東京ギガストラクチャー (八)

東京ギガストラクチャー(第9話)

尾見怜

小説

5,843文字

俺は一人で京都へ来ていた。山口でひきこもっていた十年間、最も俺がコミュニケーションをとっていた人物、平岩教授に会うためだった。
当時彼女と日常的にチャットをし、四百七十キロ近く離れた京都の大学まで押しかけて話し合うこともあった。彼女は生理学の教授でありながら研究の裾野が広く、薬学、生物学、人類生態学など様々な分野で優秀な著作を残していた。俺は彼女の研究を時折手伝い、お駄賃をもらっていた。

嵐山のはずれにある彼女の自宅は、外見が日本家屋だが内部はシンプルで、壁は真っ白、和風でも洋風でもない、文化的な香りもしない機能的な改造が施されたものだった。フランク・ロイド・ライトを意識しているのだろう、とても広く、清潔だった。
平岩は白髪交じりのボブカットに、シンプルなリムレスの眼鏡をかけていた。誰もが好感を持つような、不快になる要素がすべて脱臭された完璧な外見をしていた。
それは俺が初めて会った際の印象とはかけ離れていた。当時は研究に没頭しすぎて外見を気遣う暇がなかったのだろう、髪にも艶が無く白髪がまばらに生え、男のような恰好をしていた。
「ようやく子供二人が出てってくれて、まだ家の中が片付いてないの、汚くても気にしないでね……君は充実しているみたいね、顔つきが凛々しくなった」
「そうかもしれませんね」
「最初に会ったときはどこの野生生物かと思ったよ、若いくせに顔つきが険しくて、何かにおびえているようだった、いっつも難しい議論ばっか吹っかけてきて、君と会話するのは授業の準備より大変だったわ、専門外の質問をされて知らないっていうのが悔しくて勉強したり、懐かしいわ、年々たくましくなって、今ではすっかり大人ね」
「褒めてもらいに来たんじゃないんですよ先生」
平岩は俺を指差し、
「でもなに、そのボロボロのダウンジャケット、ところどころ破れてるじゃない、玄関であなたのスニーカー見たけど、ヒモがすごい汚い、換えなさいよ、うちに息子のがまだあるからあげようか」
「うるさいなぁ、俺の外見はどうでもいいんだよ、そっちはえらいきれいになりましたね、先生、前は風呂が無い家に住んでるのかとおもったけど」
「年を食って教授になっちゃうとね、いろいろあるんだよ、教授会の中じゃ一番下っ端だし、女だしね、外見には気を配らないといけないの、いや、久しぶりに会えてうれしいわ、元気だった」
「元気かなんて普通の挨拶、あんたは言わないじゃないですか、どうしちゃったんだか、更年期は終わったんですか」
「私も変わったのかもしれないね、当時は毎日イライラしていてあんたと喧嘩ばかりだったわね、でも自覚してるだけマシだったでしょ、今日は泊まっていけるの」
「あなたと違って俺も忙しくなったんです先生、研究をされていないのなら好都合だ、俺と一緒に東京に来て、SUAをつぶす手伝いをしてほしい」
「SUAね、君は一生俗世間には関わらないんじゃなかったっけ、仙人になるのかと思ってたけど、いつ泣きついてくるか楽しみにしてたのに」
「事情が変わったんですよ先生、あれを放置していたら日本がおかしくなる」
「反SUAねぇ、学生運動みたいなものかな」
平岩はまともに相手をしない。いつまでも学生のような扱いだ。
「あんまりバカにしないでくださいよ、俺、もう二十九ですよ」
今作っている組織について、この罪のない女性に説明をした。彼女は最初興味のなさそうなふりをして茶化していたが、経産省官僚と退役軍人のバックボーンを伝えると、最終的に執拗に組織について質問し、考え込みしゃべらなくなった。何度も本気なの、と確認され、その度に当たり前だ、と返した。

