日本語祖語を考える

踊ってばかりの国(第7話)

諏訪靖彦

小説

10,490文字

 

今日、日本語の起源については様々な仮説が提唱されている。江戸時代の国学者、新井白石あらいはくせきにより始まった当該研究は、比較言語学から始まり、近年では言語学、考古学、分子人類学の共同プロジェクトとして日本列島に渡来した集団の渡来時期、日本人の成立、日本語の源流を探る試みが国家プロジェクトとして行なわれている。(Deciphering Origin and Establishment of Yaponesians mainly based on Genome Sequences A01:Naruya Saito / A02:Kenichi Shinoda / A03:Hitoshi Suzuki / B01:Shinichiro Fujio / B02:Mitsuaki Endo / B03:Naoki Nagata 2018-2022)

ここで日本語祖語仮説のすべてを取り上げことは出来ないが、現在主流の学説及び昨年発表され一部研究者の間で話題となった仮説を取り上げ、二つの仮説の妥当性や可能性について考える。

また、日本語祖語から枝分かれした他の言語が滅び、日本語だけが残ったとする孤立言語仮説も一部の研究者の支持を得ているが、ここではその説を扱わない。日本語を孤立言語とすることで日本語の成立を想像、空想、夢想するのはたやすいが、それは日本語の拡散経路や伝達経緯、他の言語との系統関係を探求することを放棄することに他ならず、日本語祖語研究はもとより、言語学の発展自体を停滞させる暴論であると言わざるを得ないからである。

 

【朝鮮語共通祖語仮説】

 

日本語が朝鮮語と同じ祖語から派生したとする仮説は、現在多くの研究者により支持されている。J.Marshall UNGERは「No Rush to Judgment: The Case against Japanese as an Isolate」(2014)の中でBC3000年頃に現在の中国遼寧省りょうねいしょう付近にいた集団が日本語と朝鮮語の共通祖語を話していたとし、数千年かけて遼東りょうとう半島、朝鮮半島を黄海に沿って南下、BC800年頃、朝鮮半島から日本列島に渡り日本語朝鮮語共通祖語と別れたとする仮説を発表した。(朝鮮語はBC1600年ごろに沿海州の集団が話していた言語と朝鮮半島に残った日本語朝鮮語共通祖語を話していた集団が混ざり合い成立したとされる)この論文は日本国内だけでなく韓国言語学・考古学会に大きな反響を与えた。

また、Toshikazu hasegawa / Sean Leeらが英国王立協会紀要に発表した「Bayesian phylogenetic analysis supports an agricultural origin of Japonic languages」(2011)では、身体部位や基本動詞、数字、代名詞など主だった210の単語を使い、分子人類学で使われている系統樹モデルを比較言語学に当てはめ作成、放射的環状に日本列島を59の方言分布に分け、その変異間隔から日本語が2182年前に朝鮮半島から流入したとした。

それらに先立ちAlexander Vladimirovich Vovin は「Perspectives on the Origins of the Japanese Language」(2003)で上代日本語と、不完全としながらも再構した朝鮮祖語と対比させ、幾多ある日本語祖語仮説のなかで子音のアクセント対応、信頼できる語彙の多さ、文法の規則性の面から朝鮮語共通祖語仮説が最も信頼できる日本語祖語仮説であると説いた。

朝鮮語共通祖語仮説は分子人類学の観点からも支持されている。ヤポネシアゲノム代表Naruya Saito斎藤成也は「ROIS機構間連携・文理融合プロジェクト 日本列島人の進化とその言語文化の起源」において、縄文人骨、弥生人骨、古墳時代人骨を現代人より採取した核ゲノムと比較、常染色体から民族間で違いの出やすいSNPsを同定、主成分分析の結果、日本列島への人の流入は大きく分けて三度あり、その二度目に日本語を携えた集団が渡来したとの研究結果を発表した。考古学会を賑わせた所謂「日本列島三段階渡来モデル」である。第一段階渡来人である縄文人と第二第三段階渡来人との大規模混血は七世紀頃だとし、それをヤマト政権による蝦夷討伐に充てた。また、第二渡来人が話していた言語が日本語の祖度である可能性が高く、その源流は現在の中国遼寧省付近だとし、J.Marshall UNGERの仮説を補強する結果を発表した。この仮説では第二渡来人の日本列島流入時期がおよそBC20000~BC1000頃とし、第二渡来人はごく少数の西日本縄文人と混血したが、第三渡来人が流入する頃(弥生時代~古墳時代)には、西日本にいた縄文人の殆どが東に北へ追いやられていたとされる。ここで問題となるのが縄文人の言語であるが、縄文人の言語が日本語祖語であったとするTamotsu Koizumi「縄文語の発見」(1998)などの仮説は、現在では完全に否定されている。縄文人の言語を源流に持ちニブフやウルチ、コリヤークなどのオホーツク集団言語と混ざり合い成立したアイヌ語と日本語は、双方に比較的近代に取り入れられた借用語が幾つか見られるものの、文法的近似性は殆どなく(語順こそ同じSOVではあるが、閉音節の存在や人称による動詞変化、音節末に子音が立つなど日本語とは大きな隔たりが見られる)、アイヌ語が語源だと思われる地名が東日本に僅かに残るのみである。

