恋路海岸

久川茲郎

小説

11,252文字

恋路は、のと鉄道能登線に実際にあった駅です。2005年平成15年に能登線がなくなり、駅もなくなりました。

アキラは恋路をとおって、ぼくのところにくる。けど、恋路の意味はしらないらしい。

小さなちゃぶだいで、小さな夕食をしていた昨日の夜、アキラが聞いてきた。ふいにだったから、適当なことしかいわなかったけど、じつはぼくもくわしくしらない。

アキラが外の流しへ皿を洗いにいっているあいだ、ぼくは週末のいつもの、ふとんをふたつならべる動きをのろのろしながらかたづけが終われば、もう寝るだけで、ぼくの部屋というか、住んでるここにテレビは、ない。あした晴れたら、恋路海岸いきたいなあ、と思った。

奥能登の十月では、このふとんじゃあ、もう寒い。

 

 

恋路というのは、能登半島をはしる鉄道の駅の名前だ。穴水という中能登の駅と、さきっぽの珠洲(すず)市の蛸島という終着駅のあいだにいくつかある、無人駅のひとつだ。

名前がおもしろいから、ぼくもすぐに覚えたけど、その由来も意味も、くわしくしらない。駅を降りたら、海岸がある、というのも見たわけじゃなくて、だれからか聞いたんだろう。

寺をでたのは、朝の八時だった。

古い木の門をくぐってアキラとぼくは恋路をめざした。

ぼくがやっかいになってる寺は、山のすそにあって、のと鉄道の駅や店とかが多くある中心部から、ちょっとはなれている。そういうのをこえて恋路の海にいかなくちゃならないから、散歩にすればハードなもんだ。

中心までは、田んぼばっかりで、田んぼ、田んぼ、民家、田んぼ、おばあちゃん、といった光景がくりかえされる。

出会うひとはたいていがしりあいで、それはぼくがやっかいになってる寺の門徒さんだからこんちわーとかあいさつしたり、軽四のトラックがすれ違えば、プッとかクラクションが鳴る。

アキラもぼくのところにかようようになってから、もう一年以上になるから、ざいしょのひとたちはアキラをしってて「アキラちゃん、アキラちゃん」なんて親しく声かけてくる。

アキラの短い髪はまっ黄色で、こんないなかでは、かかしよりも目だつ。そしてざいしょの寺なんかにいるから、(土、日曜日祝日にぼくのところにくる)寺のことで集まったときに見られて、みんなにすぐに覚えられて、アキラもあいそうがそれなりのほうだから、親しくなってときどき野菜なんかも貰ってきて、夕食にでる。

ぼくとアキラの関係とじじょうを、ざいしょのはんぶんくらいのひとはしってると思うけど、そんなこむずかしいことをいちいち考えてはくれない。から、かんたんに夫婦みたいなもんだと、見てるようだ。

アキラが寺に、ぼくのところにくるまえまでは、在所のひとたちはぼくを「学生さん」なんて呼んでたけど、アキラが来て「先生」だなんてむかしの呼び名で今も呼ぶから、みんなぼくを「先生」だなんて呼ぶ。

「先生」だなんて呼ばれたら、まるで、学校の教師やえらい議員みたいに思えるけど、じっさいぼくはどちらでもない。

珠洲の寺の離れをかりて、ヒマだから木像なんかを彫ってて、それがたまに売れたお金で暮らしている。

つまり、〈だらぼち〉だ。

〈だらぼち〉とは、こっちの方言で、意味はばかなやつだ。だから、今のぼくにはぴったりだ。

 

 

穴水(そして金沢)にくだる列車は、ぼくたちが駅に着くと、すぐに来た。これをのれなかったら、次のは一時間半後で、うしろの席に座ったアキラは、そのまえに立ったぼくに「のれて、よかったね」なんて大きな縦長の瞳をあげていう。ぼくは目をそらして、うんとこたえた。

日曜の朝の列車は客がすくなくて、まえのむきあって座る座席に高校生と、おばちゃんがぽつぽつ見えるだけだ。ぼくもアキラとならんで、座れたんだけど、なんだかできなくて、混んでもいないのに恋路まで立ったままだった。

