金髪エルフの美少女

水野洸也

小説

11,689文字

批評を書く際に用いる文体を、小説にも応用できないかと思い書かれた一作です。

 

 

ソファに横になってくつろいでいたところ、谷村徹は胸のあたりに我慢ならない痒みを感じました。同じような経験は過去に何度かあったようですが、いつ起こるかは予測不能で、しかも長時間続きます。あたかも毛深い人間が、手の甲で撫でつけてくるような感覚です。ざらざらしたその感触を振り払おうと、顎を下げて胸を見つめ、掻きむしるようにシャツを掴みますが、その時には痒みは引いています。「なんだ妄想か」と安堵し、視線を天井へと向けた途端、ぞわぞわしたあの感覚が蘇ってきます。幻覚と断定づけようとすればするほど、痒みはひどくなっていくようです。

もし本当に、痒みの原因が毛深い人間にあるのだとすれば、その何者かは今もなお、リビングのどこかに姿を潜めているはずです。徹がうとうとし、別のことに気を取られている隙を見計らっては、瞬時に肉体を可視化させ、徹のお腹に無重力状態でまたがると、毛むくじゃらの右手をそっと、小動物に触れるさいの繊細さで差しだし、徹のシャツからわずかに覗く青二才の肌へと、それこそ動物が愛情表現をとるように、自分の手の甲をしっとりと、しつこくならない程度になすりつけるのです。

重要なのは、腕が毛むくじゃらだからといって、その者が男であるとは限らないことです。肉体のあらゆる箇所に毛のびっしり生えた生き物と言われると、猿などの霊長類を除けば、どうしても壮年の男性を思い浮かべがちではありますが、毛深い少女がこの世にいてはならない理由などありません。であればこそ、手の甲にまで黒々と毛を生やした女性が、徹の身体に飛び乗っている光景をイメージしても、なんら差し支えはないことになります。

毛が黒色でない可能性もあります。谷村徹はれっきとした日本人であり、彼もまた体のあちこちから黒々とした毛を(高校一年生とはいえ立派に)生やしていますが、徹の胸を手の甲でいじくりまわす何者かもまた、日本人でなければならない道理はありません。赤みがかった毛を全身に蓄えたオランダ女が、徹宅に知らぬ間に居ついてしまった可能性は充分に考えられます。

なんならその者を、現実にはおよそ考えられないような超越論的女性、観念的・記号的なとびきりの美少女として理解する道も開かれています。徹は多少とも漫画やアニメを嗜みますが、それらにしばしば登場する金髪エルフの美少女が、腕を覆う黄金の産毛でもって徹の胸を撫でている、そういう映像を徹自身が思い浮かべたからとて、現実にはありえない光景だと彼を糾弾できる人間は皆無です。現在谷村家には徹一人しかおらず、結局のところ痒みを引き起こしている真の原因が何なのか、徹以外にはわからない状況だからです。そして、当の徹が正体を確認しようとしても、そいつは一瞬で姿をくらましてしまいます。

谷村徹は考えます。姿が見えないからといって、コミュニケーションが取れないということにはならない。リビングのどこかに自分以外の誰かが居るのだとすれば、お互い声を通しての意志疎通は図れるかもしれない。話の通じる相手であれば、これ以上自分の胸を痒くさせないでくれとせがむことができるし、渋るようであっても、とにかくその会話相手が痒みの原因であることを突き止めることができるのだから、いずれにしろ得だ。今なら家族の誰もいないから、万が一、独り言に終わったとしても、恥ずかしい思いを抱かなくて済む。そうした理由のもと、徹は虚空に向かって、何者かに対する挨拶の言葉をかける決意をしたのです。

「おい。そこに誰かいるのか?」

声の響きは自分のものではないみたいで、徹はそれが自分の発した声だと気づけませんでした。自分が今まさに喋ったのだぞということにも無頓着で、そのくせ耳だけは集中して働かせていたために、「そこに誰かいるのか」という言葉が、この部屋のどこかにいるであろう国籍も性別も不明の何者かから発されたものだと勘違いしてしまいます。徹は体を起こしてソファに静かに腰掛けると、目の前のテレビから視線を外さないまま、全身を硬直させ、辺りの気配を敏感に感じとる姿勢になります。テレビをひたすら見つめるのはひとえに、背後からの刺客に迅速に対応するためです。