朝鮮語共通祖語仮説を補強する仮説に日本語高句麗語共通言語仮説がある。Yoshizo Ishibashiは高句麗語と上代日本語は非常に近い言語であり、両語が一体であった時期と場所があるとする「The Origins and Fromation of the Japanese Language」(2015)を発表し、再構した高句麗語を上代日本語、古朝鮮語、女真語、百済語、古代中国語などと比較、上代日本語が一番近縁であるとした。この仮説は高句麗語の四つないし五つの数詞の音韻全てが上代日本語の音韻に非常に近いことなどが印象的ではあるが、高句麗語は失われた言語であり、記紀や三国史記及び後漢書に残る僅かな語彙から高句麗語を再構するのには限界がある。同定された、70%以上の語彙に上代日本語との近似性が見られる111語の高句麗の音韻の多くが(地名変化などからの推測を多分に含む)、十二世紀に成立した高麗時代に朝鮮半島で成立した三国史記によるものであり、五世紀も前に滅亡した高句麗語の音韻を正確に記述できているのか疑問が残る。後漢書に至っては高句麗語の音韻と言われるものは十数語しか確認されていない。また、高句麗と同じ扶余族(ツングース諸族)とされる百済語(これも失われた言語であり、高句麗語以上に再構が困難だと言われている)と高句麗語の音韻一致よりも高句麗語と上代日本語の音韻一致の方が多いことも疑問を呈する点である。

近年大きく発展した分子人類学からのアプローチにも疑問を覚える。分子人類学は人集団の移動と拡散経路の解明に大きな役割を果たすことに異論はないが、それを言語学と特設結び付け論じるのには少々抵抗がある。クニを構成する人集団の置換が起こらなくても言語の置換は容易に起こるからである。欧州では僅か数千年の間に、人集団内で言語の置換がたびたび起こった。また、為政者の言語と庶民の言語が違う二重言語国家を形成する例もままある。よって、分子人類学の観点から人集団が使用していた言語を解き明かすのは不十分だと言わざるを得ない。

幾つかの疑問を提示はしたが、朝鮮語共通祖語仮説は比較言語学や考古学、分子人類の主流学説であることに違いはない。それは研究者の多さからもうかがい知ることができる。中国遺伝学研究所の夏殷周年表プロジェクトは古代文明から周辺地域に拡散した人集団の移動経路を調べるため、遼寧省から朝鮮半島、そして日本列島で見られる男系継承されるY染色体のハプログループ「C1a1a(SNP:C‐M8)」を調査した。ハプログループC1a1aは2010年代初頭まで日本固有と考えられていたが、調査が進むにつれ、遼寧省や朝鮮半島で散見されることが確認された。遼寧省では日本のC1a1aよりも古い枝から派生したSNPが見つかるが、日本列島で見つかるC1a1aのターミナルSNPは約2500年~4000年前に日本国内で発生したものに限定される。これは遼寧省周辺にいたC1a1aが約2500年~4000年前の間に日本列島に流入した証拠となる。また、遼寧省から日本列島の間に位置する朝鮮半島でも日本列島で見つかるC1a1aより上位の枝から派生したSNPが多数見つかっており、日本語祖語を話したC1a1aを擁する人集団が遼寧省から朝鮮半島に伝い南下、日本列島に到達したと考えるのは理にかなったものであろう。ではなぜ、朝鮮語共通祖語仮説に疑問を呈するのか、それは昨年ウクライナの人文言語学研究所所長Emelianenko Morozofuエメーリャエンコ・モロゾフが発表した論文に触れたからである。日本語孤立言語仮説を支持する研究者と同じく、現在の主流である朝鮮語共通祖語仮説論者がいかに狭い視野にとらわれているのかを気付くことが出来たからである。

