家のドアを開くと石鹸とうがい薬の臭いが鼻についた。リモートワークの毎日から久しぶりに出社したせいで自宅の臭いを忘れたのかと思った。それにもう眠気がひどかった。しかし臭いはあまりにも濃く、1Kの玄関と部屋を仕切るドアの磨りガラスから光が漏れていて、静かだけれど人の気配がする。一度玄関のドアを閉めて外に出た。時刻は二十二時を回っていた。こちらから鍵をかけて警察に連絡すれば、三階のベランダから飛びおりない限りなにも盗まれずに警察が来るか、それより先に落ちて死んでくれるだろうか。
そう考えているうちに玄関の内側からノックの音が聞こえ、「お兄さん失礼してます!」と太い大きな声が言った。とっさに鍵をかけた。
構わずドアの向こうの声は「ほら、みんなも挨拶しぃ!」と言い、すこしのあいだを置いて失礼してまーすと怠そうな女の子たちの声が言った。おかげで余計にわけがわからなくなった。
「とりあえずあがって話しませんか。ほらここお兄さんの家じゃないですか。外にいさせるの悪いですよ」
もう眠気がひどくて耐えられなかった。鍵を開いてなかに入った。
キッチンの冷蔵庫の前にはガタイの良い刈り上げの、黒いスウェットにチノパンを履いた男が立っていて、こちらに頭を下げていた。「お邪魔させてもらってます!」と男は言った。それが仕事に疲れた頭に響いてうるさい。部屋へと続くドアへぞろぞろと女の子たちが入っていくところだった。石鹸とうがい薬の臭いは彼女たちのせいらしい。男からは安い試供品のような香水の匂いがしている。
「あの、とりあえず」
「はい!大家さんからは許可をもらってます!」男は大きな声ではきはきと喋った。
「いや、説明をしてもらいたくて」
「あ、そうですね!どっから話しましょうか!えっと、自分たちは」声量はいまだにドア越しに話しているのかと思うくらいだ。
「ちょっと、あの、静かにしてもらっていいですか。もう遅い時間なので。あと部屋で話してもいいですか」
「すいません!そうっすね!お疲れですもんね!気が回らなくすいません!」
「あの、静かに」
そうして部屋に入ると、二十代前後に見える女の子たちが六人、八畳の狭い部屋でそれぞれ思い思いのところに座ってスマホを触っていた。誰もマスクをしていない。部屋の主に反応して頭を下げたのはそのうち二人だけ。デスクの前のイスに一人、ロッキングチェアに一人、本棚にもたれるように座って一人、ベッドに並んで三人。柄やフリルなどの装飾は違うものの、六人のうち三人は白いブラウスにベージュの膝丈のスカートで、二人は黒いノースリーブの上に透けた白いカーディガンと黒のタイトなミニスカート、最後の一人は白のタートルネックにデニムのショートパンツを履いていた。石鹸の臭いが鼻につく。一刻も早く出ていってほしい。ベッドからどいて寝かせてほしい。
「この子たちはですね、あれっす。デリヘルです」男が言った。
「はぁ、いや、呼んでないんですけど」そんな覚えは一切なかった。今日は酒も飲んでいなければ、睡眠薬で譫妄状態になってもいなかったから前後不覚でこんなことをしたはずがない。ただただプロジェクトの炎上で疲れているだけの日だ。
「違います違います。この子たちが呼ばれるのを待ってるんですよ」男が言う。「最近ウチの店の女の子増えまして、ほら錦糸町って競争激しいじゃないですか。だから待機所が足んないんすよ」彼女たちは誰も顔をあげず、ただただ無心にスマホを触っている。「それで、このマンションにも二部屋ずっと借りてるんすけど、今日ちょっと出勤多くて、部屋空いてないかって聞いたら大家さんがここの合鍵くれて。いや、お世話になります!」そう言って頭を下げた。
