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存在しない曲の、正確な目録。

タグ: #不条理 #純文学

小説

6,805文字

この冬、わたしは三つの曲を書かなかった。

一つ目は十一月に書かなかった。二つ目は十二月に書かなかった。三つ目は、書きかけて、存在を取り消した。

部屋には譜面台がある。ペンがある。五線紙が積んである。五線紙は白い。白いことが、この部屋の正常な状態だ。暖炉が燃えている。燃えていることも、正常だ。

正常な部屋で、わたしは椅子に座っている。

 

十一月の曲は、最初の音が決まらなかったから書かなかった。

最初の音とは何か。それはただの音高ではない。すべての曲の最初の音は、その曲がどこへ向かうかをすでに知っている。どの調に落ち着くか、どこで躊躇するか、どこで諦めるか。最初の音はそれを知った上で鳴る。だからわたしは最初の音を決めるまで、何も書かない。

十一月、最初の音が決まらなかった。

かつては、知らないまま書いた。知らないまま書いて、曲が自分でどこかへ行った。そういうことが、若い頃にはあった。今はない。今わたしが書けるのは、行き先を知っている曲だけだ。行き先を知らない曲は、存在しない、とは言えない。ただ、わたしには書けない。

十一月が終わった。

 

エドガーに送らなかった手紙がある。

書いた。封をした。宛名も書いた。しかし送らなかった。送らなかった手紙は存在しない。少なくとも、エドガーにとっては。わたしにとっても、今はそうだ。暖炉に入れたから。

紙が燃えるとき、煙が白かった。ガス灯の光の中で、煙はしばらく白いまま漂い、それから消えた。

手紙の内容については書かない。書かなかった内容だから。

エドガーとわたしは同じ年に同じ師に就いた。エドガーはわたしより速く、より多く書いた。わたしはエドガーより遅く、より少なく書いた。それ以上のことは、ここには書かない。

 

二十三歳の夏、書かなかった弦楽四重奏がある。

構想は完全だった。第一主題は決まっていた。第二主題も決まっていた。展開部でそれらがどう変容するか、再現部でどう戻るか、いや、戻らないか、も、頭の中にあった。頭の中で、その曲は完成していた。完成した曲が、わたしの中にあった。

書かなかったのは、書けば終わるからだ。

終わることが怖かった。書いてしまえば、その曲はわたしの中から出て、紙の上の別のものになる。紙の上になった瞬間、曲は完成と同時に死ぬ。わたしの中にある間だけ、曲は生きていた。

だから書かなかった。

今はもう怖くない。書いても書かなくても、曲が死ぬことはわかっている。しかし今、あの弦楽四重奏を書こうとしても、構想がない。第一主題の最初の音すら、もう出てこない。

頭の中の音楽は、三十年以上待つ間に、消えた。

 

出版社の男が楽譜を受け取りに来た。わたしは何も渡さなかった。

男は驚かなかった。以前にも来て、何も持ち帰らなかったことがある。何度目かは数えていない。男も数えていないと思う。数えていたとしても、顔には出さない。それが男の仕事の一部なのだろう。

男はしばらく部屋に立っていた。わたしは譜面台の前の椅子に座ったまま、白い五線紙を見ていた。白い五線紙を見ることは、書くことではない。しかし書かないことでもない、とその頃のわたしは思っていた。今もそう思っているかどうか、わからない。

男が帰り際に何かを言った。わたしは聞かなかった。聞こえなかったのではなく、聞かないことにした。男の言葉が空気を動かすのは見えた。しかしその動きを受け取らなかった。

男が言った言葉が何だったか、今は思い出せない。思い出そうとしない。

 

十二月の第三週に書きかけた曲は、十七小節まで書いた。

十七小節は短い。曲と呼べるかどうかも怪しい。しかし十七小節のあいだ、その曲はたしかに存在していた。ペンが動き、五線紙に音符が並び、それらが連なって何かの形になりかけていた。

十八小節目を書いたとき、間違いだとわかった。

十八小節目が間違いなのか、十七小節目が間違いだったのか、あるいはもっと前から間違いだったのか、判断できなかった。どこが間違いかわからない間違いを、わたしは修正できない。修正の起点が見つからない。だから全部を取り消した。

