったかなど、
とても見分けられそうにない。
しかたなく女は片手でひょいとその仔をつかむと
すたすたと自分の村の自分の家まで戻り、
一番大きなたらいに庭先の流れの泥水を満たしてその仔を放ち、
ときおりは日当たりで体を干して休めるようにと板きれを斜めに渡して、
泥一面の岸辺にいて水草も埋もれて食餌もとれなかったろうと、
屋根から吊るして増水から護ってあった保存食の中から、
海藻の干したものを少しばかり水でもどして
ほいほいと喰わせてやった。
がつがつと喰らったその仔は腹がくちくなるとようやくに鳴きやんで、
「…あんにゃ~!」と、
それまでとは少しようすの違う
お礼のような声をあげ、
やがて安心したのか
たらいの泥水の中から板きれに半分ほど身を乗り出した格好で、
くぅくぅと寝入ってしまった。
女は微笑んで、
増水がひいてその仔が一匹でも生きられるようになるまでは
預かるつもりで
毎日まいにち、干した草やら刻んだ水草やらを
せっせと用意しては口元に運んでやった。
やがて月満ちて、女は子を産んだ。
動けぬあいだは親族や近在の者が入れ替わりでやってきては
二本足の赤子の元気そうな乳の呑みっぷりを誉め、
手の放せぬ女に代わって四ツ足の仔にも
よしよしと撫でてやり餌をやり、
泥水をよいしょと替えてやっては
帰っていっては、また訪れた。
やがて女は不自由なく出歩けるようになると、
まだまだ軽い乳飲み児を、
くるみ布でよいしょと背負い、
もうずいぶん大きく重く育った四ツ足を
えっこらさと抱え上げて、
増水のひいた、もとの大河のほとりにまで
うんさこらさと運んでやった。
ところが四ツ足はみぃと哭き、厭がって女から離れなかった。
「えんにゃー! えんにゃー! …えんにゃー……ッ!」
褐色の平たい四ツ足のはぐれ仔が、
どうやら自分のことを実の母と
思いこんでしまったらしいと気がついて、
女は苦笑してため息をつき、
またまたえっこらさと抱え上げて
うんうんと家まで戻り、
今度は家の前の小さい沼川に、
ほいっと四ツ足をはなしてやった。
「もう盥の中では狭いだろう。ここならいつでも逢えるよ?」
聞き分けたのか、四ツ足はおとなしく泥沼のなかへ泳ぎこんでいって、
少し嬉しそうに、まだ短い尾でぱしゃりと水面を叩いた。
その晩、
おそらくその仔の母なのであろう
人の背ほどの大きな雌の四ツ足と、
その族長であろうか大きな大きな、
家の屋根を超すほどの大いなる老いた四ツ足が、
そろりと女の家の前に泳ぎ来て、
声をそろえて「あんにゃ~!」と鳴きながら、
長い首をそろえて折ってぬかづいた。
大いなる二匹の去った後には
二本足の喜ぶ水底の光る石や貝殻や、
船から落ちたのだろう古びた金貨が、こんもりと小山に積まれてあった。
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仔は時おりは太い河まで出て
親や一族らと遊んで帰ってくるようだったが、
ほとんどいつもは女の家の前にいて、
食餌は自分で探して水草を摂るようになったが、
朝に夕に、
陽が昇れば「あにゃー!」と鳴いて女を起こしに来るし、
陽が沈めば「おにゃー!」と鳴いて、
女におやすみの挨拶をしに来るのであった。
女はしばらく考えて、
二本足の息子には《双葉》と名付け、
四ツ足の息子には《四葉》と名づけた。
《双葉》は《四葉》ほどは成長が速くなかったが、
人間の子らしい緩さで元気にすくすく育ち、
やがてすこしでも目を離すと四つ這いで
どんどん遠くまで行ってしまうようになった。
ふつうならば一瞬でも気を抜けないところだったが、
なにしろ水辺に墜ちれば《四葉》がすぐに岸辺まで押し上げてくれるし、
屋根から落ちそうになれば全力で叫んで知らせてくれるして、
女はずいぶんとラクをさせてもらった。
「…こういうのも、乳兄弟って言うのかねぇ…?」
いつでも一緒の小さい一人と大きな一匹を楽しく眺めて、
近在の者らはいつも笑いあうのであった。
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やがてどんな年寄りでも覚えがないほどの
大雨と大水が続いた。
噂では《白鱗》の魚人族がカとミの秘術を使い、
二本足が治める帝国を滅ぼさんとして
大陸大地の水没を謀ったのだということだった。
誰もなすすべもなく
沈みゆく畑を前におろおろし、
流される家をあとに残して
必死で逃げた。
女たちの集落も、水に呑まれた。
泣き叫びながら
人間たちもまた激しい渦にまかれ、
もがきながら泥に沈んだ。
悲鳴は天に響いた。
「……………うんにゃぎゃぎゃ~! ぎゃぎゃっ! ぎゅっ! ぎゅ~~ッ……!!」
それまで誰も聞いたことがないほど大きな
大きな大いなる絶叫が、
《双葉》と《母》を背に乗せて、
必死に泳ぐ《四つ葉》の喉から溢れた。
二度、三度と続き、
それは天と地に轟いた。
「…………ぅげろーーーーーーーっぷ! …」
はるか遠くから、また反対側のかなたからも、
応える叫びが次々にあがった。
物凄い速さでいくつもの津波が近づいてきた。
波と見えたが、それは命懸けの速さで泳ぎ寄ってきた、
たくさんの、たくさんの、
《四つ葉》の水中の仲間であった。
仲間たちは、《四つ葉》を育てた村の人間たちを
一人残らず背に載せて、
泳いで泳いで
泳いで泳いで、
ようやくに、
まだ乾いていた残りの小さな島地を探して上に載せては、
また次の人間を探しに潜った。
「………やっ、ちだも……!」(なんて、御親切に!)
救われた二本足たちは涙を流して感謝し伏し拝んだ。
それからは《ヤチダモ》が、《泳ぐ四ツ足》たちの
新しい名前になった。
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やがて大水は引き、
《白鱗》たちは流行り病であっけなく滅んだと噂が届き、
人々は新しい乾いた土地を探して、
水辺に村と畑を開いた。
《双葉》と《四つ葉》は仲良しのまま元気に育ち、
それぞれに嫁をもらって子を産み育て、
二本足と四ツ足の一族同士も
互いに仲良しのまま、
末長く行き来し栄えた。
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この話を伝え聞いた近在の内陸の者、
また遠方の山郷の者らは、
縁起を担ごうと
あたりの四ツ足の仲間に声をかけ食餌を貢ぎ、
また像を刻んで、
護符として身につけ、
また家前に据えるなどの習わしができ、
次第に話のみが広がり、末永く語り継がれた。
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