カツアゲは許せるが傘を盗む奴は許せない

中野真

小説

3,320文字

歌舞伎町文学賞未応募作。第二回はあるのでしょうか。破滅派に入ってから地方文学賞というものの存在を知りました。今後はそういったものにも応募してみたいと思います。オススメがあったら教えてください。

 カツアゲは許せるが傘を盗む奴は許せない。空っぽになった財布にコンビニで千円札を九枚追加しアメリカンスピリットのメンソールを一箱買って外に出ると傘立てには私のものがなく使い古されたビニール傘だけが廃棄物のように残されていた。監視カメラをちらりと見上げ店員を振り返ったが駅近のコンビニレジを一人でさばくフランチャイズ犠牲者の権化たる老人にはこちらに構っている余裕はなさそうだった。ありがとうございましたという彼の声が裏返ったのをきっかけに私の胸の内には突き上げるような怒りが沸き起こった。正確に再現すると彼のありがとうございましたは「あっでゅしたー」と発音され「でゅ」の部分が裏返ったので下手くそな「アン・ドュー・トロワ」のように聞こえた。三つ数え雨の中へ駆け出した私は一瞬にして今ようやく水面から飛び出したようにずぶ濡れで喘ぎ始めた。煙草のせいだろうかそれなら大歓迎だこんな世界に長々と縛り付けられているなんて馬鹿らしい。

 雨の中を走る私に冷たい視線を投げる有象無象が滲んだ視界の端を流れ去っていくのが心地よい。私は大きく体を揺らしながら歌舞伎町の路地を走り回った。今時おやじ狩りなんて流行らねえよと叫んで見ると気分が高ぶり尿を垂れ流したくなった。涎を振りまきながら悲鳴の上がる人混みを突き抜けると目の中に私の傘が飛び込んできた。それは奇妙なものでも見るような顔でこちらを振り返った行列の先頭に咲いていた。私の傘を持っている男は丁度タピオカミルクティを受け取っているところだった。彼はタピオカが蛙の卵だとでも思っていそうなアホ面で隣にいる金髪に一つを渡した。その後ろ姿に私は足を止め慣性と疲れの力で少しだけ放尿した。男たちはカントゥーヤ!と叫んでスマートフォンを取り出したところで私を振り返った。カントゥーヤってなんだKPじゃないのか。KPは乾杯の意味だと思っていたがカントゥーヤだったのか。ならPはどこから来たんだとりあえずぶん殴ってやると思ったが私の口からは小さな声で「あの」という言葉が飛び出しただけであとは噎せてしまった。なんだよまた金くれんのかと金髪が笑って私に歩み寄ってきた。私は右手に握りしめていた財布を咄嗟に尻ポケットへしまったがいやらしい笑みを浮かべる金髪にまたもや奪われてしまった。彼らは私と肩を組み人気の少ない路地へと歩き始めた。私の傘を持っている男はいつの間にかさっき私が買ったばかりの煙草を吸っていた。片手に傘を持ちタピオカミルクティを持った手に煙草を挟んでいるので彼はもしかするととても器用なのかもしれない。

「先輩がさっき言ってたのこいつっすか」

「そーよびっくりだよななんか嬉しいよ俺。でもなお前八千円ってしょっぺーなあ。さっきは四万持ってたじゃんかよこんなんじゃピンサロも行けねーよ」

「先輩池袋のピンサロなら三十分五千円で行けますよ」

「馬鹿かお前それ手コキだけで嬢も選べないやつだろなんで金払ってモンスターにちんぽこ握らんなきゃなんねーんだよ」

「なんか俺それちょっと興奮するかもっす」

「そういやお前はそういうやつだったよでもなお前八千じゃ二人で入れねーだろが」

「先輩のそういうとこ好きっす」

 私はさっきの四万はどうしたのかと尋ねた。

「あ?それはデリヘル用なんだよ馬鹿か」

 私は納得して金髪のストローの中を黒い物体が連続で上っていくのをぼんやりと眺めた。癌になれと思った。

「おっさんタピオカって何で出来てるか知ってるか?」

 私は知らなかった。

「俺知ってるっすよキャッサバっしょ」

「お前キャッサバが何だかわかってんのか」

「それは知らないっす」

 よくわからんものから出来ているわけわからんものを平然と胃に流し込んでいる彼の勇気に私は感動しかけた。

「キャッサバっつーのは芋かなんかなんだよほらブラジルとかの主食になってるやつでなだから食物繊維とか結構含まれてんだよおっさんわかるかタピオカってのは女がインスタ映えのために馬鹿みたいに行列並んでっけどほんとはあんたみたいなおっさんが飲んだ方がいいんだってよテレビで言ってたぜ」