恋路で降りたのは、アキラとぼくだけだった。山の斜面にとりつけたように作られた、無人のホームを歩いた。

途中こった作りの待合い室があって、壁とかにここへ来た恋人たちがかいたんだろう、落書きをいくつも見た。そういえば、名前が恋路、だからカップルが観光にくることもあるって聞いたのを思い出した。なん十年かまえにはブームみたいのがあって、ずいぶんひとがいたらしいけど、今じゃ奥能登のさみしい無人駅だ。

それも、三月で廃線になる。

苔がはえた石段があって、むこうに海が見えた。アキラがぽんぽんと、小走りにくだってく。ぼくはちょっと心配になる。

すべってころばないか。

でもアキラはもう、石段をくだってしまっていて、小道のまえに立ちどまりふりむくと、「先生」と一度いう。ぼくが口の中でああとこたえてのろのろくだり始めると、アキラはまた走りだして、海にむかった。

石段をくだりおえてのびる小道の左がわに田んぼがあって、稲がすべて刈られてあった。冬がちかいと思ったのは、乾いたわらの匂いをかいだからも、あるんだろう。

小道は車道につづいて、車道をこえると恋路の海があった。観光名所になっているようで、駐車場もある。奥に鐘があった。

そのまえに立つアキラにぼくは、ちかづいた。ハートの形をした柱の真ん中に、鐘がぶらさがっていた。特別な説明もないので、ただ鳴らしてみればいいんだけど、ぼくはアキラといっしょに鳴らすのを想像したら、みょうに恥ずかしくなって、アキラを残して右の岩のそばに寄った。

岩のそばに小さな石碑があって、ぼくは目を落とした。こんなことが書いてある。

『約七百年の昔、木郎の里の助三郎と多田の里の鍋乃は、人目を忍んでこの浜で逢瀬を重ねていた。暗い夜、鍋乃のともす灯は助三郎の唯一の目標であり、愛する二人を結ぶ希望の灯でもあった。

鍋乃に想いを寄せるもう一人の男源次は、二人の仲をねたみ、灯を崖のはずれに移してだまし、助三郎は深い海から帰らぬ人となり、鍋乃も源次の求愛をしりぞけ、海に身を投げ助三郎のあとを追った。

この悲しい恋の物語を秘めた浜はいつのころからか「恋路」と呼ばれる様になったと伝えられる。』

悲しいはなしだね、といつのまにか横に立ったアキラにぼくは気づかなかった。けれどアキラはまったくかまわなくて、ぼくの背中をぬけ、岩のうしろに歩いてく。

目のまえがぱっと開けて、浜が続いていた。小さなそのすぐまえに、島がうかんでいる。

恋路弁天島だ。

浜の砂はけっこう厚くつもっていたけど、思うよりもやらかくて足をとられそうになった。アキラは白い砂浜をこえて、海の水をふくんだ黒い砂のところに立っていた。もう片足をうしろにあげて、サンダル(ミュールというのかしら?)を脱いでいた。

夏も終わって浜はあまりきれいじゃなかったけど、能登の秋の晴れの日にしてはめずらしいほど、暑くて、海もひどく静かだ。アキラが波打ちぎわを裸足で歩きたくなるのも、よくわかる。ひもをもってサンダルを片手にぶらさげながら、アキラは浜を進んだ。水をふくんだ黒い砂のところは、かたくなって足をとられるようなことはないだろうけど、ぼくはなんだか気になって、アキラの歩く速さにあわせてうしろからついてく。

ひとは、ほとんどいなかったけど、ぼくたちはどう見えるんだろう?

アキラとぼくは夫婦じゃない。

もちろん。

じゃあ、なんだ。

恋人?

に、ちかいか?