組織について話し始めて二時間が経過していた。
「また明日にしますか先生」
「…………今、心の準備をしているところ」
「明日にしましょう、風呂はあるようですしね」
俺はこの人を仲間に加える事は当初から決めていたし、諦めるつもりも無かったので長期戦を覚悟していた。
「君はSUAについてなにを知っているの」
平岩はまだ話を続けたい様だった。
「正直なところまだたいして知りません、仲間の方が詳しいと思います」
「SUAの力は文教分野に関していえば影響は絶大よ、大学の研究予算はどんどん減らされてる、段階的に国立大学の学部数も減らされている」
「知ってます、昔から愚痴ってたじゃないですか、文科省がお金をくれないって」
「ここ数年でさらに酷くなったのよ、彼らは日本の教育を破壊したいとしか思えない改革を断行した、サービスコード別に四段階に大学のランクを分けて、あ、エプシロンに大学進学のサービスは含まれないからアルファからデルタまでの四段階ね、お金のかかる研究から予算を縮小して、いまやどこの研究室も基礎研究くらいしかまともにできてないの、まだ元気なのは数論とか生物学だけど、薬学や原子力工学などの産業に直接結び付く実学系はもうアウトよ、今日本の大学でちゃんと研究してる人なんているのかな、日本は世界の論文を後追いで読むだけ、企業も一部頑張っているけど、競争力を持つパテントがどんどん減っていっている、これが実態、人材はどんどん海外に流出している、さっき説明してくれた野村さんだっけ、政策シンクタンクの分野も人材に関してはここ数十数年で海外流出し終えてもういないはずだよ、さぞ困ってるでしょうね……」
「その通りですよ先生、あんたの子供二人も研究職なんでしょ、酷い目に合っているはずだ」
「兄の方は原子力工学で国の機関、お察しのとおり飼い殺し状態よ、妹の方は情報工学で民間企業よ、AI作ってる、私より頭が良くていやになるわ、でもやっぱり環境に満足してないみたい、研究者なんて金食い虫だからね、扱いが最悪だって」
「俺は現在日本におけるSUA主体の教育や産業育成についてはまったく期待してません、だから俺達が新しい環境を作って、先端研究において海外に勝つ土壌を再構築する」
「どうやって」
「いいですか、いまから言うことをあなたにお願いしたいのだが、SUAの息がかかっていない、民間、政府系、文教問わず優秀な研究者を統括して、新しい研究組織をつくってほしい」
「なにそれ、どういうこと」
俺は間を置かず、
「構造としてはこうだ、あんたがトップとなって、プロジェクト単位で管理を行う、プロジェクト、つまり研究して成果を出してほしいプロジェクトの研究内容は俺がすべて決定する、研究はあんたが選抜したマネージャーがそのプロジェクト単位のリーダーとなって推進する、そのマネージャーはプロジェクトの内容にもよるが一年から五年の間の任期制として時間の制限を与える、そこが肝要だ、タイムリミットが無いと緊張感が生まれないからな、多種多様な分野を研究機関、大学、民間企業問わずそのマネージャーが人材を集めて、マネージャーの責任でプロジェクトを推進させるんだ、あんたは各プロジェクトの進捗を管理してほしい、財務、契約関連やら人事スタッフはこちらで用意する、迅速な意思決定と、小規模な組織、さっきあんたが言ってた教授会のような官僚的な構造から脱却した完全なる成果主義の研究機関だ」
「ちょ、ちょっとまって、資金はどうするの、プロジェクトの数と種類によるけど、何十億って単位の予算が必要となるわよ、特に遺伝子研究や宇宙開発を代表として、いいものを作るには時間も金もかかるのよ」平岩は事態が呑み込めていないらしく、めずらしく慌てている。
「金はアテがあるから心配するな」
「予定しているプロジェクトの内容はどうする、日本で研究できない分野もたくさんあるわ」
「今のところ確定しているものを一気に言うぞ、原子力工学、流体力学、生物兵器の検知、材料科学、電磁投射砲、いわゆるレールガンね、の開発、サイバーセキュリティ、楕円曲線じゃない新しい暗号方式の開発、AIフェーズ5の実現、無人兵器、衛星兵器、遺伝子操作による合成生物学、超極音速飛翔体開発、量子物理学及び量子コンピュータ……」
「も、もういい、わかった、わかった、あとでデータで送って、なんなのいきなり」
平岩が初めて劣勢に回った。ダム決壊まであとすこし。
「日本の産業はすでに価値がなくなった、SUAを壊した後のことも考えなきゃいけない、それにテロに使えるように実用的な研究をしてもらうことになるかも」
「あんたはテロが目的なんでしょ、SUAや現在の産業を壊してどうするの、もう産業は壊れてるかもだけど」
「スクラップアンドビルド、日本は産業構造が弱すぎるからもっと合理的かつ弾性をもった構造に変える、俺たちは最終的に軍産学複合体と呼ばれる集団になるだろう、三年前に解体された産総研のメンバーいるだろ、あいつらは率先してヘッドハントしてほしいな」
「それこそ文科省の役人がやるべき仕事じゃない」
「あいつらにこんな組織横断的な事出来る訳ないじゃん、政治家主導でも無理だろうね」
平岩はうむむ、と考え込んで窓から外を眺めている。
桂川が平岩家の目の前を流れており、ほとりで観光客が遊んでいる。白人の女学生だろうか。既に初老となったこの女には、若い女に対してどのような感情を抱えているのだろうか。俺には一生判らない事だった。
「なるほど、あんたのやりたい事はSUAを壊して一部を奪って産業を作り変える、まさに生体システムにおけるアポトーシスやね……」
平岩がぽつりとつぶやいた。
「なにそれ」
「いやあんたが考えている事よ、日本が生物だとしたら、部分的に訪れる局地的な死、プログラムされた細胞の死よ、システムの内部から生まれた破壊のこと、オタマジャクシがカエルになるとき、しっぽがなくなるでしょ、あれのこと」
「俺はシステムの中にはいないよ、まったくのアウトサイダーだ」
「そんなことない、いずれわかるわ、人間は社会システムからは逃れられない」
「俺には国籍も保険も情報端末契約もいらない、ましてやサービスコードなんて、ジャングルに一人で放り出されても生きていけるさ」
「じゃあなんで、こんなSUAの破壊なんて考えたの、あなたは一人で生きるんでしょ、 関係ないじゃん」
「人を縛るものが生理的にきらいでね、あと縛られて喜んでいるマゾヒストもきらいなんだ」
「ぜんぜん納得できないけど、好き嫌いを言い始めたら科学者としては終わりなのでこの話はおしまい、きらいだから壊すなんておかしいわ、動機として無理がある」
「いいか、感性や本能の問題が一番大事なんだ、俺は科学者でも宗教家でもない、ただの動物だよ」
「感性も本能も周囲の環境によって変わるわ、なにも学ばなかった様ね」
平岩はため息をついた。
俺が正しい事を言っても、納得していない様だった。