 まじすかと呟くと金髪は俺の前にストローを差し出した。ストローの先端は噛まれて変形しており私はそれを見た瞬間胃液がこみ上げてきそうになったが無理やり口に突っ込まれたので仕方なく啜ってみると甘いミルクティの中に異物が飛び込んで来て思わずむせ返った。

「おい何もったいねえことしてくれてんだおっさんそれちゃんと食えよ食べ物を粗末にするなって教わらなかったのか?」

 私は首を振ったあと腹部を強く殴られアスファルトに寝そべって地面にキスをした。アスファルトを転がったあとのタピオカの食感はもきゅっと言いかけた瞬間に頭の奥へ突き抜ける高音を響かせて砂利に変わった。そんな私を後輩がスマートフォンで撮影していたのがもはや気持ちよかった。

「ゲチでやべーっすねこいつ尊厳ねーのか」

「ゲチってなんだ」

「先輩知らないんすか最近俺らのサークルでガチのことゲチって言うの流行ってるんすよ」

「ゲチか」

「取り入れんの早いっすねLOLっす」

「それは古くねえかお前」

「いいんすよ今の言葉なんて雰囲気だけのもんなんすから明日にはもう変わってますよ何でも今使わないと」

 こいつら大学生なのかと思いながら私は立ち上がってベルトを外しバックルの部分を握ったがそこはむしろストロングポイントなんじゃないかと思って逆に握り直した。

「なんだおっさんついにやる気になったか」

 金髪が嬉しそうに大股で私の方へ近づいてきたので砂利と一緒にタピオカを吐きかけてやりベルトを振りかぶった瞬間私は殴られたようだ。ようだというのは気がつけばまたアスファルトに寝そべっており右頬に激痛が走っていたのでおそらくそうなのだろうとシャッター音とともに思ったからだ。右目のコンタクトが外れ歪んだ視界の中に浮かんでいるのはさっきの男ではなく女だったので私はしばらく気を失っていたらしい。女は私が動き出すと悲鳴をあげて去っていったので私はしばらく雨に打たれながら清々しい時を過ごした。つまり意識的に失禁したのだがその心地よさといったらもう少しで射精するところだった。

 満足した私は立ち上がろうとして両足がベルトでかたく固定してあることに気が付いた。ベルトには新たに穴が開けられていたのだが雨の中の二人の努力を思うと私はその滑稽さに笑い出してしまった。右手に握らされていた財布を開けてみるともう一度下ろしてこいとでも言うようにキャッシュカードだけが残っていた。なので当社の潤滑油たる私は彼らの意を汲んでもう一度コンビニまで戻った。

 コンビニ前の傘立てにはさっき見たボロ傘が今も私を待っていた。私は官能的な気持ちに襲われ蕩けるような足取りでその傘へ歩み寄り手に取った。白い取っ手を握った瞬間の嫌悪感といったら!私は正直にいってその気持ち悪さに勃起しながら傘を地面に叩きつけ何度も何度も叩きつけ破壊の喜びに浸りきった。場違いな入店音と共にコンビニの自動ドアが開いて外に出てきた男は私の形相を見てコンビニ内に引き返した。私は気分が良くなりビニールに噛み付いて引きちぎり無抵抗の優しい傘を咀嚼した。ふと右手を見ると人差し指の腹から血が流れ出し雨と溶けていた。傘は無抵抗ではなかった。優しくなかった。それは私を受け入れたはずなのに。そして私は何故か振り返った。そこには先ほど引き返した男と共にラグビー選手みたいに耳の潰れた大男が立っており浮気相手を見るように私を睨んでいた。彼が何か言ったが私の聴覚は目をさましてから片側のみとなっていたので良く聞き取れなかった。とりあえず次に起きることに覚えがあったので私は念の為歯を食いしばりそしてゴミ箱に寄りかかって目をさました。どうでもいいと思った時右手が私を呼んだ。私は殴られ意識を失っても傘を離さなかったらしい。ボロボロのビニール傘はどれだけの時間私に寄り添ってくれていたのだろう。私はかろうじて立ち上がり傘を開こうとし諦めて空を見上げた。いつの間にか雨は上がっていたが傘を差して帰りたいと思った。それでも私はビニール傘をきちんと傘立てに返してやり家路に着いた。

2019年9月1日公開

© 2019 中野真

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