五線紙を破ることはしなかった。破れば燃やすことになる。燃やせば消える。消えたものは完全に存在しない。それは望まなかった。引き出しの奥に入れた。

引き出しの中にある限り、その曲はまだ取り消し中だ。取り消しが完了していない。完了していないということは、まだ何かが続いている。そう考えることにしている。正しいかどうかは問題ではない。

 

先月、ある曲が演奏された。

わたしが書いた曲の中で、最もよく演奏されるものの一つだ。初演から何年経つか、正確には数えていない。二十年は超えている。その曲が書かれた経緯については、ここには書かない。書かれた曲のことを書くのが、目的ではないから。

わたしは演奏を聴きに行かなかった。

会場はロワイヤル通りの突き当たりにある、石造りの建物だ。収容人数は四百を少し超える。十二月の月曜日の夜、そこでわたしの曲が鳴った。プログラムにわたしの名前が印刷されていたと、翌日訪ねてきた知人が言った。知人は演奏がよかったと言った。どのようによかったか、わたしは聞かなかった。

なぜ行かなかったか。

行かなかった理由は、ここには書かない。

 

女に弾いてもらわなかった曲がある。

弾いてもらおうと思っていた曲だ。完成していた。譜面もあった。ただ、渡さなかった。渡す機会は何度かあった。その機会を、わたしは使わなかった。

なぜ使わなかったか。そのときどう考えていたか。今となっては、考えていたことの輪郭しか残っていない。輪郭の中身は書けない。

渡さないまま、女はいなくなった。どこへ行ったかは書かない。

楽譜は今もある。引き出しではなく、棚の上に立てかけてある。取り出しやすい場所に置いている。取り出したことは、ない。

 

書かれなかった曲は、存在するか。

わたしの中にあった音楽は、存在したか。

存在したとして、それを曲と呼べるか。

今朝の朝食はパンだった。バターを塗った。コーヒーは冷めていた。冷めたまま飲んだ。窓の外に霧があった。霧はゆっくり動いていた。動いているのか、自分が見る角度が変わっているのか、区別できなかった。

書かれなかった曲は、存在するか。

コーヒーカップを棚に戻した。パンの皿はまだテーブルにある。

 

依頼された管弦楽曲を、書いた。

書いたが、依頼主に渡さなかった。完成した楽譜は、今も棚にある。女のための楽譜とは別の棚だ。依頼主とのあいだに何があったか、ここには書かない。

依頼主はその後、別の作曲家に同じ曲を依頼した。その曲は翌年に初演された。わたしはその演奏会に行かなかった。

わたしが書いた管弦楽曲は、誰にも演奏されていない。楽器編成は大きい。オーケストラが必要だ。一人では鳴らせない。

 

夢の中で主題を聴いた。

どの楽器が弾いていたか、目が覚めたときには覚えていなかった。しかし主題そのものは、その輪郭は、まだあった。目が覚めてすぐ、ペンを取った。五線紙の前に座った。

書き始めようとしたとき、消えた。

消えたのではなく、薄くなった。薄くなって、五線紙の白さと区別がつかなくなった。

後悔については書かない。夢の中の音楽を後悔することは、霧を惜しむことに似ている。惜しんでも霧は戻らない。惜しまなくても戻らない。

 

エドガーとの最後の会話の後、曲を書こうとした。

書こうとしたが、書き始める前に、書く必要がなくなった。

なぜなくなったか、ここには書かない。

ただ、その日の夕方、窓の外を見ていたら、街灯が点いた。一つ点いて、それから次々と点いた。通りが明るくなった。明るくなったことで、暗かったことがわかった。

曲を書こうとしていたことも、そのとき初めて気づいた。書く必要がなくなってから。

 

書こうとしたが、最初の音を決めた瞬間に、やめた曲がある。

最初の音を決めた。音符を一つ、五線紙に書いた。書いて、それが十一月に書かなかった曲の最初の音と同じだと気づいた。

同じ音から始まる二つの曲があってもよかった。それは問題ではない。しかしその瞬間、この曲と十一月の曲が同じ曲になった。行き先が同じだった。行き先が同じなら、一方は不要だ。どちらが不要かと考えたとき、どちらも不要かもしれない、と思った。