「俺、お前と友だちになりたいんだ。お前もそうだろう? こんな俺に近づいてくるなんて、きっとお前はいいやつなんだろうな。勉強も運動もそれなりにできるが、誰かと話をしようとするといつもいらないことばかり言って、なかなか気持ちよく喋れない、こんな俺に積極的に関わろうとするなんて、風変わりで、得体の知れないやつなんだろうな」

今度はきちんと意識して話したので、自分の声を他者の声と取り違えることはありません。この時点ですでに、これから対話しようとする相手が、日本語のある程度通じる相手であると合点しています。日本語を解する人間が日本人だけであるとは必ずしも言えませんが、相手の姿が見えない以上、そこに自分のよく知る一日本人を想定したからといって、誰が徹を責められるでしょうか。相手の境遇を自分と似通ったものに設定し、彼に自分の境遇を知らしめることで同情を誘い、会話を円滑にしようなどという魂胆まではなかったと思いますが、生きるための知恵として、無意識にそういう行為に走ったのかもしれないということは意識しておかなくてはなりません。

徹がこの場において一人きりだったということはまぎれもない事実ですので、彼の声に応答すべき存在はどこにもありません。しかし、そうした事実にもかかわらず、谷村徹の目の前に金髪エルフの美少女が出現してしまったことをどう説明すればいいのでしょう。彼女は観念的存在であり、現実世界で話したり動いたりすることは、明らかに世の摂理に反しています。私には彼女の姿を認識できませんし、私の話を聞くあなたにしてもそれは同様に思えます。彼女は我々の頭の中だけで息をすることのできる存在であって、目の前に確固とした肉体として、金髪エルフの美少女を視界に収めるというのは、周囲から笑い話として処理されるか、心の病気だと気持ち悪がられるなど、冷たい反応をされるのが常です。

谷村徹という少年も、あるいはそうした病気の一種に、昔から苛まれてきたのかもしれません。痒みという、実体化しえないものを擬人化したのだというふうに考えることもできましょうし、単なる物影を、先日読み終えたばかりの漫画本に登場したエルフと錯覚してしまっただけなのかもしれない。我々は谷村徹ではありませんから、彼の脳内で何が起きているのかを認知することが不可能である以上、ただ彼が、金髪エルフの美少女を一人の実在する人物として眼前に目撃してしまったのだという、彼自身の証言をひたすら受け入れるしかないのです。

徹が言うには、金髪エルフの美少女は身長がだいぶ高く、当時は青いバスタオル一枚の姿だったようです。ただそのバスタオルは、平均身長が180くらいある北欧の国であればともかく、日本人の平均身長に合わせた長さしかないので、金髪エルフの美少女の肢体を覆うにはあまりにも短すぎたと述べています。細い腰回りからは想像できないほどたわわに膨らんだ純白の乳房、その頂点にうまうまと燃え滾る赤紫の色素が、折り込まれたタオルの上辺から見え隠れしています。ぴんと張り詰めた突起が、青色の衣には吸盤の役目を果たしていたようです。ただ、覆えていたのは上半身だけで、元気よく弾けた臀部から下は、ほとんど丸見えだったと言います。すらりと伸びた脚は、腰のつけ根からつま先まで顕わとなり、脚が行進をするたび、驚くほど引き締まった尻が、青いバスタオルを突き破るように揺れ動きます。脱衣所からリビングまでのほんの数メートルではありますが、その間も凝視を怠らなかった高校一年生の繊細なレンズには、腿と腿の中心部分に、ちょうど暖簾の隙間から店内が垣間見えるように、女性を象徴するあけび状の裂丘が、しっかと収められていたに違いありません。現実世界に数多く存在する美少女イラストの例に漏れず、このエルフは縮れ毛の群がりを少しも所持していなかったという話です。

