ヴォルテックス・ラプソディ

合評会2022年07月応募作品

波野發作

小説

4,860文字

自然遺産がだめなら文化遺産にすればいいじゃない。観光資源の開発は多くの人々の屍で舗装されている。破滅派合評『世界遺産』参加作品。

『……ノット・インスクライブ』

ウネスコの審問官は無情にもそう言い放ち、徳島県世界大自然遺産(ワールド・グレート・ヘリテイジ)対策協議会(TWGHK)議長である飛島あかりは、膝から崩れ落ちた。いわゆるオーバー・リアクション・ゾーンに陥り、大地と盛大に接吻を交わしたが、考えられる最も悲惨な結果は覆ることはなく、ただ、流れる涙と汗はリノリウムの床板に吸い込まれることもなく、ただ汚らしく湿らせるだけだった。

県民と一部国民の落胆は大きく、地元財界の失望は深かった。徳島県知事・淡中アナンと同県観光局長・板野ナルトシの主導で組織されたTWGHKは、本件の失敗により解体が確定的となった。組織の目的は唯一つ、地元特産品である〈うずしお〉の世界大自然遺産登録である。登録が成されれば同県は世界的観光地として立脚することができ、復活しつつあるインバウンドの誘引も視野に、県の産業構造に改革をもたらすこともできたのだが、無残にも登録不可とされたのでは、その皮算用も無に帰してしまった。こうなると誰かに詰腹を切らせなければ、知事と局長の責任問題にもなりかねず、両者は緊急協議の上、すべての責任を飛島議長になすりつけるカタチで解決を試みた。かねてよりそのセンセーショナルでビビッドな発言で内外に敵の多かった飛島あかりに味方は少なく、各方面で自然と責任を問う声が上がるにつけ、自然なカタチで〈戦犯トビシマ〉という認識に統一されていったのだった。

 

「なっとくがいかん」

すっかりできあがったあかりは、ルームメイトの吉野川ホタルに小一時間クダを巻き続けていたが、純米酒鳴門をすでに一升空けており、二本目のキャップをひねろうとしていた。

「鉄板だって言ってたんじょ?」

「そう思うちょったけんじょ、あかんかった。理由は教えてもらえん」

「それは納得も難しかろうもん、切り替えていくしかないね」

「ゆえん、なっとくがいかんと」

今日すでに五回目のテンドンだったが、ホタルは根気よく受け流し続けていた。あかりがめんどくさい女なのは承知の上で同居していたし、自分意外にこの役目が務まる人間もいないと理解していた。わたしは全人類を代表して、このかわいらしい酒乱のエスコートをしているのだ。あかりはすでにゆでダコぐらいには赤くなっていたので、頬をなでようが、耳をかじろうが、乳をももうがまったく意に介せず、触り放題であったから、ホタルもあかりを愛でることに集中して、あかりの果てしない愚痴を適当に受け流すことができたのだ。

「ほいで、これからどうするん?」

あかりが酔いもこなれてきて、そろそろお開きにするか、もう一本開けるか悩みはじめたころに、ホタルが切り出した。ホタルとしては協議会は解体されたし、さしあたりこれからの食い扶持については、パートナーとして知っておく必要があったし、あかりの動向次第では、実家に戻るのか、他の寄生先を探すか早急に考えなければならない。心当たりがないわけではないが、あかりとの暮らしより良いかと思えば、きっとそんなことはないだろうと思えた。続けられるものであれば、いつまでもここでこうして暮らしていたいのだ。

「とりあえず、庁舎で人手のないところはないか聞いてみるけど」

あかり自身は仕事ができる人間だということをホタルは知っていたが、いかんせん性格のアクが強すぎて、敬遠される可能性が高かったし、大遺産騒動での悪名を思えば、おいそれと再就職先が見つかるとも思えなかった。大遺産登録さえ成功していれば、そのまま手柄を携えて観光局に滑り込むこともできただろうが、大口叩いた挙げ句の空振りでは、誰も肩を持ってくれはしないだろう。