音符を一つ書いた五線紙を、引き出しに入れた。十七小節の曲の下に重ねた。

引き出しの中で、二つは重なっている。互いを知らないまま。

 

わたしには、書いた曲がある。

それらは存在する。演奏され、批評され、印刷され、記録されている。わたしの名前と結びついて、どこかの図書館の棚に並んでいる。誰かがそれを取り出して、譜面を読む。指揮者が書き込みを入れる。演奏家が音にする。聴衆が聴く。批評家が言葉にする。その言葉をわたしは読まないことにしている。

しかしわたしが覚えているのは、書いた曲を書いているとき、何を書かなかったかだ。

どの音を選ばなかったか。どの和音を手前で捨てたか。どの展開が、途中まで行って引き返したか。どの終わり方が、最後の一歩で取り消されたか。わたしが覚えているのは、そちらだ。書かれた音符より、書かれなかった音符の方を、よく覚えている。

書かれた曲とは、無数の書かなかったことの残滓だ。

残滓が残滓であるためには、本体が必要だ。本体がなければ、残滓は残滓ではなく、ただのものだ。

本体は書かれなかった。本体は今もどこかにある。引き出しの中か、頭の中か、あるいはどこにもないか。わたしにはわからない。わからないまま、残滓だけが演奏されている。

 

三十年以上、書こうとしている交響曲がある。

第一楽章の構想が、三十年のあいだ変わり続けている。変わるたびに前の構想より良くなっている、とそのつど思った。今の構想が最良だと、今も思っている。しかし三十年前にも同じことを思っていた。

書かない理由は、構想がまだ完成していないからだ。

構想が完成すれば書く。完成とは何か。すべての音が決まり、すべての関係が見え、最初の音から最後の音まで、必然として連なっている状態だ。その状態になれば書く。

その状態になることは、ない。

なぜないか。構想が完成に近づくたびに、完成の定義が変わるからだ。変わった定義に合わせて構想を修正する。修正した構想は、また完成に近づく。近づくたびに、定義が変わる。

交響曲は三十年、頭の中にある。頭の中にある間は、まだ書けていない。書けていない間は、まだ可能性がある。可能性がある間は、まだ終わっていない。

 

エドガーが死んだ後、追悼曲を書こうとした。

追悼する気持ちがなかったから書かなかった、というわけではない。あったから、書けなかった。

エドガーが死んだのは秋だった。知らせを受けた日の夜、わたしは譜面台の前に座った。何かを書こうとした。何も出てこなかった。出てこなかったのではなく、出てきたものを、受け取れなかった。出てきたものが何だったか、今はわからない。受け取れなかったから、残っていない。

エドガーとわたしのあいだにあったものについては、ここには書かない。書けば追悼になる。追悼になれば、終わる。終わることを、まだ望んでいない。

 

引き出しの曲を取り出した。

十七小節の、取り消し中の曲だ。久しぶりに読んだ。読みながら、十八小節目が正しかったとわかった。

間違いだと思っていたのは、わたしが間違っていた。十八小節目は必然だった。その先も書けたはずだ。引き出しに入れたとき、まだ書けた。

それでも続きを書かなかった。

今さら書いても、あのときの曲ではない。あのときのわたしが書くはずだった曲を、今のわたしが書くことはできない。今のわたしが書けば、それは別の曲だ。別の曲を書く理由が、今のわたしにあるかどうか。

五線紙を引き出しに戻した。戻す前に、十八小節目の音符を一つだけ、余白に書いた。書いて、引き出しを閉めた。

 

出版社の男がまた来た。

また何も渡さなかった。男は部屋を見回した。棚の楽譜を見た。引き出しを見た。引き出しは閉まっている。何も言わなかった。前回は帰り際に何か言った。今回は言わなかった。

男が黙っていた時間は、長くも短くもなかった。適切な長さだった。適切な長さの沈黙の後、男は帰った。

男が帰った後、部屋が静かだった。静かだったことに気づいたのは、男がいた間も静かだったからだ。二つの静かさは同じではなかった。どう違うか、言葉にしない。

 

