東京ギガストラクチャー (二十二)

東京ギガストラクチャー(第23話)

尾見怜

小説

6,042文字

実際に柏崎刈羽原子力発電所に行ったのを思い出しました。

原発占拠の下準備は着々とすすんでいた。
茂山は東電から早々に原発の内部地図やネットワーク構成を手に入れて、幹部達に共有した。それを基に平岩と葛野は必要な人員、装備を考えて調達や既存品の改良にいそしんだ。野村は原発占拠後のSUA側のあらゆる動きを想定して場合分けを行っているが、自衛軍の治安出動がなされるパターンだけは、どうしても対処不能であり、実行犯である俺たちは全員拘束されて殺される、という懸念点がのこった。
「自衛軍の治安出動だけはないよ、総理はともかく、観世官房長官がゆるすわけがない」
ニシキが断定的な口調で言った。
「もしSUAがこのテロは人民解放軍の侵略だ、と嘘をついたらわからないぞ、宝生はSUAがつぶれるのも覚悟でそう言うかもしれない、そうなった場合の対処が、オレたちにはないんだ……」と野村が言う。
「大丈夫だ、宝生はそんなことしない」
俺は確信していた。
「どうしてわかるんだ」
「日本人のことなかれ主義というのは相当根深い、宝生だって日本人なんだ、かならず穏便に済ませようとする」
「お前、宝生について想像するなとオレに言ったの覚えてるか」
「忘れた」
野村はあきれて煙草を吸いにいった。

二〇六五年八月現在、日本の失業率は十五パーセントを超え、二十一世紀初頭から横ばいだった名目GDPは二〇三〇年を機にダウントレンドに入り、とうとうUSドルに換算すると一九八〇年代並みの数値まで落ちた。政権与党は名目GDPの数字で野党とマスコミをごまかそうとしているが、世界基準の為替に当てはめると、日本は確実に貧乏になっているのがわかった。日本円はどんどん安くなり、外国製品は高くなっていった。かつて海外で売れていた日本車も、すでに買うものは世界に誰もいなかった。車は技術的にも頭打ちで、ドイツ人が設計し、中国で部品を作り、インドの工場で、フィリピン人が組み立てていた。日本人が関わる余地など、どこにもなかった。それにもかかわらず、日本人はSUAの提供するサービスでいまだ甘い夢を見ていた。頼みの内需などとっくに衰退していたがSUAが職をギガストラクチャーの中に用意しているのでなにも考えなくてもよかった。
ギガストラクチャーの中では、日本人はしあわせだった。
だが日本政府はもうすぐ外貨も国債もすべて吐き出してしまうところまで追いつめられていた。SUAが存在しているかぎり、だれにも止められなかった。IMFの警告は、日本国民の耳に届く前にSUAによって握りつぶされた。日本のデフォルトとそれにともなう飢餓が近づいていた。