そんなのはアキラにも聞かないとわからない。わからないから、アキラとぼくの関係を整理したいと思う。

アキラもぼくも、能登の生まれでは、ない。

ぼくは島根県の松江の生まれだが、そこに両親はもういない。母親はぼくが小学校にはいった年に、家からでていった。それからしばらくは父子家庭というやつだったが、おやじは車の部品を作る小さな工場をもっていたので、うちが貧乏だと思ったことはなかった。

高校二年のときにおやじが病気で死んだ。おやじには兄貴がいて(つまりぼくには伯父)、そのひとに助けて貰って工場を売ったり、遺産を整理したら、五、六年はすごせるお金が残って、ぼくは大学にいけると思った。

で、東京の美大に入ったわけだが、そこでアキラと出会ったわけじゃなく、アキラとぼくは十も年がはなれているんだなあと考えていたら、勢いのいい波がひとつおしよせてきた。びっくりして、白い砂浜のほうにとんだアキラの体がかたむいて、ぼくの腕が腰にのびる。でも、うまくもち直すと、アキラはふりかえって小さく笑った。

アキラとぼくは浜に戻って、駐車場との間の舗装してある歩道にならんで腰かけた。

水着をもってくればよかった、なんてアキラはいうけど、十月だし、水もそうとう冷たいはずだ。今日はめずらしいほど暑くて、冬にむかう能登の秋の空にしては明るすぎるけど。

くらげがいるよ、とぼくはアキラの水着姿を否定しなかった。でも、くらげにはさされてほしくはない。

それから、今年は台風がすくないとか、あまり意味のないはなしを二、三くりかえしたあと、

「源ちゃんはあのあと、どうなったんだろう」

といった。源ちゃんってだれだと、ぼくはすぐにこたえられなかったけど、さっき石碑に書いてあった男のだと思った。恋敵の男を殺して、好きだった女にも死なれた源次という男の名前だ。

きっとみじめに生きたろう。じぶんの無力さをさらに感じたんだろう。

でも、ぼくがそれをアキラにいえなかったのは、そんなことばは残酷だと思ったのもあったけど、今ここにあるぼくじしんが、源ちゃんとかわらない生活をしているのに、なんとなく気づいたからだ。

目をあげると、秋のうすっぺらい陽がずうっと広がる海があった。風がなくて、波もない。静かでぶきみな海だった。

ぼくはさっきの石碑では、希望の灯ということばが気になった。

今のぼくの希望の灯は、なんだ?

 

 

アキラと出会ったのは、ぼくが東京の美大にかよっていたとき家庭教師のアルバイトで、目白の家にいったのが最初だった。アキラの父親は、輸入品をあつかう会社の社長とかで、いわゆる金持ちだった。

アキラの家庭のことというのを、ぼくは今もしらない。ただ、アキラの母親はいなくて、ぼくが初めて家にいったときも、お手伝いさんのおばちゃんがでてきた。アキラはそのおばちゃんのうしろに隠れて、玄関に立ったぼくをうかがっていた。顔のかたちなんかは、そのころとかわってない。髪の色はさすがに違ったけど、大きなちょっと縦長の瞳でぼくを見ていた。ネコみたいな女の子で、かわいかったから、しゃがんで目線をあわせて、頭をなでた。うれしそうな、はずかしそうなその表情が、ぼくのアキラの顔になった。

アキラはぼくを、「先生」と呼んだ。そのときは間違いではなかったけど、アキラはぼくを今でも「先生」と呼ぶから、みんなもぼくをしぜんと、「先生」だなんて呼ぶ。

あのころを思いだすと、どうしてもさけられないことがでてくる。ぼくはそれを忘れたいと願う。忘れたい、忘れたい、と思って九年がたち、ぼくはあきらかに世の中からはずれた、源ちゃんみたいな生活をおくるようになった。

それでも、やっぱり忘れられなくて、胸がじんわり苦しくなってくる。

つらいので短く書く。

 

 

美大でぼくは、油絵科に在籍した。そこの先輩で研究員だったRという女性に興味をもった。

Rは美しいひとだった。ただ能登の言葉でいえば、さいばしかった(さいばしいを標準語にするのは、ちょっとむずかしい。ニュアンスとしては、気が強いとか、おせっかいとか、そういうのをまぜた感じだろうか。あまりよい意味では使われないらしいけど、方言のやさしい肌ざわりがぼくはにくめないので、こうして使う)。