「大遺産はもう諦めるの?」

「うーん」

あかりとしては再チャレンジもやぶさかではなかったが、落選事由が不明では手の打ちようがない。うずしおだけではパンチが弱かったのか。鳴門のうずしおは世界三大潮流の一つにも数えられるものであり、これ自体の価値は十分に世界大自然遺産に足る存在であるはずだ。そのあたりのアピールが弱かったのだろうか。あかりは自分たちの渾身のプレゼンテーションを振り返ってみるが、目立った失敗は思い当たらなかった。ひとつ考えられることがあるとすれば、大自然遺産としてリストに並ぶには、うずしおは「現象」に過ぎたかもしれない。地形でも、植生でもなく、湖沼などでもなく、海に起こる現象のひとつと考えると、登録のハードルをいま一歩越えにくかった、とも考えられた。ここは同じ方向性で攻めても良い成果は得られないのではないか。次回、もしチャンスがあるのなら、全く異なるアプローチを取るべきなのではないか。

「大自然遺産ではだめなのかも」

「大文化遺産なら?」

「え?」

ホタルは、なにもうずしおだけがこの県の名物ではないのだし、四国各県と手を組んで、お遍路の文化なんかをアピールしてもいいのではないかと考えていた。宗教的文化は登録されやすい傾向にあることも、前例の多さから明らかであるし、このままうずしお単体で攻めるよりよいのではないかと思ったのだ。でも、あかりの性格を考えると、やはり自分で思いつかなければスイッチは入らない。あくまでヒントを並べつつ、本人が気づくのを待つしかなかった。

あかりは、文化遺産での登録をと聞いて、どうするか考えはじめていた。うずしおは文化なのか。うずしおは、自然現象であり、それは文化とは言えない。うずしおに関する文化を登録するか。あるいは阿波おどりか。いや、うずしおでダメなのに、地方の踊り単体での登録は一層難しいだろう。どうしたらいいのだ。阿波おどり、うずしお、うずしお、阿波おどり。ひねり。ひねり……。そうか。

「ホタル! ありがとう! わたしやってみる」

あかりは、ホタルにとびつくとぎゅっと抱きしめた。

「わぁ。ちょっとわかんないけど、応援するね」

ホタルは細いあかりの身体をそっと抱き寄せた。

 

翌日、飛島あかりは県庁に退職願を提出。翌月には新たにNPO法人徳島うずしお士協会を立ち上げて、資格審査の組織を作った。半年後、はじめてのうずしお士検定試験を行い、うずしおに関する知見と、阿波おどりの腕前に関する審査を行った。結果、最初の二〇名のうずしお士が誕生した。地方新聞では紹介されたが、中央紙までには情報は届かなかった。それでも既成事実としてのうずしお文化は着実に整いつつあり、あかりの野望はじわじわとその達成に向けて動き出していた。

初代うずしお士の中でも、合格時にまだ現役高校生だった大毛千鳥
おおけちどり
の踊りスキルは抜きん出ていた。女踊りでも男踊りでも、どちらの振り付けでもハイレベルであり、骨格にも恵まれており、ビジュアル的には最適な人材といえた。ホタルが勤務先の高校で声をかけたうちの一人であるが、学科、実技ともにトップでの合格者だった。千鳥はまさに〈阿波うずしお踊り〉の文化の中核を担う人材として生まれたような女だった。

あかりは千鳥を卒業とともにNPO法人の職員として雇い入れ、営業活動に同行させて、プロジェクトの中核に据えた。阿波おどりの各連にも協力を養成し、新しい振り付けを考案させた。それは各連の特徴や要素をまんべんなく取り入れたもので、新時代の阿波おどりの振り付けとして相応しいものになった。

千鳥をスターに押し上げることで、飛島あかりの失敗イメージを薄めることができ、地元スポンサーの多くが戻ってきた。彼らも本心ではプロジェクトの成功を祈っており、そのプロセスに一度や二度の失敗があったとしても構わないのだった。

あかりらNPO法人の活動と並行して、観光局でもプロジェクトチームが立ち上がり、積極的な情報の改竄が実施されていた。それは過去に遡って鳴門のうずしおは単なる自然現象ではなく、海底に潜った踊り手によって巻き起こされている文化なのであるという事実の捏造であった。局長板野ナルトシは以前よりそれら情報操作を専門としており、これまでにも多くの事実の改竄が行われていた。そもそも、以前はうずしお自体が存在しなかったのにも関わらず、板野の情報操作により、あたかも鳴門海峡にうずしおが発生するかのように認知され、誰も目撃者がいないにも関わらず、観光船は運行され、「今日は運悪く見えませんでした」を連発しても、誰一人気づかないのだった。テレビの旅行バラエティでも何度もうずしおは紹介されているが、実際にタレントが訪れて観光船に乗って目撃したことはなく、いつも観光局が提供するCG映像が紹介されるだけだった。もしも本気の調査機関がうずしおの存在の是非について調査を行ったら、相当に疑わしい調査結果が得られたと思われるが、そんな無駄な時間を過ごす暇なエージェントもいなかったために、鳴門のうずしおは存在するものとして、世間一般に広く認知されたのである。

