俺の名前は菱谷ミツル(26歳)。能力者だ。
俺が釣りに行った桟橋で瀕死のリュウグウノツカイを救って、その対価として得た能力は「他人の頭上に魚のIMAGEが見える」というものだった。能力名は「ラジカル・フィッシュ」。魚影というか、魚そのものが頭の上に浮かんで見える。正確に言うと俺に見えるのは魚というか魚介類全般だ。そしてそのビジョンは、どうやらその人物の特徴や状態を如実に示しているようなのだ。たかだか魚類風情にどうしてそんな能力を私に与える能力があったのかは全くわからないが、その日を境に俺は俺以外の人間の頭上に魚を見るようになった。
どんな魚が見えるかは人によって違うし、日によっても違う。もしこの能力を持つのが一般人であれば、ただ魚が見えるというだけで終わっていたことだろう。しかし、俺は違う。俺は釣り師であり水産大学の出身であり、今でこそしがない風俗店の店員であるが、かつては小学生お魚博士としてテレビに出るなど親戚一同の期待を背負っていたこともある。魚屋に並ぶようなのはもちろん、図鑑でしか見ないようなものでも、たいがいの水棲生物は見ただけでその種類がわかる。
そしてある日、オフの日に近所の寿司屋の大将と弊店でばったり出会ったときに、ようやくこの能力の秘密に気づいた。普段の店での大将は立派な海老を頭上に浮かべているのだが、うちの店に来たときはそれがメバルになっていたのである。エビがメバルになった。メバルとは堤防などでよく釣れる魚で、俺なら見ればすぐにわかる。漢字では鮴と書く。魚偏に「休む」だ。そして海老は「鰕」とも書く。寿司屋にいるときの大将は鰕。今日の大将は鮴。客の少ない自分の店にいるときはエビで、それがヘルスに来るときはメバルになる。なるほどそういうことだったか。この能力を得て五年目にして、ついに意味がわかった。さっそく合羽橋で寿司屋の湯呑を買ってきた。
この能力は、使い方さえわかれば実に便利なものだった。とくに自分のような風俗店員であればなおさらである。
直属の上司である店長の岩石サトシはいつも鰯が見えている。体調が弱っているのか、オーナーに対して立場が弱いということなのか、嬢たちに弱いのかよくわからないが、とにかくイワシである。街中で見かける人々にもイワシは多い。そして店にはめったに来ないが京都出身の久慈ランコオーナーは鯨である。久慈さんはいつ見てもクジラなので、それが彼女のアイデンティティなのだろう。そういえば電話で京都弁でイケズをかますのを聞いたことがある。
そして、ラジカル・フィッシュは店の子たちの性質を知るのにもたいへん便利である。
例えば鯏が見えるサリちゃん(鶯谷アサリ)は、とにかく自分ファーストの利己主義者である。実にわかりやすい。わかっていれば扱いやすい。おだててやればノッてくる。フリーの上客(VIPコースを選択する客)を優先的に回すならナンバーワンにはこだわらないなど、名より実を取るのも彼女らしさである。一方、当店ナンバーワン稼働率を誇るアユちゃん(友井アユミ)は、とにかく寂しがりやで独占欲が強い。頭上には鮎がいる。自分の常連客が他の子を指名しようものなら、徹底的にLINEで営業するなどして自分に引き戻そうとする。暇になると(頭上には鰕)あからさまに不機嫌になるので、そういうときはショートでもいいからフリー客を多めに回して、忙しくしてやるのだ。
鮟鱇が出ている子なら心配ないが、鯛が出てきた子は店長に伝えて休ませるなど、体調の管理にも役立つことがわかってきた。
もちろん客の見極めに役立つこともある。店の外には立入検査対策に監視カメラを置いているが、これで客の選別もする。上に鮗がいるなら、懐がお寒い客だ。客引きなどするだけ無駄である。モニターで見ていて、そういうのが来たら若い衆にインカムで伝えてスルーさせる。鰙もあんまり持ち合わせがないことが多いのでスルー対象だ。狙い目は鰤だ。なんの先生かは知らないが、とりあえず金は持っている。「社長、どうすか」なんて客引きに言わせれば高確率でついてくるし、VIPコースだし、金払いのトラブルもまったくない。ゴネることもまずない。また、レアキャラだが、鰰を見かけたら絶対逃してはいけない。間違いなく上客(金払いのいい客)、それも神客(金払いが良くわがままも言わない常連客)だからだ。鰉のときもあった。この客の場合は付き人が「他言無用で」と俺にチップをくれる。おそらく口止め料だろう。やんごとなき方々に楯突いてもなんの得もないから、黙っている。ここに書いたことも内緒で頼む。
