「こんな煎餅座布団しかないけど、ごめんね」
首をへこへこ上下させながら、乾いた喉から言葉を発すると自分でも気味が悪くなるくらいに上擦った声が出た。神様、仏様、草野マサムネ様、俺にはどうして高橋一生みたいな声帯が備わっていないのでしょうか。
そんな自己嫌悪を千奈美ちゃんは、笑いもせず、憐れみもせず、「そんなことないよ、私、安くんと一緒にいられるだけでも嬉しいもん」
と、俺に微笑みかけてくれる。千奈美ちゃんはショートボブの髪に片っぽだけ奥二重の目、朗らかに笑うと八重歯が見え隠れするアルバイト先の漫画喫茶で知り合ったどこにでもいそうな女の子。友人や家族を含め、俺が愛している人は何人かいるけど、恋してる人は千奈美ちゃん、たったひとりだけだ。
「だから、二十歳のお誕生日おめでとう。これで安くんもオトナの仲間入りだ」
千奈美ちゃんが缶チューハイを俺に向ける。俺も、気恥ずかしいながらも「ありがとう」といって、350mlサイズのアルミ缶をカチリとぶつけ、二人揃って、千奈美ちゃんの実家の名産の金粉カステラをつついて食べる。
好きな缶チューハイもこだわりが強くて、レモンのスッキリ感がないやつ以外は受け付けない俺とは違って、千奈美ちゃんは出されたものはなんでも飲む。漫画喫茶でバイトをしていても、俺みたいに集めていたり、作者買いをする漫画はないらしくて、「安くんや友達に薦められたやつを読んでるかなあ。でも、みんな面白いよ」といいつつも俗に信者といわれるほどにイレこむ対象は特段ないという。かといって、冷めきってるわけでもない。
なんでも素直に好きな部分をみつけて、そこを喜んで見たりする。今ドキ、コンテンツたちにそういう接し方をどうしたらできるのだろう。俺にはそれが才能にしか思えない。
普通に歩道の上を歩もうったって、俺に言わせたら、普通はそんなにずっと歩道の上ばかりは歩けない。道路を横切ったり、跨いだり、するもんじゃないだろうか。だからか俺はいつも後ろめたい気持ちで生きていて、彼女はまるっきりはきはき爛漫、燦然としている。
「千奈美ちゃんはいつでも明るいから、根暗な俺もつられて元気でちゃうんだ」
質の悪いアルコールが俺になおさらダサい言葉を吐かせる。追い討ちのようにハハッと乾いた笑いも溢れる。
「ねえ、安くん……」
飲んでいた缶チューハイを畳の上に置いて、千奈美ちゃんは俺のカサカサした手をとった。
「……触ってみて」
千奈美ちゃんの頬はほのかに紅くなっていた。意図しているものを早合点しているのに思考回路は躊躇の一択を示して、おっかなびっくり、指先の震えが止まらない。顔を背けて、天井のシミを数えながら、千奈美ちゃんの身体をなぞる。俺の想像していたよりもずっと千奈美ちゃんの身体はすべすべしていて、そして、かたかった。
「腹筋……凄いでしょ。私、最近、ジムで鍛え始めたんだ。安くんも始めてみたら、なんだかずっと前向きになれるから」
千奈美ちゃんはニッコリと笑って、グミでも入っていそうなピンクの袋を取り出す。お菓子見たいなナリをしているけど、ザバスのサプリメント。立派なプロテインだ。
「千奈美ちゃんはマッチョな男の方が好きなの」
狼狽した俺は、千奈美ちゃんの肩を抱きながら尋ねた。
「ううん、特にそういうわけじゃないけど、安くんがプラス思考になりたいみたいだから……そうだ、凄く、すっごく恥ずかしいんだけどね」
溜め息をつくのも束の間、千奈美ちゃんの言葉の転調に俺は生唾を飲んだ。彼女に瞳で促されて、カチャカチャとベルトを外して、裸の下肢を無防備に曝け出し、そのまま仰向けに寝転がる。千奈美ちゃんの小さな顔が甘いお酒の香りを漂わせながら、重力に逆らっているものに近づいていく。もしかして、一緒にオトナになってゆくのか、俺たちは。
「ねえ、安くんのごっくんしてもいいかな……サプリなんかなくても、安くんのが一番、高タンパクで低カロリーだって気づいちゃった」