そういう〈さいばしさ〉が彼女の好みをわけたけど、ぼくは悪いと思わなかった。

彼女とぼくは、つきあっていたわけでは、もちろんない。ぼくは自分が生まれつきのいくじなしに、もうずいぶんまえから気づいていて、そんなとこが嫌いだったから、彼女のような気の強さ〈さいばしさ〉はとても尊敬できた。

そう、ぼくは彼女を尊敬していた。それがいちばんすなおに、気持ちにあてはまる。

けど、彼女はぼくが二年生のとき、自殺した。

失恋が原因だった。

 

 

さっきも書いたけど、アキラはぼくの恋人じゃ、ない。アキラがぼくに好意を抱いてくれていると思うのは、ぼくのうぬぼれではなくて(まったくない、とはいえないけど)、アキラがこうして、ぼくが住む能登のさきまでわざわざ来てくれることから、だ。

アキラは今年の春から、金沢の美大にかよっている。その直後からぼくのところにくるようになって、金沢から電車をのりついで、なん時間もかけてぼくのところに来てくれる。毎週末。

そんなことがもう、半年以上もつづいて、ぼくはその意味を考えていたんだけど、どうしてもわからないことがある。ぼくにたいする好意のわけだ。

「どうして、ぼくが好きなんだい?」

なんてストレートに聞くいくじはないし、アキラの好意そのものも、ぼくのかってな考えかもしれない。

聞けやしないからぼくは、

「どうして、金沢の美大にすすんだの?」

なんて、ちょっと方向をずらすことしかできない。

それを聞いた夏の夜、夕食のかたづけで皿を集めていたアキラは動きをとめた。アキラはあの、縦長の瞳でぼくをしばらくじっと見つめると、部屋のすみに置いたかばんからなにかとりだして、わたした。しわくちゃの紙で、すこし黄色くなっている古いものだったけど、大切にしているらしくて、ぼくはそっと開いてみる。そこには首から上の、ひとの顔がザツに描かれてあった。

素描以下の落書き。でも、ぼくはおもわず胸の中で、あっといってしまった。

これを描いたのは、ぼくだ。覚えがある。家庭教師をやめるとき、アキラにあげた、アキラを描いた絵だ。

 

 

Rはぼくの絵を認めていた。

クラスの飲み会があったときだ。ずいぶん酒の入ったRが、ぼくの横に座った。そしてRはぼくの絵のことをはなし始めた。

とうじぼくは、マチスが好きで、彼の影響を受けて色彩の強い風景画ばかり描いていた。Rはそれを見てくれていたらしいが、ぼくにはにあわないと、彼女らしくその場でいいきった。そしてぼくにモディリアーニのような繊細な人物画を描きなさいと、いった。

ぼくは、Rが絵を見てくれていたことはうれしかったけど、モディリアーニのような人物画を描ける自信は、まったくなかった。いくじのないぼくが、うじうじしてなかなか返事をかえさないでいるとRは、

「モデルなら私がするわ」

という。モディリアーニの人物画には裸婦も多いのを思い出すと、ぼくはきゅうに体が熱くなった。

飲み会のはなしは、そこで終わった。

そのあとすぐ、Rは自殺したのでぼくはあの言葉が本気だったかたしかめる機会をうしなってしまった。酒が入っていたから、いくじのないぼくを、ただ、からかっただけかもしれない。

けれどたったひとつ確かにいえるのは、ぼくはRを信じていた。どこかにいる冷静な自分も驚くほど、信じていた。あのときの言葉だけじゃなくて、Rという人間を信じていた。ぼくは初めてひとを好きになっていた。そのひとをうしなってから、初めて気づいたまぬけだった。

ぼくはあの日、最高の素材を手にしていたのに、逃してしまった。

 

 

薄暗いぼくのぼろアパートには、画材が散らかっていた。

Rをなくしてからぼくは、学校にいかなくなった。学校にいっても、はりあいがないのだ。まわりのすべてのものに手応えを感じられなくなって(すべてがウソに見えて)、ぼくはアパートにひきこもって、酒ばかり飲んだ。昼夜かまわず飲んだ。

