お前を虚無へと貶めてやりたい

Niel_Loss

小説

1,443文字

私はこの部屋の中で産まれた。いや、正確には、私の意識がはっきりする前にも、この部屋に散りばめられていたように思える。それは部屋中を漂い、ある時には、蛇のように這っていたように思える。温かい湯のような、流動するそれに包まれ、静かに息をひそめていたようだった。

後ろからドンと押され、その勢いで、目前に流れる一瞬の中に放り込まれた。

(母の膣から押し出される感覚、ズルリズルリと擦れる膣癖の感触を、その一身で受け止めたんだ)

 

それは、ついさっきのことだろうか、それともずいぶん前のことだろうか。もう、正確には覚えていない。

遠い過去の自分を、思い出すことができる。

電柱の傍を通り抜け、備え付けの階段を登り、手前から三つ目のドアを開いた。

カバンを置き、服を脱ぎ、風呂に入ることにした。僕はそのとき酷く疲れていたから、風呂桶にお湯を入れ忘れていたことに気が付いた。もう一度服を着るのが億劫だったので、蛇口をひねり、裸のまま、身体を縮こまらせて、全身が浸かるまでじっと待っていた。ここからプツリと記憶が途切れている。

(君は僕の家を想像するとき、どんなイメージを持つだろうか。)

 

こうして私は私に語りかけていた。

私が私である理由を考えはじめたときから、私の意識と呼べるモノが、私の中で爆発的に広がった。それと同時に、目の前に広がる虚空の前に、丸裸のまま放り出された。

 

あたり一面は薄暗い闇に包まれている。しかし、ぼんやりとした意識の中で、微かにではあるが、この部屋にある何者かを意識し始めた。

右目の端には、錐台の光が差し込んでいることが分かる。白月の光が、きらきらと映りこんでいる。床には、立方体だか、三角柱だか、糸だか、幾何的な形状をした積み木のような何かが散らばっている。左面には、いぶした銀のように鈍く光るドアがべっとりと張り付けてある。

私の一部削り去るように、一瞬が過ぎてゆく。

次第に、現実に直面している自身に気が付いた。先ほどまで無関係のはずだった、流れ去る一瞬が、カチリと音をたてて、自分のものに感じられた。一抹の不安がよぎった。統合されていなかった、途切れ途切れであった私の残骸が初めて、私という存在を認識した。今ここで顕現し、強く、何かへの漠然とした恐怖を抱いた。無と離反するが如く産まれた私は、ただ一人、この世界に取り残されているということに、気が付いた。

 

隅から隅までが青白く燻ぶった煙のような闇が、部屋の隅が蠢いている。私はなんだか焦燥にかられ、体を動かすように努力した。鉛のような身体はゴツリと床に転がり、そのままドロリと肢体が垂れ落ちた。一体どうしたんだろう。

 

少なくともはじめは、僕はこの境遇に抗おうと努めていた。そういう記憶がある。今更、どうしようということもないが、エンターテイメントが無いとはいえど、初めての世界は新鮮であったことは確かだ。困惑と不安に境はなく、落ち着かない気分ではあったが、それを感じ取るだけの情動は残されていた。

 

(例えば君が延々と苦しみの渦中に放り込まれ、その不条理を感じたとき、それを死だとか、悲哀で解消するのかもしれない。しかし、僕はここに来る前から、死をたいして恐れていなかった。幼少期の頃に、醜い母の肉体を慰めなければならないとき、僕は既に乖離しはじめていた。死とは自身の肉体を滅ぼす事であり、私の精神を現世から切り離す一つの手段でしかなかったのだから。)

 

 

2020年5月5日公開

© 2020 Niel_Loss

読み終えたらレビューしてください

この作者の人気作

今後の活躍にご期待ください。

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

---

"お前を虚無へと貶めてやりたい"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る