 

【死後の世界共通語仮説】

 

東北地方、沖縄諸島には死者と通ずる霊能力者がいる。青森県、秋田県、岩手県では「イタコ」、宮城県では「オガミサマ」、福島県では「ミコサマ」、山形県では「オナカマ」、沖縄諸島では「ユタ」と呼ばれる委託巫女である。ここでは一般的な名称であるイタコと表記を統一する。イタコは神や死者の言葉を生者へ伝える巫女であり、先天的盲目や弱視女性が結婚することが出来なかった時代、職を得るために発展したと言われている(沖縄諸島のユタは世襲色が強く東北地方のイタコとは成り立ちが異なる)。確かにそういった側面もあったのだろうが、目が見えないことにより霊的感性が鋭くなり、晴眼者が見えないものが見えるようになったと見るべきだろう。

Emelianenko Morozofuは「Thinking about the origin of Japanese “ITAKO” talking to the dead」(2019)の中で島根県東部から鳥取県西部にかけて話されている雲伯方言と、東北地方で話されているズーズー弁との類似性を調査した。ヤポネシアゲノム代表Naruya Saitoが「Jomon Thought」(2017)で述べている、古代出雲人が東北地方人と交流交易していたとする仮説を検証したものと思われるが、「Thinking about the origin of Japanese “ITAKO” talking to the dead」の参考文献の中に「Jomon Thought」は記されていない。かわりに日本ミステリ小説の大家、松本清張の「砂の器」(1961)が紹介されている。物語の重要なカギとなる雲伯方言とズーズー弁の類似性はNaruya Saitoが「Jomon Thought」で述べたものと殆ど同じであるが、なぜ、「Jomon Thought」を無視して学術論文ではないミステリ小説「砂の器」を引き合いに出したのかは、執筆者がミステリ者であったとか、島田陽子しまだようこのツンと上がった乳房が印象に残っていたとか、Naruya Saitoのことを好ましく思っていなかったとか、想像を膨らますことが出来るが、二人の主張は大体同じであるため、ここでは深く追及しない。

雲伯方言とズーズー弁の近縁性はNaruya Saitoの専門である分子人類学の観点から裏付けることが出来る。民族特性の出やすいSNPsを使った常染色体主成分分析で、出雲地方に居住している現代人が関東地方や近畿地方の現代人よりも、東北地方に居住する現代人と近縁であるとの結果が出た。この結果に同氏は日本列島三段階渡来仮説の第二渡来人を出雲人にあてはめ、第二渡来人が日本海を伝い東北地方に伝播したと述べている。さらに第二渡来人は東北地方に移住したあと、ヤマト政権から蝦夷と呼ばれるようになったとも述べている。日本列島三段階渡来モデルで説明した第一渡来人である縄文人と、第二渡来人及び第三渡来人との大規模混血がヤマト政権による蝦夷討伐だとする仮説に相反する結果だと思う人もいるかもしれないが、こう考えることも出来ないだろうか。第三渡来人が日本列島に上陸する前に第二渡来人は第一渡来人である縄文人と中国地方や九州地方で緩やかな混血をしており、先鋭文明を携えた第三渡来人が日本列島に流入したときに押し出される形で東北地方へ移動、そして七世紀、第三渡来人で構成されていたヤマト政権による蝦夷討伐によって蝦夷及び縄文人を服従させたことで大規模な混血が起こったと考えれば筋が通る。古代出雲、筑紫君磐井つくしのくにいわい、南九州の隼人、ヤマト政権に恭順せずに土蜘蛛つちぐもと呼ばれた土豪などを第二渡来人と捉えて考えるのも面白いだろう。しかし、死後の世界共通語仮説の趣旨はそこではない。