八月二十八日、茂山から気になる情報が入ったので、幹部を収集してミーティングを行うことにした。
「上野や新宿のスラムで、奇妙な現象が起きています、SUA警備部の発表ですが、アジア難民たちが連日各所の神社や寺院に火をつけたり、仏像を盗むなどの犯罪行為を行っています、そのため警備部は未然に犯行を防ぐという名目で捜査本部を作って対応しているのですが、それがどうも、文字通りマッチポンプの様な気がしてならないのです」
「SUAの自作自演だって」ニシキがすっとんきょうな声で相槌を入れた。
「そうです、犯行は突発的で組織的なものではありません、てがかりなんてものはゼロですよ、こんな同時多発的な事件は捜査のしようがありません、ですが警備部は犯人をかたっぱしからつかまえています、マスコミは警備部の捜査力を持ち上げてますが」
「いったいなにがしたいんだろ」ニシキが首をかしげる。
「あと一点、ギガストラクチャー周辺のスラムに住むアジア難民達の間でスマートドラッグカクテルという麻薬が流行しています、私たちも入手して、平岩さんに解析をお願いしたのですが、その内容がとても悪質だったんです、すいません、平岩さんお願いします」
もったいぶった間の取り方をしつつ平岩が立ち上がった。その手には資料、平岩の前のテーブルには小さなビンがふたつ置いてあった。
「このスマートドラッグっていうのは2種類のカクテルで1セットなの、それぞれジョンとローズマリーっていうふざけた通称がついてるらしいわ、ジョンのほうはまあ特筆すべきことはなくて、ただの覚せい剤よ、リキュールみたいにジュースと混ぜたりして飲めるっていうのが結構目新しいけどね、問題はローズマリーのほう」
「内容物はマイクロマシンよ、前頭葉に直接作用する、前頭前野と大脳辺縁系の連絡繊維を一時的に遮断することが出来るの」
「よくわかんないよ、つまりなんなの」
ニシキがまた目線を下げるいい相槌をうつ。こういうくだけたところが官僚として評価されている一因かもしれないな、などとくだらないことを考えた。
「かいつまんで言うとバッドトリップを防げるのよ、いわゆるアッパー系の麻薬っていうのはバッドトリップの危険性がある、最悪自殺したり、思い込みの呼吸困難で死ぬ人もいるわ、でもこのローズマリーを服用すれば大丈夫ですよ、ってわけ、でも、これは大昔に流行ったロボトミー手術と理屈がおなじなのよ、服用すると同時に社会的な配慮とか、衝動を抑えるといったことができなくなる」
「要は、薬に逃げたやつが、ラリっても自殺したり殺したりしなくなってるってことか」
「まあだいたいそうね、もともとロシアで冬季うつ病の対症療法として脳に直接作用するマイクロマシンが研究されてたんだけど、まさかこういうものができているとはおもわなかったわ」
「問題は、アジア難民がどこでそれを手に入れたかってことだ、タダじゃないだろ、アイツらに金は無いはずだ、それに薬を使って社会性がなくなったからと言って、神社を燃やすって行為と直結するか、関係ないようにおもえるんだけど」野村が言った。
「それが信じられないくらいの安値で闇市場に出回っているんです、間違いなくロシア産なんですが、通常の流通経路を通ったらこんな値段はつけられないってくらいの、とにかくアジア難民界隈では大流行です、ラリった難民が多すぎて、東京の各スラムはもはや女性が昼間でも外に出られないくらいの危険地帯となりました、アオイさんとハルカさんは絶対にひとりで外出しないでください」茂山が言った。
「私は」平岩が茶化した。
「すいません、平岩さんも」
俺はこんな話聞きたくなかったので、
「この件は俺にあずからせてくれないか、まず優先順位は原発テロの準備だ、SUAが何を企んでいるのか知らないが、ちょっと俺が調べてみるよ、俺が一番暇だからな、特に茂山と平岩、こんなことを調べている暇があったら自分の仕事を進めてくれ」
「申し訳ございません、了解です」
「そうね、失礼しましたぁー」
ニシキはその後一言も口をきかずにいらだっていた。アオイはそんなニシキを心配そうに見つめている。SUAが陰でなにをやっているのか、いやな予感がした。