この女が痒みの正体だったのでしょうか。そうであれば、彼女は通常の成人男性よりも多くの毛を手の甲に生やしているはずです。当然の帰結として、手の甲だけでなく全身のあちこちに濃い体毛を具えてしかるべきです。ただ、それはあくまで人間の場合だけであって、エルフという種族はあるいは、手の甲にだけ濃い毛を生やす特殊な生物なのかもしれません。であればこそ、腿の間に体毛を一本も所持していないという谷村徹の証言が正当なものとなります(デリケートゾーンと呼ばれる部分のみ、定期的に剃られているかもしくは脱毛している可能性がありますが。そこの部分を気にするのであれば、腕にびっしり生えた毛をケアしない理由がわからない、ということになります)。

私はこうした疑問を、谷村徹本人にぶつけてみました。すると彼の口からは、金髪エルフの美少女が腕に毛を生やしていたかどうかはわからないという、驚きの答えが返ってきました。私は彼が嘘をついているのではないかと疑いました。なぜなら、あらゆる箇所において完璧なプロポーションを維持しているエルフが、唯一の汚点として、腕にとんでもなく濃い毛を生やしているなど、徹には信じがたいことだろうからです。彼は自分の見ている世界を妄想で上塗りし、本来であれば腕にびっしりと毛を生やした美少女がバスタオル一枚で目の前に立っているところ、腕の部分から故意に目を逸らし、私にその情報を伝えないことで、徹が見たはずの世界を間接的にしか知ることのできない我々の想像世界を、より整ったものへと改変しようとしているのかもしれません。とにかく徹の口からは、金髪エルフの美少女の腕がどうなっているのかに関しての情報が出ることはついにありませんでした。

それにしても、なぜこのタイミングで彼女は姿を現したのでしょうか。痒みの原因が金髪エルフの美少女にあるのかは現時点では定かではありませんが、普通に考えれば、徹の感じた痒みとエルフの登場とは、何らかの因果関係があってしかるべきです。また、過去に幾度となく感じてきた痒みですが、エルフが登場したのは今回だけで、あとはただ、一日中痒いという感覚が続くだけでした。痒みとエルフに因果関係が存在しないのだとすれば、彼女が徹宅で悠々とシャワーを浴びる理由を、新たに探さなくてはならないことになります(因果関係があったからとて、それがエルフという幻想世界の住人が、人の家に居座ってよい理由にはなりませんが)。

徹も最初のうちは、目の前で何が起きているのか、状況がさっぱり呑み込めませんでした。金髪エルフの美少女自体、テレビアニメや漫画などで親しい存在ではありましたが、彼はそのような美少女が現実世界にいるはずがないという、まともな思考の持ち主でしたので、さしあたり「これは夢の世界だ」と考えたようです。痒みと格闘しているうちに、自分はいつの間にか眠りについていたのだ。俺が今見ているのは現実の世界ではなく、さまざまな観念がうごめく無意識の世界なのだ。自分という人間がそこまで現実逃避を志す人間であるということにも驚きを隠せなかったようですが、とにかく最初はそのように推論を働かせたようです。

しかし、夢を見ている時とは違い、世界はやけにくっきりと映っています。意識もはっきりしていますし、目の前の美少女以外、辺りの景色におかしなところはありません。アニメや漫画において、美少女というのは自分が一方的に見つめるだけの存在でしたが、その時は自分も相手を見つめているし、相手もこちらのことをじっと、しかもなんらかの意図を込めて見つめてきているという感じが強くありました。

金髪エルフの美少女は、火照った身体をこれでもかというくらい、徹に対して主張し続けていました。徹はというと、頭だけをエルフの立つ右に向けたまま、身動きが取れないでいました。近寄られたうえで、改めてまじまじと彼女を観察すると、彼女が現実に生きているのだという実感はもちろんのこと、自分とはまるで境遇の違う、向こうが貴族でこっちが賤民であるかのような圧倒的な劣等感と敗北感、しかしながらそのように蔑んだ目で見下されるという背徳的な嗜虐感など、さまざまな観念が徹の精神を蝕んでいきました。誰かの危機を遠巻きに眺めるだけの観客的な立場ではなく、自らが危機に瀕しているという当事者意識です。徹はそんな危機に見舞われたことは今までになかったので、何もできず、向こうがなんらかのアクションを起こすのを待つばかりという、厄介な状況に陥ってしまったわけです。