結局のところ実在しないことがウネスコ側に知られたのかどうなのかそこははっきりしないが、あっさり非登録とされたということは、このような欺瞞がまかり通るのは日本国内に限った話なのかもしれない。実際英語で書かれた鳴門のうずしおに関する文書は極めて少なく、それ以外の言語で書かれたものは皆無であったし、世界三大うずしおなどという概念も、日本版のウィキペディアにしか存在していない。これらはすべて板野の捏造によるものであったし、実際、過去の雑誌記事などを国会図書館で調査してみると、平成中期のある時期を境に、ぱったりと遡ることができなくなる。ただ、そのような調査を行う人間が誰一人いなかったというだけなのである。今回板野は、そのあたりの弱点をきちんと押さえて、多言語での文献による念入りな捏造作業を行った。少なくとも使用人口が1億人を超える主要な言語の全てで、海底での阿波おどりによって鳴門のうずしおは発生し、その踊り手をうずしお士と呼ぶのだということが記されていた。それらの記述は令和初期の同じ時期に集中していたが、これを串刺しで調査する者もいなかったために、捏造行為が公になることはなかった。このようにして、阿波うずしお踊りの文化は、江戸時代中期に興って、密かに継承され、明治、大正、昭和を突き抜け、平成、令和の世にまで受け継がれてきたのだという既成事実が成立していた。そしてそれは、大毛千鳥の華麗な舞によって、ウネスコ審問官の目に焼き付けられることだろう。

 

そしてついに、ウネスコ世界大遺産審問官による審査が、再び行われた。

会場で流れるVTRの中では、CGの千鳥が漆黒の海底で阿波おどりを披露し、それがやがて海上に伝わり、巨大な渦潮に成長するという主張が成された。映像ではトクシマ大学うずしお学部教授の太田貞光氏も、学術面からのバックアップを行って、登録の正当性をアピールした。彼は飛島あかりから、登録が成された暁には、観光コンソーシアムの理事長として招聘されることが約束されていた。賑やかなお囃子が終わり、千鳥の艶やかな姿が黒い背景の手前に映し出されて、VTRは終了した。審問官の質疑をいくつかうけつけて、プレゼンテーションは終わった。長い7年間だった。今日、すべての努力は報われる。飛島あかりは、これまでの長い年月を思い返し、両の手を握りしめた。阿波うずしお踊りを世界へ! みんなの気持ちは一つになっていた。

審問官が再びスクリーンに神妙な顔で映し出された。そして7年前と全く同じトーンで言った。

『ノット・インスクライブ』

会場は落胆のうめき声で埋め尽くされた。

千鳥が駆け寄ってくる。わたしのせいでという顔をしているが、飛島あかりはそんなことないよと目線で返した。しかし、千鳥はそのままの勢いで跳び上がり、見事な角度で飛島あかりの胸にドロップキックを見舞った。後方に数メートル吹き飛ばされ、コマのように回転して転がっていく飛島に、千鳥は吐き捨てるように言った。

「この、とろくそだまが!」

その後、飛島あかりを見たものはいない。

EOF

2022年7月18日公開

© 2022 波野發作

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"ヴォルテックス・ラプソディ"へのコメント 19

  • 投稿者 | 2022-07-20 21:28

    拝読しました。

    文章が上手くてするする頭に入ってきました。
    お話も奇想天外で面白かったです。

    • 投稿者 | 2022-07-22 18:13

      観光産業やフェイクの問題が上手く使われているなあと思いました。
      あかりのキャラクターが面白いと思ったので、その活躍?(暗躍?失敗?)をもっとクロースで見たいと思いました。

      • 投稿者 | 2022-07-22 18:15

        コメントに返信してしまいました。失礼しました。

  • 投稿者 | 2022-07-21 08:34

    二回目の『ノット・インスクライブ』を待ってました。ノット・インスクライブじゃなかったらどうしようかと思って読んでましたけども、ちゃんとノット・インスクライブだったんで、ああ、よかった。って思いました。私は登録されても良かったとは思うけども。面白いし。