たしかに先月、浴室の配水管が壊れて洗面所まで水浸しになったとき責任をめぐって大家と言い争いになった。「あなたの髪が長いから配水管が詰まるんでしょう!」と言う大家にじゃあこのマンションには女性が住んでいないか全員五分刈りかどっちかなのかと言うと酷い目つきで睨まれた。とりあえずこちらの費用負担は一切ないということで話はついたが、「男のくせにそんな髪をしてみっともない」と言って大家は去っていった。あのとき髪の毛が配水管ではなく大家の喉に詰まって死んでくれていたらどれだけよかっただろう。大家の報復はこういう形だったが、こちらからどうやって大家に報復したらいいのかわからないのが腹立たしい。
「状況はわかりました。とりあえず着替えていいですか」
「あ、どうぞ。ってかお兄さんの部屋なんでもうご自由に!」
すでにご自由じゃないのがこいつにはわかっていないのだろうか。着替えるんで、と女の子たちに言っても、「あ、はい」と頷くだけで出て行く気配もない。そういえばホテルや部屋で男と裸になるのが仕事なのだから気にしないのかもしれない。キッチンに出ろと言うのも面倒くさく、それよりも早く眠りたかった。ご自由にというならこちらも堂々としてやろうという気になってボクサーパンツだけの姿になりスーツをハンガーにかけてシャツと靴下を洗濯機に放り込んだ。
タートルネックの子が「お兄さんガリガリ」と笑った。それにつられて他の子たちと騒ぎだすのかと思ったが、二人が顔をあげてこちらを見ただけで、すぐにスマホに目を落とした。
「あなたより細いかもね」と言ってジャージを探した。タートルネックは言い返してこなかった。オットマンのうえに置かれていないならたぶんベッドに投げたままだろう。座っている三人に声をかけてあいだからジャージを引っ張りだした。
「それで、この方たちはいつ出て行くんですか」ドアの前に立っている男にたずねた。
「お客さん次第になっちゃいます。人気の子なら一晩帰らないこともあるんですけどだいたい九〇分コースなんで。いや、みんな一晩コースならありがたいっすよね!」と男は笑ったが、それはこの子たちが一度家から出たとしても九〇分後にまた戻ってくるということかと思うとうんざりした。どこかのホテルに全員を一晩デリバリーしてどかせばいいのかと思って料金を聞くと、「お兄さん溜まってますか。いや、悪いんでサービスしますよ。おい誰か、お兄さんの抜いてよ」と言い始める。
「それお金でますか、したらやろっかな」とベッドに座っている一人が透けたカーディガンを脱ぎながら言った。
「家貸してもらってるんだからタダに決まってるでしょ」と男が言うと、「え、だる」とその茶髪の女の子は言ってこっちを見た。「わたし?」と彼女は言った。
彼女たちの顔を見まわした。全員がこちらを見ていたおかげで顔がちゃんと見えた。過半数の子が、可愛いとはいってもそこら辺にいるガールズバーの客呼びの女の子よりは可愛くない。だからデリヘルで稼ぐのだろうと思うとすこし同情心が沸きそうになったが、自分が指名されるのかと気怠そうに見つめる顔を見ているとどうでもよくなった。
「要らないから。ってか寝かせてほしいんですけど。おれ風呂入ってくるんで出たらベッドから降りてください」そう言って浴室に向かった。
浴室には自分のLUSHのシャワージェルとはべつに真っ白な容器とうがい薬が床に置いてあった。たぶんこれがあの臭いの元凶だろう。蹴とばして容器を倒してみてもあまり気分は晴れなかった。
物干し用のポールに下げたスピーカーで米津玄師の「KICK BACK」をリピートで流す。派手で馬鹿な音楽が聴きたいと思ったから。トリートメントをしているうちに気分が乗ってきていっしょに「幸せになりたい 楽して生きていたい 全部滅茶苦茶にしたい 何もかも消し去りたい」と唄っているとドアが開いて黒のストレートヘアの女の子が全裸で入ってきた。あの六人のうち誰かはもう思い出せなかった。