絵はまったく描かなくなった。いや、描けなかったのかもしれないけど、まえのような情熱がなくなってて、散らかった画材がうざったく見えてしょうがなかった。捨てればよかった。でも、できなかった。ぼくにはそんないくじが、まだなかった。

したいと思っていたことが突然なくなったぼくは、生きるということを考えた。といっても、哲学者のようにまじめに(生きるなんて、ずいぶん大きくて重いけど)考えたんじゃなくて、ひとまずこれからどうするんだ、と。

このときの考えを、今、きちんといえない。忘れかけているのもあるし、酒につかってたせいもある。けど、死んでもいいんじゃないかなあ、とは思っていた。Rをうしなうとどうじに、ぼくは目的も自分がこれから生きる意味さえも、うしなっていた。

死ぬのなら隅の柱に、すぐにでもベルトで首をくくればよかったんだけど、ぼくは死ぬまえにRの墓を見たいと思った。Rの葬式にぼくはでなかった。彼女の実家の能登半島まで、そのときはいく気になれなかった。

季節は冬にむかってて、死ににいくのにはちょうどよかった。

 

 

大学も、いくつかもっていた家庭教師のアルバイトもやめることにして、生徒全員のところへ謝りにいった。

アキラのところは最後になって、勉強の休憩のとき、ぼくはいった。

じつはアキラは学校にいってなかった。小学三年のときから不登校というやつで、ぼくがくるまえも家庭教師をつけて家で勉強していたらしい。

ぼくはアキラの不登校の原因をしらない。けど、アキラは勉強ができないわけじゃなくて、ぼくが教えるかぎりでは、ほかの家庭教師にいってた、ふつうに学校にかよっていた子よりもずいぶん頭がきれた。ちょっと恥ずかしがり屋で、うちとけるのにけっこう時間がかかったけど、二年もいっしょに勉強したから、いろんなことをしゃべった。

アキラはぼくを信じてくれていただろう。ぼくも、アキラにできるかぎりのことをしてあげたいと思っていた。でも、Rをうしなったぼくには、ひとになにかをできるような価値があるとは思えなかった。そしてこれからもその価値がでてくるとは思えなかった。

もう来れないというと、じっと見ていたアキラの瞳がきらきらと輝きだした。こわいくらい澄んだそれを、ぼくは今でも忘れない。わけを聞いてきたアキラに、ぼくは実家に帰るとかいいかげんなことをいった。胸がすこしうずいた。

どうしても、というアキラの願いと、アパートに戻ってからつづけるようにかかってきたアキラの父親の電話で(ちなみにぼくは、

アキラの父親と直接会ったことがない。電話ではなしただけだ)、それじゃ次で最後、となった。

 

 

アキラに最後の勉強を教えたあと、ぼくは東京をでるつもりだった。大学には退学届けをだし、アパートもひきはらった。すくない荷物も捨てた(画材はまとめて、なんとか粗大ゴミにだした)。残りの遺産は伯父にあずけて、ひとまず能登にいくお金だけはもった。死ぬのだから、あとはなにもいらない。

着のみ着のままアキラの家にいったら、アキラは待っていてくれた。勉強を教えるはずが、たくさん料理があって早い夕食になってしまった。アキラとぼくとお手伝いさんはテーブルに座って、食べた。

アキラはぼくにずいぶん気をつかってくれてて、なんだかぼくは恐縮というより驚いてしまった。たくさん食べ物をすすめてくれて、その間に、「実家に帰ってどうするの?」とか、「手紙書くから返事ちょうだいね」とかいってくる。ぼくはひとつずつ返事はしたのだけれど、ウソがつききれないのもけっこうあった。今から死ににいくんだ、なんてほんとうのことをいえば、ずいぶん楽になれたんだけど、いえるはずもなくて、愛想笑いでごまかした。アキラも顔は笑っていたけど、あの大きな縦長の瞳は、ずっとふるふる震えていた。