  • 投稿者 | 2022-07-22 23:24

    大真面目に、しかもわりとしょうもない理由で偽史を捏造することに情熱を燃やすあかりさん最高でした。にべもなくノットインスクライブなのも最高でした。最後に千鳥がどんな気持ちであかりさんに蹴りを見舞ったのか、特に想像する気にもならないドライなラスト、完璧でした。

  • 投稿者 | 2022-07-23 12:43

    非常に面白く読んだ。文章力、構成力が高い。「江戸しぐさ」の誕生のようにも似ていると思った。特に欠点は無いと思った。

  • 投稿者 | 2022-07-23 13:28

    阿波踊りによって渦潮が発生させているという発想は面白いすね。捏造が事実になったことは知らないだけで、沢山あるんだろうなあ、と思いました。宗教なんてその最たるものだろうし。最近ではネットの発達によってある程度個々にファクトチェックできるようになりましたけど。

  • 投稿者 | 2022-07-24 06:17

    これは、どこかの賞の応募作の使い回しか? 富士山が無理くり文化遺産に登録できてしまうくらいだから、うずしおも変な小細工をしなくても文化遺産で申請できると思う。うずしおの世界遺産登録を目指して動く団体も実在するし、今回はそこまで荒唐無稽さを感じられなかった。

  • 投稿者 | 2022-07-24 10:32

    海中阿波踊りが巻き起こすうずしおのアイディアも大笑いしましたが、ウネスコとかあかりのパートナーがホタルとか、トクシマ大学うずしお学部とか、細部のネーミングが今回もまたツボに入ってしまいました。
    事実捏造について、作者にはまだまだ知見がありそう。是非とも今後の作品で大開陳してもらいたいです。宝塚スターみたいなダンサー千鳥の今後の活躍も期待しています。

  • 投稿者 | 2022-07-24 17:25

    世界遺産の登録を巡る地方自治体のてんやわんやというネタは自分とかぶってるなあと思いながら、読み、だからこそ、ここまで馬鹿馬鹿しくふりきった波野さんに軍配かなと。ばかばかしかったです、ハイ。

  • 投稿者 | 2022-07-24 23:12

    ナンセンスな展開に笑わせられつつも、事実の捏造やフェイクニュースについても考えさせられました。7年間の重みが乗ったドロップキックはさぞや強力だろうと思います。

  • 投稿者 | 2022-07-24 23:26

    かっこいい感じだけど、ちょっとシュールな風味もあって面白かったです。

  • 編集者 | 2022-07-25 00:10

    ネーミングセンスにいつも唸らせられる。今回もしっかりとキャラ立ちしていて、読み心地も良かった。藤城さんも指摘しているが、阿波しらで聞いた話と全く同じ世界観だったので、おそらくスピンオフ的話なのだろう。それだけに、実際に海中で阿波踊りをして渦を発生させる描写が読みたかった。それは来月の結果を待つしかないのだろう。

  • 投稿者 | 2022-07-25 02:44

    最後のドロップキックが、いいオチになって雰囲気がしっかり締まったと思いました。笑

    シリアスなオチでもしっくりこないだろうし、かといってもっとコメディになってしまうのも違うなあと思うと、なぜだかドロップキックが最適解だなという不思議な結論になってしまうあたりが絶妙です。

  • 投稿者 | 2022-07-25 14:47

    途中まで良い感じに地方文学賞の模範原稿だったのが「海底に潜った踊り手によって巻き起こされている文化」で一気に持っていかれました(笑)
    思えばUFOとかもそういう情報操作で世界に広まったのかもしれないですね。当時はネットがなかったから今よりもっと容易かったかも。

  • ゲスト | 2022-07-25 15:20

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  • 投稿者 | 2022-07-25 18:25

    途中まで読んでると、「何か渦潮スゲェ!」と思わせられるのですが、冷静に考えたら別に人の保護がなくても渦潮は渦潮として存在し続ける(発生?)んですよね。。
    『ノット・インスクライブ』で、やっぱり「デスヨネー」と。

  • 編集者 | 2022-07-25 21:04

    用語、展開、美しさ。確かにこの作品は渦だ!

  • 投稿者 | 2022-07-25 21:55

    この真面目に不真面目な感じが良いですね!
    最近うずしお見に行って「うずしおを世界遺産へ!」ってあっちこっちに旗があがってたのでタイムリーでした。むしろ阿波踊りでうずしおが発生してて欲しい……。

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