うづきおばさんは微笑した。「ママはあなたの存在価値が目をつぶっても認識できるわ、むつき。作りものよ」とむつきを産んだうづきおばさんはそう言ってハロのプロフェッサー・アーム・チェアに腰掛けた。
「裏の裏は表。ゆえに作りものの作りものは作りものじゃないってほざくんならむつき、君のその理論は作りもの以外のなにものでもないよ。現に僕の目には君の姿が作りものに見えるもん」とティルト・シフト・グラスをかけていた僕はむつきにそう言ってサイドテーブル(おなじくハロの)を一瞥した。そのサイドテーブルにはシャンプーハットをかぶった三十二面体の地球儀が置いてあった。
「作りものに見えようが緑色に見えようがそんなことどうだっていい」とむつきは言った。「正確な作為のにおいを感受しやすくしただけ。かわいい皮肉よ。ティルト・シフト・グラスのおもしろいところはオン/オフ・スイッチ。どっちがオンでどっちがオフか無論それもまたどうでもよくって、とにかくわざわざつけたスイッチング機能がおもしろいとこ、哲学的に」
「その眼鏡でマツボックリを見ても」とうづきおばさんが言った。「フィボナッチ数は変わらないわよね。つまり本質的属性は変わらない。むつき、本質を裏返さないそんな表現を二十一世紀の現代に問いかけて何の意味があるわけ?」
「本質を裏返してもらっては困る」と言ったのは僕さ。「右手と左手を反転させないでほしい。利き手でおしりを拭けないのはやだ」
「本質を裏返すことも表現パターンのひとつでしかないわ」とむつき。「それに本質を裏返すという表現は新しい表現パターンでもなんでもないし。ママは本質を裏返すってパターンを裏返すべきよ。既存の表現パターンを再定義するという徒労に服するのではなく、新しい表現パターンを発明するという徒労に服するべき。ヒューゴー賞作家のママより亜加利ちゃんのほうがよっぽど立派だわ。亜加利ちゃんはトランスヒューマニズムにも肯定的だし。あ、そういえば亜男、婚約解消おめでとう」
うづきおばさんも「おめでとう」と言って僕に拍手した。僕はかるく手をあげその拍手に応えたあと、ふと本棚に目をやった。本棚には〈資本論〉って本と〈ボートの三人男~もちろん犬も~〉って本と〈共産党宣言〉って本とフアン・グリス画集が面だしで並べてあった。それから僕はティルト・シフト・グラスをオフにしてむつきに返した。むつきは鼻あてを入念に拭いてティルト・シフト・グラスをかけた。するとうづきおばさんが愛娘にこうふっかけた。
「それいじょう目がよくなってどうするの、むつき」
「目に見えるものがすべてよ、亜男」と言ってむつきは母親を相手にしなかった。で、彼女はつづけて僕にこう言った。「高尾山に行こう」
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