執筆者はズーズー弁話者を求めて青森県に向かった。都市部ではネイティブ・ズーズー・スピーカーを見つけることが出来ず、仕方なく青森駅前の青森観光協会に出向くと、古くからのズーズー弁を守り続けている委託巫女、イタコを紹介された。論文の中で執筆者はイタコを紹介されたときのことをこう書いている。「イタコが霊能者だと聞いて、同行したウクライナ人文言語学研究所のすべての職員が、私に向かって、会いに行くべきではないと言った。過去に私が言語学の心理を求めて日本の新興宗教にはまり、研究費を横領して教団に布施していた時期があったからだ」と。ここで青森観光協会よりイタコを紹介されたときの執筆者の印象を取り上げたのには理由がある。この逸話は論文後半に繋がる重要な要素なのだが、その理由を説明する前に物語を、もとい、論文の解説を進める必要がある。

執筆者は同行者の説得を振り切り、一人恐山に向かった。青森駅から電車を乗り継ぎ下北駅へ、そこから路線バスに揺られ1/fゆらぎ効果にうとうとし始めたころ、東北一の霊場恐山に着いた。バスから降りた執筆者は停留所から見える位置に「イタコの口寄せ」と書かれた看板と、看板の横にずらりと並んだテントに驚いた。執筆者は雪駄を履いて白装束を纏い、険しい山道を登り抜けた先で、厳しい修行を成し遂げたものだけがイタコに会えると思っていたからだ。並んだテントの中から待ち時間の少ないテントを選んで中に入った執筆者は、イタコと世間話をしながら生のズーズー弁の音韻をノートに書き留めていった。するとイタコが「おめ、なにすにぎだ? もうじがんだじゃ。くちよしぇすねぐでいいのが?」と聞いて来た。雲伯方言とズーズー弁の類似性について調べに来た執筆者だったが、折角だからとイタコに「30分延長で」と言い、追加の3000円を払って死んだ母親を降ろしてもらうことにした。そこで執筆者は驚くべき現象を目の当たりにすることになる。イタコに降りてきた母親がズーズー弁を話したのだ。執筆者の母親はウクライナ生まれのウクライナ育ちであり、結婚相手もウクライナ人で、ウクライナ語しか話せない。しかし、イタコに降りた母親の口から「おめさ、げんぎが? おらは、あんよでげんぎでやってっず」と、流暢なズーズー弁が語られたのだ。驚いた執筆者が母親に、なぜズーズー弁を話すのか聞いたところ、母親は「あんよじゃ、みんなおなずだじゃ」と答えた。こうして雲伯方言とズーズー弁の比較研究は思わぬ方向に転び、執筆者は死後の世界共通語仮説にのめり込むことになった。

執筆者は恐山のイタコだけでなく東北各地のイタコに会いに行った。その全てで、ズーズー弁または日本語族に属する方言が話されている事実を確認、日本語が死後の世界で話されているとの確信を得た。口寄せを受けた地域によって方言に差異が見られたが、それは重要視しなかった。日本語に方言があるように死後の世界にも方言があるのは当たり前である。この発見は日本語祖語研究を根底からひっくり返す破壊力を持っていた。第二渡来人が日本語祖語を話していたかもしれないといった生易しいものではない、死後の世界で話されている言語が日本語そのものなのだ。しかし、イタコは比較言語学の世界で認知された存在ではない。イタコは東北地方のごく一部で行われている民間信仰であり、信徒の数も少ない。執筆者もその点を憂慮していたようで、死後の世界共通語仮説を纏めるにあたり、全世界120カ国に教団組織があり、1200万人を超える信徒数を誇り、毎年夏に公開される教団映画で、興行収入上位に顔を出すも朝の報道番組映画興行ランキングで黙殺される日本屈指の巨大宗教団体に目を向けた。そう、ここで青森観光協会にイタコを紹介されたときの逸話が意味を成す。

 執筆者が論文を完成させるために最後に接触したのが「幸運の科学」創設者であり総裁、Ryuichi Ogawa小川隆一である。九次元天上界の神であり人類を救済する地球霊団長光の大指導霊である地球神「エム・カンタビレ」の化身、Ryuichi Ogawaは集会の際に歴史上の偉大な指導者、宗教家と霊界通信を行い、降ろした偉人の有難い言葉を信徒に授ける。多元宇宙を行き来する九次元宇宙大霊の地球神エム・カンタビレの化身ともあれば死者を呼び出すことなどたやすいであろう、そこに異議を唱える研究者はいない。言語学の心理を探求するため幸運の科学のアニメ映画を観漁り、すっかり幸運の科学の教義に絆された執筆者は、20年前にオウム真理教に入れ込み、ウクライナ人文言語学会から追放されそうになった過去などすっかり忘れ、幸運の科学に入信した。