初めて見た普通の千奈美ちゃんの普通じゃない感性。思っていたよりも興奮の燃料になっていた。俺だけが知り得る優越感と背徳感と。千奈美ちゃんが腰をかがめて、垂直に反り立つものを舌先でチロチロ舐める時、フレアスカートの隙間から、パステルピンクが垣間見えた。そのアクション。3コンボ。もう俺の全身はそのままプレステのコントローラーと化していた。丹田のあたりからずずっと軸がぶれる感覚が呼び起こされる。ゲームオーバーはいつも破滅的で快楽的だった。
顔中の筋肉を弛緩させた俺は、快楽とアルコールで悪酔いしていたらしい。
「えへへ、酔って、早漏」
「うえっ……ゲホッ、最悪ッ。こういうのは酔って、失禁っていうんだアホ死ねっ」
口から琥珀色した汁をぼたぼた溢しながら、今迄見たことのない険しい顔をする千奈美ちゃんの顔がそこにはあった。また俺だけが知る千奈美ちゃんの表情だあ。改めて、惚れ直す。
煎餅座布団は今度、コインランドリーにぶちこまないといけない。
°。+ *´¨ °。+ * .· ´¸.· ¸.·* °。+ *´¨ °。+ *´¨ . . .゚ .゚。゚ 。 ,゚.。゚. ゚.。 .。
゚ . o ゚ 。 . , . .o 。 * .゚ + 。☆ ゚。。. .
。 。 *。, + 。. o ゚, 。*, o 。.
。 ゚ . 。 .· ´¸.·¸.·*.·’* ☆.· ´¸.·* ·´ .·’* ☆ .· ´¸.·*´¨
「失格、全員失格」
先生は僕らの書いた小説をコピー用紙の束にすると、そのまま力任せに破り捨てた。厚さにして、何センチあっただろう。すげえ、貴景勝みたいだ。
「何故ですか、今回のお題の高タンパクで低カロリーの条件は全員満たしていましたよ」
不満だとばかりに縁なし眼鏡の三石君が立ち上がって、抗議した。いいちこにモンスターエナジーをカクテルしたのをグラス3杯キメつつ、徹夜で書きあげたというから、そのエネルギーがまったくの濫費オンリーに終わったのに納得しかねるのだろう。
「では、あなた方は何を書きましたっけ」
それでも、正義は我にありとばかりに先生は冷たくいい放った。
「一炊の夢をオマージュした男の物語です。栄光も権威もトんでトんで回ってキめたあの日の夜も全ては夢。つまりはエントロピー。目が覚めたらパンツはカピカピブルー。作品名はずばり夢精花」
「私は、モノにときめく人間を主役に描いたこんもりメソッドという話を……」
そして、最後に発表した僕の作品が、つい今しがたまで読まれていたアレだったわけで、奇しくも、僕らは同じお題でネタが被った同じ穴の貉。思考の穴兄弟だったというなんともお粗末な話だった。
「しゃらっぷ、さの……その、さのばびっち。どうしてこのお題でスペルマ、それで被っちゃいますか。皮かむり共」
先生は怒りのあまり、喋り方がカイヤみたいになっていた。どうしても、こうしても僕らは日頃、カロリーを意識したおシャンティで意識の高い生活をしていないのだ。炭水化物、万歳。みんなカロリーキング&クイーンなのだから。
そうこう罵られてるうちに、まだモンスターエナジーカクテルの毒が抜けきっていない三石君がびくびくっと小刻みに痙攣し出す。どうやら、彼はうっかりさんだから、射精してしまったようだった。彼の知恵熱は睾丸で冷やされ、まったくの無駄になった遺伝子情報と共にスプラッシュアウトしたってわけだ。そんな三石君はびっくりするくらいガリガリだ。
つまりは痩せたきゃ、人はオナニーすればいいってことサ。たぶん、女の子だって一緒だよ、ね。
長崎 朝 投稿者 | 2019-03-19 14:03
軽妙でどこかキュートな語り口がよくて、両手いっぱいに載せた花びらに、ふうっと息を吹きかけて舞い散らせたような言葉たちのつくる、ポップな世界観が好きです。さて、今回のお題で「精液かぶり」をするというのは、まさに預言めいた作品ともいえるわけで、実際にMatsuoさんの作品にも高タンパクと精液をからめた叙述があり、今回の合評会での「精液かぶり」と、春風亭さんの作品内における「精液かぶり」が二重になって読者を楽しませてくれる、学生さんに読ませたくなるような射精譚でした。