新幹線の出発の時間もちかづいてくると、ぼくはこのままでは帰れない気がしてきた。なにかできないか考えてみれば、ぼくには絵を描くことしかなかった。

紙とボールペンを貰って、アキラを椅子に座らせると、ぼくは描いた。ひとなんて描いたことはなかった。描こうとして描けなかった人物画だった。画材も腕も最悪だったけどぼくは、きちんとまじめな気持ちでアキラを描いた。

それは落書きだった。色もなくて、線の流れの集まりがかろうじて、ひとだと教えてくれるひどいできのものだった。けど絵を受けとったアキラの笑いはぐっと深くなった。瞳の震えはもう確かになっていて、涙がたまっていた。

門まで送ってくれたアキラにぼくは、

「じゃあね」

といった。アキラは、

「またね」

とかえす。またはないと思ったが、

「またな」

とかえした。

ぼくは通りを駅にむかって、とぼとぼ歩きだした。途中、一度ふりかえると、アキラがぼくを見ていた。あの絵を胸のまえで両手で抱えたまま、ぼくを見ている。

 

 

 

列車が穴水という中能登の街をすぎると、風景がどんどんさみしくなっていったのは、緑が多くなったからじゃない。冬の能登のはっきりしない天気が、気分を重くしていくからだ。ため息のような息がたくさんでてきた。

終着までいくつか残した無人駅に降りると、あたりはもうだいぶ暗かった。田んぼの中をのびる道の街灯の光が、頼りなくゆれている。ざいしょへいくには、この道を通らなくてはいけない。

おなじ列車に乗っていた学生たちは、なれた動きで横の駐輪場から自転車をとり、帰り道を急いでいった。ぼくは駅に一人残されたけど、立っているわけにもいかなくて、静かに道を進んだ。

すぐに川が見えた。川に沿い家があって、ふたつみっつすぎると海が見えた。

海岸線はちかかった。空のほとんどは茶黒かったけど、海と触れあうほんのすこしのところは赤くて、陽はまだ完全に落ちていなかった。海岸線の細い道をくだった。

Rの実家まで迷わなかった。ほんとうは葬式にもでたかったから住所は正確にしっていたし、地図も見てて、頭の中であるていど想像していた。Rの実家は海岸線にならぶ、小さな家のひとつだった。

いきなりで、もちろん断りなしでいったのだから、驚かれて帰されるかもしれなかった。けど、そうしたときどうするのかまったく考えてなくて、今思い出しても、どうしようとしていたのかよくわからない。

ぼくをむかえてくれたのは、Rの母だった。Rの年齢を思うと、Rの母はずいぶん老けて見えた。体は小さくて腰が曲がっている。白髪も目だった。それらがそう見せていた。

ぼくはここへ来たわけをいった。あがりぐちに座り、Rの母はぼくのはなしを「おやあ、ほうけ」とうなずいて聞いてくれた。

「あがってくだっし。まいってくれれば、Rも喜ぶやろ」

家の中の闇は、外の夜のより濃かった。ちょっとこわい。家そのものはけっして立派なものじゃなかったけど、仏間の仏壇は大きくて、黄金色の部分がまぶしかった。

Rの遺影はなかった。Rとは似ていないなん人かのものが、かかってあった。

ぼくは念仏などしらない。おやじの葬式だって、伯父がぜんぶしてくれたから、そういうことは無知だ。でも、苦しいときに、だれかがそうそう助けてくれないのは、しってる。まして、いるかいないかはっきりしないひとに頼むなんてわからなかった。

けど、神仏に祈るのは、そういうためだけにあるのではない、とこのときぼくは気づいた。もちろんぼくは、Rの実家の仏壇でなにかを祈ったわけじゃない。ただ、Rを思っただけだ。もし魂というものがあるのなら、Rの魂がもう苦しまないでほしいと思っただけだ。

 

 