「ばかみたい」金髪エルフの美少女は、口を尖らせてこう言い放ったそうです。「自分を否定的に言う人、わたし嫌いだな。そんなに自分がかわいそうだってみんなから見てもらいたいわけ? だからそんな落ちぶれた根暗な目をしてるんだね。本当、許せない」

金髪エルフの美少女は、顔をますます徹のところに近づけました。言い終えたが最後、彼女は徹の右頬を手の平で打ったそうです。それまで徹は、目の前の女に対して言いたいことを、声にならない声で呟いていたそうなのですが、このビンタ一発で、軽度の失語症に陥ってしまったようです。

少しのあいだ、自分に何が起きたのかの事実確認がうまくいかず、ただ「痛い」という感覚だけが、徹の神経を苛立たせます。打たれた頬を押さえ、明らかに主犯格である眼前の美少女を見やりますが、それは単に反射的にとった行動であって、どうして正体もわからない女性を恨みがましく睨まなければならないのか、自身には不明なままでした。

もはや鼻先が触れ合うくらい近寄った顔は、それまで自分が視認してきたどの顔よりも美しいものでしたが、それはあとで振り返ってみた時に実感できることであって、当時は彼女がどれだけ美人かというよりも、なぜ彼女がそこまで怒りを露わにしているのか、疑問で仕方なかったと言います。身につけていたはずのバスタオルが床に転がっていたのも、事実としては徹の頭にあったはずですが、それが彼の意識を何らかの方角に向けさせることもありませんでした。とびきりの肉体がせっかく目の前にあったのだから、もっと早くから欲情しておけばよかったと、谷村徹は後に、多少ともおどけた口調で私に打ち明けてくれました。

 

 

なぜ目の前の金髪美少女がエルフだと、徹が認識できたのかといえば、彼女たちの種族の特徴である長い耳が、これでもかというくらい大きく垂れ下がっていたからです。また、彼女は本来であれば三次元ではなく、いわゆる二次元の世界にしか存在が許されていません。平面上の存在が、姿かたちはそのままに、新たに奥行きを得たことで、どれだけいびつな化け物が降臨することになるのか、よくテーマパークやイベントなどでアニメキャラを模した着ぐるみが登場することがありますが、あの醜悪さを考えると、徹の目の前に現れた美少女も、きっとその手の姿かたちをしているに違いないと、あなたがたは考えるかもしれません。現に私は、最初のうちきっとそうなのだろうと思い込んでいました。

谷村徹自身、はっきりとそう述べているわけではありません。金髪エルフの美少女を目撃できたのは最後まで徹しかいなかったために、「君が見たのは本当に、まさしくアニメや漫画に出てくる美少女だったの? それとも、イベントなどでよく登場する、着ぐるみに似た何かだったの?」という質問にきちんとした答えを返してくれない限り、こちらとしては推測の域を抜け出ません。

しかし、抜群のプロポーションを持っているという、以前の徹の発言を信じるとすれば、着ぐるみ説は排除してもよさそうです(中に誰か入っているかもわからない寸胴の人形が、バスタオルを身体に巻いているグロテスクな光景を、そもそも私は想像したくありません)。加えて彼は、長くてぷにぷにした両耳のほかにも、ヒキガエルのように大きくてつぶらな眼球、本来の機能を果たしえないであろう極小サイズの鼻、常に若干紅潮した頬など、美少女の顔面の特徴をいろいろと語ってくれました。

そのいくつかは着ぐるみであっても当てはまりそうですが、「口を尖らせて言い放ったそうです」と以前に私が形容したように、表情はころころ変わっていたようですので、「アニメや漫画に出てくる二次元キャラクターが三次元の姿をかたどって現前した」という状況で間違いないと思います。