後日俺は新宿スラムに単身で向かった。葛野がひとりでは危険だ、とうるさかったが、俺は無視し、喜多が春日の誘拐を企んでいた歌舞伎町の将棋センターへ向かった。
今は空きテナントになっているようだ。奥のキッチンの床にはセミオートライフルの銃痕があった。歌舞伎町はビルとビルの感覚がせまい、スケールはちがうがギガストラクチャーに似ている。窓から外を眺めると歩いている人間は難民ばかりで日本人はほとんど歩いていない、みなギガストラクチャーの中に引っ込んでしまったようだ。直射日光を浴びていないためか、日本人はどんどん肌が白くなっているそうだ。すでにギガストラクチャー以外の東京は日本ではなかった。俺は誰もいない歌舞伎町の将棋センターで、遂に日本人はここまで来たか、と感じていた。
新宿の目抜き通りでは堂々とプッシャーがスマートドラッグをさばいている。汚い布を広げて、その上に置いたスニーカーやら革靴などの売り物と一緒に、スマートドラッグはあった。
「おい、これはいくらだ」俺は店主にスマートドラッグを指さしながら尋ねた。
「三〇〇円」
「安いね」
「うちが一番安くて混じりもん無しだよ」
「ちょっとこっちまで来てくれないか」
「なんでだ」
「たいしたことじゃない、もっとたくさんほしいんだ」
その男と一本路地裏に入った。おとなの肩幅くらいしかない、とても狭くて汚い路地だ、カラスの食べ残しと飲食店の名残か大量の室外機、使われていないゴミ箱と歩くたびに足にまとわりつく大量のビニール袋。いやなところだ。俺は故郷の山や住んでいた小屋を思い出した。あそこは、こことちがって、余計なものがなかった。
「なんだよ」
俺は腰に挟んでいたベレッタを彼の顔の前に出した。弾は入れていない。
明らかに日本人ではない彼でもベレッタを見ると途端に礼儀正しくなった。
「ドラッグの仕入れ元を教えろ、イエス以外のことを言ったら殺す」
「イエス、イエスだ、撃たないでくれ」
俺はこの男をリラックスさせるために笑顔で撃たないよ、と言った。
「あんたは警察か、SUAか、どこかの組の奴なら、手打ちにしないか、ケツを持ってくれる人がいるんだ……」
ベレッタの銃床でこの男のこめかみあたりを殴りつけた。あっと声をあげて、倒れそうになった男はなんとかこらえたが、俺から目をそらして現実から逃避するように、にやにや笑った。
「どうでもいい、早く言えよ」
「……向こうの通りにある中華料理屋にいる、日本人だ、映画館の隣の」
「でたらめ言うな」そう言ってもう一発同じところを殴った。
「本当だ、店長じゃなくてアルバイトの男さ、本当だ」男は泣きそうになりながら、信じてくれ、と哀願した。
俺は男に金を渡してその日本人に会ったが、なんてことのない普通のエプシロンの日本人だった。細身で頼りなく、ひどく頭の悪く醜い、よくいる若者だった。彼に訊くと、SUAは公表していないが、エプシロンのサービスコードにはスマートドラッグを月に一回、無償で手に入れられる権利が含まれる、という事が分かった。新宿の総合病院の精神科に行けば、だれでももらえるんだ、裏技ですよ、と得意気に語った。
彼は当たり前の様な顔をしてこう続けた。
「SUAはエプシロンに特権をあたえてくれてるんです、スマートドラッグをアジア難民に売ればいくらか稼げますからね……みんなやるから値崩れしちゃったけど」
俺はそれを聞いて自殺したくなったが、ひとまず上野に戻ることにした。西日に照らされるギガストラクチャーを眺めていると、地下にひきこもっている宝生をひっぱりだして早く殺したい、という思いと、なにを考えているのか確認したい、もしかしたら考えていることは一緒なのかもしれない、という淡い期待が胸をよぎった。俺はそんな自分がニシキに感づかれているかもしれない、ともおもった。だが、もう日本人は逃避と楽をすることしか考えていない、なにもかも手遅れで集団に依存して、考えることをやめてしまった。ニシキが恐れていたことがついに起きてしまったことと、ニシキに対する罪悪感から逃げ出そうとしていることに向かい合うことができなかった。
その後、神社へのテロは数回起こった。俺は葛野に命じて、一回でいいから阻止して犯人を確保しろ、と命じた。もう自分から動く気はなかった。宝生の頭の中に近づくことは、俺の仕事ではなく、ニシキと野村に任せようと考えた。
数日後捕まった犯人は、俺の予想通り、日本人のエプシロンを買っている貧乏人だった。
SUA警備部から金を渡されてやったとのことだった。ニシキは彼を、俺が買ってきたスマートドラッグの、ローズマリーだけを大量に飲ませて、中毒死させた。死ぬ間際、脳組織が頭蓋骨の中でバラバラになった彼は、野村が作詞したテルの歌を口ずさんでいた。