「お兄さん声めっちゃ米津じゃん!ってか髪長いのも米津意識?たしかに顔もそれっぽいし」そう言われたが、髪はいつも藤井風の写真を美容師に見せて切ってもらっている。米津玄師も好きではあるが、米津玄師と藤井風ではピカソの「泣く女」とフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」ぐらいスタイルに違いがあるのではないか。そう思うと、目の前の女の子の全裸すら腹立たしくなってくる。全体的に肉付きがあり胸はFくらいありそうだが垂れ気味になっている。陰毛は逆三角形に整えられているが、その下の膝には両方ともカサブタがある。いったいなにを見せられているのだろうか。
「あの、おれ風呂入るって言いましたよね」
「うん聞いた。からだ洗ってあげようと思って」
「サービスとか要らないんでほっといてください、マジで。疲れてるんですよ」
「疲れてるなら必要っしょ!はいシャワーかして」
「要らないって言ったの聞いてました?なんかボーナスとか出るなら勝手にもらっていいんで出てってください」
そう言う声も無視して「チンコけっこうデカいね」と感心する女をシャワーヘッドでぶん殴ってやろうかと思ってしまう。自分が冷静な人間で良かったと心から感謝したが、黒髪は「あ、もしかして女の子きらいだった?」と見当外れのことまで言い出して逆に笑えてくる。それがウケたと思ったのか、黒髪はシャワーを奪って自分の身体にかけ、白い容器から出したボディソープを塗り始めた。お前が身体洗ってんじゃねえか、と言う前にこちらの腕をつかみ胸で挟んでくる。「ほらサービス」と言う黒髪を左手で押しのけた。もうなにもかも面倒だった。
「ホントにからだ洗うならあのタオル使ってくれない?それとその石鹸の臭い嫌いだからLUSH使って」
黒髪の女の子は「マジで枯れてるの?」と言いながらもタオルにシャワージェルをつけて背中を擦りはじめた。前とか細かいところは自分で洗うから、と言った言葉に素直に従ってくれたのは助かった。あんなタオルで表面をなぞるだけのような力で洗ったと言われたらたまったものじゃない。
「とりあえずありがとうね」と女の子に言って浴室から出て身体を拭いた。女の子も身体を流して浴室から出てきて、「あっ、タオル借ります」と言って勝手に洗濯したてのタオルで身体を拭き始めた。
きっとこの子に罪はない。死ぬべきなのは大家か、こういう子をつくってしまう世界かなのだろう。そう思わないとやっていられない。
部屋に戻ると女の子が二人減っていた。デスクのところに座っていた白ブラウスと、はじめにサービスすると言いだしたベッドの茶髪のノースリーブだ。代わりに男がデスクの前のイスに移動していた。
「二人朝までらしいっす!」と男がうれしそうに言った。こっちもうれしかった。残り四人だ。
「この調子でいけばいいですね」と言うと、男は笑顔で頷いた。
「ベッド使うからどいてもらっていいですか」とベッドに残っている二人に声をかけると、一人がスマホから顔を上げて「気にしないんで眠っていいですよ」と言った。きっと彼女は悪くない。そう、世界が悪いんだ。
ベットに座る彼女たちの背中の後ろで布団に包まり照明を消すと、「え、電気消さないで」と誰かが言った。男も「出勤のときに準備しづらくなっちゃうんで、電気はお願いします。すいません!」と言ってくる。眠るなと言われているようなものだ。ただ、あのガタイの男に逆らってどんな目に遭うかわからないから、照明をつけるしかなかった。
休日出勤はないため最悪明日眠れればいい。それにさっきの風呂場での苛立ちですこし眠気も覚めていた。ただ疲労で頭が重い。ベッドから起きあがって部屋を出て、冷蔵庫のチョコラBBを飲んだ。カフェインが入っているせいで寝つけなくなるかもしれないが、もう眠ることは半分諦めていた。部屋から「トイレ借りまーす」と言いながら出てきた金髪のノースリーブの女の子がチョコラBBの瓶を見つめた。「栄養剤?やっぱいまからヤる気?」と言ってくる。無視して部屋に戻った。
「めっちゃ本あるねー、わたし本とか中学生から読んでない」と本棚にもたれているタートルネックの女の子が言った。