母親にもぶたれたことのない頬を見ず知らずのエルフにぶたれたことで、谷村徹の意識は混濁に陥ります。もしかしたら目の前のこの女性は、自分の母親だったかもしれない存在なのだろうかと、論理としては明らかに破綻した言説すら、当時の徹には真実らしく聞こえてしまったことでしょう。実際、理由はよくわからないけれども、自分のことをこれほど真剣に怒ってくれる人間に出会ったのは生まれて初めてのことだという感動があったと言います。

彼は自分以外の人間にはあまり心情を打ち明けず、他者との距離感を調整することに慣れないでいました。女性においては顕著で、小学校低学年までであればまだ、男子とあまり区別がつかないまま喋っていられましたが、男女の性差意識が芽生え始めると途端に、女性という自分とはまるで違う種族に対してどう振る舞えばいいのか、幼きころの徹に、大いなる難題としてのしかかってきました。彼には叶という三歳上の姉がいますが、実の姉に対してすら、どう接すればいいのか掴めていない調子です。母親も同じような状況なので、徹としては周囲から愛されているのかいないのか、何もかもが不明のまま孤独に生きてきたという意識が強くありました。

そういう事情もあり、たった一発のビンタで暗雲を打ち払い、土足でこちらの内面世界に干渉してきたこの美少女が、自分にとって他人とは思えない、身近な存在に感じられたのです。もしも美少女でない、いささか不格好な女だったらどうなっていたか、結末は大きく変わっていたと個人的には思うのですが、ともかくもいきなり殴られたことに対しては、怒りの感情というより幸福な感情の方が優っていたと、彼は後に告白しています。

ただ、痛いことは痛いので、それに対する抗議の文句は、徹の口から自然と出たようです。「何するんだ。痛いじゃないか」

ここで谷村徹は、目の前の信じられないような女性が、肌着も身につけないまま、しかも風呂あがりの状態でこちらを見下ろしてきているという奇怪な状況を、いささか切迫したものとして受け入れてしまったのです。頬の痛覚もそうでしたが、それに負けないくらいの痛みを、充実した陽物の先っぽからも感じ取っていたのだそうです(あくまで生理現象であって、性欲による興奮は感じられなかったと、徹は私に幾度となく弁明していました)。

徹の抗議に対し、金髪エルフはというと、呆れた表情で徹の横に仁王立ちしたそうです。

「痛いかどうかなんてわたしにはどうでもいい。それに、わざわざ痛いようにして力を込めて打ったんだから、痛いのは当たり前でしょ」

徹の思惑としては、「痛いじゃないか」という自分の感情より、「何するんだ」の方に重点を置いていたのだと思います。初対面の相手を出会いがしらにぶった、その本当の理由はなんなのか。彼が希望していた答えというのは、まさしくそういうものだったのでしょう。

しかし、この金髪エルフの美少女は、「何するんだ」の方は無視し、「痛いじゃないか」だけを聞きとったかに見えます。応答の内容から察するに、彼女はあえて、普段以上の力で徹の頬を打った様子。痛がるのは当然のことで、そのことを改めて伝えてくるという、同語反復的な冗長さが、彼女には気に食わなかったようです。「それよりも、ほかに言わなくちゃならないことがあるんじゃないの?」という意図が言外に込められているようですが、当時の徹に、そこまで思考を巡らす余裕などあったのでしょうか。この時、会話の占有率は確実に美少女が上回っていたように思えます。

しかし、何もかも終わったあとで徹から話を伺うと、彼は当時、自分でも驚くくらい冴えわたった思考回路をしていたのだと言います。先に書いた私の分析も、彼はすでに熟知していたのであり、金髪エルフの美少女があえて度外れな返答をすることで、彼女自身の会話における優位を確立しようとしているのかもしれないという可能性すら、念頭に置いていたのだそうです。実際そうした企みなどエルフにはなく、度外れな返答だったという意識もなかったようですが。優位が確立されているのは上っ面だけで、潜在的に見れば徹の方が、この時の状況を俯瞰的に眺められていたという話です。