駿瀬天馬 投稿者 | 2019-03-21 12:57
全体を通して読みやすくストレスなく入ってくる文章が魅力的だなと思いました。これだけしか読んでいないのになぜか千波ちゃんとの「無かった記憶」や彼女の笑った時のえくぼ、完ぺきではない歯並び、すねたふりをしたときに膨らます頬が脳裏に走り抜けてしまって困りました。かわいい。
このお題での「精液かぶり」は少なからず起こり得る事態だろうとは思っていましたが、それを逆手に取って描いていたのが良かったと思います。
桃春 投稿者 | 2019-03-23 03:02
小気味良い言葉のリズム感があって、楽しめました。
「夢精花」この言葉の字面と響きがとても良いです。
Blur Matsuo 編集者 | 2019-03-23 15:26
合評会作品でメタは難しいと思っていたのですが、お題と相まって軽快に読めて良いですね。僕は真面目に書いて駄作になるのですが、駄作を狙って書けるのはとても高度な技術な気がします。それを含めて凄いと思いました。私事で恐縮ですが、下ネタ被り、真面目に書いただけに恥ずかしいです!
Juan.B 編集者 | 2019-03-23 16:33
たしかに、アレは栄養価高いらしいネ。俺も、ハーフ顔云々言ってるギャル達に精液パックしてやろうかと何度か思ったことがあるヨ。たがやはりそんなに出ないのでジェネリックにションベン喰らえ、かナ。糖尿風味だオラっ!
大猫 投稿者 | 2019-03-24 00:56
「酔ってそ~ろ~」なんてタイトル見た瞬間、さては、と思って読み進めて、やっぱりなと内心フフンと思ったら、おっと、これが小説だったのね。課題を出された連中が揃いも揃って精液ネタを出してくるところがいかにもありそうです。
貴景勝は出るわ、カイヤは出るわで、笑いが止まりません。面白かった。
ところでこれを書いている今現在、貴景勝は九勝五敗です。明日勝てれば大関か?
一希 零 投稿者 | 2019-03-24 10:41
なんともまたお下品な小説だと思いながら読みました笑。一言「草」とでも言いたくなるような読後感がありました。酔拳ならぬ、酔小説というか、なんだか語り口自体がほろ酔いみたいな饒舌さが良かったです。それでいてメタ的な小説になっており、最後はきれいにまとまっていると思いました。でもやっぱりお下品な小説だったなあと、読後少しして思い出すような、面白い小説でした。
退会したユーザー ゲスト | 2019-03-24 16:41
退会したユーザーのコメントは表示されません。
※管理者と投稿者には表示されます。
牧野楠葉 投稿者 | 2019-03-25 16:23
下品すぎて笑いました。笑
男子中学生のいきすぎた下品みたいな感じでしたが、意外にもさわやかさがありました。
諏訪靖彦 投稿者 | 2019-03-25 20:06
今回のお題を見てスパームを登場させると負けだなと勝手に思っていました。だけど良いアイデアが浮かばなくて「もうスパームでいいか?」なんて考えているときにこの作品を読んで「あぶないあぶない」と踏みとどまれました。皆の考えを逆手に取ったメタ展開。私は好きです。
Fujiki 投稿者 | 2019-03-26 01:36
語りの饒舌さ、軽さが魅力的。悶々浪人生男子が受験勉強をしながら聴く深夜のラジオ番組みたいなノリを感じた。爆笑するほど面白いわけではない(ごめんなさい、好みの問題です)が、楽しく聴き流せて負担が残らない。最後に教訓がある小説は嫌いではないものの、本作の教訓はちょっと意味が分からない。本作の内容にあるとおりs精液が低カロリーだとすればたくさん放出してもあまり痩せないため、むしろ小説内小説のヒロインのように摂取したほうが効果的なのではないか? この点についても古風な小説の形式をメタ小説的に茶化すことが目的で、大して意味は考えられていないのかも。
波野發作 投稿者 | 2019-03-26 09:26
なぜか少数派のザーメン小説に軽い嫉妬心を覚えつつ、見事な二段構成で感服。