弊店の関係者以外にもいろんな魚がいる。4階のキャバ嬢のメイさん(平野メイ)の頭上にはいつも鮃が泳いでいて、ずっとなぜなのかわからなかったが、エレベーターで会ったときにうまく誘い出して飲みに行ってお持ち帰りしたときにわかった。彼女はAAAだったのである。なるほどそういうことかと腑に落ちた。そしてそれはそれで俺は嫌いではない。いや好き。
同じくエレベーターでよく会う5階のホストクラブ「包容力」のナンバーワンホスト阿波野さんは、いつも鮑を浮かべている。ナンバーツーの萩原さんはいつも鮍を掲げている。そして彼らは決して枕営業はしないと聞いている。それ以上は言わなくてもわかるだろう。武士の情けだ推して知るべし。
6階にはうちのケツモチの大河組の事務所があるのだが、表向きは消費者金融になっている。そこの用心棒的なお兄さんが吉良さんだ。頭上にはいつも鯱がいる。弊店でなにかあったら彼にLINEで知らせることになっている。イワシ店長が言うには久慈オーナーの親戚だか幼馴染だか同級生だからしいが、詳しいことは知らないし、知りたくもない。知らないほうが俺には得だと思うので知ろうと思ったことはない。
そんな感じで俺は俺なりに能力とうまいこと付き合ってやってきた。もっと工夫したりできれば、世界の王様になったりとかもできるのかもしれないが、それは俺の器には過ぎた願いのように思う。ちょっと場末のしょうもない風俗店のしがない店員で、身の回りのことをうまいことやりくりするぐらいが、ちょうどいいのだ。それが身の丈なのだろう。モニターを見ていたら鮪が通りかかったので、インカムでキャッチマンに言って店に呼び込んだ。指名はとくにないと言うので、中堅のサクラちゃんを当てておいた。コースはVIPを選択。金持ってるだけのことはある。
店長に呼ばれて受付から事務所に行くと、新人の子を紹介された。美人タイプで、胸も大きいようだし、パッと見は22〜23歳ぐらいにも見えるが、頭上にピチピチと岩魚が跳ねている。これはあまりよろしくない。岩魚は鮇と書く。未経験か、未成年かわからないが、経験上、中学生や進学校の高校生によく見られる魚影だ。ビッチ高にはあまりいない。ビッチ高には鮫が多い。とにかくイワナはまずい。ひとまず事務所に新人ちゃんを残して店長を通路に連れ出した。店長は気に入ってるようで、すぐに上機嫌で聞いてきた。
「ミツル、ミキちゃんどう? 岩波ミキちゃんっていうんだって。すごいかわいいよね」
「俺もかわいいはとは思いますが、このクラスの子がうちみたいな店に来ますかね」
「4階と間違えたとか? まあヘルスにはなかなかいないレベルなのは確かだけど」
「年齢確認しました?」
「履歴書見ただけだけど。免許持ってないって言うし、あ、保険証のコピーは見たよ」
「コピーですか」だいぶ怪しいな。「とにかく、今日から店に出すのはヤバいです。写真つきの書類を用意させるとかで出直させた方がいいです」
「上玉を逃したくはないけどなあ」
「それでこちらが一網打尽にされたんではたまらんです」
「わかった。言うとおりにしよう」
店長は岩波ミキを裏口から出して下まで送っていった。惜しい惜しいとうるさかったが、なんかあったらパクられるのはあんたなんだぞ。俺の見立てでは17歳以下だ。条例でもダメだし、その他いろんな法律に抵触する。あかん。
モニターを見ていたら、鮠が現れた。こいつはよく知っている。所轄の生活課の早瀬警部補だ。隣には鱰もいる。ちょっと先の交番の若い巡査で、確か椎名とかいったな。ふたりとも私服だが手入れの可能性もある。念の為、上の吉良さんにLINEを送っておく。
エレベーターの扉が開いて、二人の警官が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「あ、今から二人入れる?」
「大丈夫ですよ」
すぐに警察手帳を出さないということはプライベートなのか?
「今ですと、こちらと、こちら、あとは……」
できるだけゆっくりと写真を出して、時間をかせぐ。
「ねえ、店長さんいるかな?」
「あ、今は所用で出ています。すぐに戻ると思いますが」
「じゃあちょっと中を見させてもらっていいかな」
もちろん拒否はできないが、すぐに同意をしないことはできる。
「どういうご用件でしょうか。できれば店長が戻ってからにしていただけるといいのですが」
「都合悪い?」
「そんなことはないです」
未成年は帰しておいたし、そもそもうちは本番なしの健全な風俗店である。やましいところはない。
だがしかし、視界の端に鮫が見えた。背筋が凍る。ジョーズのテーマが脳裏をよぎった。
源氏名サクラちゃんこと深田リョウコが一瞬個室の扉を開けたのだが、すぐに閉じたのだ。
このままではまずい。引き伸ばしをしなければ。どうやって?
