その一.勇者リアドーとコユラの物語
グジナ族のリアドーは明日、スレン族との決戦に臨む。五十年越しに争ってきた仇敵同士だが、ここ数年はグジナ族が優勢だった。夜明け前に山を越えて、平原に本拠地を置く敵を急襲し、殲滅する。
リアドーは川のほとりでコユラと語り合っていた。降るような星空の下、初夏のそよ風が吹いて、川面にわずかに波が立ち、姫百合の群れがほのかに揺れた。
戦が終わったら二人は結婚式を挙げる。
「今朝、山羊の子が生まれた。あの足の黒い母山羊の」
「なかなか生まれないので気にかかっていた。あれだけいつも出産が遅いのだ。子山羊は元気か」
「大きな牝の子だ。母親と同じ黒い脚をしている。やっと最後のお産が終わった」
「これで安心して戦に行ける。世話を頼む」
コユラはちょっと笑った。
「私が世話をせずとも、皆が手伝いに来る。勇者の家だもの」
「コユラに世話をしてほしい。俺の羊も、山羊も、馬も」
星空を背にしたリアドーの顔は見えない。でもコユラには彼の凛々しい顔が見えている。星明りの下のコユラの陰影深い美しい顔に、リアドーはしばし見惚れ、それからほっそりした身体を腕に抱いた。
「明日、昼過ぎには戦は決着する。夜が更けないうちに戻れるだろう」
「そうして明後日は凱旋祭り。忙しくなる」
「それから結婚式の準備だ」
「婚礼衣装がもうすぐ縫い上がる」
「早く見たい」
「早く見てもらいたい」
夜明け頃。
グジナ族の部隊は山を越え、狭い窪地に入った。途端に左右から一斉に矢が飛んできた。
軍列の先頭にいたリアドーは、どうにか矢の雨を逃れ、残った兵士を率いて窪地から平原へ逃れた。そこでスレン族の本隊とぶつかった。その時の戦力差は敵が三倍。たちまち周囲を包囲された。仲間が次々に倒れる中、リアドーは手負いの獅子の如く暴れ回って、敵をさんざんに手こずらせた。
「グジナ族の勇者リアドーに勝負を申し出る」
敵の包囲陣から若武者が一人歩み出た。
「これ以上、我が軍に犠牲を出したくない。そなたが私に勝ったら逃してやろう」
リアドーは血まみれの顔を歪ませて笑った。
「俺の前に一人で立つ度胸だけは認めてやる」
兵士たちに手出しはするなと命令し、若武者はリアドーの目の前に立った。
二人は戦い始めた。
若武者の得物は手槍で、リアドーは長剣を使う。二人の腕は互角だった。
若武者が目にも止まらぬ速さで繰り出す手槍をリアドーは寸前で躱し、長剣で足を払う。相手は咄嗟に宙を跳び、そのまま手槍を振り降ろす。長剣がそれを受け止める。
キーン! と鋭い金属音が響く。
武器越しに鬼の形相で見合う二人。
兵士たちが息をのんで見守る。
二人とも、呼吸を止めている。息を吐く瞬間、薄皮ほどの力が抜ける。呼吸の間合いは生死を決めると、勝負の一刹那を勝ち取ってきた者だけが知っている。
一瞬だけ早くリアドーが動いた。相手の腹を蹴り同時に喉元を衝いた。若武者はかろうじて身をのけぞらせた。
天下無双の勇士のリアドーだったが、すでに数時間の激闘で体中に傷を負っていた。奮戦空しく手槍で膝を割られてその場に倒れ伏した。
捕虜になったリアドーは、その後、スレン族のテントで三日三晩眠り続けた。その間に、わずかに残った味方は壊滅した。グジナ族の本拠へ敵が殺到して、留守を守っていた老人や女子供はあるいは殺戮され、あるいは奴隷とされた。家畜や財宝はすべて奪われた。
三日目の夜、目を覚ましたリアドーは、唇に温かいものを感じた。柔らかくて芳しい香りの唇。口の中に冷たい水が注ぎ込まれ、それをごくりと飲んだ。
頼りない灯火の中に、誰かの顔が見える。泣いている顔。限りなく懐かしい顔。
それはコユラだと気が付いた時、突然意識がはっきり戻ってきた。
「リアドー! 目覚めたのか? やっとやっと」
「コユラか……俺は家に戻って来たのか?」