「まぁ本なんか読まなくても生きていけますしね」そう言ってベッドに戻ろうとすると、彼女は「返事めっちゃネクラ!せめて髪切ったほうがいいよ」と笑った。うっせえな、おまえのための髪じゃないんだよ、と口に出さないのが大人だ。大人は事を荒げない。こういうときは無視に限る。そうしていると、「なんかオススメない?」と言ってきた。本棚から自分が過去に賞を受賞して出版することのできた一冊の小説を抜き取って渡してからベッドに潜った。もうベッドに座っている二人にはお構いなしに動くようになっていた。
「レイちゃん、二十三時半から九〇分!このお客さんいつも延長してくれる人だからなるだけサービスしてみて!」と男が言い、ベッドに座っていた白ブラウスの一人が準備を始めた。「もうすぐ下に迎え来るから準備できたら行っちゃって」
はーい、と言ってレイと呼ばれた子は荷物を持って部屋から出ていった。
「延長してくれるといいですね」
「そうっすねー、レイちゃん新人だからどうかなー。素人っぽいの好きならワンチャン朝までありそうですけど」男はそう言った。
部屋に残っている女の子は三人になった。風呂に入ってきたロッキングチェアに座っている白ブラウス、ベッドに居座る金髪ロングのノースリーブ、本棚にもたれている茶髪ボブカットのタートルネック。残りも出払ってくれれば、やっと安寧の我が家に戻るはずだ。
ベッドのノースリーブが、「わたしもちょっと横になる」と言って寝転がった。布団の中に入ろうとするので、「毛布なら押入れにあるからそれ使って」と言うと「お兄さん童貞?」と笑いながら布団は諦めて横になっていた。
きっと彼女たちの背景を聞けば、こうしたこともすべて赦すことができるような心持ちになれるだろう。家庭環境、どうしようもない学校教育、精神を痛めつける社会、残酷な彼氏、憎むべき敵はいくらでもいる。ただ、いまはいちいち彼女たちのことを聞くだけの元気がない。
タートルネックの女の子が「ね、この本つまんないってか意味わかんない」と言った。
「まじ?じゃあたぶん文字が読めてないんだよ」ベッドに転がったままそう言った。
そのまま寝付けずに時間が過ぎた。しばらくするとページを捲る音も聞こえなくなった。ベッドに横になっている金髪の子が「お兄さん髪からいい匂いしすぎじゃない?」と笑った。
「長いし専売品使ってるし、匂いするんだよ」
「美意識たかっ、そういうの逆にモテないよ」彼女が言った。
「おれがどうだろうとあなたに関係ないでしょ」
「は?アドバイスじゃん」それはありがたい、ほっておいてくれたらもっとありがたい。ほっておかれるために無視して壁を見つめ続ける。「だから童貞なんじゃん?」と彼女は続ける。壁を見つめ続ける。壁に穴を開けるのが禁止のためなにも貼っていないまっさらな壁だが、大家から受けているこの仕打ちを考えるとポスターでも貼って、その裏に大家の写真を貼り大量の画鋲で刺してやるべきなんじゃないかと考える。その画鋲が写真を通してなんらかの力により大家の内臓に溜まり、物を食べるたびに滅多刺しの痛みを味わえばいい。
「シャンプーなに使ってんの?」彼女が言う。
「コタって会社のやつ」
「ふーん、いい匂いだね。ローズ?マジ眠くなってくる」
「寝ちゃダメだよアイちゃん、二十四時半から二時間入った」男が言うと、彼女は「髪整えてきます」と言って勝手に洗面所へ向かった。完全に待機所だと勘違いしている。いや、待機所なのか?なんにせよこれでもう一人減った。ベッドを一人で使うことができるようになった。あと二人が指名され、全員が朝までコースになってくれれば、この空間から解放されるはずだ。
そうはいかなかった。レイと呼ばれた子は結局朝までの延長となったらしいが、あの風呂に入ってきたリミと呼ばれた女の子が指名されて出て行ったあと、金髪のアイが戻ってきた。「おっさん最悪だった」と言いながらビニールのポーチから現金を男に渡し、その一部を受け取っていた。
「お兄さんただいまー」そう言ってまたベッドに転がってきた。