そこで徹は、会話の方向を修正する動きを見せます。

「ここは俺の家で、お前は不法侵入者だ。そんなお前が俺の頬をいきなりぶつのは、あんまり理不尽じゃないか。俺が怒っているのはそこだ。お前は本来、ここにいてはならない存在なんだ」

彼としては、ほんの軽い気持ちだったに違いありません。「ここにいてはならない」の「ここ」は徹宅を指し、よって徹が言いたかったのは、どうして赤の他人であるお前が、悠々と風呂に入るなど、まるで元からここの住人だったかのように振る舞っているのか、というようなことだったのでしょう。こちらの頬をためらいなく打つことができたのは、その辺の事情と何か関係があるのではないか? もしかしたら、自分が知らないだけで、お前は実は、俺のことを前から知っていたのではないか? 徹はどうやら、そこまでの意図を込めて、横に仁王立ちする金髪エルフの美少女に声をかけたようなのです。

返ってきたのはまたもや意外な答えでした。

「きみには言われたくないな。きみだって、この世界にほとんど存在していないようなもんじゃん。ほとんど存在できない者同士、一緒に仲良くできる道もあるのかもしれないって、きみはそうやっていい方向にも考えられないわけ? だからきみは、いつまでも孤独なんだよ」

彼女の場合、「ここにいてはならない」の「ここ」を「現実世界」と拡大解釈してしまったようです。ただ、徹の先の発言はそう読み取ることができるようにもなっているので、拡大解釈ではなく、彼女にはむしろ必然的な反応だったのかもしれません。そうであれば、この金髪エルフの美少女は、自分が現実世界にはそぐわない存在であることを自覚している、ということになります。

この返答を聞いたことで、徹は不意を突かれた心持ちになりました。今までは馬鹿で天然で話の噛み合わない女だなという印象ばかりでしたが、ここにきてちょっと、この女性とは分かち合えるのかもしれないと、態度が柔らかくなっていったのです。「だからきみは、いつも孤独なんだよ」という、流れるような煽り文句は癪でしたが、それも許してしまえるくらい、今では横に立つこの美少女が、まるで悲劇のヒロインであるかのように見えてきたそうなのです。

当時、彼女がどのような口調だったのか、徹には完全には思い出せないみたいですし、多少のバイアスがかかっている可能性もあります。ただ、偶然とはいえ彼女の方からこちらに歩み寄る姿勢を示してくれたことで、以前まで漂っていた独特の緊張感が和らいだような感じが、徹にはあったと言います。

その意外な感じは、さすがの徹も予測できていなかったようで、彼はしばらくの間、言葉を発することができませんでした。そんな彼に畳みかけるようにして、金髪エルフの美少女はその長くてきれいな脚を優雅に動かし、徹の真正面まで接近してきます。背筋はぴんと伸び、顎を持ち上げたまま、腕組みまでしている。見た目では相変わらず頑固で傲慢な印象を受けますが、表情はまるで、傷ついた生き物が雨の音に混じって声を上げているのを聞いてしまった時のよう。徹にしても、この女性は身体こそ恵まれてはいるが、心の中ではそれだけ傷ついているのかもしれないと、同情の面持ちで見上げていたと言います。

ソファに座ったまま動けないでいる徹のそばに、エルフの腰が接近してきます。向こうが腕を伸ばしてきたので、徹の腕も自然と、そちら側へと導かれます。尻を浮かせ、立ち上がろうという意志を見せましたが、その意志を堰き止めるかのごとく、エルフの優しくてもちもちした山並みが、徹の腿に重くのしかかってきます。

耳元で、女が歌うように語りかけてきました。

「さみしいなら打ち明けて。つらいなら叫んで。わたしはいつもそばにいるから」

ここにきてようやく、彼女が痒みの原因ではないこと、加えて彼女が毛深い腕を持っていないことが明らかになりました。エルフの身体はわりに重かったようですので、気づかれずして徹にまたがることは不可能でしょうし、腕の毛が痒みの原因であれば、徹はこの時、首元に強烈な痒みを感じていただろうからです。