女のための楽譜を棚から取り出した。

久しぶりに手に持った。紙の重さがあった。何枚かは知っているが、数えなかった。

弾けるかどうか、わからない。弾く人間がいないから、確かめようがない。楽譜は弾かれて初めて音になる。音にならない楽譜が何であるか。紙だ。音符の印刷された紙だ。

しかし音符の印刷された紙は、潜在的に音を持っている。弾かれていないだけで、音はそこにある。そう言えるかどうか、わからない。言えるとすれば、楽譜はまだ音を持っている。言えないとすれば、ただの紙だ。

棚に戻した。立てかける角度が、前と少し変わった。

 

若い頃書けなかった弦楽四重奏を、もう一度構想しようとした。

二十三歳の夏に頭の中にあったものは、もうない。それはわかっている。しかし同じ形の別の曲なら、書けるかもしれない。同じ形とは何か。第一主題と第二主題があり、展開部があり、再現部がある。その骨格だけ借りて、中身は今のわたしが書く。

第一主題の最初の音だけ、思い浮かんだ。

書かなかった。

なぜ書かなかったか。その音が、二十三歳のときに思い浮かんだ音と同じだった。同じ音だとわかったとき、三十年以上前に書けなかった理由と、今書かない理由が、同じかもしれないと思った。同じなら、何も変わっていない。何も変わっていないなら、今書いても、また書けないだろう。

ペンを置いた。

第一主題の最初の音は、まだ頭の中にある。次の音が来ない。来るまで待つつもりはない。待てばまた消える。消えてもいい、と今は思っている。思っていることが本当かどうか、わからない。

 

この冬最後の、書かなかった曲がある。

何も思い浮かばなかった曲だ。

ある朝、書こうとして椅子に座った。譜面台の前に座って、五線紙を置いて、ペンを持った。持って、何も来なかった。来なかったことへの焦りも来なかった。

ただ、白い五線紙があった。

どのくらいそうしていたか、わからない。窓の外で何かが動いた。鳥だったかもしれない。確かめなかった。

何も来ないまま、ペンを置いた。椅子から立った。その日はそれだけだった。

何も思い浮かばなかったことを、ここに書く。

 

この文章を書いている。

この文章は曲ではない。しかし五線紙に書いている。手元に五線紙しかないからだ。罫線のある紙は、この部屋にない。だから言葉を五線紙に書いている。

言葉を五線紙に書くと、どこかがずれる。言葉が音符のふりをしようとする。できない。言葉は音符になれない。しかし五線紙の上では、言葉も音符も同じ線の上に乗っている。同じ線の上に乗りながら、互いに別のものだ。

書かれなかった曲について書くことは、曲を書くことか。

答えない。

ただ、この文章を書くことで、何かが存在するようになった。書かれなかった曲が存在するようにはならなかった。しかし書かれなかった曲について書いた言葉が、存在する。その言葉は五線紙の上にある。五線紙の線は、言葉をまたいで続いている。

 

今日、窓を開けた。

冬ではない空気が入ってきた。暖かいというより、冷たくない、という感じだった。

街の音が入ってきた。馬の蹄の音、遠くで何かを叩く音、子どもの声。冬のあいだは窓を閉めていたから、久しぶりに聴く音だった。久しぶりだから新しいわけではない。いつもそこにあった音だ。

何かを書こうとは思わなかった。

思わなかったことを、ここに書く。

 

引き出しの中の曲が、まだそこにある。

十七小節と、一つの音符。取り消し中のまま、冬を越した。取り出さない。完成させない。破らない。

女のための楽譜は棚にある。角度が変わったまま、そのままにしてある。

エドガーへの追悼は、まだ書いていない。

交響曲の第一楽章は、まだ構想中だ。

それで十分だ、とは思わない。十分ではないことは、ずっとわかっている。しかしそれ以外にどうすればいいか、もうわからない。

五線紙は白い。言葉を書いた五線紙の、まだ書いていない部分が、白い。白い部分の方が、書いた部分より多い。いつもそうだった。これからもそうだろう。

白い部分には、何も書かない。

書かないことが、何かであるかどうか。

もう考えない。

 

(了)

© 2026 ヤスナ・イデ ( 2026年4月24日公開

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