けっきょくぼくは、それから一か月ほどRの実家にいた。ただ飯を食らい、寝ていた。墓もなん度か、まいった。Rの母は、ぼくを追いだそうとはしなかった。

死のうという気持ちは最初、かなり強かったと思う。ただ、いつどうやってその気持ちがくじけてしまったのか、ぼくはわからない。

目的もなく、くさくさしながら、時間だけをすごした。冬の能登は雪も多くて、用事がなければ外にでるひともすくない。だからぼくも、ずっと家に閉じ込もったままだった。

「学生さん、飯やぞ」

と、Rの母は日に三度、ぼくを呼びにくる。気分がよければ、ぼくは起きだして飯を食った。

Rの母というのは無口なひとだったけど、飯のときにぼそりぼそりとはなすことがあった。それがぼくにむけられたものか、はっきりしない。

そんなはなしをなん回かつなぎあわせると、Rは一人娘で、勉強はできたほうだったとか、漁師だった父親はRが物心つくまえに海で遭難したとかいうのがわかってきた。

Rのことを聞けば聞くたびに、印象はより強いものになった。でもぼくは、それにリアリティも感じることができなくなっていた。Rが生きて接していたときよりも、ぼくははるかにRを知ったのに、Rはぼくの中で、どんどんうすくなっていった……。

……忘れている。

ぼくはハッとして、落ち着かない気持ちでいく日かすごしたある夕食のとき、Rの母のことばが追いうちをかけた。

「もう、死ぬ気はなくなったかえ」

ぼくは顔が赤くなっていくのを、感じた。耳がじんじん鳴りだした。

見透かしていたんだろう。ぼくがRを好きだったことを。

 

 

さっきまで晴れていた空がにごり始めて、なんだか風も冷たくなった。晩秋の能登の風景になってきて、雪には早すぎるけど、ちらつきだしてもおかしくない。

帰ろう、とつぶやいたのが、アキラに聞こえたらしく、立ち上がったぼくを見上げてうんとうなずいた。

アキラも立ち上がって、おしりについた砂を両手でぱたぱたはらうと、ぼくたちは来た道を戻り始めた。今度はぼくがさきで、アキラはあとからついてくる。

Rの母は、ぼくに寺を紹介してくれた。それがどんな気持ちでなのかは今でもわからないが、Rの実家はこの寺の門徒だというのはわかった。

寺のこまごまとした用事を手伝いながらもヒマな日もあったので、絵は描くつもりはなかったから、木でなにか彫ってみようと思った。仏やひとを彫るつもりはなくて、ぼんやり手を動かしていたら、鬼に見えた、なっていた。

それがなぜだか評判がよくて、ぼくは頼まれて、木を彫るようになった。わずかな、こづかいていどの金だったけど、ちょこちょこ入るようになったとき、アキラから手紙が届いた。金沢の美大に進んだと。アキラの父親とはほそぼそと連絡をしあっていたから、アキラはぼくのことをしっていたらしい。

そんなアキラが毎週末、わざわざこうして能登のさきっぽまで来て、ぼくの世話をしてくれる。ぼくはその意味を、あの、ぼくが描いた落書きを今も大切にもってくれているのを見てから、すこし気づき始めて、アキラをうしないたくないと思うようになった。

のと鉄道が三月になくなれば、アキラは、どうやってぼくのところへくるんだろう?

そのときなぜかぼくは、あの希望の灯ということばをふっと思い出した。

列車がちかづく音がして、それがうしろから来ているのをぼくは聞いた。あの山の斜面の駅に、黄色い列車が滑りこんでくる。これにのらないと、次のは一時間来ない。

走ろう。

ぼくは石段のまえでふりむくと、静かに手をのばした。見上げるアキラの大きな縦長の瞳に驚きが広がったけど、ぼくは濁っているだろうぼくの目をそらさなかった。

アキラはほほ笑んで、ぼくののばした手に触れる。わずかにぬくい、アキラのやわらかな手のひらを包みこむと、ぼくとアキラは駅につづく石段を駆けあがった。

希望の灯……、

アキラがぼくの、光だ。

 

 

 

 

 

『その後源次は行脚の旅を続け、再び里にかえり観音堂を建立して二人の菩提をとむらったという』

 

平成十七年五月記

2011年3月21日公開

© 2011 久川茲郎

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