とそこで、玄関から物音がします。リビングの掛け時計は、午後四時半を差していました。父親がこの時間に帰ってくることはありえないので、おそらくは姉か母親でしょう。実は玄関の扉が開けられる前から、車が一台、庭先の車庫に停まる音を徹は耳にしていました。それは金髪エルフの美少女に全身で抱きしめられる前後の出来事で、乗っかられた時点で、早いとこリビングから離れなければならないという目的意識が、徹の心を急かしていたのです。

ですので、あたかも恥ずかしい画像を閲覧しているところを家族に目撃されまいがごとく、徹は腰を浮かし、エルフ美少女に心も体も束縛されるのを必死になって防ごうとしていたのだと、谷村徹は述懐しています。

しかし、先ほどのビンタもそうでしたが、このエルフは細身にもかかわらず、筋力がだいぶ発達しているようでした。もともと身長が高いのもありますが、おそらくは体幹に恵まれていたのでしょう、高校一年生の徹ではびくともしません。どさくさにまぎれてこのエルフをだっこし、そのまま二階の自室まで走れないだろうかと一瞬だけ考えたようですが、腿からの重圧が、この計画の実行不可能であることを、無残にも告げていたと言います。首だけでなく全身を羽交い絞めにされたことで、家族の誰かがこちらに接近してくるのを、ただ傍観するしかなかったのです。

ぎりぎりのタイミングになってようやく、家に誰かが侵入してきたという状況を、金髪エルフの美少女は察知した模様です。場合によっては救いの言葉になりえたであろう天使の言葉を、徹の耳元で無心にささやき続けていたそうなのですが、「ただいまー」という部外者の声がリビングに響き渡った瞬間、頭をがばっと持ち上げると、正面の徹の顔をまじまじと見つめました。その時の彼女の表情は、いわくいいがたいものだったらしいのですが、徹に思考の余地を与えることなく、彼の両肩をものすごい力で押しのけると、ソファの背もたれにのけぞる徹をまさしく尻目に、一人で勝手に窓を開けると、一目散に外へと飛び出していったのだそうです。

「なんの音」

谷村徹の姉である叶が、コンビニのビニール袋を片手に、徹のそばを横切ります。呆気にとられたままだった徹ですが、今までのことは全て幻覚だったと自らに言い聞かせ、そのうえで「いや、俺も知らない」と白を切ったのです。

「でも、窓」

「最初っから開いてたよ」

「そうなの?」

訝しげな表情の叶でしたが、本気で問いただしたいわけでもなかったようで、ビニールの中からデザート的な何かを冷蔵庫にしまうと、タピオカミルクティーの容器にストローを挿し、啜る音を遠慮なく響かせながら、玄関前の階段をゆっくりと上っていきました。

徹は無言で窓を閉め、再びソファに横になると、目をつぶってあの痒みがもう一度来ないか、獲物を狙うようにしてじっと待ち構えました。しかし、どれだけ待とうが痒みが襲ってくることはなく、床に落ちていたはずのバスタオルは消失し、気がつくと金髪エルフの美少女がどんな表情をしており、どんな体つきだったのかもはっきりしなくなっていきました。

そんな状態の徹が、私に当時の様子を語ることができたのはひとえに、それから四年後、大学生になって一人暮らしを始めた彼が、あの美少女と邂逅を果たすことができたからにほかなりません。今度は誰にも邪魔されることなく、なぜ四年前、唐突に自分の目の前に風呂あがりの姿で現れたのか、そしてなぜ、四年後のこのタイミングで再び現れたのか。真相が、彼女自身の口から明かされることになります。

エルフと痒みの因果関係もつぶさに語られることになりますが、その物語はまた、別の機会にお話ししなければなりません。ちょうどいま、家内が子どもを連れて家を出たところですので、ソファに横になり、胸のあたりに痒みが迫ってくるのを、私もまた、静かに……

2019年10月31日公開

© 2019 水野洸也

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