美術館の恋

光 憂人

小説

1,690文字

騙されてもらえると嬉しいです。

私は何度も、その絵画展に足を運んでいた。自宅の最寄駅からローカル線を乗り継いで数駅、一回の入場料が千二百円の美術館で催されている、二ヶ月限定の特別展示だ。
チケット売り場の閑散とした様子も、当初は驚いたものの、今ではもう代わり映えのしないいつもの景色だ。何度か顔を合わせたことがあっただろうか、ちらりと私を見た販売員が「大人一枚ね」と声をかけてくる。私はそれに頷いて、チケットをもぎった後の半券を受け取ってから美術館の中へと急いだ。
この展覧会は、私が通う美術大学の教授から、個人的に勧められたものなのだ。筆致が私の絵のタッチと似ていたこともあり、初めて展覧会を見た日の帰りなど、あまりの高揚感がおさまらずに大学へと直行してしまい、アトリエで教授と出会して笑われたことさえあった。それほどに私は、この展覧会に魅力を感じているのだ。それは決して、純な心では無かったが。
館内の休憩スペースで、天然水のペットボトルを邪魔くさそうにぶら下げている男性がいた。目にかぶさるぐらいの長さの前髪に加えて、俯きがちなせいで顔がいまいち見えない彼は、私がここに来るようになってから頻繁に出会うようになったアルバイトの警備員だ。
「やあ、君もついにここの配属になったの」
彼は私の声にこちらを向くと、一瞬だけぎょっとしたような目をうろつかせて、その後は何事もなかったかのように笑みを張り付かせた。視線は私の服を彷徨って、横に逸れる。
「っす。いやー、ここまででもいろんな展示が見れたんすよ」
これは大学でアルバイトの斡旋を受けて初めて知ったことなのだが、このような展示会の警備のアルバイトは長丁場になるため、モチベーション維持のために定期的に担当の部屋を移して行われることが多いそうなのだ。
「そういやここってアレですよね、確かお客さんが、一番気に入ってる展示っていう……」
彼の言葉に私は笑顔で頷いた。初めて私がここへ通う理由を知ったバイト君は、ほおー、と興味があるようなないような曖昧な相槌を打ちながら壁の絵を見ている。
「あのさ、今日は見てもらいたいものがあって」
「なんすか? 俺、学芸員じゃないんすけど」
「ううん、君がいいの」
私は中世のドレスのようなドレープのついたスカートを持ち上げて、その場で軽く一回転してみせる。この服を初めて見た時に思ったのだ、これこそが彼に見合う服だと。バイト君はそれを見て、頬を若干痙攣らせる。
「この服、どうよ?」
「どうって……派手すよね? ここまで来るのに、けっこう見られたんじゃないですか?」
とうの私は、そんな言葉にもふふっと笑みが漏れてしまう。確かに最近のファッションとしては派手かもしれない。けれども、いつも煌びやかな彼に見合う服といったら、これしかないだろうと思ったのだ。
「まあ俺はいいんすけど……あ、そういえば、今日は桜庭さんが来てますよ」
「あら本当? 講演会の帰りかしら、今から行けば会えそうね」
桜庭さんという人は、何度も展示会に来てようやく偶然に出会えるぐらいに忙しく、各地を飛び回っては絵画の歴史的価値の講演会を開いている。私は絵の方をちらちらと見ながら、別れを惜しむように次の扉を見た。そんな私を見ながら、バイト君はふっと笑って、展示会のペアチケットを差し出してきた。
「そんなに好きなら、誘ってみればいいじゃないっすか。俺はそんなに興味無いんで、バイトの餞別っすけどあげますよ」
「あらぁ、これは申し訳ないわね」
バイト君の気遣いに感謝しながらも、私の本当に会いたい人はこの中にいるから誘えないのよね、と心の中で苦笑した。
「俺ももう上がりなんで、もし桜庭さんが見つからなかったら帰り誘ってくださいよー」
「はいはい、きみは興味ないんじゃなかったのぉ」
私は上機嫌のまま歌うように扉へ向かう。そして最後に、愛しの彼を振り返った。
彼はいつも通りの姿だ。豪奢な四角の窓に閉じ込められたまま、細かい刺繍の織り込まれた服を綺麗な椅子の肘掛けに垂らして、青い瞳とピンク色に上気した頬ではにかんでいた。
「また来るね、ダーリン」
返事の無い部屋を後にして、私は埃臭く重い扉を開いた。

 

2021年4月14日公開

© 2021 光 憂人

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