鯉は貪婪な魚なのだという。なんでも、口に入るものはなんでも食べようとするのだそうだ。口に入れて、食べれそうだったら食べる。食べれなかったら吐き出す。そういう魚なのだそうだ。貪婪なのだという。そうやって書いてあった。そうやって読んだ。知った。しかし、
「もしかしたら、何かの影響が強いのかもしれない」
と、そう、佐々木原茉白は思った。
ある天気のいい日、茉白は家を出て近くの神社まで歩いた。その神社の境内にはちょっとした御池があった。そんなに深いものではない。そんなに大きなものでもない。御堀ではない。御池だ。その御池の中に鯉がいる。どれくらいいるのかは知らない。でもいる。前に見た。それをまた見てみようと思った。それ、それ自体が、
「鯉って貪婪なんだ。ちょっと見てみよう」
そんな事をすること自体が、茉白には驚きだった。自分に驚いてしまった。自分がこんな事を、そんな事を気にするなんて。するなんて。鯉を見に行こうなんて。思うなんて。鯉を見に神社まで行くなんて。鯉が貪婪かどうかなんてどうでもいいのに。そんな事。茉白は神社に向かった。午前中。いい天気の日だった。年末にしては、暖かい。空には雲一つなく、太陽と青だけが広がっている。
「うあ」
少しだけ風が吹いて、その風が冷たくて茉白は思わず声を出した。風が吹くとやっぱり寒いな。もう年末だからな。もう一枚、着てくればよかったかもしれないな。あるいはこの上着じゃもう寒いのかもしれないなあ。もっと厚いのを着て出たらよかった。朝、熱い湯のシャワーを浴びた。あれが無かったらもっと寒かったかもしれないなあ。茉白は歩きながらそんな事を思った。手袋も持ってきたらよかったかもしれないな。そんな事を思った後また、
ここまでして、鯉を見に行くんだ。と考えた。天気はいい。確かにいい。洗濯したらよかった。でも、年末だから。十二月だから。風が吹いたらもちろん寒い。冷たい。年末だから。そんな年末に、朝、いつもよりも大分早めに起きて、熱い湯のシャワーを浴びて、ドライヤーをかけて髪を乾かして、鏡に向かって顔を整えて、身支度をして。服を着て、上着を着て。
それで、神社の御池まで鯉を見に行く。鯉が貪婪だというから。
ウォーキングでもなく、散歩という意識も茉白にはない。無かった。何かのついででもなかった。買い物のついで、用事のついで、郵便局のついで、銀行のついで、コンビニのついで、人に会うついで、カフェに行くついで、何でも無かった。なにでも無かった。鯉に興味もなかった。鯉が好きだとか、そんな事も無かった。どちらかと言えば気持ち悪いと思う。魚。生きている魚。目とか。神社の御池も綺麗じゃない。鯉が動けば、水底の土が、藻が、動いた。鯉にまとわりつくようにして、薄い膜の様にして、動いた。その中を小さくはない、黒や白地に赤と黒の斑の、鯉が、胸鰭や背鰭を動かして、泳いでいた。
それを見に行く。茉白は。天気のいい年末の午前中に。それを見に行くために、朝から出かける準備をした。家を出た。
「うああ」
歩いていると、また少し風が吹いた。茉白は寒さに思わずジャケット、上着のポケットに手を入れた。そこに何か入っていた。取り出して見てみると五百円玉であった。
何だろうこれは。何時の五百円だろう。前にこの上着を着たのはいつだったっけ。茉白は考えながら、手の中の五百円玉を見つめながら歩いた。川、橋を渡って、大層な橋じゃない。ちょっとした、町中にある、ちょっとした用水路の上にかかっている橋を渡って、横道に入って、そしたら裏手から、神社の敷地に入れる。
「……」
そう思った時になにか、なんとなく、
「いいのかな」
と茉白は思った。なんとなく、何でそんな事を気にする必要があるんだ。ちょっと鯉を見に行くだけなのに。でも、なんとなく、
「今日は正面からは行った方がいいかな」
と思った。神社の正面から入るには回り道しなくてはいけない。遠回りしなくてはいけない。それでも、茉白はそうすることに決めた。わざわざ遠回り。このまままっすぐ進んで、交通量の多い、変な形をした交差点を曲がって、神社の正面、鳥居が立っている場所に。茉白は歩いた。上着のポケットの中、右手で五百円玉を握りしめていた。五百円玉が温かく感じられた。
神社の境内の脇に、自転車を押しているおじさんがいた。それ以外は誰もいなかった。父親と同年代くらいだろうか。おじさんだ。一人。腹の出た。髭面の。頭髪の薄くなったおじさん。自転車の荷台には何かが積まれていた。ビニール袋に入った何か。おじさんと目が合うと、
「鯉のエサだよ」
と言われた。ひとつ百円。茉白が五百円玉を出すと、指先を切っている軍手の手で、百円玉が四枚と、カップに入った鯉のエサ、四角い何かの肉片の様なものが渡された。
茉白はそれを持って御池に向かった。御池は茉白が以前見た時と同じように、あまり綺麗には見えず、しかし、鯉は以前見た時よりもいた。あるいは茉白がエサを持っているから、集まってきたのかもしれなかった。エサを撒く。ばしゃばしゃと音がした。鯉が互いの体をぶつけあって、エサを食べようとしている。茉白がエサをやる度に、それが繰り返される。ばしゃばしゃと。他の鯉を押し退けても、自分がエサを食べようとして。ばしゃばしゃと。
ああ、貪婪だなあ。
茉白は思った。これが。貪婪なんだ。鯉は貪婪だなあ。もう何度も鯉と目が合っているような気がする。どの鯉とは言わない。あるいはどの鯉とも。目が合っている気がする。鯉と。貪婪な鯉達と。
貪婪だなあ。ああ、貪婪だなあ。
その後、400円分のエサを買った。エサを撒き終えると、茉白はおじさんを誘って神社の境内の裏手に回った。薄暗くて、日の当たらない。でも風は無い。そこで、おじさんのおチンチンを咥えて、そのあと後ろからのセックスをした。
茉白は自分もいま貪婪なのかなとそんな事を考えた。
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