alkalemia

篠乃崎碧海

小説

2,490文字

世界中が停滞している間に気まぐれな約束ひとつ残してうっかり何の関係もない理由で溶けてしまったミュージシャンの話

未練がましく音を引き摺ってでもしつこく、諦め悪く生きていくのがせめてもの餞だと思う。思いたい。いいや全部全部嘘だよ、ただそれらしく美しい理由が欲しいだけだ、くそったれ。

 ちょうどライブができない時期に狙いすましたかのように消えやがって。そろそろちょっと休みたかったのは本当だ。なんとなく、ありとあらゆるものにうんざりし始めていた。でも実際に行動に移すことはないだろう? お前ほど空気の読めない奴はいない、後にも先にも。俺が運悪くヨボヨボのじいさんになるまで生き延びたとしても金輪際出会えないだろう。そう確信させるだけの何かが、ありきたりな言葉で表現するならばそう、天才性がお前にはあった。あったんだよ、たとえお前がそうと認めなかったとしても。

 仕方なく、誤解のないように重ねて言うが仕方なくだ。お前が自分から何かを語ろうとするタイプじゃなかったから消去法で、致し方なく俺はお前の代わりに口を開いた。普通はボーカルが率先してMCをやりたがるものだと思っていたのに。

マネージャーは何かひとつでも面白いことを言って固定ファンを増やせと口うるさかったし、そもそも喋りでもしないと下手なライブの間は保たせられなかった。本当は口を開く時間があったら一秒でも多く音を生み出してやりたかったさ。でもそんなことしたらお前、絶対合わせて無理しただろ? 知ってたよ、元々そんなに身体が強くなかったってことは。人一倍管理に気を遣ってたのも知ってたし、だから余計なことは言わないでおこうと思っていた。うるさい黙れと怒鳴られたとしても言っておけばよかったと今更後悔してる。

 俺があることないことベラベラ喋ってる間、お前はいつもにこにこ笑ってそれを見てたよな。客からその態度を茶化されるともっと嬉しそうに笑った。ふわふわした幸せそうな横顔が尊い、キュン死する、なんてネットに書かれてるのを見たことがあるが、会話の成り立たない笑顔だけを延々返される俺の気持ちにもなれよ。いくら話をふっても無理やりなギャクに巻き込んでも、うんとかそうだねとかを短く返すくらいで、後はずっとにこにこ、聞いてるのか聞いてないのかわからないような顔して笑っていた。まあロクに聞いてなかったんだろうなとは思う。早く弾きたい、歌いたいと目の奥はずっと叫んでいた。そんな叫びを遮ってなお俺は喋り続けた、バンドの将来のために。來るべき真っ当な未来のために。

 最後の日、お前は珍しく口を開いた。アンコールも全部終わって袖にはける直前、ふと何かを思い出したかのようにマイクの前に戻って、また会おう、それまで元気で、と呟くように早口で言った。本当に珍しかったからよく覚えている。

 妙に印象深かったそのライブからたった半月でがらりと世界は変わって、再会の約束はニューノーマルとやらの余白に呑み込まれて消えていった。珍しいお前の言葉がうっかり世界をこんな風に変えちまったんじゃないかなんてぼんやり思っていた。俺のような凡人には持ち得ない、言霊とやらがお前の言葉にはあったのかもしれないと。そうしたらあろうことかお前まで消えてしまった。自分の言葉に引っ張られるみたいに、うっかり排水溝に落とした指輪みたいにするっといなくなってしまった。お前の言霊強すぎだろ。自分まで道連れにしてどうするんだ、ばかやろう。

 クサい言葉を吐くのに密かに憧れていた。結局はただ悦に入りたいだけだった。誰一人欠けても今日のライブはできなかったよ、ありがとう! なんて大声で叫んでおきながら、前回も最前列にいたらしい客の顔すら覚えていなかった。覚える気もなかった。

 欠けていい人間なんていない、そんなことは当たり前だけれど、内心欠けてはいけないランクづけをしていた。この世界に特に必要な人間を独断と偏見でリストアップして、特別に大事にしていた。

 なあ、俺の中で一番欠けちゃいけない奴をクソつっまんねえ理由で奪っていった神様とやら、あんたは今どんな顔してるんだ? 二十七歳のミュージシャン贔屓も大概にしろよ。

 

 リハが終わってから、会場から歩いて十五分もかかる水族館までわざわざ出向いていって、遠足の子どもに遠巻きに指さされながらいつまでもミズクラゲの水槽を眺めてる。お前はそんな奴だった。クラゲは死んだら海に溶けて消えると知って、なぜだかとても嬉しそうにしていた。

 似合ってないのにやたら大量にピアスをつけていた。長くてジャラジャラした派手なやつじゃなくて、単品ではシンプルな小さいリングを大量に。手榴弾の安全ピンみたいだなと思ってた。ああ、一度それもMCのネタにしたっけな。ウケなかったから二度とはしなかったが。

 内心絶対に俺の方が似合うと思っていたけれど、喧しすぎる世界から大切な耳と心を遠ざけるためのお守りみたいなそれを見る度に、俺も穿けようという気はしぼんでいった。俺にとっては単なるファッションでも、お前にとっては多分違うんだろう。隣に立つ俺が軽い気持ちで纏ったら、お前の持つ意味まで軽くしてしまう気がしていた。

 お前が消えて、俺はそのお守りを全部譲り受けた。つけてみたら想像以上に、まるでずっと前からそこにあったかのようにしっくりきた。ほらな、俺のが似合っただろ。悔しかったら戻ってこいよ、お前の大切なお守りがくだらないファッションに成り下がるのを黙って見ていないで取り戻しにこいよ。

 お前と寸分違わぬところにぶら下げた俺の姿を見て、誰もが泣いたり複雑な顔をしたりした。中には怒り出す奴もいた。覚悟とか遺志とか美しい名前を勝手につけてくれる人もいた。

 

くだらねえよぜんぶ

 

 拍手の音が聞こえるか。沈黙を強いられて、饒舌にならざるを得なかった悲しくも強い拍手の音が。喜怒哀楽全部を手と手を打ち鳴らすことでしか表現できなくなってもなお、ここにいるんだここでその音を聴き受け止めているんだと証明するかのごとく響くそれは、あの日のお前の目の色に似ていた。

 もしも聞こえたら、手の鳴る方へと誘われたのなら。安全ピンを思いきり引き抜いて、傾いた世界のバランスを曖昧な笑い顔で突き崩してくれ。

2021年6月19日公開

© 2021 篠乃崎碧海

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