「お疲れさま」たしかに呼ばれたらどんな男でも身体をまさぐられたり性器を咥えたりしないといけないのは最悪に違いない。そういう稼ぎ方を選んだのが彼女たちであっても、その選択肢がどうやって作られたかは彼女たちの責任ではない部分が大きいだろう。
意外だったのはアイが二時間で帰ってきたことだ。この部屋にいた六人の中で顔が可愛いと思ったのはアイとタートルネックの二人で、他の四人に比べるとかなり容姿が整っている。しかし朝までコースになったのは他の三人で、アイは二時間で帰ってきて、また本を開き始めたタートルネックは呼ばれてすらいない。それは宣材写真の効果なのか、それとも本人のサービスによるものなのか。これは考えるとなかなか面白いテーマだと思った。今回の体験で唯一面白いと思えることだ。いや、こんなことを面白いとでも思わないとやっていられない。
アイは「ね、めっちゃキスしてきてヤバかったんだけど。三〇分くらいベロチューしてきたのキツくない?舌痛いんですけど」と話していた。誰かが答えるだろうと思って黙っていると、「ねぇ!」と足を蹴られた。本当に悲しい日本の現実だ。
「ああ、うん。三〇分はヤバいよ、舌の筋肉鍛えてないとそんなの普通無理だし。よく耐えたね」そう言いながらよく耐えている自分も褒めてあげたいと思う。
「ありがと。お兄さんもチューする?」
「しないけど」
「そういうとこが童貞丸出し」
「おれはおっさんと間接キスしたくないんだよ」
足を蹴られる。わかっている、ここはいま悲しみの吹き溜まりのひとつだ。せめてお互いに優しくするべきで、傷つけたり冷たくし合ったりするべきじゃないことぐらい。ただそれ以上に疲れていて、わかっていても実行できないことがあることもわかっているだけだ。
「これ意味教えてくれない?」タートルネックの女の子がそう言ってきたのは、アイがもう一度呼ばれて朝までの指名になり、リミも別の指名で朝までとなり、時刻は三時を過ぎたころだった。
男は「もうこの時間からは指名とかなしで迎えに回るだけなんで、もう朝まで待つだけです。お疲れっした!」と言って部屋を出てどこかに行ってしまった。タートルネックも連れて行って欲しかったが、朝まで待機所にいることになっているらしい。待機所とはつまりここだから、あと二時間以上はこの子と二人きりのようだった。
彼女が見せてきたのは、ハイエースに設置された機械を動かすと女の子になにかしら衝撃か電撃が加わる代わりに、ハイエースのエンジンが稼働するという自分が初めて書いた短編小説だった。
「何回読んでも意味わからかった。この女の子たちも、痛いなら逃げたらよくない?」
「脚縛られてるってどっかに書いてなかった?」どっかに、と言いながら自分が書いたもののことは細部まで覚えている。だから文字が読めることと文章が読めることはまったく別物なのだと思おうとしたら、彼女は「そうじゃなくて」と言った。
「いや、まぁそれも自分でドライバー殺したりして逃げればいいじゃんって思うけどさ。これ最後、男がドライバー追い出したあとも、自分たちからあの機械?付けてるじゃない。それで男がドライバーになって、結局もとと一緒みたいな。それで車が走らないのはわかるけど、パーキングエリアとかに他の車あるみたいだしさ。だったら普通に逃げたらよくない?なんで痛いのわざわざやってるのかわからない」彼女は真面目な顔でそう言った。
その真剣な彼女を見つめた。整った顔だ。おっさんの文句を言いながらもう一度呼ばれて行ったアイ。ふざけていたのか風呂に入り込んできたリミ。朝までコースになったあの三人。そして目の前にいる、デリヘルの待機所になったこの家で朝まで自分の番を待っていた彼女。
「なんでだろうな」そう言った。「おれもわかんないんだよな。なんでだろうな」
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