研究者の研究に対する情熱や探求心、向上心は素晴らしいものではあるが、時として周りが見えなくなることがある。執筆者は幸運の科学にのめり込むうちにウクライナ人文言語学研究所比較言語学研究費を着服、教団に布施したり、幸運の科学出版から刊行されているエム・カンタビレの有難い言葉が記された「基本三法」と呼ばれる『月の法』『金色の法』『遠縁の法』を100部ずつ購入して、信者獲得ために集合住宅の郵便受けに無差別に投函した。また、5chにRyuichi Ogawaの口寄せはインチキだといった書き込みを見つけると、ロシア対外情報庁の協力のもと、5chに書き込みをした人間を特定、執拗な嫌がらせを行った。そういった行いが教団内部に認められるようになり、執筆者は教団内の階梯を駆け足で登っていった。そのかいあって年末に東京ドームで行われる地球神エエム・カンタビレに1年間の感謝の捧げる「エム・カンタビレ際」の最前列チケットを教団幹部の厚意によって550万円手で入れることが出来た。当然、それもウクライナ人文言語学研究所の研究費である。

ゼウスやモウセ、孔子らが属する九次元大霊の頂点に立つ地球神エム・カンタビレに捧げる歌や踊りが終わり、信徒の興奮が最高潮を迎えたころ、金の法衣を纏ったエム・カンタビレの化身、Ryuichi Ogawaが登壇した。Ryuichi Ogawaは信徒に対してエム・カンタビレの有難い教えを伝えたあと、全身をプルプルと痙攣させて白目をむいた。交霊が始まったのだ。半開きの口の両端にこびりついた細かい白い泡はエクトプラズムではなく、有難い教えを信徒に伝えすぎた結果だ。場内に静寂が訪れ、張り詰めた空気の中、東京ドームを埋める大勢の信徒がプルプル震えるRyuichi Ogawaを見つめる。暫しの間、白目をむいてプルプル震えていたRyuichi Ogawaはカッと目を開いた。プルプルしなくなった。鋭い目つきで会場をゆっくり睨め回したあと、正面に向き直りマイクの位置を若干直してから驚くべきことを口にした。

「アイアム、ジーザス・クライスト」

Ryuichi Ogawaに降りて来たキリストが英語を発した。日本語ではなく、キリストが生前話していたヘブライ語でもなく、日本語訛りの強い英語を話したのだ。驚いた執筆者は思わず声を上げた。

「なんでキリストが英語を話すんだよ!」

最前列にいた執筆者の声を壇上に置かれたマイクが拾い、その声が東京ドームに轟いた。会場がどよめくなか、執筆者は続けて「精舎で見せられたDVDの中でRyuichi Ogawaに降りて来た釈迦が日本語を話すのを見た。ムー大陸の統治者ラ・ムーも日本語を話していた。アトランティス大陸の統治者トスが日本語を話すのも見た。ゾロアスターが日本語を話すのも見た。ヴァイヴァスヴァタ・マヌが日本語を話すのも見た。アルキメデスだって日本語を話していたんだ。それが何でキリストだけ英語をしゃべってんだよ! おい、キリストさんよ、納得のいく説明をしてくれ!」と叫んだ。会場がさらにどよめく。それを見て壇上のRyuichi Ogawaに降りて来たキリストは両手を上げ前後に動かした。すると信徒は冷静さを取り戻し、会場は静かになる。キリストが不届きな信徒の質問に何と答えるのか、東京ドームを埋め尽くす信徒が二人のやり取りに注目した。両手を下ろしたキリストは、大きくため息を付いてから告解室で全てを許すと説く聖職者のような優しい目を執筆者に向けて口を開いた。

「この者をつまみ出せ!」

神の子イエスがつまみ出せと言った。呆然と立ちつくす執筆者をどこからともなく現れた屈強な男が羽交い絞めにした。足をバタバタさせながら「俺は550万も払ったんだぞ!」と言って抵抗するも、三塁側パドック出入り口に連れていかれ強制退場させられてしまった。このどうしようもない論文を根気と努力でここまで読まれた諸兄姉らは、論文が未完成で終わるのかと不安になっていることだろう。だが、安心してほしい。この話には続きがある。

