オフィスにとどいた三十個の天目茶碗はみな粉々にわれていた。陶器の表面にうかんだ釉薬の斑紋はあたかも星雲に似て、「宇宙を閉じ込めた」と評されるみごとなものだが、茶碗の形状をたもったそれを両の手でそっと優しくつつんでこそうつくしく輝く。配達員が段ボールをはこんできたときにやけにガチャガチャと音がしたので雄二は嫌な予感がしていたのだが、いざ開梱すると、案の定、そこにつめ込まれていたのは三次元に現出した小宇宙のむざんな残骸の山であった。ていねいに梱包して送れとあんなに何度も念をおしたのに、プチプチはおろか段ボールの底に二枚の新聞紙が敷かれているばかり、虚無のにおいをはなつ茶碗の破片を雄二がひろいあげてみれば……、いや、奥の方に一個だけ無傷のものがみつかった。
「欲しかったらもちかえってください。プロジェクトはキャンセルにします」
雄二は片山部長の無機質な声を背中に聞いた。雄二がこの会社に中途入社してはじめて主催した、「ウーロン茶の故郷・福建省の職人が手づくりした『耀変天目茶碗』で本場のウーロン茶を味わおう!」というクラウドファンディングプロジェクトは粉みじんにくだけ散ったのだ。かれはただひとつのこった天目茶碗を新聞紙にくるんだ。
「こうなると思ってたです」
雄二の報告をうけて営業のメイリンは言った。「ウチの国は、まずお金をユウセンです。ただ三十個じゃ、やる気下がります」
「電動アシスト自転車の会社はちゃんとしてたんだけどな」
「あのときはお金よかったからです。お金良いのをユウセンです」
というメイリンは、日本人の初任給より少ない安月給でも文句ひとつもらさず粛々と業務をこなすから、中国のお国柄というより、このたび取引した企業に問題があったのだろう。また、天目のしあがりは申し分のないものだった。雄二は、クラウドファンディングサイトのプロジェクトページに載せた「手びねりする職人」の画像がむなしく色あせるのを感じた。
そのプロジェクトページで雄二は「奇跡」ということばを強調した。いわく、「熟練の職人の腕をもってしても模様の仕上がりをコントロールすることは出来ず、すべての茶碗が異なる模様を持って」いる、いわば「奇跡」なのだと。三十個あれば三十とおりの奇跡があり、人智を超えたところに「宇宙」は発見されるのだ、と。してみると、三十個のうちゆいいつ無事に日本へとわたった一個の天目茶碗は、なるほど奇跡である。そして雄二が学生時代に心うばわれてよりのち、やがて二十年ちかくも、いつかはその手にたぐりよせたいと願っていた本場の耀変天目茶碗が手に入ったという事実はかれにとって幸運にちがいなく、この奇跡をよろこぶよりほかによりどころがなかった。そもそも、かれがこの会社に中途入社したのは、今回のような「あわよくば」をねらったからではなかったか。雄二はこれでよかったのだと信じることにした。
家にかえると、寝るにはすこし早く、むすめはまだリビングに起きていた。
「パパ。きょう何の日かしってる?」
「さあ、わからないな」
「七夕だよ。おりひめさまとひこぼしさまの日」
「へえ、みつきはものしりだな」
幼稚園でならったんだって、と雄二の妻は言った。雄二はこの日をめがけてプロジェクトを企画した。一週間まえには無傷の天目茶碗がオフィスにとどいて、きょうには支援者にゆきとどき、ウーロン茶にかぎらず、おのおのが好きな飲み物をその手のひらのなかの宇宙にそそいで、夜空をたのしむお供にするはずだった。
雄二はむすめに天目を見せなかった。わられるのをおそれたためだ。
やがて時がたち、むすめが結婚することになった。雄二はお祝いをかんがえるうち、かの天目茶碗のことを思い出した。押し入れのなかをいくらさがしても見つからなかったので妻に問うと、ずいぶんまえにじぶんで割って棄てていたじゃないと呆れられた。それが五年まえか十年まえか、とても思い出せそうになかった。
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