しばらく沈黙が続き、落ち着かなくなってきたので、外へ散歩に行くことにした。
冬の嵐山は外国人観光客だらけだったが、桂川の川沿いは日本人の子連れ夫婦も多かった。彼女もここで子供二人と遊んだのだろうか。彼女は土産物屋を冷やかしながら年甲斐もなくはしゃいでいた。俺は平岩の中に、時折現れる少女の部分が好きだった。
近くに住んでいるくせに、ここらへんの観光地ってあまり行ったことないのよね、と言いながら買い物が止まらなかった。メインの観光スポットである渡月橋まで、徒歩で二十分くらいかかった。俺たちは橋の中腹でゆるやかに流れる桂川を眺めた。水は澄んでおり、橋の上から白鷺が魚を狙う姿を見ているのは飽きなかった。

白鷺と川を眺めながら、少しはしゃぎ疲れた様子の平岩は、しばらく鯛焼きを無言で咀嚼していた。
「SUAを壊すなんてそんな大仰な事を、破れたダウンジャケット着てよく言うわ」
食べ終わってご機嫌な平岩が言った。平岩は俺の服装についてよく文句をよく言う。昔からまともな恰好をしろ、そうすれば少しはそのねじ曲がった根性もマシになる、と口癖のように言っていた。当時は今よりも若くてきれいだったが、とにかく気性が荒かった。
「人を外見で判断するなんて、まだまだ若いじゃないか、もうすぐ五十歳だろ、感性もババアになってもいい頃だ」
「そうよ、私はまだ若いのよ、こないだ生理あがっちゃったけどね、動物としての人生は終わったわ、これからは科学者一筋よ」
白鷺が魚を捕まえることを諦めて飛び立った。
「バカじゃないのか」
生理の話なんかするなよ、そう思った。子供を産むためのシステムが体内で終了した。それは彼女にとって歓迎すべきことなのだろうか。二人子供を産んだとしても、なにか変わるのだろうか。男である俺にはなにもわからない。
「そうだ、あのね、ちょっと気になることがあるの、調べてくれないかな、京都に居ては調べられないから」
急に神妙な顔つきになって平岩が言った。
「なんだ」
「最近東京で自閉症やADHDのこどもが増えてる」
「それがどうかしたのか」
「異常な数よ、東京がとびぬけて多い、このデータは公表されてないけど、厚労省のとある委員会で議題に上がったの、原因は何なのか仮説を立てろって言われちゃった、気にしてる政治家の先生がいるんだってさ、なんだとおもう」
「……子供は、本能的にギガストラクチャーがこわいんだよ……感性が鋭いからな、こわいものをみてると病気になるんだよ、俺も昔そうだった、あんなデカいものがこの世にあるなんて信じられないしいつまでも慣れない、あんなの不自然だよ、それが影響しているんだ」
「それが理由な訳ないでしょう、なにか相関する要因が東京にあるはずだわ……私も最初ギガストラクチャーを見たときはこわかった……」
平岩は俺の眼を見つめている。学問的興味からくる観察対象としてなのか、それとも信頼できるか測っているのか。
「ってことはやっぱり私は感性が若いのかしら」
ぱっと平岩が冗談めいた雰囲気に戻した。真面目な雰囲気にすぐ飽きる女だ。
「そうかもな」
俺はそう言って笑った。緊張が解けたのだ。自分でもリラックスしている声色だった。
平岩も笑っていた。茂山や野村との対話とはちがう、たわいもない会話だった。
「ともかく考えさせて、家族にも相談しなきゃ、あなたと違って私にはちゃんとした身分があるから、あなたの大嫌いな既存の社会システムの中でね、あんた、泊まってくならさっさとその汚いダウン脱いでお風呂でも入ってきなさい、ごはんの準備するから」
平岩はいきなり母親のような態度になって、今後のことをテキパキと決め始めた。俺はなぜかこのおばさんには逆らいたくない。そうおもわせる魅力があった。

2020年1月14日公開

作品集『東京ギガストラクチャー』第9話 (全35話)

© 2020 尾見怜

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