エム・カンタビレ祭が終わったあとに、Ryuichi Ogawaが執筆者に接触してきた。「死後の世界で話されている言葉は日本語だ。あのときは理由があって英語で話した。ついては論文の中で幸運の科学を好意的に紹介してほしい」申し出てきた。執筆者が比較言語学の権威であり、過去、オウム真理教にはまっていたことを知って接触してきたことに間違いはなかったが、エム・カンタビレ際において、神の子イエス・キリストが英語を話した納得できる理由を聞けるのであれば喜んで掲載すると答えた。Ryuichi Ogawaは論文の中で幸運の科学が紹介されれば、マシにマシた信徒数をもっとマシマシすることが出来ると踏んだのだろう。双方にとってウィンウィンの関係であり、そこ金銭のやり取りは生じない。損得勘定のない真理の探究、それこそが研究者の本懐である。

Ryuichi Ogawaは降りて来たイエス・キリストが英語をしゃべったことについて、執筆者にこう説明した。「幸運の科学には世界中に1200万人の信徒がいる。キリストは九次元宇宙大霊の頂点にいる至高神エム・カンタビレと同じ世界にいる神であり、世界中に多くのキリスト信徒がいる。キリスト教徒は日本語話者より英語話者の方が多い。そのため、あの場では死後の世界で話されている日本語ではなく英語を選んだのだ」と。完璧な説明だった。執筆者はエム・カンタビレ祭で取り乱した自分を恥じた。勘違いによる身勝手な行いにより、エム・カンタビレ祭を台無しにしてしまった。ガタガタと膝を震わせ立っていることが出来なくなった執筆者は地面に膝をついた。そして胸の前で両手を組み、涙を流しながらRyuichi Ogawaを見上げた。Ryuichi Ogawaは優しい笑みを浮かべて執筆者の頭に手を置いた。「すべては許された。エム・カンタビレの祝福があらんことを」執筆者は我を忘れて泣き叫んだ。エム・カンタビレの祝福に涙が止まらなくなってしまったのだ。

こうして執筆者はウクライナ人文言語学研究所比較言語学研究所の猛烈な反対を押し切り、「Thinking about the origin of Japanese “ITAKO” talking to the dead」を発表した。この学説はウクライナ人文言語学会では完全に無視されたが、日本の異常論文好事家の目に留まり、日本言語学会に紹介されることになった。論文の中で、死後の世界共通語である日本語が、どうやって日本列島に伝わったかに触れられていないと指摘するものもいたが、それは大きな問題ではない。Ryuichi Ogawa天之御中主神あめのみなかぬしを降ろすことが出来る地球神エム・カンタビレである。天之御中主神と言えば、この世界の開闢した創造主であり、伊邪那岐神いざなぎのかみ伊邪那美神いざなみのかみ高天原たかまがはらから地上に降ろして日本列島を作らせた造化三神のひと柱である。伊邪那岐神は火の神を産んだ時に陰部に大やけどを負い死んでしまった伊邪那美神を追って黄泉の国へ向かったが、伊邪那美神がゾンビになっていたので連れ戻すのを諦め黄泉の国から逃げ出した。神が死ぬのかどうかはおいといて、命からがら逃げおおせた伊邪那岐神は黄泉の国で付いた穢れを落とすために川で禊をする。そこで左目を洗ったときに皇室に繋がる皇祖神天照大御神あまてらすおおみかみを産んだ。皇室が神と直接繋がっている日本において、日本語が日本列島に伝わった経緯など説明するまでもないだろう。

 

日本語祖語について、現在主流の朝鮮語共通祖語仮説と死後の世界共通語仮説を紹介したが、この論文を読んだ識者はどう思われただろうか? 朝鮮語共通祖語仮説以外に日本語の伝播を説明することが出来ないと思った人もいるであろうし、死後の世界共通語仮説に言語学の未来を感じた人もいるだろう。いずれにせよ、数多ある日本語祖語仮説を真摯に検証する姿勢が日本語祖語研究の発展に寄与することは間違いない。

 

――了

2021年2月13日公開

作品集『踊ってばかりの国』第7話 (全10話)

© 2021 諏訪靖彦

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