僕とワタキミちゃんのそのあとのやりとりは割愛するよ。ワタキミちゃんの口からカントだとかドゥルーズだとかいう固有名詞なのか動詞なのか数詞なのかもよく分かんない言葉が出てきちゃったから。
そんな話をするよりワタキミちゃんの外面について話したほうが有意義だと思うからそうするね。彼女は西洋不美人が憧れるような東洋美人だったよ。ワタキミちゃんは一重瞼で、肌の色が僕のテストの解答欄くらい白くって、なおかつその肌のきめは殺虫剤の注意書きよりずっと細かかった。髪型はストレートの黒髪ロングで、前髪は目の上でそれはまるで死者の心拍数みたいに水平にカットされていた。でもね、僕がワタキミちゃんの外見で一番魅力を感じたのはその美しい肌でも前髪でもなく、彼女の口元だった。ワタキミちゃんは吸血鬼もおののくのではないかと思うくらいの鬼歯を聖なる神から授かっていた。僕はワタキミちゃんと出会った瞬間その鬼歯で首筋をガブっといかれちゃったってわけさ。あ、出会ったときのワタキミちゃんはどのような服装をしていたのかというとね、彼女はビッグサイズの紫色のパーカを着てたよ、膝上丈の。
「スピノザって食べもの? そんなことより君の曲を聴いてみたいな」と僕が言ったら、ワタキミちゃんは制作中の曲に使用するリリック候補の書かれた紙を僕に見せてくれたのだけれど、ええと、その紙に書き殴ってあった彼女のリリックは紹介できないんだ。どうしてかというと、もしもその紙がホワイトハウス周辺に落ちてたらトランプ大統領は地下壕でTwitterを投稿する羽目になっちゃう——うん、端的に言うとね、ワタキミちゃんのリリックはアメリカに対するすっごい悪口だったんだ。でも誤解しないで。ワタキミちゃんは平和主義者なんだよ。その証拠に彼女はこんなリリックも書いてた。
“白と黒が混ざった灰色こそ平和のシンボルカラーといっていい色なのにその灰色は心理的に平和を感じさせない。平和とはそういうものなのよ”
"Adan #58"へのコメント 0件