「いいえ、ここはスレン族の族長の家」
「その通りだ」
男の声がした。
「勇者リアドー、良く戻ってきた。あのまま死んでしまうのかと怖れていた」
コユラに並んで、若い男の顔が見えた。どこかで見た顔だった。
「お前は俺と勝負をした男か」
「そうだ」
そうしてリアドーは、愛するグジナ族の運命を聞いた。
「そうか……」
一言呟くと、しばし絶句した。固く閉じた目から次々と涙がこぼれ落ちる。
「我が軍の動きを察知して先回りしたお前たちの軍略は見事だった。その後の包囲も理にかなっていた。我々はここ数年の勝ち戦に慣れて油断をしていた。命運が尽きる時というのは、そんなものなのだろう……」
少し落ち着くと、なぜ俺にとどめを刺さなかったのかと尋ねた。
「殺したくなかった。お前の名は我が部族でも尊敬されていた。話がしたかった」
「俺が弱かったということだ。何も話すことはない」
「それは違う」
若武者は声を励ました。
「お前は一人で何百人も相手に戦い続け、全身に傷を負っていた。そうでなければ戦に出て間もない私が勝てるわけがない」
「薬湯を」
コユラが小さな椀をリアドーの口元へ傾けた。蜂蜜と春の若芽を煮た薬湯はよく知っている味だ。
リアドーの顔が少し曇った。状況がだんだんと掴めてきて、コユラが敵の族長の家にいる理由も察しがついた。コユラはグジナ族の族長の娘だ。褒美として功労のあった者に与えられるのだろう。
「お前は族長の身内か? スレン族の族長はたいそうな老人だったはず。息子なのか?」
「孫だ。私の父が次の族長だ」
「もしやコユラはお前の父親の妾になるのか? 何人も妾がいると聞いているが」
「いいや」
若武者は首を振った。
「この娘は私の妻にする。ただ一人の妻だ」
リアドーは安堵した。
「ならば良かった。これは優れた娘だ。頭が良くて、勇敢で、手仕事ができて、何よりも家畜の世話が得意だ。お前のような男の妻になるのなら思い残すことはない。お前の名は?」
「ジャーダル」
「ジャーダル……勇者ジャーダル」
差し伸べた手をジャーダルはぎゅっと握った。
「明日、私はお前を食う」
「分かっている」
「お前はグジナ族、いや、我が一族の誰よりも勇敢な男だ。お前を食えることを光栄に思う」
「俺もお前に食われるなら本望だ」
「リアドー!」
コユラが取りすがった。
「私も明日、お前を食う」
「何?」
リアドーは不思議な顔をした。
ジャーダルはコユラの言葉を引き取った。
「この女は私との結婚の条件として、お前の心臓と肝を食わせろと言う。聞き届けなければ自害すると言った。普通、女は人を食わぬものだが、特別に許可をした」
コユラは涙に濡れた頬をリアドーの頬に付けてこう言った。
「リアドー、私はお前を食う。血の一滴も残らず飲み干してやる。お前は我が血肉となり、私の中で生き続ける。私がこの男の子供を産んだなら、それはお前の子でもある。我らの一族は滅ぼされた。けれども私とお前の血は残る」
リアドーの唇がコユラの涙で濡れた。
「どうかお前を食わせてほしい。そうしないと私はこの先、とても生きられない」
ジャーダルが続ける。
「この娘と私との子は、お前の血を引き継いだ子となる。誰よりも強く、誰よりも誇り高い獅子の子となるだろう」
リアドーはコユラとジャーダルを交互に見つめ、そして微笑んだ。
「お前たちに食われるのならば、俺の一生は栄誉に満ちたものになる」
翌早朝、安らかに眠っていたリアドーの首が掻き落とされた。そのまま身体は解体され、心臓と肝臓は神前に供えられ、肉は戦勝の祝宴の料理となった。
同時に挙行された結婚式で、花婿と花嫁は捧げ物の心臓と肝臓を食した。他の人々も、勇者の肉を厳粛な面持ちで口にしたと伝えられている。
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