「五百蔵――貴方はあの人と呼んでいるのでしたか」
この程度の情報が手付金になるかはわかりませんけれど。早渕はそう断りながらも、自信のある様子で告げた。
「警察庁幹部だけが閲覧を許される、トップシークレット扱いの名簿にその名があります。表立って警察関係者だと公表できない事情のある者をリストアップしているようです。つまり、五百蔵は元、それか今も現役の警察関係者ということになりますね」
なぜ存在を秘匿されているのかまでは掴めていませんが。早渕は少しだけ期待を込めた目で蒼月を見た。
「仮に真実だとして、それを知るお前はなんなんだ。どうやってその情報を得た」
「だめですよ、これは単なる手付金なんですから。貴方が僕の依頼通りの働きをしてくれたなら、その先をお話しします」
早渕は薄っすらと笑った。
「僕はただのしがない研修医ですよ。立場が危うくなってしまうので、情報の出どころはそう簡単に教えるわけにはいきません。貴方ならわかってくれるでしょう、情報屋さん?」
信じるか信じないかは貴方の勝手ですが――早渕はしかと蒼月の目を見つめた。
「僕はくだらない嘘がこの世で一番嫌いです」
†††
夕方から延々と降り続く冷たい雨を、早渕はどこか浮かない思いで見上げていた。
夜の雨は好きになれない。夜の雨そのものに何かこれといって嫌な思い出があるわけでもないが、ぼんやりとけぶる街灯の中や、車のヘッドライトの前に浮かぶ冷たい雫を眺めていると、幼い頃に見た悪夢の記憶や心の奥底に沈めた暗い感情が、ふいに形を成して近づいてくるような錯覚に囚われるからだった。
今夜は幸い外来の患者が少なく、急変にも厄介なトラブルにも当たっていない。元々さして忙しくもならない小規模な二次救急病院であるし、そもそも研修医である自分が率先して動かねばならないタイミングなどそう多くもない。それでも当直勤務ともなると余計な緊張感からか目が冴えてしまって、のんびり構えているというわけにもいかなかった。
早渕は救急外来の夜間通用口を見下ろせる小部屋でひとり、雨粒の降り止まない暗い空を眺めながら、電話が鳴るのを待っていた。
予定より十五分ほど遅れて電話は鳴った。スタッフルームからの呼出音とは違うそれは、早渕がシステムに少しだけ手を加えて勝手に設定したものだ。
電話の相手は随分とご立腹らしかった。無理はないと思いながらも、予想通りの反応に少しだけ笑いがこみ上げてくる。
「情報屋さんをダシにしたことを、そんなに怒っているんですか」
感情が出口を見失ったかのような、一瞬の沈黙。すぐ後に続く怒鳴り声。日陰者はすぐ激昂するから困る。……その分わかりやすいとも言えるのだが。
「間一髪、助けてあげられたんでしょう? ならいいじゃないですか」
対面してこんなことを言おうものなら問答無用で殴り殺されるだろうが、電波で繋がっただけなら拳も怒りも遥か遠くの話だ。今後二度と会うこともないだろうし、気にする必要もない。
「まあ今回助けたところで、放っておいてもいずれ死にますよ。可哀想に、あんなに薬で抑えても、もう限界が近いようで」
あの情報屋は遠からず心不全か致死性不整脈で死ぬだろう。それなら早いうちに利用しなければ勿体無い。そろそろ観察対象者を乗り換える頃合いだ。
「もう少しだけ頑張って僕のために働いてくださいよ、明石さん。そうしたらうまく逃げられるように手助けくらいはしますから。……え? 嘘じゃないですよ、信じられない気持ちはわかりますけれど」
呆然と立ち尽くしたような電話の向こうの沈黙に向けて、早渕は穏やかに告げた。
「貴方に他の選択肢はないでしょう?」
降り続く雨はいよいよ勢いを強めてきていた。
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