「じゃあちょっと見させて……」
早瀬警部補が内ポケットに手を伸ばしたとき、エレベーターから鯱が現れた。
「お? 早瀬さんじゃないすか。今日はお仕事? それとも遊び?」
「なんだ吉良か」
「早瀬さん、ちょうどよかった。お耳に入れたいことがあるんですが、今は忙しい?」
「あ、いや忙しいというほどでもない」
「ほんなら。ここじゃアレなんで、上でもいいすか」
またあとで来ると言い残して、二人だけの警官隊は6階の高利貸し店に連れて行かれた。なんだかんだで彼らと彼らは癒着している。吉良さんにはまた借りができたが、それは久慈オーナーがなんとかするだけだ。それに早瀬はともかく椎名まで私服だったということは本当にプライベートで、店長に交渉して値引きさせるつもりだったのかもしれない。そういう機微まで魚でわかるといいのだけど、俺もまだまだ修行が足りない。
「お客様お帰りです」
サクラがさっきまで鮪だった客を連れて個室から出てきた。今は鮪ではない。
「ありがとうございました〜」「またね」
客はサクラに手を振り、俺に軽く会釈をして、知らんぷりしてエレベーターホールに出ようとしたので、俺は引き止めた。
「お客さん、ちょっとこっち来てもらっていいですかね」
「え」
「うちはそういうのダメなんすよ」
「いや、なに?」
「まあまあとりあえず、話は中でしましょう」
「え、いや、なんで」
「なんでもですよ。あとサクラさんもね」
「え。アーシも?」
よくこの状況でとぼけられるものだと感心する。しかし俺の能力はお前らを見逃さない。
「たりめえだろが、さっさとしろ」
「なんでバレたん」
なんでかだと?
お前らの頭の上でクソデカいまぼろしの巨鮫どもが大暴れしていたからだよバカども。
おしまい
諏訪真 投稿者 | 2020-09-23 15:22
「魚のIMAGE(ギョエー)」<-ここでもう腹筋持っていかれました。
魚そのものにフォーカスし尽くしたという意味で、本イベントで一番魚が出てきてるんじゃないですか。(魚という字の豊穣なこと)
鈴木 沢雉 投稿者 | 2020-09-24 14:48
諏訪さんと同じく、「魚のIMAGE」に「ギョエー」とルビを振った時点でもう参りました。完成ですね。
魚偏の漢字を調べるのに字典じゃなくて寿司屋の湯呑みをゲットしてくるところなんかも徹底していると思います。
松下能太郎 投稿者 | 2020-09-24 19:44
創作意欲を駆り立てられる物語設定だなあと思いました。次はどの魚がくるのかとワクワクしました。京都府民は全員鯨である可能性が高いことから、この能力者は京都の町を歩くのに一苦労しそうだなあと思いました。
退会したユーザー ゲスト | 2020-09-25 19:37
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大猫 投稿者 | 2020-09-25 21:16
大笑いしました。笑いながら、絶対、寿司屋の湯呑を見ていて思いついたに違いないと思いました。意味が分かるまで5年もかかる謎の特殊能力で、人類を救わず店だけを救うのも良いです。
鱒を乗せた偉い人(皇族とか)が来て、帰りには鮃になっていたみたいな続編があったら読みたいです。
わに 投稿者 | 2020-09-25 22:38
このお話の面白さは上の方々に同じです。「まぼろしの魚」というお題を出してよかったなと思いました。物書きって基本的に自分の書いてる話が一番好きみたいなとこありますが、今回は波野さんの話の方が好きです。
古戯都十全 投稿者 | 2020-09-26 18:37
ルビや固有名詞を見ているだけでも楽しめる作品だと感じます。能力を持っても身の丈に合った使い方をしようとするする主人公の姿勢は、時代の要請でしょうか。
どうやったら「包容力」と書いてホーミータイという名前を思いつくのか、色んなアイディアにも頭が下がるばかりです。
Fujiki 投稿者 | 2020-09-26 18:51
ジョジョのスタンドのようなものかしらと思って読み始めたら、声を出して笑った。特に「包容力」のホスト二人が辛い。風俗業界の物語に関してはもはや名人芸に達していると思う。今回の合評会作品の中では一番楽しめた。星五つ!
Juan.B 編集者 | 2020-09-27 16:49
人の気持ちやら能力やらが目に見えてしまうと言う話は色々あるが、風俗店で発揮される話は恐らく無いんじゃないか。もはや他人に真似できない域に達している。素晴らしい。でもこの店には行きたくない。
諏訪靖彦 投稿者 | 2020-09-27 23:31
波野さんの風俗ネタは鉄板だなあ。リズムよく出て来る小ネタがコントの様で笑わせ続けられました。合評会では「鰉」がどなただったのか教えて頂けると幸いです。
小林TKG 投稿者 | 2020-09-28 12:35
シャレてるぅフウ!シャレオツ、フウ!の一言。
曾根崎十三 投稿者 | 2020-09-28 19:35
どうやって生きていたらこんなことを思いつくのでしょうか? 天才的です。
みなさん書かれてますが「ギョエー」のルビで完全に持っていかれました。
言葉遊びとエロとギャグが上手く混ざり合っており、最初から最後まで楽しませていただきました。