妄執をあざ笑うはヒトザカナ

川獺右端

小説

776文字

妻の納骨が終わった夜、私は一人海岸を歩いていた。

人のいない砂浜で、打ち上げられるような形でそれは居た。

妻が、人魚の形でそこに居た。

「おまえ、帰ってきたのか」
「ちがうわ、私はあなたを知らない」

 

嫣然と笑い下から見上げながら彼女は言った。

 

「顔も、声も、姿も一緒だ、人魚になって戻って来てくれたのではないのか?」
「魂が引き潮にのって、西方に帰る途中で、私がつかまえたの。私たちに決まった形は無いのよ、全て借り物。あなたの奥様はここよ」

 

ぼっ、低い音と共に、彼女のてのひらに鬼火が燃え上がった。

私は人魚に近寄った。

彼女は波を分けて海へと向かう。黒髪が月光にてらてらとひかる。

誘うようにクスクス笑う人魚を追いかけて、私の靴が海水に浸たった。

 

「まってくれ、行かないでくれ、もう一度帰って来てくれ」
「妄執よ、死んだ人は帰らないわ」

 

冷たい波が私の膝を洗う。

もう一度、妻の手の冷たさを、頬の丸さを、体の柔らかさを確かめたい。その一心で柔らかい砂を蹴って私は彼女に向かった。

 

「おねがいだ、帰って来てくれ、それが無理なら、ただ抱きしめるだけでも良い、行かないでくれ」
「うふふ、奥様を愛してらっしゃったのね」

 

黒と金の鱗を閃かせ、笑いながら人魚は浅い海を銀の飛沫をはじいて逃げる。

 

「そうだ、私の宝物だった、美しくて、柔らかで、かけがえのない存在だった」

 

腰のあたりまで波が洗い、水を吸ったズボンが重く張り付いている。

あと少しで手が届くという時、彼女は振り返り、憐憫をこめた目でこう言った。

 

「だから、他の人にとられるのが嫌で、殺したのね」

 

絹糸のような細い雨が海面に落ち始めた。

 

私は腰まで海につかりながら、人魚がいなくなった水面を見つめている。

2021年1月4日公開

© 2021 川獺右端

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