八月三十日、ハルカが俺の執務室にいきなりやってきた。今度は多少慣れたのか、会話してくれるようだ。
「わたしのAIを作戦に使ってくれませんか、UAV用にチューンしました」
ハルカの声を初めて聴いた。小鳥の様なか細くて甲高い声だった。反応にこまっていると、ユキオがあわてて執務室に入ってきた。
「おいバカ、すみません、和泉さん」
無理に連れて行こうとする兄に必死の形相で抵抗している。彼女はまた口を開かなくなった。
「君たちの管理は平岩の責任だ、あとで彼女から聞くから出てってくれ」
それを聞いたハルカは失望した様子で抵抗をやめた。
「すみません、本当に、ハルカが聞かなくって、止めたんですけど」
「なんでまた急に、作戦に参加したいなんて言い出したの」
「妹は反原発主義者なんです……だから原発を止める作戦に参加したいって」
そう言ったユキオは肩を落とした。
俺とニシキは笑いがこみ上げるのを我慢するので必死だった。
「複雑な家庭だな……」
「すいません……」
そう言って平岩兄妹は研究にもどっていった。
俺はため息をついて、アオイにコーヒーを入れてもらった。俺は何やら疲れている様だった。頭をもっとシンプルにしたいと考えていた。あまりにも要素が多すぎる、原発テロも、スマートドラッグも、アジア難民、ギガストラクチャー、野村、平岩の家族、ニシキ、アオイ。俺はいやになったのだろうか。
ニシキもきっと一緒だ、俺達には決定的に快楽が足りてない、そう感じていた。

「おいニシキ」
「なんだよ」
「イライラしていないか」
「別に大丈夫だよ」
「ぶっ壊そう」
「何を」
「ドラッグをロシアから調達しているSUA関連の商社、北海道でロシア人とのスポーツイベントを企画している自治体、神社テロで警備部を持ち上げたマスコミやジャーナリスト、アジア難民に食料を配給している左寄りのNPO、全員皆殺しだ」
「それはいいな」
「建物を適当に爆弾でふっとばそう、頭の弱い奴らにはちょうどいいよ、原発テロの景気づけってことで」
「それはいい、和泉、すぐやろう」

俺達は対象となる団体を割り出して、葛野に頼まずに俺とニシキだけで、平岩の部下に無理を言って作ってもらった爆弾を仕掛けに行った。今計画しているテロとは真逆の、適当で行き当たりばったりなテロだった。ニシキと二人で、まるで高校の時に戻った様だった。爆弾を仕掛け終わって逃げる時に、出っ歯でそばかすだらけのロシア人と鉢合わせし、俺が慌ててスタンナックルで殴って気絶させた時、ニシキは狂ったように笑い転げた。
他の幹部たちは一体何をやっているんだ、と俺たちを非難したが、アオイがかばってくれた。
爆発の規模は小さかったが、何人か自分たちの手で殺すことができた。俺たちはとても気分が良かった。もともと、これだけでよかったのかもしれない、と俺は元も子もないことを考えた。俺は別にニシキとアオイさえいれば十分なのかも、とさえおもった。ギガストラクチャーもドラッグもアジア難民も日本人もすべてどうでもいい、吹き飛ばして、笑い飛ばすだけの爆薬が欲しかった。そうニシキに漏らしたら、きっと、がんばっていればいつか手に入るよ、そうなったらおまえは日本の独裁者になるんだ、たのしみだよ、とニシキは微笑んだ。

2020年8月30日公開

作品集『東京ギガストラクチャー』第23話 (全35話)

© 2020 尾見怜

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